一般隊士の数奇な旅路   作:のんびりや

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 ひとつの結末を、覆すための戦いを。


23話 水の子ら・錆兎

 周囲が暗くなってきて、初めて、日没が近いことに気づいた。

 相変わらず、雲は垂れている。月明かりは、しばらく望めそうにない。

 

 武仁(たけひと)は、錆兎との立合いを中断すると、近くの枝をまとめて篝を4つ作った。

 円形の稽古場に、4つの明かりが灯る。それから、再び対峙した。

 

 義勇を打ち倒してすぐ、錆兎との立合いが始まった。それから、何刻経ったのか。少なくとも、昼間から日没までの間、戦い続けている。

 途中まで見ていた鱗滝は、呆れたのか、もう姿はない。

 

 錆兎の木刀。微かな動き。感じた瞬間、武仁も、木刀を握り直しつつ、少し動かした。そんな、見えるか見えないかの交錯は、絶えず続けている。

 

 錆兎の剣技は、流石のものだった。義勇のように、付け入る隙は全くない。跳躍するも、地を駆けるも、自在だった。下手に踏み込めば、簡単に一撃を入れてくるだろう。

 体格は義勇と同じくらいだが、放ってくる闘気は、鬼殺隊の高位の剣士と遜色がないほどだ。

 

 錆兎の木刀。また、動いた。今度は、気のせいではない。風のような呼吸音を響かせながら、構えに移っている。

 

 

  全集中 水の呼吸・拾ノ型 生生流転

 

 

 錆兎がその場で跳躍し、宙を舞う。1撃目は、こちらも木刀で弾いた。そこからの錆兎の攻撃は、息継ぐ間もないものだった。生生流転は、回転するごとに威力を増すのだ。

 

 何合目かには、打ち合った瞬間、体が押し込まれるほどの威力になる。武仁はあくまで、錆兎の攻撃を凌ぐことに、集中した。

 

 ただ受け流したり、躱したりするだけでは、構えを破られる。時には、体術や拳、蹴りでの牽制も織り交ぜた。

 身に叩き込んだ、生き残るための戦技。そして、生き残ることへの執念。そのすべてが、自分の武器だった。

 

 拳を、攻撃の僅かな合間に放ったが、避けられた。錆兎は着地するや、瞬時に体勢を整えて、突っ込んでくる。とても水の呼吸の遣い手とは思えないほどの、攻撃力。

 

 呼吸音。武仁は即座に、身を下げた。しかし、錆兎が迫る足も早い。

 

 

  全集中 水の呼吸・漆ノ型 雫波紋突き

 

 

 神速の突き。それが複数、ほとんど同時に襲い掛かってきた。切っ先が届く寸前、武仁は森に転がり込む。木を盾にした。背後で、枝が音を立てて、吹き飛んでいく。

 

「くそっ」

 

 錆兎が軽く、唸り声を上げた。

 対峙が、山の斜面に移っていた。明かりは無いが、眼はすぐに闇に慣れる。いつしか、雲に隙間ができていて、僅かだが月光が射しこんでもいた。

 

 雪を蹴立てて、斜面を駆けた。平場よりもずっと雪深い。足場の悪さで、錆兎の動きはさっきよりも制限されていた。

 

「武仁。あんたは、鬼殺隊の隊士なのに、そうやって逃げ回ることしかできないのか」

「逃げ回っている、か。だがこれが、私の戦い方でもある」

瀬良(せら)様は、あんたみたいな隊士が、鬼殺隊を支えてきたと言っていた。だが、そんなことがあるとは思えない」

 

 武仁は常に、錆兎との間に木が入るように立ち回った。それで相当、苛立っているようだ。おもむろに跳躍すると、木々の間を一直線に抜けてくる。

 読めていた。空中。はためく亀甲柄の着物。その袖を掴むと、その勢いのまま、雪面に投げ落とす。錆兎の全身が、それで雪の中に消えた。

 

 埋もれた方へ、一歩踏み出す。その瞬間、全身が嫌な感覚に包まれた。

 後ろ。跳ぶのと同時に、眼前で雪が勢いよく飛び散った。遅れて、呼吸音も聞こえてくる。

 

 

  全集中 水の呼吸・陸ノ型 ねじれ渦

 

 

 舞い上がった雪の中から、何か飛び出してきた。錆兎。見えたときには、木刀が上段から振り下ろされている。

 

 身を、限界まで反らした。紙一重。斬撃が抜ける。重ねるように、武仁も木刀を振り下ろしたが、錆兎は体勢を立て直している。柔らかい雪上での立ち回りに、慣れつつあるようだ。

 

 立ち上がった錆兎と、視線がぶつかった。燃えるような眼の中に、平静さも伺える。良い眼をしている、と思った。

 互いに、間合いの中にいる。その場で、激しく斬りあった。4号目。打ち合ったまま、柄で競り合った。

 

 錆兎の木刀には、明確な闘気や、殺気が込められている。斬撃だけでなく、死も迫ってくる。師匠と立合っていた時のことを、彷彿とさせるほどだ。

 降りかかってくる死を凌げるか。あるいは、踏みとどまれるのか。もたげたその問いを、即座に否定した。できなければ、こうして戦う意味もない。

 

 武仁が押し込むと、その力を利用する形で、錆兎の体も下がる。肩が上下している。息が乱れるのは、なんとか抑え込んでいた。

 雪から抜け出た時の陸ノ型は、かなり強引に放ったのだろう。雪に埋もれると、呼吸はほとんどできない。

 

 既に、昼夜戦い続けている。

 常人なら、どこかで倒れていてもおかしくない。錆兎自身の無駄な動きが少ないから、まだ耐えていられるのだろう。

 武仁には、まだいくらか余裕があった。それとて、常中を会得していなければ、とうに限界を超えていただろう。

 

「臆病、怯懦。あんたの戦いは、男の戦い方ではない」

「思い上がるな、錆兎。鬼は、お前よりもずっと強く、狡猾な存在だ。お前のいう男らしさを、鬼が相手にするとでも思うか」

「俺も義勇も、あんたとは違う。俺たちは2人とも、水の呼吸を使うことができる。鱗滝先生の教え通り、岩も斬った」

「お前は、何もわかっていない。鬼殺とは、全集中の呼吸をすることではない。岩を斬る事でもない。日輪刀で、鬼の頸を刎ねることだ」

 

 錆兎の右頬の傷が、わなないた。怒り。最初は眼の色だけで、その感情を制御できていた。今は、その気持ちに、振り回されつつある。溜まった疲労が、そうさせるのだ。

 

「確かに、あんたの言う通りかもしれない。だが、あんたは俺の友達を、義勇を傷つけた。俺は男として、それは絶対に許さない!」

「それでいい。私を、倒してみろ」

 

 だが、俺は死なん。口の中で、小さくそう呟いた。

 

 錆兎が跳ぶ。武仁は、木々の間を縫うように、駆けた。風が唸り、雪が舞う。時折、木刀と木刀が、かんと高い音を立てて交わる。再び、互いの戦技のぶつけ合いだった。

 錆兎の木刀には、どこに隠していたのか、と思うほどの力がまだ籠っている。腕程の太さの枝だろうと、小枝のようにへし折っていく威力だった。

 

 再び、離れた。その時、不意の突風が、雪を巻きあげた。視界の全てが、白に覆われる。

 気配も感じられない中、動くか、留まるか。刹那の思考の後、武仁は斜面を駆け下った。錆兎なら、雪で視界が遮られても、好機と見て斬りかかってくる。そう判断した。

 

 木がなくなり、足場が硬くなった。稽古場に戻ったのだ。灯がひとつだけになっている。それも風に曝されていて、弱々しい。

 すぐに、背後から錆兎の姿も現れた。

 

「もう終わりにするか、錆兎」

「まさか。男は、立ち止まったりはしない。ただただ、突き進む。それ以外の道は、俺にはない」

 

 そう言いつつも、錆兎の顔には、疲労の色が見え隠れしていた。

 

 このまま、体力の限界まで引き回して勝つことに、意味はない。武仁はそう思っていた。

 どこかで、錆兎と勝負する。その戦いに、勝つ必要がある。

 

 義勇は立合いの中で、自分の殻を破って見せた。それは、義勇にまだ伸びしろがあったからだ。

 錆兎の戦闘には、ある種、完成された美しさすらある。義勇のように、立合いの中で気づかせられるようなものは、見えなかった。

 

 そして、その思いは錆兎も持っているはずだ。

 

 しばらくの間、木刀を下ろしたまま対峙する。そして同時に、構えをとった。細かい所作は違う。だが、やろうとしていることは、同じだろう。

 呼吸音。それも、同時だった。

 

 錆兎の全身から、再び闘気が立ち上り始める。武仁は逆に、内へ内へと向けていた。

 寒さなど感じない。むしろ頭からつま先まで、熱いほどだった。

 風。最後の篝が消え、束の間、周囲が闇に包まれる。頭上で雲が割れ、月光が射しこんだ。

 

 まず錆兎が、一泊置いて武仁も跳んだ。彼我の間は、瞬時に詰まった。

 互いの姿。互いの首。それしか、見ていなかった。

 

 

  全集中 水の呼吸・壱ノ型 水面斬り

  全集中 水の呼吸・壱ノ型 水面斬り

 

 

 乾いた音。そして、何かが弾けた感触。跳んだ勢いはそのまま、立ち位置が入れ替わっている。武仁はゆっくりと、振り返った。

 

 勝負は、既についていた。錆兎の木刀が、折れている。

 

「勝負あったな」

 

 茫然と立ち尽くしている錆兎の首に、武仁は木刀を突き付けた。

 錆兎は信じられないといった表情で、手元を見ている。これまで折れたことなど、なかったのかもしれない。

 

「お前は、力がある。技も見事だった。私よりも、お前の方が既に強いだろう。だが、武器がなければ、どうにもならん。これが実戦だったら、お前は死んでいた。おそらく、義勇を残して」

「分かっていたのか? 俺の木刀が、ここで折れると」

 

 押し殺したような声。錆兎は、顔を俯かせている。その肩がぶるぶると震え始めた。

 嗚咽は堪えているが、泣いていた。

 

「私が折ったのではない。お前が、折った。お前の強さに、刀が耐えられなかった」

 

 木刀の破壊。拍子抜けするような結末は、狙ったものではなかった。だが、生きようとする自分の戦いが、その結果を生んだとすれば、これも成果なのかもしれない。

 

「俺は、弱い男だ」

「違う。お前は、強い男だ。だが、その強さが仇になることもある。刀が折れることなど、鬼との戦いでは、当然に起こることだ。鬼殺隊士なら、誰でも知っている」

「同じことは、俺は繰り返さない。絶対に」

「それでいい。それが分かっただけでも、お前はまた強くなったはずだ。だから、こんなところで、死ぬな。生きろ、錆兎。私は、お前と義勇に、生きていて欲しい」

「あんたは。いや、武仁は、俺たちが死なないために、戦ってくれたのか? それに、瀬良様も」

「私もできる事をする。そう、瀬良様と約束をした。だから、私の師匠がかつてしてくれたように、お前たちの相手をした。しかし結局、生きるか死ぬかは、お前達次第でもある」

「俺は武仁に、命を繋いでもらった。今日のことは、絶対に忘れない」

 

 頷いた錆兎が、武仁を見上げた。

 まだ子供だが、男の顔だった。もう泣いてはいない。

 

 こんな稽古をやらなくても、死ぬことなど無いのではないか。今日1日の間、何度かそう思うこともあった。

 それでも、やって良かった。真っ直ぐな視線を受け止めつつ、武仁はそう思った。

 

                       

 

 鱗滝の家に戻ると、手早く旅装を整えた。ひと纏めにしておいた荷物のほか、日輪刀があるだけである。灰色の羽織は、隊服の上に着込んでいた。

 

 最後に、並んで眠っている錆兎と義勇に一礼し、家を出た。ここに戻ってくる前から、錆兎は武仁に背負われながら寝息を立てていた。今はただ、ゆっくりと休めばいい。そう思い、起こさなかった。

 縁があれば、また会えるだろう。

 

 どこにも、鱗滝の姿がなかった。その所在は、すぐに分かった。武仁が鱗滝の家を出て、しばらく歩くと、人影が眼の前を塞いだのだ。

 

 天狗の面と、水色の羽織。月明かりの下、面の陰影が濃く浮き彫りになっている。最初に感じた、内に秘した気配と相まって、なかなか迫力があった。

 

「錆兎と義勇が、世話になった。育手として、礼を言う」

「私は、何も。彼らがもともと持っていたもの。尖っていたところ。それを、少し指摘しただけです。私のような無才には、それがよく見えましたので」

「儂には、できなかった。どれだけ、育てた者たちを喪おうとも。元水柱などと呼ばれようとも、最低の育手であろうな」

「鱗滝先生は、優しい。その優しさに救われてきたものもある、と私は思います。厳しさだけで、人は育たないものでしょう。今日は、私が彼らを打ち据えました。あとは、お願いします」

 

 狭霧山での生活で、自然と鱗滝に対しては、先生とつけて呼ぶようになった。瀬良がそう呼んでいたからでもある。

 

(みずち)といい、お前といい」

 

 天狗の面が、軽く左右に振られた。天狗の眼にあたる部分には、小さな穴が開いている。そこから放たれてくる視線は、柔らかいものだった。

 

「どの口で、人が優しいなどと。嘘が下手な柱と、人助けを志す一般隊士。お前たちの方こそ、鬼殺隊の柱と隊士にあるまじき優しさだ」

 

 嘘、という鱗滝の言葉。眼前の老人は、手鬼の存在に気付いている、と武仁は確信した。言葉や気配ではない。何か別の方法で、それを察したとしか思えない。

 

「お前が気にすることは、もう何もない。行くといい、御影武仁(みかげたけひと)。武運を祈る」

 

 その言葉を残し、鱗滝は走り去った。

 

 狭霧山を背に、武仁は歩き出した。野宿できそうな場所を見つけるまでは進み続けるつもりである。

 もともと、夕刻には発つ予定だった。錆兎と義勇が、よく耐えた。夜まで長引くとは、思っていなかったのだ。

 

 しばらくすると、那津(なつ)が肩に降り立ってきた。震えているその小さな体を、武仁は羽織で覆った。




 原作に対する、露骨なピンポイントメタでした。

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