一般隊士の数奇な旅路   作:のんびりや

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24話 生き残った者たち

 冬の峠は、越したようだった。陽気は暖かい。平地の雪は、早くも溶けつつある。

 桜が咲くころには、本部に戻る。そういう約束だった。期限はまだ先だが、これ以上の時は必要なかった。

 

 本部に、那津(なつ)を飛ばした。数日の後、那津が戻り、ある場所まで連れてこられた。

 隠が、ひとりで待機していた。

 

「後藤だったのか」

「やっと、来やがったな。待ってたぜ」

 

 地味な黒子の装束だったが、覆面の下からは、相変わらず快活な声がする。

 武仁(たけひと)はまず、深く頭を下げた。最初に後藤に会ったら、そうすると決めていた。

 

「すまなかった。岩柱様の館にいた時、何度も俺に、声をかけてくれていた」

「しおらしい顔するんじゃねえ。お前達は、俺の命の恩人なんだ。その恩人がああなってるのを、黙ってみてる奴はいねえ」

「そう言ってくれるだけでも、俺は、また立ち上がれる」

「おう。頼むぜ、隊士なんだからよ」

 

 そう言い、後藤は頭の後ろを掻いた。いくつ位の歳なのだろうか。声は自分とほとんど同じか、すこし若いくらいだろう。

 もっとも、歳などどうでもいいことだった。共に最終選別を受けた人間で生きているのは、もう後藤だけになっている。この男との間柄は、それだけで十分だった。

 

「じゃあ、行くぜ」

 

 武仁はその場で目隠しをされると、後藤に背負われた。ある程度移動すると、別の隠が待っている。そうして何人かを乗り継ぐと、下され、目隠しを外された。

 鬼殺隊本部。産屋敷邸。前に来た時と同じ、庭園にいた。

 

「思っていたより、早かったではないか」

 

 からからという笑い声とともに、横から声をかけられた。

 水柱、瀬良蛟(せら みずち)。その隣には、悲鳴嶼行冥の巨体もある。咄嗟に膝をつこうとしたが、瀬良に笑って制される。

 

「無事、御影は戻ってきた。とりあえず、良かったではないか、悲鳴嶼」

「意味のある、旅だったようだな。ここを発った時とは、気配が違う」

「こけおどし。あるいは、空元気。そういう言葉もあるがな」

「私はここに、御屋形様への報告のため、参りました。そうすれば、私の頼みをひとつ聞いていただける。そういう約束でしたので」

「一般隊士の頼みを聞く、ねえ。それは本当か、悲鳴嶼?」

「いかにも。御屋形様は、確かにそうおっしゃった」

 

 じゃらりと、数珠が音を立てた。胸の前で合わさっている手も、よく見ると、かなり分厚いのが分かる。

 その手にかかっている数珠も、普通の大きさではないのかもしれない、と思った。

 

「それを聞くのは、後の楽しみにしておこう。もし死にたければ、俺が介錯をしてやってもいいぞ」

 

 笑った瀬良に、武仁も笑って返した。

 ここを出立したときは、ただ死ぬことだけを考えていた。しかし今は、全く違うことを考えている。

 

 これは、折角の機会でもある。御屋形様に対して、自分はなにを願うのか。それを考える時間は、狭霧山を出立してから今日まで、いくらでもあった。

 

 時が過ぎて、最初に、悲鳴嶼が縁側の近くに移動した。瀬良もその隣に続く。それで、武仁も気づき、独りで館に正対して膝をついた。

 待つほどもなく、御屋形様の姿が、館の奥から現れた。

 

「お帰り、武仁。よく、帰ってきてくれたね」

「御屋形様との、約束でしたので」

 

 武仁は、低頭しながら、その声を聞いていた。

 改めて聞くと、不思議な声だ。発せられている言葉。そのすべてに、聞き心地の良さがある。ただ、その心地よさに、身を任せないようにした。

 あくまでも、ただの男の声。そういう聴き方をした。

 

「行冥と蛟も、来てくれたんだね。蛟とは、前の柱合会議以来かな」

「はい。御屋形様にあっては、御子息様方の無事の御誕生、真にめでたい。御当家の益々の繁栄を、この場で御祈念申し上げます」

「ありがとう。それに、武仁もだ。私の頼みを、よく聞いてくれたね」

「煉獄家、狭霧山。旅の中で、多くの人に会いました。水柱である瀬良様にも。私は、多くの人に助けられた、と思います。いままでも、そしてこれからもです」

「それだけではないよ。武仁もまた、助けてきたんだ。煉獄家でも、狭霧山でもね。君は前にここに来た時、自責の念の一心で、死のうとしていたね。でも、死ななかった。武仁は、まだ死んではならない。その助けを、待っている人たちがいるということなんだよ」

 

 武仁は、顔を上げた。御屋形様は澄んだ眼で、静かな微笑みを浮かべている。

 

「先に逝った者たちの分も、私は生きます。生きて、人を守ります。先日の御無礼、お詫び申し上げます」

「頼むよ、武仁。私は、君たちにお願いすることしかできない。私は御屋形様なんて言われているけど、無理してそう扱うことはないよ。私などよりも、日々を平穏に生きている人たちを、助けてあげて欲しい」

「はい」

「これは、柱の皆も知っていることだけど、私の体はいずれ、ある病に冒される。代々、産屋敷の男子はその病のために、短命なんだ。私も、この弱い体では、真剣ひとつ振るうことさえもできなかった」

 

 御屋形様の表情は穏やかな様子を、全く変じていないが、発している言葉はまるで、己が身を自嘲しているかのようだった。

 眼。その奥で渦巻くものがあるのに、武仁は気づいた。どろどろとした、怒りや憎しみ。束の間見えたそれは、すぐに柔和な笑顔の裏に消えた。

 

「ところで、武仁の報告を聞く前に、まず君に会ってほしい子達がいる」

「私が、ですか」

「必要ないのかもしれない。でも、私は会ってもらいたいと思った。君も会うべきだ、と行冥も勧めてくれた」

 

 右側に控えている悲鳴嶼は、軽く頭を下げると、音もなく姿を消した。しばらく待つ。すると、足音がいくつか近づいてきた。その足音が、不意に砂利を蹴って、走り出した。

 

 武仁の傍で2人、跪いた。長い黒髪。女というのは、それでわかった。

 2人の顔が上がった時、武仁は全てを理解した。あの夜、民家にいた娘たちだろう。顔は見ていなかったが、他に思いつくものは何もない。

 

 

「私は、胡蝶カナエ。こちらは妹の、しのぶといいます。あの夜、私たちを鬼から守ってくれた、隊士の方ですね。御影武仁(みかげたけひと)というお名前は、悲鳴嶼様から伺ってはいたのですが」

「君たちを助けたのは、私ではない。私は結局、あの鬼を倒せなかったのだ」

「でも、悲鳴嶼さんが来るまで戦ってくれてたんでしょ。守ってくれたんだから、私たちにとっては同じよ」

 

 髪の長い方が姉で、短く後ろで束ねているのが妹。2人とも、蝶の髪飾りをつけている。

 姉は物腰穏やかそうだが、妹はまだ子供らしい真っすぐさで、言いたいことを言う。最初の印象は、それだった。

 

「しのぶの、言う通りです。私たちを守ってくれたのに、今日までお礼も申し上げられませんでした。本当に、ありがとうございます」

 

 そういい、カナエとしのぶが再び頭を下げた。何となく、むずがゆさを感じた。やるべきことをやっただけで、礼を言われる筋合いなどない、と考えていた。

 

 その時、引っかかっていたことに、ようやく気づいた。

 鬼殺隊士として、関わった人間と事後に会うこと自体は、ないとは言えない。だが、鬼殺隊の本部である。無関係な人間が入ってくる場所ではなかった。

 

「君たちは、なぜここにいる」

「私たちは、鬼殺の隊士になります。悲鳴嶼様に、育手を紹介していただきました」

 

 武仁は何を言われたのか、咄嗟に理解ができなかった。

 こんな小娘が、鬼殺の隊士になるというのか。

 

 2人とも華奢で、線は細い。男である煉獄杏寿郎や錆兎、冨岡義勇よりも、さらに細いのだ。頸を斬る力がなければ、鬼殺は無理である。それは、武芸が劣るとか、全集中の呼吸の適性がないといわれた自分よりも、さらに向いていないということだ。

 

 姉は鍛えれば、まだ何とかなるだろう。体の作りは、芭澄と似ているところがある。だが妹の方は、既に背丈が足りない。

 

 だから、悲鳴嶼行冥がこの2人を認めたというのは、いささか信じがたいことだった。

 

「私たちは、鬼に両親を奪われました。だからこそ、他の人には同じ思いをさせたくない。2人で、戦うことを決めました。御影様に守っていただいたこの命で、人だけでなく、鬼も救いたい。私は、そう思っています」

 

 胡蝶カナエは、澄んだ声で、臆することなくそう言い切った。カナエの湛えている気配は、少女のそれとはとても思えない。あるのは、悲劇を経てきた鬼殺隊士特有の、覚悟だった。

 

 色々、言いたいことはある。そもそも、鬼殺隊になど入るのは止めておけ、という思い。鬼を救いたいとはどういう意味か、という疑念。何よりも、御影様という呼び方は、やめてくれ。だが何ひとつ、声にはならなかった。

 

 助けた2人と再会できたことを、喜ぶべきか。鬼殺の道を歩むことを、悲しむべきなのか。武仁には、よく分からなかった。

 

「誇れ」

「瀬良様」

 

 不意に、瀬良が声を発した。

 

「これが、人の生き方だ。守った人間の人生に、お前があれこれ感じる必要はない。人助けとは、そういう類のものではないはずだ」

 

 瀬良に、いつもの笑顔はない。鋭く吊り上がった眼が、武仁を真っすぐに見据えている。

 

「此度は、ただ誇ればいい。鬼殺隊士として、お前は命を賭して2人を守り抜いた。その命が、いつか別の命を守る。朱雀(すざく)という男でも、俺の継子の芭澄(はすみ)でもない。誰でもない、お前の人助けが、数多の命をこれから繋ぐ。お前の師匠という男も、きっと誇りに思うだろう」

 

 不意に、目頭が熱くなった。強く瞼を閉じ、溢れそうになったものを、押さえこむ。

 瞼の裏。様々な光景が流れた。鬼殺隊に入ってから、多くのものを自分は失った。しかし、失っただけでなく、守れた命もまたある。前にいる姉妹が、まさにそうではないか。

 

「ああ。生きていてくれて、良かった」

 

 武仁の口から出たのは、それだけだった。眼を開けた時、瀬良の顔はもう笑っている。

 武仁も座り込んでいる胡蝶姉妹に、笑いかけた。上手く笑えたかどうかは、わからない。

 だが、咲き誇る花のような笑顔で、笑い返された。

 

                       

 

 

 胡蝶姉妹が去った後、改めて、報告の場に移った。

 

 上弦の壱の特徴は勿論、その前の下弦の参との戦闘から、武仁は思い出せるものは些細なことまで、その全てを報告した。記憶は整理していたが、実際に口にしてみると、さらに出てくるものがいくつもある。

 

 全ての報告が終わると、武仁は瀬良と、門の前で別れた。悲鳴嶼は任務のため、早々に居なくなっている。柱は、やはり多忙なのだ。

 

「やはり、瀬良様には似合いません。特に、真面目な顔は」

「お前、次は木刀じゃなくて、俺の左手を食らってみるか」

「同じ手は食らわない。それが、私の師匠の教えのひとつです」

 

 瀬良は、声を上げて笑った。狭霧山がどうだったのか、瀬良は何ひとつ尋ねてこない。一度手元から離れたものは、もう気にしないのだろう、と思った。

 

「お前の願いとやらが、あんなものだとはな。口にしたからには、努力しろ。死線を生き残れば、それだけ人は強くなる」

「はい。この後で、朱雀と芭澄に報告に行きます。鴉の、弦次郎にも」

 

 武仁は手で、懐を軽くたたいた。そこにある硬い感触は、何度も確かめている。

 

「まあ、武運を祈る」

 

 言うなり、瀬良の姿が消えた。柱が移動するときは、何故か誰もが忽然と消えていく。

 隠に導かれて、館の裏手に回った。細い道をしばらく進むと、開けた場所に出る

 

 鬼殺隊士の、墓地である。遺書に特段の記載がなければ、死んだ隊士はここに埋葬されることになっている。その一角に、導かれた。

 

 南原朱雀(なんばらすざく)壬生芭澄(みぶ はすみ)。彫られているのは、名だけだった。だが、何度も線香をあげた跡がある。それに、墓石に雪などついていなかった。

 

 流石に、弦次郎の墓石はなかった。しかし鎹鴉も、しっかりと埋葬されているらしい。

 武仁は墓石の前に膝をつくと、懐から、竹笛を取り出した。

 

 本部に戻る途中、ある街の骨董屋で手に入れたのだ。何の装飾もないが、それを見た時、思わず手が伸びた。

 

 笛らしい笛だ。不愛想な骨董屋の主人は、そう評していた。武仁自身も、良い笛だと思っている。

 何度か吹くと、師匠からもらった笛と同じくらい、自分に馴染んでいくのがわかった。

 

「しばらく、そっちに行くのは遅くなる。そう何度も、墓参りなどできないだろうし。だから、俺は生きて、どこかで笛を吹く。その音だけでも、聞いていてくれ」

 

 聞いている人間も、返事もなかった。ここまで連れてきた隠は、姿を消している。

 武仁はひとり、笛を構えた。音がゆっくりと滑り出る。

 

 鬼との激戦地や、被害が多く出ている現場。そこへ、優先的に送ってもらいたい。それが、この旅路の対価である、自分の願いだった。

 現状では、一般隊士の犠牲が出すぎている。だが自分なら、どんな手を使ってでも生きる。生きて、鬼を倒す。あるいは、柱の来援まで、持ちこたえる。

 

 死を厭う気持ちは、全くない。その時が来れば、簡単に死を受け入れられるだろう。その一方で、自分は生きるために戦うのだ。

 生きて、人を助けるため。その人の中には、他の隊士も含まれる。

 

 笛を吹いていると、唐突にある鬼の姿が、鮮やかに蘇った。侍のような出で立ちの、6つ眼の鬼。無数の不可視の斬撃を放ってきた、鬼の姿だった。

 

 いつか。ふつふつと沸き起こってくる思いを押し込めながら、そう思った。

 いつの日か、上弦の壱を滅殺する。それは、口にはしなかった。自分だけがそう思っていれば、いいことだ。

 

 思念が途切れると同時に、笛を吹き終えた。

 

 傍らに、那津が降り立っている。芭澄の墓をじっと見つめたまま、動かない。かつての主と、言葉でも交わしているのだろうか。

 

 2人の墓を前にして、武仁には驚くほど、何の言葉も湧かなかった。涙も出ない。

 死は、ただの死。それを確認しただけだ。死んだ者のことを、決して忘れない。生きている自分にできるのは、それだけだ。

 

 那津が飛び去ると、武仁は立ち上がった。さらば。胸の内でそう呟き、身を翻した。




 本話をもって、第一部が完全に終了となります。
 読者の皆様のお陰で、ここまでたどり着くことができました。
 評価、感想、お気に入り登録等も、執筆のモチベーションとなりました。
 心から、感謝申し上げます。

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