27話 笛の音に惹かれて
桜の花びらが舞っている様。邸内からも、それは良く見える。
御屋形様に並んで、
「武仁は今年で、何歳になったのかな」
「18です、御屋形様」
「生まれた日付は、知っているのかい?」
「しりませんが、私が師匠に拾われたのは、冬でした。冬が終わった後、春になれば歳を取る。そう思い定めています」
「私は、いいことだと思う。この美しい季節に、生まれたと思えることはね」
御屋形様は、微笑んでいる。その左目の周りに、紫色の薄い痣が浮かんでいた。以前来た時には、無かったものだ。
武仁はちょっと頭を下げ、出されていた湯飲みに手を付けた。ほのかに暖かい風が、庭先から吹き付けてくる。
「それでも私は、冬の方が好きです」
「そうなのかい?」
「いつでも、冷たさや寒さの中に、身を置いていたいと思います。あくまでも、私ひとりがそう思っているだけですが」
「私ひとり、か。それも、武仁らしい考えだね」
暖かみや温もり。それは、どうしようもなく、気持ちのどこかを緩ませる。そこに、長居をするのは、武仁にとってはあまり、気分のいいことではなかった。
「半年前に聞いた答えは、今も変わらないのかな」
「変わるも何も、私は最初から、独りで戦うつもりです」
誰か一緒に、戦ってくれる
いない、と即座に答えたことは覚えている。
独りで戦う。負けた時は、独りで死ぬ。それでよかった。すぐ傍で誰かに死なれることも、誰かを道連れにすることもない。
「単独というのも、慣れれば気楽でいいものですからね」
「
「あの人なら、柱気取りで偉そうに、くらいのことは言ってくるだろうと思います」
それが水柱、
「蛟も行冥も、この前の柱合会議では、武仁のことを褒めていたよ。武仁が戦っているだけでも、隊士の犠牲が、確実に減ったと」
「そうであれば、良いのですが」
本部に赴いたところで、他愛もない話をするだけである。
互いの近況や、隊士を助けた戦いの話。時には、鬼殺隊と鬼のことについて、かなり踏み込んだところまで語り合う。ただし、死んだ隊士の話だけは、一度もしたことがない。
半年に一度、自分がわざわざ呼び出される理由は、未だ見えなかった。まるで、ただの話し相手として、呼びつけられているようにも思える。
それでも、この呼び出しを無視するつもりはなかった。
御館様は、このところ屋敷からほとんど外には出ないらしいが、世情に対しては実に博識でもある。会話の中で気づかされることが、武仁には絶えずあった。
話しているうち、日が傾き始めた。
「では、そろそろ」
そう言い、辞去しようとしたが、引き留められた。
「君に、会わせたい子がいるから、もうしばらくここにいて欲しいんだ。あと少しで、ここに来ると思う」
「私に会わせたいとは。隊士ですか?」
「私の
会ったこともない隊士に何の用か、とは思わない。
御屋形様の判断には、その英明さからくるものとは別に、底知れない何かがある。自分を煉獄家や、狭霧山に向かわせた時のようにだ。
この人が会わせたいという人間なら、誰だろうと会うし、どこへでも行く。武仁にとって、そこに疑いを差し挟む余地はなかった。
太陽が山並みに没した。屋敷の中には灯が入れられているが、外はほどなくして、闇に包まれる。
鬼殺隊士にとって夜とは、眠りの安らぎではなく、鬼との戦いの始まりを意味する。武仁も、まず肌が緊張する。
赤子の泣き声。武仁は、思わず軽く腰が浮きそうになった。しかし、その声は、屋敷の奥の方から聞こえてくる。
最初はひとり。すぐに、いくつもの泣き声が入り乱れた。にわかに、屋敷の中があわただしい気配に包まれていく。
武仁はまず、自分の心を落ち着かせた。傍らにいる御屋形様は、全く動じていない。自分があれこれ慌てても意味はない、と思った。
「くいな、かな。最初に泣いたのは」
「ご子息様方ですか。五つ子だとか」
「武仁、お願いがある。少しでいいから、あの子達に笛を聞かせてやってくれないかな」
「それは構いませんが。私の笛で、よろしいのですか? 子守歌など吹くことは、できませんが」
「人を、助けることを信条とする人間が吹くんだよ。私は、何も心配していないさ」
御屋形様はそう言って笑うと、あまね、と背後に声をかけた。
静かな足音が近づいてくる。障子が開くと、雪のような白髪の女性が入ってきた。
産屋敷あまね、という御屋形様の御内儀である。これまでも何度か、声をかけられたことはある。こちらの身を労わる言葉が、ほとんどだった。
「武仁が、笛を吹いてくれる。折角だから、輝利哉達にも聞いてもらいたい」
「ですが、御屋形様」
「大丈夫だよ、あまね。君も、ここで一緒に聞くといい」
「はい」
あまねは、たおやかな挙措で一礼し、御屋形様の傍に座した。
子供たちの鳴き声は、まだ続いている。屋敷の中、人の声はまだいくつもある。
高貴な家で育つ子供には、乳母という存在がいると聞く。多分そういう者たちが、子供達を泣き止ませようと、いま手を尽くしているのだろう。
5人もの子育て。言葉にするのは容易いが、全く想像がつかない。それが、かなりの労力を要するということは、この泣き声だけでもわかる。
武仁は、隊服の懐から笛を取り出し、口に当てた。そして、眼を閉じる。
唐突に思念が閉じられ、感じられるもの全てが、遠くなった。御屋形様とあまねの視線。子供たちの泣き声。そして、夜闇に対する自らの緊張も、何もない。
ただ、静かな音だけが、聞こえていた。
笛を吹いている。誰に対して吹いているのか、何を込めた音なのか。このところ、自分でもよく分からなくなっていた。かつてのように、内から言葉が湧いてくるようなことは、もうない。
しかし、笛を吹いていた。指も呼吸も、自然のままに動いている。
しばらくすると、音が聞こえなくなり、武仁は笛を下ろした。
眼を開けた。周囲の様子は、全く変わってはいない。ただ、子供達の泣き声は、止んでいた。
「いい音だったね、あまね」
「はい、御屋形様。あの子達も、聞き入っていました」
あまねは、目元を拭うような仕草をして、立ち去っていく。
また、御屋形様と2人になった。合わせたい隊士というのは、まだ姿を現していない。そう思ったとき、御屋形様が庭先に向かって、何かを手招いた。
「君も、そう思わなかったかい、天元?」
「ええ、御屋形様。吹いている奴も、笛も地味だが、良い音でしたよ」
闇の中から、男がひとり、音もなく近づいて来た。
現れたのは、白面で、端整な顔立ちの男である。
派手な宝石が輝く額当てが、まず眼を引く。隊服は肩から先がなく、剥き出しの上腕には、金色の腕当てらしきものが付いている。他にも、顔や爪に、まるで遊技のような化粧をしていた。
総じて、派手。最初の印象はそれだが、恰好だけの男ではなさそうだった。
闇の中に、気配など全く感じていなかった。つまり、この男が間近にいたことに、自分は気づけなかったのだ。
「よく来てくれたね、天元。今日は、この武仁に会ってもらおうと思って、来てもらったんだよ」
「なるほど。御屋形様の命令なら、文句は言いませんが」
天元と呼ばれた男の姿が、庭先から瞬時に消えた。
「よりにもよって、こんな地味な男と一緒に、俺に何をしろと? 鬼なら、俺と嫁で派手に頸を吹っ飛ばして来ますが」
続いた声は、背後から放たれていた。
速すぎる。武仁は座したまま、そう思った。
ただ移動しただけだろうが、見るどころか、感じる事すらできない。読ませるような仕草すらも、なかった。
これが敵なら、自分の首と胴はとうに離れているだろう。
「天元、私はまだ何も言っていないよ。まずは、自己紹介からだ」
「おっと、そうでした」
武仁は、隣に座り込んだ男に、向き直った。
全体的に、自分よりも少しだけ大柄である。しかも、その肉体はまだまだ成長しているのだろう、と武仁は思った。間近に見ると、思っていたよりもさらに若い。
「俺は、宇随天元。見ての通り、元忍だ」
「御影武仁。人を助けるため、鬼殺隊に入った。君に比べれば地味な隊士だろうが、よろしく頼む」
武仁が軽く頭を下げると、宇随天元はおや、という表情を浮かべた。
「あんたが、
「私の事を、知っているのか?」
「ここに来る前の任務で、鬼の頸をひとつ取ってきた。そこにいた隊士が、あんたの事を話していたのさ。前に、御影隊士に命を救われた。ありがとう、だとよ」
しばらく間を置いて、武仁は口を開いた。
「死んだのか、その隊士は」
「ああ。鬼相手に、戦ってな」
天元の言葉は淡々として、何の感情も篭っていなかった。死んだ隊士の言葉を、伝言のように伝えてくる。
それだけだが、自分がこの宇随天元という男に興味を持っていることに、武仁は気づいた。
同情や、怒り。そんな見え透いた感情で飾ることなく、ただ事実を伝えてきた。そういう言葉の方が、武仁は好きだった。
「構わないさ。私は、まだ生きている。死んだ人間の最期の言葉くらい、聞くべきだろう」
「おう、そうかい」
天元は腕を組むと、首を武仁とは反対の方向へ向けた。
助けた人間が、死ぬ。初めての事ではなかった。隊士を助けたところで、鬼殺に身を投じ続ける限り、いつでも死と隣合わせなのだ。
繰り返される人助けと、死。その繰り返しの中で、自分は多分、強くなっているだろう。ただし、失っているものも、確実にある。
「さっきの笛、良い音だったぜ。耳の良い俺が言ってるんだから、間違いねえ」
「そうか。お話の前にもう一度、吹いてもよろしいですか。御屋形様」
「私は、構わないよ」
武仁は頷くと、再び笛を構えた。
相変わらず、湧き出てくる言葉は、何もない。
出てくるのは、ただ音だけだった。
4話程、地味に続くかもしれません。