一般隊士の数奇な旅路   作:のんびりや

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 先日のアンケートにより、本話からは、第2部・花蝶の道中編と称し、胡蝶姉妹とのストーリーとさせていただきます。


第2部・花蝶の道中編
32話 寄り道の始まり


 門の前で、武仁(たけひと)は立ち止まった。引き戸の傍らには、小さな提灯が出されている。火袋には、藤の花の家紋が、鮮やかに浮かび上がっていた。

 

「ここでいいのだな、那津」

 

 肩に止まっている那津が、小さな声で鳴いた。武仁は特段の指令がなければ、藤の花の家紋の家に立ち寄ることは、ほとんどない。

 訪いを入れ、出てきた家人に対し羽織をはだけ、着込んでいる隊服を見せる。それで身分は伝わったらしく、丁重に奥へと通された。

 

 敷地は家というより、邸宅と呼べるほど広い。母屋だけでなく、離れや蔵らしきものが、幾つも建っている。

 

「待ち合わせの方は、今は道場にいらっしゃいます」

「先に、会いましょう」

 

 廊下の突き当りが、そのまま道場の出入口になっている。案内してくれた家人は、そこで引き返していった。道場からは、気持ちのいい気合が、壁と隔てられたここまで伝わってくる。

 

 中には、隊士が2人いた。共に隊服の上に白色羽織を被り、木刀で向かい合っている。おや、と思ったのは、その2人が、女の隊士だったからである。

 

 武仁はその2人の対峙に、固唾を飲んだ。どちらも女とは思えない程、いい構えをしている。

 特に、一方の隊士の構えや放っている気は、もうひとりのそれと比べると、幾段も上手の遣い手であることが、はっきりと分かる程だ。

 

 何度か木刀が交わる。そして、再びの対峙。突如、気が武仁の全身を打った。2人の姿が入れ替わった時、木刀が1本だけ、宙に舞い上がる。木刀を弾き飛ばしたのは、見事な構えを見せていた隊士の方である。

 2人は互いに木刀を納め、一礼すると、構えを解いた。

 

「惜しかったわ、しのぶ」

「そんなことなかったわよ。全然、姉さんにはかなわない」

「もう、そんな言い方をしては駄目よ。しのぶだって、これからもっと強くなれるんだから。今だって、医学や薬学は私よりも、ずっと凄いじゃない。それに何より、しのぶは可愛いもの!」

「姉さんは、いつもそうやって煙に巻こうとするんだから」

「ところで、途中で入ってきた貴方はどなたかしら。あら?」

 

 2人の顔が唐突に、武仁の方を向いた。艶のある黒髪や秀麗な面貌よりも、まず眼に入ったのは、蝶を模した髪飾りだった。

 

 2人が何者なのか、武仁はそれで思い出した。

 かつて武仁が、生家を襲った鬼と戦い、そして鬼殺隊本部で再開した少女達。胡蝶カナエと、その妹である胡蝶しのぶ。

 眼の前の隊士達が、記憶と重なった。

 

                       

 

「3人での合同任務か」

「この子からは、そう伝令を受けたのですが」

「那津は、私の鎹烏は、そんなことは言っていなかった」

「それは、奇妙ですね」

 

 夕食を胡蝶姉妹らと囲みつつ、情報共有の場を持った。相変わらず、豪勢な食事が卓上を埋めている。

 武仁が最初に本部から受けた指令は、この藤の花の家紋の家で隊士と接触しろ、というものだった。せいぜい、何かしらの伝達を受けるのだろうと思っていたのだ。

 

「階級は?」

「先日、丁に昇進しました」

「丁か。ということは、私と同じだな」

 

 異様な昇進の早さである。自分が3年かけて昇進した階級に、今春隊士になったばかりのカナエが、肩を並べているのだ。

 ただ、それだけの実力があるということだろう、と武仁は思った。鬼殺隊は、女だから特別扱いするような、生温い場所ではないのだ。

 

「御影さんの方が、先任になります。任務の指揮はお任せいたします」

「任務のことは、順を追って聞かせてくれればいい、胡蝶隊士」

「カナエ、で結構です。姓では、私と妹の区別がつきません。しのぶも、それで良いわね?」

「ええ、良いわよ」

 

 しのぶは、カナエの隣で、どこか硬い表情で箸を運んでいる。気が強いという印象は、その顔つきからも伺える。あまり、会話にはあまり加わってこようとしない。

 

 任務の詳細は、簡単に詰めることができた。

 このところ武仁は、危険性の高い任務だけでなく、入隊間もない若手隊士との共同任務の指令も、受けるようになっている。

 

 無駄に隊士の命を落とさせない。そのためには、自ら凶悪な鬼と交戦するだけでなく、隊士と共に戦い、生き残れるよう導くこともまた、意味がある。それは、認めざるを得ないことだった。それだけ、若手隊士の殉職率は高いとも言えるのだ。

 

 変化の切掛けとなったのは、数か月前の、天元との共闘だろう。あの頃は、頑なに単独戦闘に拘っていた。その時よりは、少しは柔軟な考え方ができるようになっているのか。

 

 夕食を終えると、武仁は当てられた居室に戻った。既に、布団は敷かれている。

 

 障子戸を開けると、涼しい風が吹き込んできて、部屋に居残る残暑を払った。既に、夏の盛りは過ぎ、秋に季節は移ろいつつある。

 

 武仁は縁側に座り込むと、懐から笛を取り出した。

 裂いた綺麗な布で、隙間なく磨いていく。笛は日輪刀と同じく、手入れは欠かさない。このところ、笛の色味は鮮やかでなくなる一方で、深い輝きを放ち始めた。年季が入り始めた、と言えるのだろうか。

 

 手入れを終えると、笛を構えた。音が、ゆっくりと流れ出る。微かに聞こえていた家人たちの声が、止んだ。

 藤の花の家紋の家の人間への、返礼のつもりである。

 

 かつてのように、己の気持ちや願いを込めているわけではない。気の赴くままに吹いているだけで、芸能の道に生きる者の演奏とは、比べ物にならないはずだ。自分ではそう思うが、しかしこの笛の音は、聴く人のどこかに響くらしい。

 

 笛を体よく利用しているとも、言えるのかもしれない。だが、鬼殺以外でこの家の人間に報いるものは、これしかないのだ。

 

「良い音ですね」

 

 吹き終えると、傍らに人影があった。浴衣に身を包んだ、カナエが立って、微笑んでいる。胡蝶姉妹の部屋は母屋ではなく、離れだった。わざわざ、ここまで出てきたらしい。

 

「隣に座っても、よろしいですか?」

「構わない」

 

 武仁は、少し横に動くのに合わせて、自分の服の臭いを軽く嗅いだ。襟や袖口を緩めただけで、隊服のままである。

 かつては余裕があれば、脱いで洗うこともあった。だが、結局は鬼との交戦で破損し、交換する方が多く、今では洗濯などほとんどしなくなっている。

 それに、男の一般隊士などそんなものだろう、とも思う。

 

「鬼殺の隊士になってから、何度も噂で、御影さんのことを聞きました。とても綺麗な笛の音を奏で、それに他の隊士の方の死地を救っているのだと。刀の色は変わらず、全集中の呼吸も使わずに。まるで、柱のようだと言われる方もいらっしゃいます」

「そうなのか。だが笛も戦いも、私が自分のやりたいようにやっているだけのこと。まして、柱などとんでもない話だ」

 

 これまでの己の戦いに、悔いなどはない。失ったものばかり見つめても、仕方がないのだ。だが、悲鳴嶼や煉獄槇寿郎のような力があれば、散らせずに済んだ命がいくつもあった。それもまた、事実である。

 

「私は、今でも思い出します。あの夜、どれだけ血を流しても倒れず私たちを庇ってくれた、御影さんの背中を」

「そんなもの、忘れてしまえ。あの時は手こずったが、いま思えばあの鬼は強くはなかった。私が、弱かっただけのこと。多分、今の君なら傷ひとつ負うことなく、容易く首を飛ばせるだろう」

「そんな弱い頃の御影さんがでも、あの日、駆けつけてくれました。だから、私もしのぶも、私たちと同じ思いを他の人にはさせないために、2人で戦うことができているんですよ」

「妹の任務を代わりに受けるのも、そのためなのか?」

 

 微笑んでいたカナエの表情に、ふっと影が差した。視線を膝の辺りに落としている。

 

「やっぱり、分かる方には、分かるのですね」

「推測だった。だがそれ以外に、昇進の速さに説明がつかなかった」

 

 昇進の速さで言えば、天元も相当のものである。来年には、本当に柱になるかもしれない。だが、あちらは元忍としての経験や技能があり、3人の嫁と連携して戦えるという前提がある。

 

 カナエは、あくまでも普通の家に生まれた、普通の娘だろう。それだけに、昇進の速さについては、やはり気にはなっていた。

 

「悲鳴嶼様にも言われたことですが、やはり妹には、鬼の頸を切るだけの、力がないのです。木刀は振れるのですが、真剣を使いこなせるだけの力が。だからあの子を、ひとりで戦わせるわけにはいきません」

「そうだったのか」

「それでも、しのぶは頑張っているんです。素振りも欠かしたことはありません。それに鍛錬の後は、毎晩本を読んでいて、傷の手当や薬の知識は並みの御医者様を凌駕するほどです」

 

 道場で見た2人の立ち合いのことを、武仁は思い出した。

 しのぶは並みの構えこそできていたが、カナエと打ち合った瞬間、木刀を弾き飛ばされ、負けた。逆に言うと力負けこそしたが、カナエの動きに対応は出来ていたとも言えるのだ。

 

「御影さん。ひとつ、聞いてもいいですか?」

 

 武仁はカナエの方に向き直り、頷いた。

 しかし、カナエはすぐには口を開かず、逡巡したような視線が向けられてきた。吸い込まれるような黒色だった芭澄とは違う、藤色がかった眼。太陽の下で見れば、より鮮やかに見えるだろう、と武仁は思った。

 

「御影さんは、もし誰かに鬼殺の隊士を辞めて欲しいと言われたら、どうしますか? これは、たとえの話ですが」

「断るだろう。私に家族はいないが、誰に言われても同じこと」

「そうですよね。私でも、同じことを言うと思います」

「遠回しな言い方は、しなくていい。妹に、鬼殺隊を辞めて欲しいと思うか」

「しのぶは、私の大切な妹ですから。2人で戦うという思いは、今も変わりありません。でも、しのぶにはもっと安全なところにいて、幸せにもなって欲しい。そう思うのは、我儘なのでしょうか」

 

 無茶なことを言う。武仁は腕を組み、そう思った。

 そもそも、自分自身は鬼殺隊士を辞めるつもりはないのだ。自分がやってもいないことを、妹が受け入れるとは思えない。

 だが、家族の情愛というものはそういうものなのかもしれない。それを否定するつもりは、武仁にはなかった。

 

「改めて聞くが、君は何のために鬼殺隊に入った?」

「私たちと同じ思いをする人を、減らすために。そして私は、鬼も救いたい、と思っています。鬼という哀れな生き物を、その苦しみから解放するために」

「人に鬼に、それに加えて、妹も守りたい、か。特に鬼を救いたいというのは、こと鬼殺隊においては、狂言と言ってもいい」

「悲鳴嶼様にも、異常な考えだとはっきりと言われました。妹も、これだけは納得してはくれません。でも、私の思いは決して変わりません。太陽の光を恐れて闇に潜み、人を喰らって永遠の時を生きる。それは、とても哀しいことです」

 

 胡蝶カナエという人間について、武仁は穏やかで、どこか暢気な雰囲気を感じていた。だが、今のカナエは眼にも表情にも、固い意志がにじみ出している。

 

「何度でも言うが、私たちがいるのは、鬼殺隊だ」

「はい」

「鬼を救いたいという君の我も、そして、妹を守ることも、自ら戦って勝ち、生き続けることで成し遂げられる。そして柱になれば、誰もその言葉を無碍にはできない。ここは、そういう場所でもある。カナエ」

「わかりました」

 

 何をわかったのかは、言わなかった。カナエの視線が武仁から外れ、夜空に移った。

 その横顔。変わらぬ意志が、ありありと浮かび上がっている。

 

                       

 

 

 眼を開けた。闇。まだ、夜は明けていなかった。

 横たわったまま、周囲の気配を探る。害意を含むものは、何も感じられない。ただ、近くの部屋に、何者かがいる気配がある。

 

 武仁は起き上がると、音を立てないように廊下に出る。気配を探りつつ、歩き出した。

 家人が起きているような時間ではない。藤の花の香が焚かれているのも、匂いで分かる。多分、鬼ではないだろう。盗人の類だったら、捕えるか、打ち倒せばいい。

 

 母屋の端にある小部屋の前で、武仁は立ち止まった。感じた気配の元は、そこだった。

 

 戸を少しだけ開けると、すやすやと穏やかな、寝息が漏れ聞こえてきた。誰かが机に突っ伏し、眠っている。

 武仁は気配を殺したまま、部屋の中に、身を滑り込ませた。

 

 寝ていたのは、胡蝶しのぶだった。高窓が開いていて、寝顔には白い月明かりが降り注いでいる。開きっぱなしの本が、枕替わりだった。

 

 武仁が傍らに立ち、様子を覗き込んでも、目覚める様子はない。

 カナエが言っていたことを、ふと思い出した。夕食からずっと姿を見せなかったが、勉強をしていたのだろう。姉を起こさないように別の部屋で、そして独りで。

 

 しのぶが枕にしている本は、文字こそ読めたが、内容は全く武仁には理解ができなかった。

 ただの書籍ではない。学術書と呼ばれる類の本だろう。こんなものを読んでいる隊士など、これまで聞いたことも無い。

 

「父さん」

 

 不意に、しのぶが言葉を放った。武仁は咄嗟に、身構えた。だが、しのぶは穏やかな寝息を立てたままである。

 

「母さん」

 

 寝言だった。親の夢でも見ているのかもしれない、と武仁は思った。だが、しのぶの眼から流れ出している涙を見て、武仁は眼を背けた。

 

 起きている時は勝気そうでも、まだ年端もいかない少女なのだ。

 本当なら、姉と一緒に、父母の下で暮らすことができていただろう。それが今や鬼殺隊士となり、武術はおろか、身の丈を超えた知識をつけようと、藻掻き足掻いている。

 

 カナエという、姉がいる。その姉には、妹を守るために命を賭ける覚悟がある。だが、しのぶが本当の意味で子供に戻れるのは、こうして寝ている時だけなのかもしれない。

 

 そして全ては、鬼が引き起こしたことだった。

 

 部屋に置いてあった毛布を、しのぶに掛け、武仁は部屋を出た。

 この姉妹の境遇に対して、自分にしてやれることは、何もない。言辞を弄したところで、失ったものが戻ることはない。

 人助け。自分が為すべきことは、既に決まっているのだ。

 

「姉さん」

 

 再びの、家族を呼ぶ声。それは、どこか苦い感覚と共に、武仁の耳に残った。




 今後の展開への前振りをしつつ、ぼちぼち胡蝶姉妹と絡ませる。
 そんな展開をしていこうと思います。

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