一般隊士の数奇な旅路   作:のんびりや

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 なぜ、花の呼吸の型は壱、肆、伍、陸、終しかないのでしょうか


34話 ここから先は

 しのぶを後ろ手で、集会所の中へと押し返した。

 瞬きほどの間である。カナエの姿が掻き消えた。次の瞬間、天から降って来たように、眼前に現れた。桃色の日輪刀。月光を照り返しながら、自分目がけて振るわれてくる。

 

 

  全集中 花の呼吸・肆ノ型 紅花衣

 

 

 鬼の頸を飛ばした、花の呼吸の技。咄嗟に剣筋を読んで、身を反らす。風と共に、切っ先が首を掠める。

 カナエが、頸を飛ばしたあの鬼に、操られた。眼を合わせることが、血鬼術の発動条件だったのだろう。それは、自分の首を狙っていることから明らかだ。

 

 

  全集中 花の呼吸・弐ノ型 御影梅

 

 

 桃色の刃。舞い散る花弁のように、襲い掛かってくる。反撃どころか、武仁(たけひと)は鞘に納めたままの日輪刀で、斬撃を防ぐことしかできなかった。カナエの攻撃に、迷いや容赦は一切感じられない。

 

 鞘と刃。火花が幾つも散った。一撃一撃の威力はそれほど高くない。だが、それを補うほどの、手数だった。

 防ぎつつ、斬られる。全身を浅く、余すところなく、傷を負っていく。何とか、致命傷だけは避けていた。

 

 斬撃の僅かな合間、爆竹をひとつ掴み、放った。宇随天元の助言で、より小さく、より高威力になるよう、改良を重ねたものである。だがそれも、爆ぜるより早く空中で斬り刻まれていた。

 

 さらに2つ、間を置いて投じた。ひとつとして爆発しなかったが、時間稼ぎにはなった。ただ、爆竹を防がれたのは初めてのことだった。新人とは思えない、驚くほどの技量だ、と武仁は思った。

 

 とにかく、カナエを失神させる。それで血鬼術の解除を図るしかない。斬り合いながらでは、それ以上、複雑なことは何も、考えられなかった。

 

 もうひとつ。頭上に投げた。カナエを飛び越え、背後で破裂する軌道。カナエの意識が、ほんの一瞬逸れた。振り返ることも無く、落ちてきた塊を、切り飛ばしていく。

 いま。そう思った瞬間、武仁は地を蹴った。鞘に収まったまま、日輪刀を構える。

 

 

  全集中 水の呼吸・壱ノ型 水面斬り

 

 

 取った。そう思った瞬間、不意にカナエの姿が消えた。

 

 

  全集中 花の呼吸・陸ノ型 渦桃

 

 

 何が起こったのか。ひと時巡った思考が、凍り付いた。

 宙返りしたカナエの姿。桃色の刃。視界の中だった。その刃は、今にも自分の首を、斬り落とそうとしている。

 

 負けた。そして、死ぬ。理解できたのは、それだけだった。

 

「姉さん!」

 

 火花。カナエの刀が、毛一筋のところで、何かに弾き飛ばされた。しのぶの声は、後から聞こえた。

 何ひとつ、眼で追えなかった。ただ、死ななかった、という事だけは確かだ。

 

 呼吸。それで何とか集中を取り戻す。武仁は、今度こそ日輪刀を抜き、構えた。鞘は地に投げ捨てる。

 

「感謝する、首を取られるところだった」

「刀を振って鬼の頸は斬れないけど、突きだけなら、そこそこできるわ。それに、姉さんの花の呼吸の剣筋は、毎日見ていたから」

「これが、花の呼吸か」

 

 これまで話に聞いていただけで、相対したことは無かったが、凄まじい剣技だった。

 

「あの陸ノ型だけは、絶対に受けては駄目。考えなしに攻撃すれば、命はないわ」

 

 カナエは、数歩の距離を空け、立っている。

 操られていた人間と同じ、光無き眼。まるで、人形のようだ。気迫のひとつも発さず、しかし隙はない。

 

「斬って」

「何?」

「お願い。姉さんを、斬って。鬼に操られている姉さんなんて、もう見たくない」

「駄目だ。それだけは」

 

 覚悟。しのぶの言葉には、それを感じさせる重みがあったが、認めるわけにはいかなかった。

 

「鬼はもう死んだ。これは、鬼殺ではない」

「そうよ、だから」

「ここからは、人助けだ。カナエも、君も、操られていた人も、私は誰一人として死なせるつもりはない。鬼に操られたから、何だ。助けられるかもしれない命は、どんな手を使っても救う。それが、私のやり方だ」

「そんな、綺麗事を」

「君は、どうだ。あれだけの速さの突き。私は、捉えることも出来なかった。私など放っておけば、カナエを殺さずとも、動きを止めることくらいはできたはず。そうしなかったのは、まだ姉を助けたかったからではないのか。カナエの手を、人の血で汚させたくなかったのではないか?」

 

 何か、思うところがあったのかもしれない。しのぶの眼は、カナエではなく、日輪刀に向いている。

 

「あの時は、体が勝手に動いただけ。でも、御影さんが言った通りのことを、考えていたと思う。ただ、姉さんは手加減しながら勝てる相手じゃない。それはよく分かったはずよ」

「簡単ではない。だが、できる。君が、手を貸してくれればだ」

 

 しのぶと言葉を交わすのも、絶えず動こうとしているカナエを、暗に牽制しつつだった。しのぶは気づいていないかもしれないが、日輪刀の構え方や暗器を忍ばせる仕草などで、激しい駆け引きが行われている。

 

 爆竹への対処といい、あの鬼に操られたからといって、理性を失う訳ではないようだ。逆に言うと、胡蝶カナエの戦闘技能の全てが、自分達に向けられているという事でもある。

 事実、一度は殺されかかった。それでも、付け入る隙はある、と武仁は踏んでいた。

 

「どうすればいいの。どうすれば、姉さんを助けられる?」

「私がまた、カナエの相手をする。君は、日輪刀を叩き落してくれ」

「叩き落せって、そんな簡単にできるなら、さっきやったわよ」

「その突きだ。私では、カナエを無傷で倒すことはできない。それはよく分かった。だが、隙ぐらいは何とかする。その突きが生きるように、私が誘導する」

 

 日輪刀さえ握ってさえいなければ、いくらでも打ち倒しようがある、と思う。体術ならば膂力や経験で、圧倒できるはずだ。

 

「念のため、聞いておきたい。カナエは日輪刀以外に、何か武装しているか?」

「そんなもの、姉さんが必要とすると思うの?」

「なら、勝てる」

 

 武仁は日輪刀を握り直し、前へ踏み出した。

 

「お願い。姉さんの刃を、人の血で汚さないで」

「同じ手は、2度と喰らわない。絶対に、俺は死なん」

 

 もう一歩。踏み出した瞬間、カナエの姿が消えた。

 

                       

 

 

  全集中 花の呼吸・肆ノ型 紅花衣

 

 

 また、同じ剣筋。躱すまでもなく、桃色の日輪刀を、武仁も日輪刀で弾き返した。その刃が、返る。畳みかけるような連撃となって、襲い掛かってきた。

 

 武仁は、致命傷になりそうなもの以外、一切、斬り払わなかった。連撃を防ぎながら、暗器での牽制もする。

 隊服は、流れた血を吸い、全身に張って付いたようになっていた。刃が体を掠める。それを、走った痛みで自覚する。ただ、痛みを感じるとは、まだ死んでいないという事でもあった。

 

 カナエが唐突に、呼吸を深めた。

 

 

  全集中 花の呼吸・伍ノ型 徒の芍薬

 

 

 一息の間に、刀が次々と飛来した。こんな風に、人が刀を振るえるのだと、驚く暇もない。ただ、受け、払うだけなら、まだ余裕はあった。カナエの速さに、こちらも順応しつつある。それに、何連撃だろうと、斬られているのは自分ひとりなのだ。

 

 9度。斬り払った。間合いをとったカナエに、2度、間をおいて腕を振る。そして、武仁から踏み込んだ。

 桃色の刃。無造作に振るわれる。刻まれた爆竹から、火薬の臭いが広がった。そして、刃は頭上へ撥ね返っていく。

 

 カナエの動作が一瞬、固着した。返した刀に手応えは無かっただろう。もう一投は、投げた動作だけだったからだ。技で劣っていても、駆け引きでなら、機先を制することはできる。

 カナエの眼が向いた時、武仁は日輪刀を構えていた。

 

 

  全集中 水の呼吸・壱ノ型 水面斬り

  全集中 花の呼吸・陸ノ型 渦桃

 

 

 日輪刀を横に薙ぐと同時に、カナエの姿が消えた。

 いや、消えたのではなかった。立った状態から、身を回しながら跳躍したのだ。女とは思えない、とんでもない脚力である。跳ぶと同時に、横に捻り込んでいるから、自然、日輪刀は首に向かって払われることになる。

 

 ただ、見極めた。

 武仁も同時に、跳んでいた。空中で身を回しながら、刃を躱す。日輪刀を振り上げたとき、カナエは着地したところだった。回転する勢いを乗せ、刀を振り下ろしていく。

 独りで鍛錬を積んできた師匠の技。鬼相手ですら一度も使ったことはなかったが、遅れは取らなかった。

 

 桃色の日輪刀。色の変わっていない日輪刀。触れた瞬間、眼前で大きな火花が飛び交った。

 カナエの細い手は、まだ刀の柄をがっちり握りしめている。打ち落とせない。だが、カナエの日輪刀を上から押さえこみ、切っ先は地面に固定させた。

 

 今だ。そう声を出すよりも先に、光のようなものが、横から突っ込んできた。しのぶの渾身の突き。桃色の日輪刀だけが、宙を舞った。

 カナエの動きは、素早かった。跳躍し、日輪刀に手を伸ばそうとしている。その時には、武仁は縄を飛ばして日輪刀を絡め取り、後ろへと飛ばしていた。

 

 刀を捨て、武仁はカナエに近づいた。無手で掴みかかってくるが、大した力ではなかった。払うと同時に踏み込み、首元に手刀を打ち込む。それで、カナエの姿は崩れ落ちた。

 カナエは、穏やかな呼吸を立てていた。起き上がってくる様子はなかった。

 

 終わった。そう思った。カナエが瞼を落とす寸前、藤色の瞳と一瞬、視線が合った。微かだが、眼の輝きが戻ってきていた。多分、幻ではないだろう。

 

「御影さん、大丈夫?」

 

 ああ。そう言おうとしたが、声が出なかった。

 自分が荒い息をついていることに、その時になって気づいた。




 余談ですが、私が話を作るとき、始まりや結末などのポイントは最初に決めていて、そこに至るまでの過程については、気が向くままに作っています。
 その結果、まさか主人公が本気で死にかけるとは、よもやよもや。

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