一般隊士の数奇な旅路   作:のんびりや

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 本筋の前に、ちょっと幕間を。


第2部・水面の蝶編
36話 炎起つとき


 大きく見開かれた眼。赤い瞳が、燃えていた。

 背筋がぞくりとするほどの眼光。それが、全身に漲る気迫と入り混じり、こちらに襲い掛かってくるようだ。

 

 武仁(たけひと)は、煉獄杏寿郎と向かい合っていた。低く構えた木刀。握る掌。力を籠めた。既に薄く、汗が滲んでいる。

 杏寿郎の構えが、気配が、変わった。呼吸も深くなっている。

 

 

  全集中 炎の呼吸・壱ノ型 不知火

 

 

 一歩。杏寿郎の踏み込み。同時に木刀が、眼前に迫っていた。振り上げ、弾く。武仁の掌から腕にかけて、稲光のように衝撃が走った。

 今度は、武仁から踏み込んだ。木刀。振り下ろした。だが、止められた。杏寿郎は受け流すことなく、真っ向から、こちらの斬撃を受け止めている。

 

 その場で、斬り合った。何度木刀が交錯しても、杏寿郎の構えは全く揺るがない。まるで岩のような硬さで、こちらの掌が痺れを覚える程だった。

 一度、間合いを取りたい。武仁は木刀を横に薙ぎつつ、身を下げた。その動きを、読んだのか。杏寿郎の姿が、宙を舞った。

 

 

  全集中 炎の呼吸・参ノ型 気炎万象

 

 

 空中。赤い髪。杏寿郎が木刀を振り下ろしてくる。既に、間合いの中に入られていた。

 考えるよりも早く、武仁は身を投げ出し、砂利の上を転がった。風切り音。何とか、躱した。だが顔を上げた時、杏寿郎は地に降り立り、今にも踏み込もうとしている。

 

 身を起こしつつ、全ての意識を足に向けた。全集中の呼吸。さらに深めつつ、跳んだ。杏寿郎の木刀が届くよりも早く、今度は武仁が宙で身を回していた。躱すと同時に、斬る。

 眼下。杏寿郎の赤い眼。はっきりと自分を追っていた。勝負。それだけを、眼で語りかけた。

 

 

  全集中 炎の呼吸・弐ノ型 昇り炎天

 

 

 木刀。回転する勢いを乗せ、振り下ろした。だが、凄まじい力で迎え撃たれた。空中からの攻撃で、一撃の威力はこちらの方が勝るが、押し合えば逆に、宙にいる自分の方が不利である。武仁は杏寿郎が斬り上げる勢いそのまま、再び宙で身を翻すと、距離を置いて着地した。

 

 再び、対峙する。杏寿郎の構えに隙は無かった。こちらから仕掛けて崩せるとは思えない。こちらも、隙を見せないようにした。斬りかかろうとする杏寿郎の機先を、僅かな木刀の動きで制する。そんな駆け引きが通用するほどの、技量だった。

 互いの息遣いが、流れる。しばらくして、2人同時に木刀を納めた。

 一礼し、顔を上げた杏寿郎は、にこにこと笑っている。

 

「強くなったな、杏寿郎」

「なんの。父上や武仁には、まだまだ及ばない、未熟者だ!」

「そんなことはない。もう、立派な炎の呼吸の剣士だと私は思う」

 

 杏寿郎は嬉しそうに笑っているが、武仁は言葉以上に、内心で舌を巻いていた。

 こちらは、常中で鍛えた肉体を駆使していたのだ。それを杏寿郎は、受け流すことも躱しもせず、真正面から立ち向かってきたのである。炎の呼吸による強化を勘定に入れても、膂力は既に、自分と同等に近いという事だ。

 

 初めて杏寿郎に会ったのは、3年前の冬のことである。その後も、任務の合間を縫って、何度か煉獄邸を訪ってきた。

 会うたびに大きく成長する姿に、驚いたものである。事実、杏寿郎の背丈は武仁より少し低いだけで、ほとんど変わらないほどだ。

 

 館の奥から、足音が近づいてくる。程なく、小さな姿が縁側に現れた。

 杏寿郎の弟の、煉獄千寿郎だった。盆を持っている。

 

「あ、兄上、稽古は終わったのですね。いま、茶が入りました」

「うむ! ありがとう、千寿郎! 武仁も、さあこちらへ!」

 

 武仁は杏寿郎、千寿郎と共に、縁側に腰かけた。

 年がまたひとつ、改まっていた。昼間は陽気こそ差し込むが、春はまだ遠い。そんな、冬の終わりの寒さには、温かい茶がよく染みた。

 

「武仁さん。兄上だけでなく、僕にも、稽古をつけてください」

「また今度、だな。千寿郎も随分体が大きくなったが、まだ細い。今は、体を成長させる事こそが大事だ。立合い稽古など、その後でも遅くはない」

「はい。それに素振りは、兄上が見てくださいます」

 

 そう言い、千寿郎がまだあどけない笑顔を浮かべた。

 

 不意に、武仁の胸の奥がちくりと痛んだ。線が細い。その印象はそのまま、鬼殺の剣士としての印象でもある。その点杏寿郎と比べると、千寿郎は明らかに劣っていると思えた。

 だが、胡蝶しのぶのような隊士がいる。自分もまた、鍛えられるだけの武芸や道具を駆使し、今日まで鬼と渡り合ってきた。

 生まれ持った才能が人より劣っていることは、諦めさせる理由にはならないのだ。

 

 その後、二言三言と言葉を交わすと、千寿郎は茶碗を持って、館の奥へと消えていった。杏寿郎と2人きりになって、武仁は口を開いた。

 

「それで、行くのか、杏寿郎。最終選別へ」

「うむっ」

 

 武仁の問いに、杏寿郎は深く頷いた。杏寿郎が選別に行くことは、那津が運んできた文で知った。顔くらいは見ておこうと思い、煉獄家を訪ったのである。木刀での立合いは、そのついでだった。

 2人で話すとき、杏寿郎の普段の快活さは潜み、幾分か落ち着いた喋り方をする。己の顔を、微妙に使い分けていることも、最近気づいたことだった。ただ声が大きく熱いだけの男ではなく、思慮深いところもしっかりと持ち合わせている。

 

「父上はやはり、あまりいい顔をしてはくれない。だが、決めたのだ。力持つ者は、弱き人々を助けねばならない。それは、母上が教えてくれた、俺の責務でもあるからな」

「そうか。それが、杏寿郎が刀を握る理由なのか。瑠火様は、素晴らしいものを残されたと思う」

「ありがとう、武仁。だからこそ、俺は戦うことにした。父上や武仁、そして朱雀がそうしてきたように。母上が、願われたように」

 

 物言いは穏やかで、気負いのようなものは、全く感じられない。その分、内で燃える意志は、より強く感じた。その思いの中で、煉獄瑠火は生きているのだ。

 それだけではない。南原朱雀。かつての友人もまた、生きている。

 

「炎柱様は、お変わりないか?」

「健勝だ。一時のように、酒を飲んで任務を放棄することは、もうない。だが、武術だけは、一度も教えてはくれなかったが」

「その割に、随分と炎の呼吸を使いこなしていたと思う。我流なのか?」

「代々炎柱を輩出してきた煉獄家には、炎の呼吸の指南書がある。それを読み込むことで、一通りの炎の呼吸を学ぶことができた。それに父上の代わりに、朱雀が稽古をつけてくれたこともあるからな」

「なるほど」

 

 確かに、杏寿郎の剣技は、まるで朱雀の剣を見ているようだった。頷きながら武仁は、朱雀の言葉も思い出した。

 数年後には互角。いずれは、俺など比べ物にならなくなる位、強くなる。かつて朱雀は、杏寿郎のことをそう評していた。そして、その言葉は間違ってはいなかった。

 

 武仁はふっと息を吐き、腰を上げた。杏寿郎の顔がこちらを向く。

 父親である煉獄槇寿郎と瓜二つの、燃えるように赤い髪や瞳。それだけでなく、大きく見開かれた眼が、特徴的だった。視線はどこか、別の方を向いているようにも見える。

 

「もう、行くのか?」

「春が来る前に、本部へ行くことになっているからな」

「そうか。では、また会うときを、楽しみにしているぞ!」

 

 武仁に付いて、杏寿郎も玄関まで出てきた。

 表道。雪は積もっていない。今年はわりと、過ごしやすい冬だった。

 

 冬もたまに街に立ち寄る時のほか、寝泊りは野宿である。厳冬の山中を生き抜くためには、全集中の呼吸を続けることだった。雪山での野宿には、天元すらも現れなかった。

 酷寒で、心のどこかを凍らせておく。人の持つ温もりの中に、自分を長く置いてはおかない。それだけのためにやっている事だった。

 

「ありがとう、杏寿郎」

 

 くぐり戸を抜け、武仁がそう言うと、杏寿郎はきょとんとした表情を浮かべた。

 

「朱雀のことを覚えていてくれる男が、ここにいる。今日は、それを改めて知ることができた。朱雀の友として、改めて礼を言わせてほしい」

「そんなことは、当然のことだ! 朱雀のことを、俺は決して忘れない。初めて会った日にも、そう言ったな!」

「最終選別、死ぬなよ、杏寿郎。私が君に言えることは、それだけだ」

「武仁も、武運を祈る!」

 

 武仁は杏寿郎の肩を軽く叩き、身を翻した。目立たないように通りの端を歩き、街中を抜けると、郊外へと向かっていく。本部行きのために、まず隠と合流する。そのために指定されている場所は、毎回違うのだ。

 人里を外れれば、すぐに山間である。人の眼が外れたところで、武仁は走り出した。頭上では、那津が気持ちよさそうに飛んでいる。

 

 足取りは軽い。そうして、杏寿郎との立ち合いを、思い返していた時だった。武仁は、自分の気持ちの中に高揚に似たものがあることに、気づいた。

 かつて、悲鳴嶼行冥や瀬良蛟(せら みずち)と立ち合った時に感じた、強い気のようなもの。それと似たものを、杏寿郎は若いながらに、色濃く放っていた。

 そしてそれは、杏寿郎だけではない。宇随天元や胡蝶カナエ、錆兎と冨岡義勇から感じたものも、似ていた。

 

 鬼殺隊の歴史は、一千年にわたると言われている。そして当代の隊士の中に、柱となるべき人間が多く現れているという事なのか。

 所詮、気の持ちようである。感情のさざ波のような高揚は、できる限り抑え込む。意識しなくても、そうしてきた。

 それでも、足取りは軽かった。




 杏寿郎の入隊が、地の文での描写では勿体ないと思い、話にしてみました。

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