後半は任務に移ります
隠の背から降ろされると、目隠しが外された。
日輪刀。鉤爪つきの縄。それに暗器を吊った帯革を預けると、すぐに、館の奥まで招じ入れられた。
「やあ、武仁。そろそろ来てくれる頃だと思っていたよ」
「ご無沙汰しております、御屋形様」
「そんな、固い挨拶はいらない。さあ、ここへ」
鬼殺隊本部での面会は、決まって庭に面した大広間である。縁側に座布団が敷かれており、そこに、2人並んで腰かけるのだ。
ここからの景色も見慣れたものだが、見飽きたと感じたことは一度もない。
「先日の柱合会議で、新しい柱を2人、任命した」
「ほう」
「君も知っている2人だよ。音柱宇随天元と、花柱胡蝶カナエだ。奇しくも先年、君と関わった剣士達だね」
「そうですか。あの2人が、もう柱に」
入隊から僅か1年で柱に昇りつめるとは、どれだけの努力を積み重ね、どれだけの戦いを潜り抜けるということなのか。少なくとも、自分の最初の1年は、生き残ることに必死になっていた。昇任など、意識の外である。
ただ、あの2人が得難い隊士ということは間違いないだろう、と武仁は思った。
天元は元忍の経験に加え、3人の嫁を上手く指揮して戦うことができる。一対一の戦闘が多い鬼殺隊士の中で、それは、稀有な能力と言ってもいい。
そして胡蝶カナエは、凄腕の花の呼吸の遣い手である。
「嫁を使っている天元はともかく、胡蝶カナエは女でありながら、僅かな間に柱となった。これは、驚くべきことだと思います。かつて瀬良様が、柱になる奴は己の才覚で上がってくるもの、と言っていました。正に、その通りでした」
「そのカナエが、柱として最初に、あるものを求めてきた。柱の階級にある隊士は、館だけでなく、給金も求めるだけのものを与えている。だけど、そんなものは必要ない、と言ってね」
それが何かわかるかい。そう言いたげな表情で、御屋形様が顔を向けてきた。
「鬼の研究をしたいとでも言い始めましたか」
「悪くない考え方だ。でも、違う」
武仁は首を傾げた。鬼と仲良くしたい。それが、胡蝶カナエが持つ理想である。それは、信条のようなもので、学問のようなものとは思えない。
「館をひとつ、そしてそこに、鬼殺隊の治療所を作りたい、と言ったんだよ」
その屋敷では、鬼との戦いで負傷した隊士の治療をする。それだけでなく、製薬や、負傷した隊士が現場に復帰するための訓練も行うようだ。
鬼殺隊での負傷の治療は、藤の花の家紋の家が手配する医者でなければ、心得がある隊士や隠が、我流で処置しているのだ。だから戦いで生き残れても、悪化した傷が原因で命を落としたり、手足を失って戦いを諦めたりする隊士も少なくない。
たとえ、そういう実態がわかっていても、組織を変えるというのは、多分簡単な事ではないのだろう。そもそも政府非公認の組織である。隊お抱えの医者など、こと細やかに整備できるとは思えない。
だが、この鬼殺隊において特権的にそれができるというのが、柱という存在でもある。いま、それを為そうとする胡蝶カナエは、やはり卓抜な人間だった。
「御屋形様は、どうされるおつもりですか」
「もちろん、私が拒否する理由はない。かつての花柱が居を置いていた屋敷を、カナエが受け継ぎ、そのまま鬼殺隊の治療所として運用することになる。その名も、蝶屋敷」
「蝶屋敷、ですか」
花ではなく、蝶。妹の居場所を作りたい。鬼を救いたいというカナエが語った、もうひとつの願いのことが、武仁の脳裏をよぎった。
我儘を通したければ柱にでもなれ。これが、自分が放った言葉への、カナエなりの答えという事なのか。
「カナエの妹のしのぶは、優れた医術の腕を持っている。私は、見てみたいと思います。カナエ達が作りあげる蝶屋敷を。それが、何を変えていくのかを」
「多くのものが、これから変わる。いや、既に変わりつつある。カナエ達はこれからきっと、多くの剣士達を救ってくれるだろうね」
「それも、御屋形様の予知ですか?」
「いいや。願い、かな」
そう言い、御屋形様は庭先に眼を向けた。
顔の痣は、以前見た時よりも更に色濃く、より大きく広がっていた。左眼は白く濁り、光は無い。この痣が全身に回ったときが、御屋形様の最期なのだろう。
御屋形様はこの山奥の屋敷で、ただ待っているのだ、と武仁は思った。隊士達の死を刻みながら、己の死を待っている。
「これから君に、やってもらいたい任務がある、武仁。今日は、それを直接伝えたいと思って、君を呼んだんだ」
「何なりと」
「ある海際の漁村で、疫病が流行している。犠牲者は多く、それも医師が匙を投げる程の状況らしい。既に、送り込んだ隊士が2名、消息を絶っている。病とは言うが、恐らく鬼によるものだと私は思う。それも、相当に強力な鬼だ」
「柱は、動くのですか?」
「動かない。鬼というのは私の所感で、柱を動かせるだけの、確たる証がないんだよ」
「では、やむを得ないですな」
柱はそれぞれ、鬼殺の戦線で大きな役割を果たしている。噂話だけで動かせるほど、暇ではないのだ。
その柱を動員するのにもっとも有効なのは、一般隊士が流す血と言ってもいい。
「これ以上の被害の拡大は看過できない。しかし、剣士達の犠牲も、避けたい。だから、武仁を呼んだ。都合の良いことを言っていることは、十分に承知している。だが、君ならきっと、成し遂げてくれると思っている」
「御屋形様は、ただ命令されるだけでいいのです。人を助けろと。私はそれを、隊士として遂行する。それがいかに危険な任務であっても」
「そういう任務に、優先的に送ってほしい。私にそう言ったのは、何年も前の事になる。それでも武仁は、今日まで生き抜いてくれた」
「私は、決して死にません」
既に、2人の隊士の犠牲が出ている。それ以上、住人にも隊士にも犠牲を出さず、しかも柱を送ることのない手を打つ。そのために自分が選ばれたと思えば、これまで戦ってきた意味もある、と武仁は思った。
「隠と、隊士を1名、既に差し向けてある。彼らと合流し、任務に当たって欲しい。行先はいつも通り、那津が知っている」
「承りました」
武仁は一礼し、腰を上げた。御屋形様は座したまま、穏やかな陽気が射しこんでいる庭先を、ただ眺めている。
「笛は、また今度だね」
「隊士が先行している以上、一刻でも惜しいところですので」
「君ならそう言うと思っていた。だから私は、ここで待っている。それと、輝利哉達も、君の笛を楽しみにしているよ」
「それでは、お健やかに」
再び一礼し、武仁は広間を辞去した。
連れてこられたのは、街道沿いにある一件の宿屋だった。武仁は、どこか寂れた装いの建物を見上げた。那津の黒い小さな体は、屋根上にある。
目的地までは、ここから半日もかからない。ここで、隊士と隠と合流するということだろう。
「失礼」
戸を開けて、誰何する。奥から、腰が曲がった老人がのそのそと現れた。
「おや、また若い人とは、それもおひとりで」
「私は、宿を取りに来たわけではありません。ここに、知人が逗留していると聞いて、参った次第です」
「ふむ。それは、上の階にいるあいつらの事か」
「何か?」
「いいや。だが、ひとりは今日日見ない黒子のような恰好。もうひとりは顔が整っておるが、とんでもない口下手でな。何を考えているのか、わかったもんじゃない。あまり、長く泊めておきたくはないのう」
割とよくある反応だった。隊服や日輪刀で気味悪がられて、一晩の宿すら断られることも、そう珍しいことではない。
そうでなくとも、自分達は血で血を洗う鬼殺の戦いに身を投じている人間達である。客商売をやっている人間ともなると、相手の素性にはとくに敏感なところがあるものだろう。
「とりあえず、会うことにします」
「階段を上がって、右奥の角部屋じゃ」
老人に説明された部屋はすぐにわかった。一部屋だけ襖が閉じている。武仁が、その部屋の前に立った瞬間だった。
「だあああ! もう、やってられねえってんだ!」
大声。荒々しい足音が近づいてくるなり、戸が音を立てて開けられた。隠。眼があった瞬間には、名前は出てきていた。
「後藤か。大声を上げてどうした。どこに行く」
「おっ、武仁じゃねえか。早く来いってんだよ、全く」
「待たせたことは、謝罪する。本部に呼ばれていた。この任務も那津ではなく、御屋形様から聞いた」
「何でもいいぜ。ここに居るならな。お前が来るのがあと一日でも遅かったら、俺はもう、ひとりで先に行ってたぜ」
部屋。後藤が顎をしゃくった先、畳の上で、姿勢よく正座している隊士の姿があった。
不揃いな黒髪と、葡萄色の羽織。水面のような静かな眼が、武仁の方を向いていた。
「後藤、ここは私に任せてくれ」
「任せろって言われてもなあ、そいつ、全然口を利かねえんだぞ」
「だが私は、この男と2人だけで話したい。先に、宿代を払っておいてくれ。外で会おう」
首を傾げながら、後藤は階下へと消えていく。それを見て、武仁は部屋の中に入った。
布団とちゃぶ台、燭台だけの質素な客座敷で、隊士と向かい合う形で腰を下ろす。しばらく視線を交わしたが、会話はなかった。
「久しぶりだな、冨岡隊士」
武仁の方から、声をかける。
こくり。冨岡義勇の返事は、それだけだった。
「無事に最終選別を突破したのだな。錆兎は、息災か?」
「分からない」
「そうか。だが文のやり取りくらいは、しているのだろう?」
「していない」
「鱗滝先生のところにも、行っていないのか」
「ああ」
随分と感じが変わった、と武仁は思った。狭霧山にいた頃とは何もかもが、別人のようになっている。
元々、冨岡義勇という男は、冷静さが目立つ男だった。だが、久しぶりに会った義勇はそれに輪をかけて、口下手と言ってもいい域にある。
宿の主も後藤も、この調子の人間を相手にしていたと思えば、あの反応も頷けた。
「俺は、弱いから」
「いいや」
不意に呟かれた義勇の言葉を、武仁は否定した。
「君は弱くなってなどいない、冨岡隊士」
決して、口下手になっただけではなかった。義勇の全身から漂う気のようなもの。それが伝えてくるものは、明らかな手練れの気配である。
沈黙の中に、多くのものを秘めている。そういう姿とも思えた。
「掌を、見せてくれないか」
無言で返された義勇の掌は、見た目以上の分厚さがあった。
木刀や刀を握る掌の皮は、戦いや鍛錬と共に破れ、治ると共に徐々に厚く、丈夫になる。鬼殺隊士なら誰でもそうなのだが、義勇の掌は、既に歴戦の隊士のそれだった。
これを見ただけでも、義勇が今日までどういう鍛錬を積んできたのか眼に浮かぶ。
「今回は、私達2人での合同任務となる。それは、聞いているな?」
「ああ」
階級を示せ。義勇の小声が部屋に流れた。甲、とある。柱を除けば、最高位の階級である。武仁は先月、乙に昇進したばかりだった。
胡蝶カナエといい、実力ある隊士が昇進する速さには、やはり凄まじいものがある。
「甲か。私よりも階級が高い上に、もう柱は目前だな。任務の指揮は、君に執ってもらおうか」
「そんなことは、どうでもいい」
義勇の眼は変わらず、水面のような平静さを湛えたままだ。何の感情も、浮かび上がっていない。しかし、それは内に秘めたものの裏返しなのか。
「俺は、柱になどならない。そんな力はない」
「そうなのか」
狭霧山で別れた後、義勇に何があったのかは、わからない。多分、自分から語ることはないだろう。
最終選別を錆兎とともに生き残り、そこからはただ独りで戦技を磨き続けてきた、冨岡義勇という男の強さ。それだけは間違いないだろう。
花屋敷ではなくて、蝶屋敷。
何となく、そこに意味を求めてみました。