一般隊士の数奇な旅路   作:のんびりや

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 全集中の呼吸について、独自の解釈があります。


 旧題 鬼殺隊の笛吹き(小声)


4話 呼吸法と笛吹き

「ここで見ていろ」

 

 そう言い、師匠は刀を抜き放つと、低く構えた。息を吸っていく。どこまでも、深く。呼吸音と同時に、全身に気迫がみなぎっていく。

 突如、師匠の全身から、凄まじい闘気が噴出した。

 

 

  全集中 水の呼吸・壱ノ型 水面斬り

 

 

 前方に跳躍して、刀を横に一閃させた。一瞬の間を置いて、木が傾いていく。雪が舞い、武仁の視界を覆い隠した。

 

 何が起きたのか、武仁(たけひと)には理解できなかった。

 大人3人ほどが手を繋いで、ようやく一周回れそうな大木がそびえていたのだ。それが、切り倒されている。

 

「これは、全集中の呼吸という。鬼という化け物と人間が互角に戦うための、技だ」

 

 霧中から、師匠の姿が現れた。

 

「お前には、これから呼吸法の鍛錬を積んでもらう」

 

                       

 

 武仁は木刀を構え、心気を研ぎ澄ませた。冷えた空気をゆっくりと吸い、肺に取り込んでいく。

 すぐに、胸が苦しくなってくるが、構わず呼吸を続けた。吸った空気は、体の隅々まで行き渡らせていく。

 いきなり体の中心が、かっと熱くなった。心臓の鼓動が激しくなり、血が全身を駆け巡っていく。熱が、頭から指、足先にまで広がった。

 

 今。そう思った瞬間、武仁は雪を踏みしめ、木刀を振った。振り抜いた直後、悪寒と眩暈に襲われ、うずくまった。まるで、口や耳から内臓が飛び出しそうな感覚に襲われた。

 腹の中身を吐き出しそうになるのを堪え、ゆっくりと呼吸を整えていく。立ち上がったが、軽い眩暈はまだ続いていた。

 

 いつも、こうだった。朝から夕方まで、息を吸ってはうずくまることを、繰り返している。

 

 全集中の呼吸のうち、基本と呼ばれる流派の一つ、水の呼吸の訓練である。

 空気を吸いこむのは、何の問題もなくできた。山走りで鍛えた心肺が、役に立った。だが、吸った空気を力に変えることが、上手くいかない。

 

 呼吸もやりすぎれば毒。師匠がそう言っていた。力に変えられなければ、大量に取り込んだ空気が逆に体を狂わすのだろう、と思えた。

 

 それから数日、武仁はひとりで訓練を積んだ。

 呼吸の訓練を始めてから、あまり長い距離は移動していない。師匠は時々、麓まで降りて、食料などを買い込んでくる。

 

 武芸の稽古は、ひとりでもできた。山走りも続けている。落ちれば大怪我するような急峻な岩場を、木刀を持って抜けることも、日に一度はやった。それで、息が乱れるようなことはない。

 唯一、全集中の呼吸だけは、思うようにならなかった。

 

「やっているな。寒い中でも。感心、感心」

 

 師匠が戻ってきたときは夜で、武仁は石に腰かけ、瞑想していた。

 吸った息を、体に馴染ませる。動きはなくても、瞑想も訓練だった。

 

「どれ、ひとつ稽古の成果を見せてみろ。狙いは、そうだな。その木でいい」

「わかりました。この、木ですね」

 

 武仁は木刀を構えた。足程の太さの、まだ若い木だった。

 深く吸った息を、全身に駆け巡らせていく。鼓動。徐々に早くなった。体の内側で、小さな熱が沸き上がる。全身に広がるのと同時に、木刀を振った。

 かん、という乾いた音が耳に響いた。幹には跡も残っていなかった。

 

 呼吸は止めず、ゆっくりと続けていた。それで、あの反動はかなり楽になる。徐々に、普通の呼吸に緩めていけばいい。

 

「なるほど。あまり根を詰めても仕方ない。座れ。お前に話と、土産がある」

 

 木は倒せなかったが、師匠は気にした様子ではなかった。最初から倒せるとは、思っていなかったのかもしれない。

 

 木刀で木を倒すことが不可能とは、武仁は思わなかった。師匠はあの大木を、刀で倒したのだ。岩すら斬れるかもしれない。

 

「私が見る限り、お前に、呼吸の適性はなさそうだ」

 

 二人で焚火を囲んで最初に、師匠がそう言った。

 

「武芸の才能も、自分にはないと思っています」

 

 火が弱くなる気配。手早く枝を半分に折って、放り込んだ。雪を掘ったところに火を焚いているので、穴に投げ込むだけだった。

 

「正確には、鍛えるべき呼吸の流派がない、というべきか。あるとしても、私が知らない呼吸だろう。基本の呼吸の話は、覚えているか?」

「はい。水、炎、風、雷、岩の5つの流派があるのですよね?」

「そうだ。だがそれは、即ち5つの剣の流派でもある。だが、全集中の呼吸の本質は、剣技ではない、と私は思っている。お前は、どう考える」

「呼吸による、体の強化、ではないかと思います」

 

 師匠は、深くうなずいた。

 

「お前は、全集中の呼吸ができるだけの体は作っている。深く吸って、深く吐く。それだけの空気を取り込める肺腑がある、ということだ。だが肉体への注力が、うまくできていない」

「繰り返せば、いつかはできるようになる。私は、そう信じています」

「いずれは、できるようになるだろう。だが、人は老いる。思わぬ傷を負うこともある。なによりも鬼は、お前が強くなるのを、待ちはしない」

 

 素質のある人間は、全集中の呼吸にも容易く順応できるのかもしれない。肺腑を鍛えるだけなら、誰でもできるのだ。

 

「それでも、私はただ、繰り返すだけです。師匠に教わったことをできるまで、何度でも」

「それが、お前のいいところだ。それに、水の呼吸だけでも、拾まで型があるが、使わなければならないというものではない。肝要なのは、全集中の呼吸ではなく、日輪刀で鬼の頸を飛ばすことだ」

 

 鬼殺隊という、闇で鬼を狩ることを使命とする組織がある。鬼殺隊士に支給される日輪刀で頸を斬れば、日の光でなくても鬼を滅することができる。

 鬼や鬼殺隊に関する細かい話は、夜の師匠との話で、かなり頭に入っていた。

 

 師匠は、かつて鬼殺隊士だった時は水の呼吸を使っていたらしいが、今は鬼殺隊を引退している。

 新隊員を育成する育手なのかどうか聞いたが、そんな大層なものではないと言い、苦笑いを浮かべていた。

 

「ところで、土産だ。これを、お前にやろう」

 

 師匠がおもむろに、袋から細長い包みを取り出した。出てきたのは、竹笛である。

 

「麓で、小さな市が開かれていた。どうせ息を吸ったり吐いたりしか、することがないだろう。だったら、笛でも吹いてみるといい」

「私は、吹き方も、曲も知りませんが」

「音の出し方は、吹きながら知ればいい。音を出せるようになれば、お前が考えていること、思いを込めて、この笛を吹いてみろ」

 

 笛を、試しに吹いてみると、痩せこけたような音が流れた。師匠が、笑っている。

 武仁は吹く気を失って、笛を手元に戻した。

 笛を吹けないことがなんだ、と思った。今までの旅路で、笛で人を救った覚えなどない。芸人の一座などの演奏を聞いて、心を動かされたりもしなかった。

 

「お前、全集中の呼吸の修行に、笛など役に立たないなどと思っているな」

「笛に悪気はないのですが、何の役に立つ、とは思います」

 

「必要かどうか、という堅苦しい物差しは、いまここで捨ててしまえ。そもそも、生きていくのに、笛など不要。だが、その笛の音を聞きたがる者がいるし、吹きたがる者もいる。笛を作ることを、生業の一部としている者もいる。無論、笛に限ったことではない」

 

 武仁は再び、手元の笛に眼を落とした。

 師匠は村で買ったと言っていた。多分、高級なものではない。しかしよく見てみると、手作りの跡が随所に滲み出ている。作り手の思いも出ている、と思った。

 

「お前は既に、十分な稽古を積んでいる。そして今更、努力を怠ることもない。だからこそ、時には気を緩ませるのだ。だが、そのあてが笛である必要はない。お前が要らぬと思うなら、そんな物は捨ててしまえ」

「わかりました。ですが、捨てません。これは、師匠にもらった大切な笛ですので」

 

 師匠が、また小さく笑い、枝をひとつかみ焚火にくべた。

 周囲は雪に包まれていた。夜は雪を盛り上げて風よけを作り、毛布に包まって眠る。

 

 雪が深ければ、雪に穴を掘ることもある。そうすれば、冬でも意外と暖かい。

 武仁は笛を抱いて、目を閉じた。

 

                       

 

 雪が朝から、絶え間なく降り続いていた。岩場の縁に座った武仁の全身も、すぐに薄い雪に包まれた。

 夕刻、師匠との立ち合いを終えた後、この岩場に来ていた。

 

 年が、改まろうとしている。世間は年の瀬の雰囲気に包まれているだろうが、武仁の日常は、変わっていない。

 夏ごろに始めた訓練も、半年ほどは経ったことになる。

 

 今日も、師匠には容赦なく打ち倒されたが、倒されること自体は減っていた。躱す、受け流す、急所を外して受ける。反射的にできるようになっている。

 だが、師匠に木刀が届いたことは、一度もない。

 

 武仁は羽織の懐から、竹笛を取り出した。稽古終わりと晩飯までの間の1刻(2時間)の間、岩場の上で笛を吹く。

 

 最初は、音の出し方ばかりを考えていた。音が出せるようになってからは、吹きながら様々なことを考えるようになった。

 俺は、鬼殺隊士になれるのか。鬼から人を救えるのか。そもそもこの訓練をしている間にこそ、救えるものがあるのではないか。何のために、人助けをするのか。

 最後には、大抵、この人生で何がなしうるのか、というところで思念は燃え尽きる。そして気づいたら、笛を奏でているのだ。

 

 一刻、武仁は吹き切った。笛を吹いている間、寒さは全く感じない。むしろ、体の中心は熱いほどだ。

 しかし、1刻を吹き続けたのは、初めてのことだった。

 

 武仁は笛を収め、傍らに置いていた木刀を掴んで立ち上がった。頭や肩に積もっていた雪が、どさりと足元に落ちた。

 岩場には、割れ目から灌木がいくつか生えている。その中の1本の前で、武仁は木刀を構えた。

 

 寒くはあるが、剣先は震えていない。

 呼吸を、少しずつ深くしていく。冷気が喉から肺腑に流れ込んできた。刃物のような冷たさに、まず耐える。耐えて、吸った空気は徐々に全身に回していく。

 

 木刀の柄を、さらに強く握りしめた。徐々に、指先も暖かくなってきた。

 

 笛の音に気持ちを込める。知らず知らずのうちに、そうしていたのかもしれない。ある時から、そう思っていた。笛を吹き終えると、爽やかな気分に包まれていることがある。

 

 武仁の中では、笛を吹くことと全集中の呼吸は似ていた。

 どちらも、自分の思いを形にすることができる。かたや笛で、かたや自身の肉体で。

 笛を吹くように、呼吸する。それを意識した。笛には、減り張りがある。ただ穴に空気を吹き込めばいいというものではない。全集中の呼吸も、同じことだ。

 

 熱が回る。肩、足、頭の頂点まで張りつめたようになった。しかし、どこも破裂させないように、なんとか抑え込む。

 足。ひとりでに踏み出していきそうになった。息を吸って、その衝動を堪える。

 

 徐々に、息苦しさが増した。体がもう空気を求めていない。しかし、耐える。凡庸な自分にできるのは、耐え続けることだけなのだ。

 

 熱が頂点に達した。そう感じたのと同時に、すっとからだが冷たくなり、不意に目の前の全てが固着した。

 風。雲。雪。灌木のたなびき。すべてが止まった。全身には、力が漲っている。

 今。そう思った。

 

 

  全集中 水の呼吸・壱ノ型 水面斬り

 

 

 跳んだ。同時に、木刀を振りぬいた。

 着地しても、しばらく動けなかった。悪寒や吐き気は襲ってこない。そして、木刀を握る手には、軽い手ごたえがある。

 振り返ると、灌木が半ばから倒れていた。断面はまるで、刃物で断ち切ったようになっている。

 

「出来たようだな、全集中の呼吸」

「師匠」

 

 師匠が近づいてきて、武仁の手に握られたままの木刀を外した。指が寒さでこわばっていて動かないことに、それで気づいた。

 手に息を吐いて解し、懐に入れた。それでようやく、温かさを取り戻していく。

 

「半刻もじっと構えていれば、誰でもそうなる」

「私は、そんなに続けていたのですか?」

「いつまでたっても帰ってこなかった。様子を見に来てみれば、雪が降っているのに、木の前で木刀を構えていたのだ。それも、なかなかの気を放っていた。これは面白いと思って見ていれば、お前はちっとも動かない。しかし、いきなり跳んだと思えば、水面斬りだ」

 

 師匠に言われて、自分が全集中の呼吸の一部を本当に遣えたのだと、改めて分かった。

 呼吸を、ひたすら続けていた。そうするうちに、全身に力が漲った瞬間があったのだ。

 あれが、動くべき瞬間だったのだろう。そして、見逃しはしなかった。

 

「半刻もかかったが、確かに水の呼吸の、壱ノ型だった」

「私は、ようやくできたのですね。私にも、鬼から人を救う力が、あるのですね」

「とりあえず、帰るぞ。これ以上は、寒くてかなわん」

 

 師匠がそう言い、背を向けて歩き出した。

 振り返る寸前、師匠の口が微かに動いたのを、武仁は見逃さなかった。

 

 この時が来たか。そう、呟いたように見えた。




この時が来たか……(修行終了)

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