一般隊士の数奇な旅路   作:のんびりや

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39話 活路にて棘を断つ

 傾いた上体を、空足を出して、何とか踏みとどまらせた。視界が激しく、揺れ動いていた。

 咄嗟に行ったのは、呼吸を深めることである。全集中の呼吸は、毒の巡りを遅くすることもできるのだ。

 

 視界はぐらついたまま、頭は回り続けている。何が起きたのか、武仁(たけひと)はすぐに理解した。

 散乱していた鬼の体が破裂し、無数の棘を放ったのだ。回避する機などなかった。気配すらも、なかったのである。

 

「義勇」

 

 振り返る寸前、どさりと音が立った。義勇の体が崩れ落ちていた。青い日輪刀は握ったままだが、身じろぎひとつしていない。

 

 まずい。武仁の背中に冷や汗が滲むのと、叫び声が上がったのは、同時だった。

 民家の陰や小道の奥から、棘を生やした鬼が姿を現してくる。それも、1体ではない。2体、3体。武仁はそれ以上、数えるのを止めた。闇の中にはまだ潜んでいる気配がする。

 

「義勇」

 

 もう一度、絞り出すようにして声を掛けた。返事はない。日輪刀を握った義勇の腕が、微かに動いた。

 

「呼吸を、深くしろ。君はもう、常中はできているはずだ。ただ呼吸することだけを考えろ」

 

 喋りながら1歩、2歩と足を動かした。その場で身体を回し続けた後のように、平衡の感覚が狂っている。

 不意に足がもつれ、舌を噛んだ。痛みと血の味。むしろそれで、頭が透き通った。

 何とか義勇の傍らに歩み寄ると、武仁は娘を肩に担ぎ上げ、義勇は反対の腕で脇に抱えた。

 

 叫び声。鬼が唾液をまき散らし、一斉に動き出した。

 この場は、逃げる。その覚悟とともに、深く息を吸い込んだ。それと、同時だった。頭上から拳大の塊が幾つも降ってきた。

 煙玉。認めた瞬間、走りだした。視界が白い煙に覆われたが、それでも走った。

 

 揺らぎは、ひどい。催した吐き気を何とか抑え込み、脚だけは動かし続けた。向かうべき場所も、向かい方も、体で覚えている。走りながら傍らで、誰かが声をかけてきた気がした。

 気づいたら、村人が寝かされている倉庫の前にいた。肩と腕が、不意に軽くなる。義勇と村の娘が、隠に担がれ中へと運ばれていくところだった。

 

「おい、しっかりしろ!」

 

 声が上がり、頬を張られた。後藤だった。

 

「まさかお前も、やられちまったのか? あの棘々の奴が、鬼なんだな」

「ああ」

「とにかく、お前も中に入れ。藤の花の香は、もう焚いてある」

 

 助かる。そんな声も、出てこなかった。後藤は自分と義勇の戦闘をどこかで見ていて、加勢したのだろう。爆竹と煙玉を預けておかなければ、やられていたかもしれない。

 

 後藤に促されて倉庫に入る直前、武仁は思わず露脇に突っ伏して、腹の中のものを全て吐き出した。歪み切った視界がさらに、涙で滲んだ。背中を、後藤に擦られている。

 しばらくして、膝をついて立ち上がった。壁沿いによろよろと歩き、何とか、倉庫の中へ身を滑り込ませた。

 倉庫の中は、香の匂いで充満していた。血鬼術に冒されているからだろうか。香りを吸うと、頭の奥の方がすっと冴えたような感じがする。

 

 武仁は壁際に端座し、瞑目した。瞼の裏の暗闇の中なら、このぐらぐらした感覚も、まだ堪えることができた。なまじ景色など見えるから、辛いのだ。

 あの娘は。義勇は。どうなったのか。ただ、全集中の呼吸を続けていた。

 

「明日まで待てとか言っていたな、お前。2人揃ってこの様とは。これでは、何しに来たのか分からんな」

 

 医者の声だった。どこか疲れたような感じがある。

 

「あの2人は」

「まだ口が利けるのか。血が止まらなくなる病と、脈が極端に弱くなる病と見た。そして、お前は」

 

 喋りながらも、脈や眼、口内を診ていく手際はよかった。胡蝶しのぶにも、似たようなことをされたことを、ふと思い出した。

 

「瞳の動きがおかしい。だが、眼ではないな。人間には平衡を感じる器官がある。その部位がおかしくなっているのだろう。ふらふらとした歩き方と、外で吐いていたのも、その証左よ」

「死ぬのですか」

「お前と、あの小僧はしばらく持つだろう。これだけの状態になっても、並みの人間以上に深い呼吸できるのは見上げた根性だ。だが、あの娘は厳しいぞ。傷からの流血が止まらなければ、どうにもならん。今は何人もついて、傷口を布で押さえつけている」

 

 つまり、程なくして全員死ぬ、とこの医者は言っている。

 自分と義勇に違いがあるとすれば、ひとつは体格だろう。自分は19歳だが、義勇はまだ16歳である。体は比較的小柄で、その分毒が回りやすいのだ。

 

 ここは、まだ体が動く自分が何とかするしかない、ということである。

 考えた。事前の情報。村の地形。増殖し、さらに毒針を掌る鬼。稀血の娘。全てを賭して、あの鬼の頸を飛ばす。考えることを諦めなければ必ず、活路は見いだせる。

 暫くして、武仁は眼を開け、立ち上がった。まだぐらつく体を、壁に手を添えて支えた。

 

「どこに行くつもりだ」

「外へ。まだ、やるべきことがあります」

「あの娘にも小僧にも、小さな棘がいくつも刺さっていた。これは勘だが、あれは毒針ではないかと思う。もし毒なら、体を動かすということは、死を早めるようなものだ」

「何もしなければ、全員死ぬのでしょう。誰かが死んでいくのをただ見ているのは、私の生き方に反する。そして私も、こんなところで、死ぬつもりはない」

「狂っているな、お前。人助けのためなら、命でも捨てられる。そういう顔をしている」

「確かに」

 

 武仁は、小さく呟いた。

 もし狂っているのなら、いつからだろうか。人助けのために鬼殺隊に入った時か、上弦の壱に友を殺され独り生き残った時か、それでも尚立ち上がって鬼殺に身を投じた時か。この人助けの思いが間違っているのなら、最初から狂っていたのかもしれない。

 

「私のことなど、気に留めることはありませんよ、先生」

「当り前だ。患者でも何でもないのだから、お前の好きにしろ。だが、餞別代りにくれてやる、飲め」

 

 医者から、重湯のようなものが入った器を渡された。傾けると、むせ返りそうな苦味がまず舌に広がる。喉から胃に伝わり、そして全身が熱くなった。

 

「気付けだ。少しはましになるだろう」

「感謝します。村人や義勇を、頼みます」

 

 武仁は、医者に一礼した。扉の前に、後藤が立っていた。

 

「武仁。お前、ひとりで行くのか」

「本部に、伝令を送っておいてくれ、後藤。義勇の鎹烏がいるはずだ。数日もすれば、柱が来るだろう」

「あの娘が外に出ていくところを、俺たちは止められなかった。俺たちにも、何かさせてくれよ」

「君たちがいるだけで、これまで幾度も助けられてきた。今更、何を責めることがある。棘の攻撃を受けたのは、私の未熟さによるものだ」

「何でもいい。何か、手伝えることがあるはずだろ。もしこのまま、お前を行かせて死なれでもしたら、俺は自分が許せねえ」

 

 自分が許せない。後藤の言葉に含まれた感情が、武仁にはよくわかった。

 

「わかった。ひとつ、頼まれてくれるか。貸しや借りではない、1人の仲間として」

「ああ、任せろってんだ」

 

 後藤が、深く頷いた。ぶれていた視界がすっきりとしていることに、武仁は気づいた。

 

                       

 

 村のはずれの海際に、小屋がひとつ建てられている。

 そのすぐ傍に生えている木の上に、武仁は潜んでいた。唾をつけた指で、風向きを測った。さっきから変わらず、海の方から吹き続けている。

 

 棘鬼。あの鬼の事は、そう呼ぶことにした。斬ったところから再生して増えるという棘鬼は、再生と増殖を重ね、今や何体いるのか分からない。だが、本体は1体だけのはずだ。

 

 耳を澄ませた。小屋の中には、娘の止血のために使っていた布が山ほど置いてある。後藤が仕込んだもののひとつで、今は風下に向かって、稀血の匂いは流れている事になる。

 

 呼吸を深くした。

 気付け薬の効果が出始めたのか、今のところ、問題なく動くことはできている。だが、解毒薬ではないのだ。徐々に毒が回り、村人たちのように身動きできなくなるのも時間の問題だろう。

 動けなくなる前に、鬼の頸を飛ばす。そのための作戦は、立てていた。

 

 音。眼下に、鬼の姿が現れていた。2体いる。小屋を外側から窺うように、うろうろ動き回っている。稀血の匂いには抗いがたいのか、涎をぼたぼたと砂浜に垂らしていた。

 本体はいない。武仁はそう思った。離れたところか、全く違う手段でこの状況を見ている。それと分かるところにいれば、義勇が頸を飛ばしたはずだ。

 

 1体。小屋に近づいた瞬間、武仁は身を投げた。回転斬りの要領の抜き打ちで脳天から股まで斬り裂き、着地と同時に、腰から両断した。

 もう1体。向き直った時、呼吸は整えていた。

 

 

  全集中 水の呼吸・壱ノ型 水面斬り

 

 

 呼吸。同時に、日輪刀を横に振るう。軽い手応えで、もう1体の頸が宙に跳ね上がった。死骸は2つ、小屋の中へと蹴り込んだ。直後、小屋の中から破裂音が飛び出してくる。

 息はつかなかった。硬いもの同士が擦れる耳障りな音が、別の唸り声と入り混じって、聞こえていた。

 

 海に背を向け、村の方へと走り出した。左右に、あの鬼の気配がある。追ってきているのは4体ほどか。

 

 長くは走らなかった。空き家が一軒、すぐそこにある。持ち主がいないことは、隠の手で確認してあった。玄関の引き戸を蹴破り、屋内に転がり込んだ。

 奥で息を整えた。気付け薬が早くも切れつつあるのか。少しだけ、体がふらつき始めていた。

 壁にもたれ、藤の花の香が入った袋を鼻に押し付けた。理屈は分からないが、少しだけ調子が良くなったような気がする。

 

 壁が不意に、音を立てて、破られた。棘が生えた異形の姿が、月の逆光で浮かび上がっていた。やはり4体いる。

 香の袋を捨て、腰に手を回した。この中に本体がいるのか。少なくとも、分身はこれで全部だろう。

 

 棘鬼が一斉に飛び込んできた。武仁は身を低くしながら踏み出すと、腰の煙玉をひとつ掴み、足元に叩きつけた。むっとした匂いが鼻を衝く。宙にいた鬼が体勢を崩し、壁にぶち当たっていた。

 

 煙玉に、娘の稀血を吸わせておいたのである。煙玉の応用として考えてはいたが、実戦で使ったのは初めてだった。血の匂いの中で全集中の呼吸をするのは難儀な事である。だが、唐突に稀血の匂いに晒される鬼の方が、もっと苦しいものだろう。

 

 墜落してきた鬼の頸を、1体ずつ斬り落とした。2体の頸を飛ばし、もう1体に刃を振り下ろした時だった。離れたところにいたもう1体が身を起こすなり、家の外へと消えていく。

 

 他の鬼とは、明らかに違う動き。武仁は3体目に止めを刺すと、鬼を追って、外に飛び出した。

 棘鬼の姿。近くの民家に飛び移ろうとしていた。咄嗟に鉤爪付きの縄を飛ばし、足首の辺りに掛けた。引きつける。しかし不意に、体が平衡を失い、踏ん張りがきかなくなった。

 鬼の勢いに引かれ、引き倒されていた。だが、鬼も音を立てて落ちてきている。

 

 毒。時間切れ。その言葉が、頭の中を駆け回った。あと1歩、あと少しなのだ。本体かもしれない鬼が、すぐ目の前にいる。だが、体が動かなかった。

 

 強風が地を這うように、吹きつけてきた。顔に水が掛けられたような感覚にも似ていた。

 立て、武仁。師匠の声だった。聞こえたと思った瞬間、反射的に跳び起きた。日輪刀は、放していない。

 

 立ち上がろうとしている棘鬼に駆け寄ると、胴を踏みつけ、頸に日輪刀を振り下ろした。鬼殺隊で支給される靴の底なら、棘は貫通しない。

 

 頸が、斬れなかった。

 本体の頸の硬さは、分身体よりも増しているようだ。棘の隙間から覗いている眼が、醜く歪んでいる。まるで無駄な努力と、嘲笑うように。右腕を殴るように、突き出してくる。

 

 動き。見た瞬間、武仁は跳んでいた。腹に痛みが走る。浅く刺された、と思った。気にしなかった。跳躍と同時に回転し、その勢いで刀を振り下ろす。動きは身体が覚えている。今更、毒などで止められはしない。死んでも、止まりはしない。

 

 日輪刀が、棘鬼の頸に再び食い込んだ。斬れる。火花だけでなく、今度は、頸も飛んだ。

 

 着地したが、そのまま地面に手をついたまま、動けなかった。もしこれも分身で、骸が破裂したら、一身に棘を受けることになる。叱咤したが、まるで固まってしまったかのように、指一本動かせない。

 

 最期の攻撃は、こない。視線を上げた。震える視界の端で、棘鬼の頸も胴も燃え、灰のように崩れ始めている。

 あるのは、くぐもった唸り声のような断末魔だけだった。

 

                       

 

 呼吸。続けながら、勝った、と武仁は思った。それに、まだ生きている。毒は回っているだろうが、まだ死んではいないのだ。

 不意に、風と共に潮騒が耳に届いた。日輪刀を鞘に納めると、杖代わりにして立ち上がった。海の方へ行きたい。ふと、そう思った。

 

 海岸に出ると、流木に腰を下ろした。水平線の境が薄く見えている。あと何刻かで、夜が明けるだろう。

 武仁はがたがたと震える手で、懐から竹笛を取り出した。

 

 口につけ、眼を瞑ると、息を吹き込んだ。震えが、収まる。音が静かに流れ出てくる。師匠と過ごした最後の夜に吹いたものと、同じ音だった。

 笛を吹き続けていた。村人達は、義勇はどうなったのか。毒は寛解したのか。胡蝶しのぶはいつ到着するのか。吹きながら言葉がよぎり、消えていく。

 

「武仁」

 

 声。不意に聞き覚えのある声が聞こえてきて、武仁は眼を開いた。

 どれだけの時が経ったのか。夜は明けていて、陽光が眩しかった。しばらくして、狐の面が、まず眼に入ってきた。その端から覗く、宍色の髪も見えた。

 

「また、義勇を助けてくれた。友人として、礼を言う」

「錆兎。来てくれたのか」

 

 面が横に外された。久しぶりに再会した錆兎が、にこりと微笑んでいた。




 次話から、場所を移します。

 なんと本日で、投稿を開始して1年が経ったようです。
 ここまで執筆を続けられたのは、やはり読者の方々の存在があったからです。
 読んでくださった多くの方々に、感謝申し上げます。
 ゆっくりでも話を進めてまいりますので、また読んでいただけると幸いです。

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