一般隊士の数奇な旅路   作:のんびりや

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40話 彼らの道はひと時別れた

「立てるか?」

 

 武仁(たけひと)は頷き、腰かけていた流木に手をついた。僅かに体勢を変えただけである。それだけで、凝り固まった節々が、ばきばきと音を立てた。

 

 立ち上がる。血が、脳天から足元まで一気に落ちたような感覚が襲ってきたが、倒れはしなかった。更に踏み出すと、不意に、白い浜が眼の前一杯に広がった。砂の一粒一粒までも、見て取れそうになる。

 倒れている。そう思った。だが顔面を浜に突っ込む寸前で、錆兎に肩を支えられていた。

 

 日は高く、昼頃を指していた。棘鬼の頸を飛ばしてから、夜が明けたということなのか。更に、時が経っているような感じもする。喉の渇きが、ひどかった。

 

「何日、経った?」

「お前がこの村の鬼の頸を飛ばしたのは、昨日のことだろう」

 

 もう、そんなに。喉が張り付いたようになっていて、掠れた声しか出なかった。つまり、一昼夜は浜にいたということになる。

 分からないことは、いくつもあった。どうして錆兎がここにいるのか。本部へ応援要請を送ったのは一昨晩である。対応が早すぎる。

 

「なぜ君が、ここにいる」

「義勇の鴉の伝令を、途中で聞き出した。この村に来たのは、義勇や武仁が手負った程の鬼を、見過ごすことはできないと思ったからだ。その鬼は、武仁が狩ったようだが」

「蝶屋敷の人間は」

「花柱の一行の事なら、もう村についているだろう。俺は途中で追い抜いて、大した話はしていないから、詳しいところは知らない。到着してからは、この辺りに潜む鬼を始末していた。戻ってきたのも、ちょうど今しがたの事だ」

 

 遠くまで行き過ぎたらしい。そう言って、錆兎はにこりと笑った。

 鮮やかな宍色の髪や、亀甲柄の羽織は、狭霧山で出会った時と変わりない。しかし全身から発せられている気迫は、以前とは比べ物にならない程の強者のものだった。

 

 錆兎と並んで倉庫まで戻ると、様相が一変していた。

 倉の壁が根こそぎ剥がされ、隠達が動き回っている。中から、寝込んでいた村人たちが運び出され、陽光が当たるところに列になって寝かされている。既に体を起こしたり、声を上げている者もいた。

 

「武仁!」

 

 隠がひとり小走りで、こちらに走り寄ってくる。

 声でそれが、後藤だとわかった。

 

「無事だったんだな。心配させやがってよ。一日振りだぞ」

「心配をかけたが、君たちの助力があったから死ななかった。鬼の頸も斬れた。本当に、助かったぞ」

「なんの。それよりもお前、鬼殺の後、浜で笛を吹いてただろ。声を掛けようと思ったが、俺はできなかった。あの時、笛を吹くのをやめさせたら、お前がそのままどっかいっちまいそうな気がしてな。本当に、生きてて良かったぜ」

「笛は、吹きたいから吹いていただけだ。そうそう簡単に、死ぬつもりは無い」

「まあ、それもそうだよな。御影武仁が、死ぬはずがねえ」

 

 後藤は武仁の肩を叩き、駆け戻っていく。看病に回っている隠の中に、すぐに溶け込んだ。

 一昨晩、村人たちが放っていたのは、死の気配だった。何もしなければ、ただ死んでいくだけだったろう。しかし、棘鬼の頸を斬ったことで、血鬼術が寛解に向かっているのか。いま眼前に広がるのは、眩しいほどの生の気配である。

 

 慌ただしい人波の中、あの医者の姿があった。向こうも、こちらに気づいたらしい。

 面布を捲り上げた医者の口元が、にやりと笑っていた。武仁は軽く手を上げ、会釈で返した。

 

「すまない。水を飲みたいのだが」

 

 かすれた声で言うと、すぐに隠が器を持って飛んできた。並々と注がれている水を、一息で呷る。ほとんど1日振りの水である。飲めば飲んだだけ、力が戻ってくる気がした。

 気づけば、錆兎の助けを借りる事なく立ち上がり、3杯は立て続けに飲み干していた。

 

「旨いな。水が、旨い」

「ただの水ではないんですよ、それは。御影(みかげ)さん」

 

 背後から声をかけてきたのは、胡蝶しのぶだった。

 

「私が藤の花から抽出した粉末を溶いてある水で、血鬼術の治癒に効果があります」

「蝶屋敷が。いや、君が作ったものか。実に素晴らしいと思う。臥せっていた村人も、大勢救われている」

「私だけではありません。柱になった姉さんが蝶屋敷を作ってくれた。それに御影さんが、私たちを助けてくれた。私がひとりで成し遂げたものだとは、全く思っていません。それでも、褒めてもらえて嬉しいです」

 

 言い、頭を下げたしのぶの笑顔には、どこか自信が満ちていた。

 顔を合わせて話すのは、昨年の共同任務以来である。しかし、気まずさやぎこちなさは全くない。人となりは、互いによく分かっているからだ。

 

 体躯は今も細いが、刺突の速さは眼を見張るほどである。この腕にも、自分は命を救われたのだ。

 

「義勇は、どうなっている? 黒髪の隊士で冨岡義勇という。俺がこの村に来た時は、まだ眠ったままだと隠から聞いたが」

 

 錆兎が横から声をかけてきた。

 

「あの隊士の方は、冨岡さん、と言うのですね。あの人は、まだ目覚めていません」

「大丈夫なのか。薬は、飲ませていないのか?」

「意識のない人に、口からものを飲ませるのは、非常に危険です。薬を少しずつ、血管に直に流し込んで様子を見ています。貴方は、冨岡さんの友達ですか?」

「階級甲、錆兎だ。義勇とは同門になる」

「私は、胡蝶しのぶです。起きてこそいませんが、脈はしっかりしていますし、危険な状態という訳ではありません。言い換えれば、ただ眠っているだけとも言えますね」

「ならば、無理して起こすこともない、錆兎。義勇の事だから、無理を重ねてきたのではないかと思う」

 

 武仁が口を挟むと、しのぶが深く頷いた。

 

「相当、疲れていたのでしょう。今は休ませるべきです。蝶屋敷で治療を受けている隊士の方の多くもそうですが、休みなく戦えるほど、人の体は強くはありません」

「胡蝶しのぶ。花柱の妹か。鬼の頸が斬れないという」

「それが、何か?」

 

 しのぶの声が不意に硬くなる。

 半歩。反射的に身を出そうとした武仁だが、錆兎の視線で制された。その眼は真剣そのもので、悪意のような感じは、微塵も浮かべていなかった。

 

「気を悪くさせたのなら、謝罪する。そういう下らん噂は聞いていたが、俺は信じていなかった。己の眼で見なければ、その人となりなど、本当に分かりはしないものだからな」

 

 思わぬ言葉だったのか、しのぶが首を傾げている。

 錆兎が、横にずらしていた面を被った。手作りらしい狐の面である。所々が色褪せ、線状の傷が何本も走っていた。

 

「その医術の腕が本物だということは、俺のような男にもよく分かる。それに比べれば、鬼の頸が斬れないことなど何ほどのものか。噂など、気にする価値もない」

「つまり、信じてもらえた、ということで良いんですか?」

「ああ。義勇を頼む、胡蝶しのぶ。友達なんだ」

「はい、任せてください」

 

 身を回したしのぶが、不意に立ち止まり、武仁の方を向いた。

 

「一応言っておきますが、この後は御影さんも蝶屋敷に来てもらいますからね」

「私は見ての通りだ。何の問題もない」

「鬼の毒を受けて、しかも一昼夜は飲まず食わずの人間を、そのまま立ち去らせる人間がいると思っているんですか? あれこれ言うなら、今回は姉さんに言って、力づくで連れて行ってもらいますからね」

「諦めろ、武仁。流石のあんたも、胡蝶の前では形無しだな」

 

 錆兎が仮面の下で、笑い声をあげた。

 

「では、私はこれで。あと2刻程で出立する予定ですから、どこにも行かないでくださいね」

 

 言うと、今度こそしのぶは、小走りで立ち去った。しのぶを呼ぶ声が、さっきから何度も聞こえていた。

 

「俺はここまでだ、武仁。次の任務が届いている」

「もう行くのか。せめて義勇に、会っていけばいいものを」

 

 錆兎の顔が不意に横を向いた。返事はない。潮の騒ぐ音と、海鳥の鳴き声が、沈黙の間に流れ込んでくるだけだ。

 

「義勇は俺たちの事を、何か言っていたか?」

「何も。選別の後、錆兎にも鱗滝先生にも会っていない。それだけは教えてくれた。私が狭霧山を発った後に何があったのかも、何一つ語ろうとしない」

「大した話じゃない。武仁が去った後、俺と義勇は鱗滝先生の下で更に鍛錬を続け、藤襲山での最終選別に臨んだ。そこで、あの鬼に出会った」

「全身から手を生やした、異形の鬼か」

 

 兎の面が、軽く上下した。

 

「俺の仮面を見て、これを目印に、鱗滝先生の弟子を何人も食ってきたと言っていた。無論、腹は立ったし、奴自身も手強い鬼だったが、俺たちの敵ではなかった。何よりも義勇がいたから、俺は死ななかった」

 

 死ななかった。そこに、微妙な含みを感じたが、武仁は頷いただけで、口は挟まなかった。

 

「手の攻撃を掻い潜って、俺は奴の頸を飛ばそうとした。だが、斬れなかった。硬すぎて、刀が通らなかった。笑ってくれていい、武仁。岩を斬ったなどと浮かれていた俺が、本当に斬るべき鬼の頸は、岩よりもずっと硬かったんだからな」

「誰が笑うものか。あの日、言ったはずだ。刀が折れる事など、鬼殺隊士には当然に起こり得る。鬼の頸が硬くて斬れないことも、あって当然。私は今に至っても、この村を襲っていた鬼の頸を、一度では斬れなかった」

「それとて、生きて選別を抜けてこその言葉だろう。武仁、俺はな。本当は、最終選別で死ぬはずだったのだと思っている。もしあの時、義勇がいてくれなければ、俺は死んでいた」

「仮に、君の言う通りだったとして、君と義勇の2人が力をあわせて、生き残った。それが事実だ。そこに、何の不満がある。まるで君は、鬼の頸を斬れなかったことに、拘っているように聞こえる」

 

 口にしてから、この男ならば拘るだろう、と武仁は思った。

 頸を斬れなかった理由など、いくらでも付けられる。鬼との戦いで疲弊していた。刀の刃毀れ。異形の鬼の頸の硬さが、並外れたものだったのかもしれない。

 そういう理屈をどれだけ並べられようとも、自分ならば斬るべきだった。男として、あの鬼の頸を斬らなければならなかった。自分が知っている錆兎と言う男は、そう思ってしまう男だった。

 

「俺は、強くありたい。鱗滝先生の弟子として、義勇の友として、そして男として」

「男として強くありたい、か。君も変わらんな」

「俺が大した剣士ではないことは、俺自身がよく分かっている。義勇も多分、同じ思いだろう。だから俺と義勇は選別の後、道を別ったんだ。互いに、もっともっと、更に強くなるために」

「一時、道を違えようが、君たちの道はいつか再び交わるだろう。その時が、楽しみだ。もっともそれは、柱合会議の場かもしれんな」

「俺たちの道が再び交わる場所が柱なら、それでも構わない」

 

 それも、さほど遠いことではない、と武仁は思った。

 義勇も錆兎も、ともに階級は甲だという。甲の階級の者が、十二鬼月を滅殺するか、鬼を50体討つこと。それが、柱に就任するための条件である。今の錆兎と義勇ならば、そう難しいことではないだろう。

 

「それに義勇の心に火をつけたのは、武仁だ。何よりも、狭霧山での言葉が義勇を変えた。そして、強くなった義勇に、俺は助けられた」

「あの日の事は、私も忘れはしないさ」

 

 己の力を奮い起こせ。敵を殺す覚悟を持て。あの日、義勇へ向けた言葉は、今も覚えている。それに特別な意味があったと、武仁は思っていなかった。例えば、水柱である瀬良蛟だったら、もっと上手い方法で、それを自覚させただろう。他の方法が、自分では思いつかなかった。

 ただひとつ、はっきりしているのは、今の義勇は攻守自在にも見える見事な剣を遣っている、ということだけだ。

 

「少し、安心した」

「何がだ?」

「君達2人が、仲違いしたのではなかったのだな」

「埒もないことを。義勇は今も変わらず、俺の大切な友達だ」

 

 錆兎が、再び仮面を外した。白い歯を見せて笑った錆兎と、視線が交わった。

 共に並んで切磋琢磨するのではなく、己を孤独に追い込んで、鍛え上げる。義勇の掌も、錆兎の威風堂々とした気迫も、その中で培われてきたものなのだろう、と武仁は思った。

 

 不意に、羨ましさにも似たものが、武仁の胸にじわりとひろがった。同じ別離や孤独を経ても、自分はこの2人のような強さは得られていない。それは、克服するということもなく、ただ霧消していった。

 自分の目的は、この2人のような強さを得るのではなく、人助けをすることなのだ。それを見失うことは、決してない。

 

「事情は分かった。もはや、私からは何も言うまい。何か、言伝はあるか?」

「ない。何も、ない」

 

 錆兎が面を被り直し、身を翻した。

 亀甲柄の羽織の裾が、潮風で捲りあがる。隊服の背に刺繍された、黒地に白の滅の文字。それが、陽光よりも、日輪刀の刃よりも、眩しいもののように見えた。

 

「武運を祈る、錆兎」

「互いに。笛、良い音だったぞ。俺が声をかけるまで、吹き続けていた」

 

 言い、錆兎は振り返ることなく、軽快に駆け去った。

 

 武仁はひとり、看病されている村人たちを、端で眺めていた。自分が手助けできるようなことは見つからない。隠もそれなりの訓練を受けているのか、手際はいい。

 しばらくすると、隠を集める声が聞こえた。しのぶの声である。武仁は声がした方へ、足を向けた。今更、意地を貫いて立ち去ろうという気はなかった。

 

「あっ、御影さん。そろそろ、出発しますよ。私たちの、蝶屋敷へ」

 

 声をかけてきたしのぶに、武仁は頷いた。




 錆兎に再登場してもらったら、またまた筆が乗りすぎました。
 次こそ、場面が変わります。

【錆兎生存についての多少の考察】
 錆兎の生存を試みようと思って、いろいろ考えていた時の事です。
 プロットでは、鱗滝さんに手鬼の存在を教えて鍛えなおしてもらうだけで、済ませる予定だったのは、以前あとがきで書いたと思います。
 ただ、それで錆兎が選別で生き残れるのか、とも疑問に思いました。
 錆兎は多少鍛えなおされたところで、性格上同じことをしてしまうだろうし、そうなれば、手鬼戦もまた本編通りになるほうがむしろ自然ではないのかと。
 そうして自分なりに納得できる筋を考えたとき、冨岡さんの覚醒を期待する、という展開を思いつきました。
 ポテンシャルがあることは、それこそ本編の冨岡さんを見れば明白でしたので、この人を原作の選別時よりも少しでも強くさせて、錆兎とともに選別を戦わせることが、拙作の錆兎生存の肝でした。
 次話以降で描写しますが、冨岡さんが原作並みに口下手なのは、そこに理由を求めています。
 また読んでいただけると幸いです。

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