一般隊士の数奇な旅路   作:のんびりや

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 お久しぶりです。
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41話 蝶屋敷

 蝶屋敷の庭に聳える1本の桜を、武仁(たけひと)は窓から見上げた。

 花弁がひらひら舞い、散っていく。陽光は枝葉の間を突き抜け、それを掻い潜るように、無数の蝶が飛び回っていた。

 必勝。初代花柱が、桜にそう名付けたのだという。果てない鬼殺の戦いへ賭けた、ささやかな願いだった。

 

「もう異常はなさそうです」

 

 診療室、と看板が掛けられた部屋の中である。胡蝶しのぶが、脈を取りながらそう言った。

 

「私は最初から、差し障りがあるとは思っていなかったが」

「血鬼術を受けた御影さんが、これからも戦える身体なのかどうか。それを見ていたんです。ご自分では気づいていないと思いますけど、相当の無茶を重ねていたんですよ。そもそも、身体を休ませていない、というところもありますし」

 

 蝶屋敷に来て3日経ったが、その間に口にできたものは、薬と重湯だけである。

 漁村での戦いで、棘鬼の毒を受けた。その循環を全集中の呼吸で遅らせ、気付け薬で正気を保たせて戦い続けたが、身体がかなり傷んでいたらしい。

 蝶屋敷で最初に受けた診察で、まず、立ち去ることを禁じられた。依然軽いめまいや、脈の狂いはあったが、それ自体は今までもあったことで、大して気にしていなかったが、胡蝶姉妹の剣幕は一切の抗弁を許さない程だった。

 

「確かに。それで私は、戦える体、ということで良いのか?」

「あと2日。それだけ我慢してください。稽古は、始めても構いませんが。食事も徐々に、普通のものに戻します」

「それは、良かった」

「御影さんは、機能回復訓練は必要なさそうですね。もしお暇なら、回復した隊士の稽古相手でも務めてもらえると有難いです。姉さんは殆ど屋敷にいませんし、私とアオイだけでは、そこまで手が回りませんから」

「見てみよう」

 

 この数日、鍛錬どころか刀を握ることも禁じられ、やっていたことと言えば笛を吹くことくらいだったのだ。身体を動かすには丁度いいだろう。

 

 しのぶに一言礼を言い、武仁は部屋を辞去した。宛がわれている部屋に戻り、まず隊服を着込む。帯革も締めたが、数ある暗器は日輪刀と共に取り上げられていて、ここにはない。

 蝶屋敷で治療を受けている者は、患者用の服を着ることが規則である。生地は柔らかく、ゆったりとしたもので、過ごしやすい。だが武仁はすぐに、隊服が懐かしくなった。寝心地の良い寝台も正直、体に合わなかったが、どれも我慢するしかなかった。

 

 隊服を着込むと、2度3度と体を左右に捻って伸ばす。診断通り、動きは悪くない。長い間、薄い衣のように纏わりついていた疲労が、すっかりなくなっている。

 

 母屋とは別の棟の道場まで、足を運んだ。

 数名の隊士が、機能回復訓練に当たっていた。寝たきりから復帰した隊士がほとんどで、柔軟や薬湯のかけ合いといった単純な動きから、鈍った身体の回復を図るものらしい。

 武仁の眼は、その隊士達ではなく、反対側で木刀を向け合っている隊士の方へ向いていた。

 

 隊士が2人。そのひとりは、冨岡義勇だった。もう1人の黒髪の若い隊士が、気勢を上げながら何度も斬りかかっている。そちらも、見覚えがあった。

 義勇は茫洋とした様で、ただ立っているだけのようにも見える。だが、なまじ闘気など放たずに対峙することが、どれだけ不気味な事なのか。義勇と立合っている隊士は、そこまで感じていないだろう。

 

 3度。次々と斬りつけた隊士が木刀を振り上げた。義勇が、木刀を横に傾ける。呼吸音が武仁の耳に届いた次の瞬間、隊士の体は激しい音とともに反対側の壁に叩きつけられていた。

 

「冨岡さん!」

 

 機能回復訓練に当たっていた隊士達が一斉に首を向けるよりも早く、アオイが甲高い声を上げ、義勇に詰め寄っていく。

 

「前から言ってるじゃないですか! ここは、隊士の方の治療所なんですよ? 訓練なのに、怪我させるようなことはしないでください!」

 

 義勇はばつの悪そうな表情で俯いている。そこに、吹き飛ばされた隊士が駆け寄ってきた。

 その顔が眼に入った時、村田という名前が、不意に脳裏に蘇った。何年か前に、鬼に突っ込んでいったのを引き留めたことがある。確か、義勇や錆兎と同期の隊士と言っていたはずだ。

 

「あの、そんなに冨岡を責めないでください、アオイさん。そもそも、立合いだって俺が言い出したことですし」

「関係ありません。冨岡さんも村田さんも、今は蝶屋敷の患者です。こんな乱暴なやり方を認めるわけにはいきません」

「患者だなんて大げさな。俺はちょっと手足を擦り剥いただけですよ」

「村田さんだけじゃありませんよ。冨岡さんだって、ようやく回復し始めたところなんです。確かに、機能回復訓練に参加しないことはカナエ様やしのぶ様がお認めになりましたけど、乱暴な稽古まで許したわけじゃありません!」

 

 義勇が眼を覚ましたのは、一昨日の事である。

 眼覚めたことに気づいたアオイがしのぶを呼びに行っている間に、早くも蝶屋敷を出ていこうとしたことで、酷くしのぶに怒られたようだ。周りで見ていた者たちには、無表情で内心が全く読めない義勇よりも、しのぶの方が遥かに恐ろしかったという。

 

「ここは、後は私が受け持とう、アオイ」

「御影さん」

「しのぶに許されている。稽古の手伝いくらいなら、やっても良いと」

「わかりました。でも、危険な稽古は絶対、駄目ですからね」

 

 しのぶと同年代のはずだが、大人びたところもある娘だった。両親を鬼に殺され、身寄りがなくなってしまったところを、カナエが引き取ったのだという。

 

「手厳しいな、義勇」

「俺は、こんなことをしている場合では」

「言うな。任務のため、傷ついた体を休めることも、隊士の務めだぞ。柱目前の隊士なら、殊更、大事にしなくてはな」

 

 口にしてから、カナエやしのぶに言われたような言葉を繰り返していることに気づき、武仁は内心で苦笑した。義勇は納得したのかしていないのか。何も言わず、道場の隅に移動していく。

 村田だけが残った。

 

「あのっ、久しぶりです、御影さん。俺です、村田です」

「覚えている。君も、生きていたか」

「なんとか。折角なんで、稽古をお願いしても良いですか?」

 

 村田は片腕に力こぶを作るような仕草をする。爽やかで、陰のない笑顔が、眩しかった。

 

「生き残れた分だけ、ちょっとは強くなれたかな」

 

 すべて、立ち会ってみればわかる。武仁は壁から木刀を一振り掴むと、中央で向かい合った。即座に村田が、先と変わらぬ気勢を上げ、斬りかかってくる。

 

 受け流すだけでも、技量はすぐに見えた。義勇や錆兎らと比べても、これといった凄味はない。動きは果敢だが、隙は見える。打ち倒すだけなら容易いが、それではアオイの逆鱗に触れるだろう。

 

 木刀。上段から勢いよく振り下ろされたが、武仁は僅かに体を下げることで躱した。切先が放った風が、頬を掠める。刀が空を切ったことに驚いたのか。村田の眼が、丸く見開かれている。

 胴を突くことも出来たが、腕を狙った。木刀を振るう。おや、と思った。刃が打ったのは腕ではなく、硬いものだった。

 

「あ、危なかったけど、何とか守れた」

 

 ほっとしたような声で、村田が言う。ぽたぽたと汗を滴らせつつ、木刀を横に構えていた。剣筋も何もない咄嗟の動きで、こちらの斬撃を防いだのだ。

 その後、何度もこちらから斬りつけたが、村田は悉く躱し、受けきってみせた。最後は村田の木刀を弾き飛ばして終わったが、それとて、急所への攻撃を防いだものだった。

 

「参りました。冨岡もそうだし、やっぱり御影さんも強いなぁ」

 

 剣術は、正直未熟である。全力での稽古なら、いくらでも弱点を教えられただろう。だが、致命傷を受けない立ち回りは、ある種の才能と言ってもいいかもしれない、と武仁は思った。

 一度義勇に打ち倒されているわりに、動きも悪くなかった。義勇の一撃も、反射的に受け止めていたのかもしれない。

 

「剣術に、全集中の呼吸。日々の鍛錬を怠らないことだ。日にできる事は僅かでも、長ければ、それだけ多くのものを積み重ねることができる。生きるとは、そういう事だと私は思う」

「はい。でも、苦手なんです、全集中の呼吸。俺は水の呼吸を使うんですけど、日輪刀の色も他の奴のより薄いですし」

「私の日輪刀は、色すらついていないぞ。私にできる事が、君に出来ない道理はない」

 

 武仁は村田の肩を叩き、身を翻した。これ以上掛ける言葉は無い、と思った。強くなれるかどうかは、結局は己次第でもある。

 

「君もやるか、義勇?」

「俺は本気の戦いがしたい。武仁とは」

「まるで、私が手を抜いている、と言いたいようにも聞こえるが」

 

 義勇の返事は無い。ただ、少しだけ眼元や口の端が硬く引き攣ったようにも見えた。

 逆に、言葉通りの意味かもしれない、と武仁は思った。その昔、狭霧山で散々に打ちのめした時のように、本気で相手をしてもらいたいということか。

 もし義勇が再戦を望むなら、その相手は必ず努めなければならないだろう、とも思った。

 

「いずれにせよ、今日は駄目だ。また後日」

「いつになる?」

「焦るな。私が、蝶屋敷を去る前には。私とて、君と同様、無茶な立ち回りは許されていない」

「そうか」

 

 ぽつりと零すように口にすると、義勇は道場に背を向けた。その背中に、何か言いたげな視線を村田が送っている。

 

「君達は、同期なのだろう」

「はい。でも俺なんかが」

「まるで口下手だが、素直な男のはずだ。どうでもいい人物と、立ち合いなどするはずがない。話があるなら、行ってやってくれ」

「わかりました」

 

 村田が小さく微笑むと、義勇の後を追って道場を出ていった。村田は幾らか気後れしているが、義勇は多分、同期であることを認めているだろう。

 

「何か、そっちで手伝えることがあるか?」

「いいえ。機能回復訓練の方は、私が担当していますので」

 

 真面目なアオイの返答だった。柔軟、薬湯の掛け合い、鬼ごっこと単純そうに見えて、隊士ひとりひとりの様子を見ながらやっているのだろう。

 門外漢が下手に手を出さない方が良いのかもしれない。

 

「庭で鍛錬している。何か用があれば、声をかけてくれていい」

「はい。御影さんも、無茶は厳禁ですからね。あと、できれば私の鍛錬にも付き合ってください」

「そうか。君も、鬼殺隊士を目指しているのだったな」

「はいっ」

 

 アオイのような子供ですら鬼殺を志していた。桜に必勝と名付けた初代花柱の頃から、鬼殺の戦いは何かが変わったのだろうか。

 考えたところで詮無いことだ、と武仁は思い直し、身を翻した。

 

                       

 

 陽が落ちた。武仁の姿は、蝶屋敷の屋根の上にあった。

 気が向いたら、笛を吹いて欲しい。しのぶにそう言われていた。笛の音が、蝶屋敷で治療を受けている隊士達に効果があるらしい。

 

 隊服の懐から、笛を取り出し、構えた。世話になっている義理もある。武仁に断る理由は無く、何度かこうして、夜になったら吹いていた。

 

 音。流れ出てきた。蝶屋敷内の喧騒が、不意にやんだ。低音から、徐々に高音へ。転調。再び、低い音。無心に吹き続けた。

 息が絶えると同時に、音が消えた。暫くの静けさの後、ぱらぱらと拍手が窓から送られてくる。

 すぐ背後からも、拍手が聞こえる。

 

「また良い音色を、聞かせてもらいましたね」

 

 胡蝶カナエだった。少し前から、気配で気づいてはいた。もっとも、気づかせるような気配の発し方ではあった。

 

「御影さんの笛の音は、やっぱり違うと思います」

「しのぶが言っていたが、こんなものが治療になるのか?」

「音楽は、聴く人の心を穏やかにしてくれます。ここでお預かりしている隊士の方の中には、鬼との戦いで、心を傷つけられた人もいます。中には、鬼と戦えないというだけで、気が立ってしまう方もいますから」

 

 カナエが、並んで腰かけてきた。

 武仁が蝶屋敷に来てからも、その姿をほとんど見ていない。そこに、柱というものの激務を生々しく感じた。それでも可能な限り、屋敷に帰ってきているという。

 

「私は自分の笛に、大きな意味は無いと思っている。息さえ吹き込めば、音は出る。笛とは、楽器とは、そういうものだ。君も、始めてみるといい」

「まあ、芸人の方が聞いたら、なんて思うかしら。こんなにいい音色を奏でるのに。嫉妬してしまうかも。私も昔、箏をやっていたから、少しくらいは分かります」

「劇団にいるような芸人の方が、遥かに上手い。私の笛が出しているのは、何の気も思いも篭もっていない、ただの音にすぎないと思うのだが」

「でも、その音が好きだって言う人が、沢山いるのも、本当のことですよ。御屋形様、悲鳴嶼さん、それに宇随さんもね。もちろん、私たちも」

 

 武仁は横を向いた。カナエが、くすくすと笑った。

 

 ふと、灯が入れられている周囲に、眼を送った。蝶屋敷は裏山も含めた敷地こそ広大だが、豪奢というわけではなかった。

 屋敷の殆どを療養所としての用途に充てていて、カナエらが生活する敷地は、むしろ狭いのではないかと思えた。尤も、女所帯の生活がどういうものなのかなど、旅だらけの半生を過してきた自分に、分かるはずもない。

 

 不意に、闇の中で何かが動いたように見えて、武仁は目を凝らした。蝶屋敷の塀の向こう側の森。それぞれ離れた場所で、2つ見えた。

 冨岡義勇。もうひとりは、胡蝶しのぶだった。どちらも木刀を持っている。すぐに、カナエも気づいたようだ。

 

 それを鍛錬と呼ぶには、あまりも対照的だった。

 義勇が木刀を振るう様は、武仁の眼でも、追うのが精いっぱいだった。舞うように義勇が動き、その間に水の呼吸の型を一から拾まで見事に放っている。流麗、と言うより他にない。

 逆にしのぶは木刀の素振りを繰り返していたが、すぐに力が尽きて、振るう手を止めていた。肩を落とすが、しばらくすると素振りを再開する、ということを繰り返していた。

 

 あまりの力量の差に、不意に武仁は切なさに似たものを感じた。

 義勇は血が滲む努力を積み重ねて、今に至るに違いなかった。だが同じように、どれだけ鍛えてもどうにもならないという者も、確実に存在する。

 

「柱になっても、思い通りにならないこともあるのですね。いえ、これは、当然分かっていたこと。悲鳴嶼さんに初めて会った時にも、言われていたのに」

「刀を握る理由は、人それぞれにある。それを止めることは誰にもできない、と言うことだろう」

「冨岡君はきっと、柱になるでしょう。同期の錆兎君と並んで、柱合会議でも名前が出てくるほどですから。でも誰しもが、冨岡君のようになれる訳ではありません。こうして並べて見てしまうと、しのぶを鬼殺隊に入れたのは間違いだったかもしれないって思ってしまうこともあります」

「しかし、彼女のための居場所を作った。そのありようは、私は素晴らしいと思う。ここは花屋敷ではなく、蝶屋敷。花柱ではなく、胡蝶姉妹達の居場所なのだからな。それに、鬼の頸を飛ばすことだけが、鬼殺ではない。傷を癒すこともまた、鬼殺の戦い。私は今回の任務で、身をもってそれを教わったと思う」

「御影さんは、人を助けることも鬼殺だと、思っているのですね」

「私は君や義勇のように、強くはなれなかったからな。だが、今日まで自分が生き残ってきた理由は、生きて人を助けるためだと思っている」

「本当に、御影さんは変わりない人。またお会いしましょう。あっ、あとしのぶ達をお願いしますね」

「そちらも、武運を祈る」

 

 柔和に微笑んだカナエが、軽い跳躍音を残して、屋根から飛び降りた。

 

 木刀を下ろした義勇が、動きを止めていた。しのぶがいる方に、首を向けている。直接見えるような距離でも、明るさでもない。だが、明らかにしのぶに気づいている様子だった。

 しばらくして、義勇は蝶屋敷へ向けて歩き出した。しのぶはまだ、鍛錬を続けている。

 

 歩いていた義勇が、不意に武仁の方を向いた。視線が交った瞬間、義勇の姿は闇に消えた。




 次こそは、次こそは今章の肝になるはず…
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