一般隊士の数奇な旅路   作:のんびりや

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42話 吐露

 時の流れが外とは違う。そんな気がした。

 そう思えるほど、蝶屋敷の生活は穏やかなものだった。日中は回復した一般隊士の鍛錬相手を務め、夜は寝たきりの隊士達のため、笛を吹く。勝手に屋敷を去らなければ、今はもう何をしようと自由なのだ。

 

 ただし、己の訓練は夜明け前や深夜に厳しいものを行った。

 木や石を縛った背負子を担いで、近くの山中を走る。どれだけ息を乱しても、全集中の呼吸は止めない。野放図に張り出した岩角や枝は、鬼の手足だと思った。

 

 頂についたら背負子は木に引っ掛け、担いできたものを、頭上から雨のように振らせる。それを、その辺で拾った枝で弾き飛ばす。

 木刀はそこそこ頑丈だが、朽ちた枝は触れた瞬間、衝撃を受け流すように振るう必要があった。

 木や石の雨を凌いだ後は、跳躍して斬りつけ、背負子を打ち壊す。それで、終わりだった。

 

 夜半に人が寝静まった蝶屋敷へ戻り、しばらく眠る。自分が夜中に出て行っていることに気づいているのは多分、義勇だけだろう。アオイが知れば、叱りつけてくるのは眼に見えていた。

 

 だが、厳しい鍛錬をする理由は生き残るためである。蝶屋敷での生活で最も気が楽なのは、鬼の気配を探りながら眠る必要がない事だった。抜かりなく藤の花の香が焚かれているし、近づくまでもなくカナエが滅殺してしまうのだ。

 どこかで厳しさを意識していなければ、気が緩む。それはそのまま、戦いでの死に繋がる。己ではなく、仲間や守るべき者が死ぬこともある。

 

「あなた一体、何が言いたいんですか?」

 

 敵意が肌を打った。声よりも一呼吸早く、武仁(たけひと)は眼を覚ました。反射的に日輪刀を帯革に差そうとしたが、左手は空を切った。武器は今も没収されている。

 

 身一つで飛び出した。玄関先で、しのぶと義勇が向かい合っている。

 しのぶが握っている木刀はぷるぷると震え、頬が首筋からうっすらと紅潮していた。対する義勇の表情は、冷ややかなものだった。

 

「私がやってることが無駄だって言いたいのなら、はっきりそう言ってください。でも、わざわざそんなことを言うために、早起きして声を掛けたんですか?」

「大声だ。他の者が起きるぞ、しのぶ」

「御影さん。冨岡さんが声を掛けてくれたんです。それじゃ駄目だ、ですって。でも、何が駄目なのかは、全然、教えてくれない」

 

 姉に比べて勝気ではあるが、しのぶがこれほど感情をむき出しにして声を上げるところは、見たことがなかった。義勇の何かがしのぶの怒りを買ったのは間違いないだろう。

 

「俺は」

「もっと、大きな声で喋れないんですか?」

「何か、誤解があると思う。見ての通りだ」

 

 ふん、と鼻を鳴らし、しのぶが横を向いた。頑なそうな横顔に浮かぶのは、生来の気の強さではなく、必死に自分を支えようとする、ある種の悲壮さにも見えた。

 一度、閉じられたしのぶの眼が、きっと横を向いた。

 

「冨岡さんから見ると、誰でも弱いと思えるのでしょう。柱になれるかもしれない冨岡さんには、私のような隊士の事なんか、まともに相手する必要はない、と思っているかもしれない。だけど」

 

 義勇が顔を俯かせる。

 明らかに間違った認識だが、義勇はそれを否定しようとしない。

 

「でも、今更。花柱の妹なのに、鬼の頸ひとつ切れない。はっきりとそう言われたことだって、一度や二度じゃない。それでも、諦める訳にはいかないじゃない」

 

 返事を求めてはいなかった。言い捨てるようにして、しのぶの後ろ姿は門を抜け、木々の間へと消えていった。

 追うように歩いていこうとした義勇の腕を、武仁は咄嗟に掴んだ。手に思わぬ力が籠る。

 

「話をしよう、義勇」

 

 声は無かった。ほんの少し、首を縦に振っただけだ。

 

                       

 

 道場で向かい合って座した。

 空気は冷えて、静かだった。義勇が湛えている気もまた、静謐である。刀を突きつけ合った立ち合いにも似ていた。

 

「話してくれないか」

 

 武仁から口を開いた。

 痺れを切らした訳ではない。冨岡義勇という男を、理解する。そのためには、この口下手な男と話をしなければならないのだ。意味もなく、しのぶを怒らせるような男であるはずがない。

 

「何があろうと、君を責める言葉は私にはない。鱗滝先生の下を離れてから、今日までのことを。いや、いままで君がどう生きてきたのか、私に話してくれないか」

「そんな話に、意味はない」

「そうか。では、私から話そう」

 

 義勇が、眼を見開いた。

 

「只の昔語りだ。聞きたくなければ、出て行って構わん。私を打ち倒してもいい。どちらも、君なら容易いことだろう」

 

 武仁は、口を開いた。

 師匠との人助けの旅、最終選別で出会った仲間達と唐突の離別、そして人助けのための戦い。大して語ることのないと思っていた半生が、いつの間にか語ることが多いものとなっている。

 

 口を動かしている間、武仁は義勇から眼を離さなかった。途中で義勇は立ち去るだろう、と思っていたが、座ったまま話を聞いていた。

 

「君は、自分は柱になどなる力はない、と言ったな」

「ああ」

「私が愚かで、間違っていたのだろうか。かつて君に、自分だけを守ろうとしているだけだ、と言った。今の君が、それほどまでに己を軽蔑するとは、思いもしなかった」

 

 自分自身、己を守ることに終始して生きてきたようなものだ。人助けなどと偉そうに言ったところで、義勇の剣は自分よりもずっと多くの人を助けてきたはずだ。

 

「違う。それは、違う」

 

 強い語気。初めて剥き出しになった、義勇の感情らしいものだった。

 

「錆兎は、君に救われたと言っていた。異形の鬼の頸を斬れず、殺されかかったところを、君が助けてくれたと。自分の剣は大したことない、とも言っていた」

「それも、違う。錆兎が、俺を助けてくれた」

「どういうことだ」

「最終選別での俺は、錆兎についていくので精一杯だった。最初に俺に襲い掛かってきた鬼も、異形の鬼の頸を刎ねたのも、錆兎だった。俺はずっと、鬼の攻撃を凌ぐことしかしていない」

 

 不意に饒舌になった義勇に驚きを感じつつ、ようやく分かった、と武仁は思った。

 手鬼を前にして、錆兎は頸を斬ろうとし、義勇は伸びて来る手を斬り払っていた。錆兎は頸を斬れなかった、とも言った。それは、致命的な隙である。あの異形の鬼なら一瞬の間に、文字通り搦手の2、3本は伸ばせただろう。

 その手すらも、義勇は払いのけたのだ。

 

「俺は」

 

 義勇が言葉を詰まらせた。

 

「狭霧山で武仁と立ち合った時と、何も変わっていない。俺は自分の命を守るのに必死なまま、錆兎の背中に守られたまま、鬼殺隊士になってしまった。俺はこんな様で、錆兎と一緒に選別を突破したとは思っていない。錆兎がいなければ、俺などとうに死んでいる。柱になど、なっていい人間ではない」

 

 錆兎は義勇にその命を助けられ、義勇は錆兎がいなければ隊士にすらなれなかったと思っている。だが、錆兎と義勇で藤襲山の鬼という鬼を滅殺し、かなりの数の志願者が生き残ったのだ。それは、村田からも聞いた話である。

 何もしていない訳ではない。ただ、錆兎と肩を並べたかった。そう思っているのか。

 

「強くありたいか、義勇」

「俺は、弱い。武仁の言った通りだった。そして弱ければ、ただ奪われる。そうならないために、俺は戦い続けるしかない」

「だから今日まで、独りで」

「武仁も、同じはず」

 

 瞬間、霞んで見えていた義勇の眼が、強い光を放った。

 

「狭霧山に来た時も、ここで自分を鍛えている時も、武仁はずっと独りだ。誰とも深く交わることなく、まともに人前に姿を出すのは、笛を吹くときだけだろう」

 

 武仁は息を呑んだ。義勇は無表情で、口下手なだけの男ではなかったのだ。この男は人の本質を、実によく見抜いている。

 

「確かに、君の言う通りかもしれない。私は確かに、独りだろう。だが本当の意味で独りきりだとは、思ってはいない」

 

 友がいる。宇随天元がそうだ。

 それに先に逝った者は、たとえ言葉は交わせずとも、覚えている限り心の中で生きている。ただ、そう信じている。

 

「君も同じだ。錆兎がいる。錆兎がいるからこそ、それだけの強さを得たのだと、私は思っている。君がどれだけの血反吐を吐いて自分を鍛えたのか、知る由もないが」

「それでも、足りない。俺はまだ、錆兎の足元にも及ばない」

 

 武仁は内心で苦笑した。その認識だけは、絶対に変わらないようだ。だが、その精神のまま己を鍛えていくだろう。

 

「ひとつ、聞かせてくれ。今の君の眼に、胡蝶しのぶはどう映る」

「あれでは、駄目だ」

 

 義勇は対して考えるような仕草もなく即答した。そして、その理由を説明する様子はない。恐らくしのぶにも、こんな調子で声を掛けたのだろう、と武仁は思った。

 己を鍛える間、人を遠ざけすぎた。強くなると同時に、口下手になったという事だ。

 

「それは、能無しという意味ではないのだな? 大事なところだ。しのぶは、君に侮辱されたと本気で思っているだろう」

 

 即座に、義勇が首を横に振った。そんなつもりは無かった、と仕草が物語っている。

 問いかけたが、返答に確信はあった。

 

 冨岡義勇という男を多少は理解できた、と武仁は思っていた。その義勇がしのぶの力量を、駄目だ、などと無駄な言葉で否定するとは、どうしても思えなかった。

 その言葉を引き出せれば、少なくとも誤解は解ける。武仁が口を開く前に、勢いよく道場の扉が開いた。

 

「あっ、ここにいたんですね」

 

 割烹着姿のアオイが、頬を膨らませて仁王立ちしている。

 

「早く食べないと、朝ご飯片付けてしまいますから!」

「すまない」

 

 立ち上がりつつ、戸の外を見る。日がかなり高く昇っている。

 義勇との会話にかなりの時間をかけていたことに、武仁は初めて気付いた。




 冨岡さんが動かない
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