オーバーロード~狼(以下略)~その他まとめ 作:ぶーく・ぶくぶく
/*/ エ・ランテル・夕刻 /*/
夕暮れの街並みは、再建された石畳の道を黄金に染めていた。
帝国の影響から解放され、今では魔導国の庇護下にあるエ・ランテルは、かつての荒廃からは想像もつかぬほど整然とした姿を取り戻している。市壁の上にはアンデッドの衛兵が黙々と巡回し、通りを行く商人や旅人はそれを当然のように受け入れていた。
その雑踏の一角を、異国訛りを持つ父と双子の娘が進んでいた。
父の名はジェラール。長身だが頬は痩せ、黒い外套の下に潜む筋肉には疲弊が刻まれている。
娘たち――マルグリットとデルフィーヌは、十五を迎えたばかり。美しい栗毛の髪と白磁のような肌を持ちながら、その眼差しには年齢に似合わぬ陰があった。
彼らは人狼。
ただ、異形種としての人狼の宿命――人間より強靭な力と俊敏性を持ち、月光の夜には獣の本能が疼く身体を持つ。
ジェラールは娘たちの理性を保たせるために日々注意深く接し、薬草や日常の規律で心を鎮めてきた。だが完全な制御は難しく、村では偏見と恐怖によって幾度も追われた過去がある。
――それでも、希望はある。
「魔導国には、理性を持った人狼がいる」
「異形の力を持ちながら、人間と変わらぬ意思で生きる者が、支配者の側に仕えている」
ジェラールはその言葉に縋った。
もしかすれば娘たちも、己の力を抑えつつ生きる道を学べるかもしれない。
だからこそ、遠い山村から幾日もかけて、この街に辿り着いたのだ。
◆
「お父さま……」
マルグリットが囁く。
「……本当に、その方はいるのでしょうか」
「いるさ。わしらと同じ異形種で、理性を失わぬ人狼だと……必ず」
ジェラールは乾いた声で答えるが、背中は震えていた。
デルフィーヌが石畳を見つめ、唇を噛む。
「もし、同じ人狼なのに……私たちとは違う存在だと言われたら……」
沈黙が家族を包む。だが答えは一つしかない。
確かめねば、先に進めない。
やがて群衆のざわめきの中、異様な気配が道を満たした。
背の高い獣の姿――人と狼の形を保合わせ持った青と白の毛並みの人狼が、数名の従者と共に巡回していた。
その隣に並ぶのは、陽気な笑みを浮かべた赤毛の美女、ルプスレギナ・ベータ。
「……あれだ」
ジェラールの心臓が打ち震える。
◆
双子の娘が父を支え、三人は人波を掻き分けて進んだ。
そして銀毛の人狼――ジョンの前に膝をつき、声を張り上げる。
「どうか、お助けください!」
通りがざわめく。アンデッドの兵が一歩前に出ようとするのを、ジョンが手で制した。
その琥珀の瞳が、膝を折る親子を静かに見つめる。
「……事情を、話せ」
ジェラールは唇を震わせながら、己らの業を吐き出した。
異形種として生まれた娘たちが、人間社会では偏見と恐怖に晒され、心を閉ざしてしまったこと。
強靭な身体はあれど、理性と衝動の狭間で苦しみ、誰かを傷つけることを恐れていること。
「……同じ異形である貴殿ならば、我らの苦しみを……何かの方法で和らげてくれるのではないかと……」
街の人々が沈黙する中、マルグリットとデルフィーヌが必死に頭を下げた。
「お願いします……!」
「私たち、これ以上……誰かを傷つけたくない……」
◆
ジョンの影が親子を包む。
狼の横顔に表情は乏しいが、その声は穏やかだった。
「……理性を持った異形種としての人狼なら、俺は知っていることがある」
「だが、お前たちの力を変えるつもりはない。己の姿のまま、理性を保つ方法を学べばいい」
双子は一瞬、息を呑む。
「……私たちの……姿のままで?」
ジョンは微かに頷く。
「そのままで構わない。服もそのまま着られる。恐れることはない」
ジェラールは肩の力を抜き、涙を滲ませる。
「……それなら、娘たちの未来も、少しは光が見えるな」
夕暮れの光が石畳に反射し、親子と人狼の青年――異形種たちの新たな希望が、静かに街に溶け込んでいった。
/*/ ナザリック地下大墳墓・メイド部屋/*/
薄明かりの中、双子のマルグリットとデルフィーヌは人狼の姿のまま、整然と並ぶ机や椅子の間を歩いていた。
ナザリックの静謐な空間には、柔らかな灯りが差し込み、魔導書や装備品がきちんと整頓されている。
「ふたりとも、今日からここでメイドとしての基本を学ぶわん」
前に立つのは、ナザリック地下大墳墓のメイド長、ペストーニャ・ショートケーキ・ワンコ――通称ペス。
頭部は犬だが優しい目をしており、傷跡のような線が一本、顔の中央を走っている。その毛皮は柔らかく、冷気に耐える力を秘めている。
マルグリットとデルフィーヌは少し尻尾を振りながら、座布団に腰を下ろす。
「は、はじめまして……わん……」
人狼形態で知能が低下している為、言葉がぎこちないが、精一杯の挨拶だ。
ペストーニャは微笑み、尻尾を小さく揺らす。
「大丈夫わん。ここでは人狼のままでも構わないわん。服もそのまま着られるし、無理に変わる必要はないわん」
デルフィーヌは耳をぴくりと動かし、ちょっと不安そうに訊ねる。
「……えっと……わたし、できるかな……メイドっぽいこと……わん」
「できるわん。焦らなくていいわん」
ペストーニャは両手を広げ、双子を包むようにして安心させる。
「姿はどうあれ、心を込めて働くことが大事わん。まずは礼儀作法から学ぶわん」
◆
まずは姿勢、歩き方、頭を下げる角度――ペストーニャの指導は丁寧で穏やかだ。
マルグリットは少し体を震わせながらも、必死に真似る。
「こ、こう……で、いいのかな……わん?」
デルフィーヌも尾を揺らし、ちょっと首を傾げて言う。
「えっと……あの……もっとこう……わん?」
ペストーニャは優しく頷き、尾を振り返す。
「うんうん、いい感じわん。少しずつ慣れていけばいいわん」
二人はまだ幼い知能のまま、人狼形態での不器用さを残しているが、ペストーニャの慈悲深い導きに少しずつ心を預け始めていた。
尻尾を小さく振る度に、二人の表情には僅かな安堵が浮かぶ。
ジェラールは部屋の外からそっと見守る。
「……ここなら、娘たちもゆっくり成長できるかもしれない」
双子はまだぎこちないが、ナザリックの優しさに触れ、初めて安心して笑顔を見せた。
夕刻の薄明かりの中、異形種である双子と、優しさに満ちた犬の神官――ペストーニャ・ショートケーキの間に、新しい日常が静かに始まろうとしていた。
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マルグリットとデルフィーヌは人狼形態のまま、ペストーニャ・ショートケーキの指示を受け、身支度を整えていた。
「じゃ、今日からは掃除と簡単な料理もやるわん」
ペストーニャは柔らかく笑みを浮かべ、双子に大きな手を差し出す。
「服もそのままで大丈夫わん。力加減に気をつけながら、ひとつひとつ覚えていくわん」
マルグリットは耳をぴくりと動かしながら、尾を小さく振る。
「は、はい……わん、がんばる……わん」
デルフィーヌは少し首を傾げ、ぎこちなく尻尾を揺らす。
「う、うん……できるかな……わん?」
ペストーニャは軽くうなずき、二人の間を行き来しながら、手取り足取り指導する。
まずは床掃除。雑巾を掴む手は大きく、鋭い爪が当たらぬよう気をつけながら、石の床を拭き上げる。
「もうちょっと丁寧にわん、雑巾を押す力を均等にするわん」
マルグリットは前足をぎこちなく動かし、雑巾を押すたびに小さく「ううん……」と唸る。
デルフィーヌは尻尾をゆらしながら、鍋を持って野菜を刻む練習。
「わ、わかる……わん……こんな感じで……?」
刃の扱いが不器用で、ペストーニャが横に立ってそっと手を添える。
「そうそう、焦らなくていいわん。力加減も大事わん」
◆
昼になり、双子は少しずつ天幕の中の動きに慣れてきた。
掃除の順序や簡単な調理手順を覚え、尻尾を揺らしながらも真剣な顔で作業を続ける。
「マルグリット、鍋に水入れるの、そっとわん」
「は、はいわん……」
二人の声はまだ幼く、不安げで拙い。だが、ペストーニャの優しい指導に励まされ、失敗してもすぐに立ち直る。
「おお、いい感じわん。少しずつできるようになってきたわん」
ペストーニャの言葉に、マルグリットは耳をぴくりと動かし、尻尾を少し高く振る。
デルフィーヌも小さく「わん」と返して笑った。
◆
夕暮れ、掃除と調理の基本を終えた双子は、人狼形態のままでも疲れた様子はなく、むしろ誇らしげだった。
「できた……わん……」
「お、おいしい……わん!」
ペストーニャは微笑み、優しく尻尾を揺らす。
「今日の分はこれで終了わん。明日はもっと色々なことを学ぶわん。少しずつ、できることが増えていくわん」
双子は嬉しそうに尻尾を振り、部屋の中に響く小さな声で「わん、わん!」と応えた。
人狼形態のままでも、ナザリックの優しさに触れた双子の心は少しずつ開き始めていた。
/*/ ナザリック地下大墳墓・食堂/*/
双子のマルグリットとデルフィーヌは、人狼形態のまま天幕の一角で食事の列に並んでいた。
ナザリックの一般メイドたち――リュミエールをはじめとする面々――は、普段から健啖家で知られる。大皿に盛られた料理を次々と平らげる姿は、双子にとって新鮮な驚きだった。
「う、うわぁ……いっぱい……わん」
マルグリットの耳がぴくりと動き、尾を小さく揺らす。目の前の光景に圧倒されている。
「お、お姉ちゃん……あの人たち、ぜんぶ食べるの……わん?」
デルフィーヌも首を傾げ、少し怖じ気づいた様子で見つめる。
リュミエールが双子に気づき、笑顔で手を振る。
「二人とも、人狼のままでも気にしないわ。ここは皆、仲良くやってるんだから」
双子は頷く。
「わん、わかった……わん」
双子はまだ食べる量は控えめだが、メイドたちが仕事や食事に励む姿を見て、安心感を覚える。
「それにね、二人が外で仕事するようになったら、私たちの役目が奪われるわけじゃないのよ」
リュミエールが微笑む。
「だから安心して、メイドとしての仕事を覚えてちょうだい」
マルグリットは目を輝かせ、尻尾を少し高く振る。
「そ、そうなんだ……わん!」
デルフィーヌも尾を揺らして笑う。
「わ、わたしたち……がんばる……わん!」
その後、双子は食事の列に並びながら、普段の自分たちの食べる量より多めの料理を皿に取る。
それでもリュミエールたちのような健啖ぶりには及ばず、驚きの声を小さく漏らす。
「えっ……こんなに……いっぱい食べるの……わん?」
「う、うん……すごい……わん……」
ペストーニャは傍らで微笑み、双子の肩に軽く手を置く。
「まあ、少しずつ慣れていくわん。食事も仕事も、焦らなくていいわん」
夕暮れの光が差し込む食堂の中、異形種の双子と健啖家の一般メイドたちの距離は、少しずつ縮まっていた。
互いに認め合い、笑顔で食卓を囲む光景が、ナザリックに静かな温もりをもたらす。
/*/ ナザリック地下大墳墓・メイド部屋/*/
双子のマルグリットとデルフィーヌは、今日も人狼形態のままペストーニャの前に並んでいた。
掃除、調理、雑務、そして礼儀作法――一つひとつを学び、少しずつ覚えてきた二人の動きは、初めてナザリックに来た頃とは比べものにならないほど落ち着いていた。
「ふむ……二人とも、よく頑張ったわん」
ペストーニャは満足そうに微笑み、尾を軽く揺らす。
「掃除も料理も、礼儀も覚えられたわん。今日をもって、正式に合格とするわん」
マルグリットは耳をぴくりと立て、尻尾を大きく揺らす。
「や、やった……わん!」
デルフィーヌも小さく「わん!」と応え、目を輝かせた。
ペストーニャは二人に揃ってメイド服を手渡す。
「これからはナザリックだけじゃなく、バハルス帝国の魔導国大使館でも仕事をしてもらうわん。服もそのままで人狼形態のまま大丈夫わん」
双子は服を受け取り、軽く尻尾を振りながら礼をする。
「は、はい……わん、やる……わん!」
「うん、がんばる……わん!」
ナザリックでのメイド教育を終えた双子は、今後は人狼形態のままでも礼儀作法や実務を学びつつ、外の世界――大使館での任務へと進むことになる。
異形種としての力を保持しながらも、理性を失わず、周囲と調和する生活が始まるのだ。
ペストーニャは最後に優しく微笑む。
「困ったことがあったら、いつでも戻っておいでわん。ナザリックは、二人の居場所でもあるわん」
双子は大きく頷き、希望に満ちた瞳で新たな一歩を踏み出した。
/*/ バハルス帝国・魔導国大使館/*/
朝の光が大使館の石造りの廊下に差し込む。
大使館の職員たちはすでに忙しなく動き、書類を運び、来客の応対に追われていた。その一角に、人狼形態の双子――マルグリットとデルフィーヌが静かに現れる。
「……ここが大使館ね」
マルグリットは少し緊張した面持ちで周囲を見渡す。耳をぴくりと動かし、尾を静かに揺らす。
「うん、人がたくさんいる……でも、大丈夫よね」
デルフィーヌも深呼吸しながら歩き、肩の力を抜く。
ナザリックで学んだメイド服を着ているとはいえ、人狼形態の姿は異彩を放つ。
しかし、大使館の職員たちは最初こそ驚いたものの、すぐに冷静に対応した。
「おはようございます、マルグリットさん、デルフィーヌさん。今日は書類整理と来客応対をお願いします」
「はい、わかりました」
「任せてください」
双子は尻尾を軽く揺らしながら、先輩メイドから教わった手順を確認する。
書類を運ぶ際には爪や牙が当たらぬよう細心の注意を払い、来客には落ち着いた声で丁寧に挨拶を行う。
「お飲み物はこちらになります。どうぞおかけください」
マルグリットは丁寧に托盤を差し出し、来客の視線を避けつつも自信を持って対応する。
「書類はここの棚に整理しておきますね」
デルフィーヌは手際よく紙を運び、隅々まで確認して置く。
先輩メイドのリュミエールが微笑む。
「二人とも、とても落ち着いているわ。人狼だとは思えないくらいね」
昼が過ぎる頃、双子は初めての大使館勤務を無事に終える。
マルグリットはほっと息をつき、尻尾を軽く揺らす。
「ふぅ……なんとかうまくいったみたいね」
「ええ、少し緊張したけど、やり遂げられたわ」
デルフィーヌも安堵の笑みを浮かべる。
異形種でありながらも理性を保ち、礼儀と実務を身につけた双子の姿は、大使館の静かな廊下に小さな安心と信頼の光を灯していた。
/*/ ウルフ竜騎兵団・訓練場/*/
広大な演習地に、銀灰の人狼たちが突撃隊形を組み、風を切って駆け抜けていく。
ジェラールはその列の端で立ち尽くす。目の前で展開される突撃訓練――同じ異形種である人狼たちの猛々しい動き――を目にして、胸の奥に焦燥が湧き上がる。
「……俺の力じゃ、まだ足りないのか……」
日々の鍛錬は積んできた。だが、彼らの速度、力、連携の精度――すべてが自分とは違う。
理性を保ちつつ、本能を抑えてきた自分のスタイルでは、戦場の中で届かない。
ふと、隣を駆ける若い人狼が振り返り、ジェラールに向けて挑発めいた笑みを見せる。
その瞬間、何かが胸の中で弾けた。
「……もういい! 力を隠す必要なんてない!」
ジェラールは全身に漲る筋肉と爪、牙の感覚に意識を向け、心の奥に抑え込んでいた獣の衝動を解放する。
耳が立ち、尾が高く上がる。息は荒く、鋭い視線が周囲を捉える。
突撃隊の中で彼は一歩踏み出した。
風を切る感覚、地面を蹴る力――全てが自分のものだ。
誰の真似でもない、自分自身の力。
「これで、いいんだ……!」
突撃の列に加わり、ジェラールは自分の力を存分に発揮した。
荒々しい牙と爪の感覚、俊敏な足取り――それでも理性は保たれている。
仲間たちは最初こそ驚いたが、次第に彼を受け入れ、列の中で認める視線を送った。
「……やっと……俺も、この中で戦える」
ジェラールの胸に、初めての確かな自信が灯る。
周囲の人狼たちも笑みを浮かべる。突撃隊として互いを認め合う、厳しくも温かい空気。
ジェラールは心の中でつぶやく。
「力を隠す必要はない……俺は俺のままで、仲間だ――」
――その日、ジェラールは初めて、自分の異形としての力と本能を全面に出して、ウルフ竜騎兵団の一員として胸を張れるようになった。
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