オーバーロード~狼(以下略)~その他まとめ   作:ぶーく・ぶくぶく

133 / 396
夢と現実の境界を越えて

 

 

/*/ エ・ランテル・蒼の薔薇拠点 夜 /*/

 

 

ラナーとのお茶会を終えたラキュースは、その足で拠点に戻ると、さっそく仲間たちを呼び集めた。

テーブルの上に地図を広げ、両手をぱんと打ち合わせる。

 

「皆、聞いて! 下水道の横穴の探索依頼が来てるの!」

 

突拍子もない声に、ガガーランは早々に顔をしかめた。

「……なんだよ、また厄介なもん引っ張ってきたな。下水道だぁ? 都市伝説の温床じゃねぇか」

 

「そう思うでしょ? でもね、依頼主は――至高の御方よ」

ラキュースは少し声を落として言う。

 

その名を聞いた途端、室内の空気が凍りついた。

イビルアイは椅子の背に深く沈み込み、声を震わせた。

「……冗談、でしょう。あの御方が下水道ごときに興味を持つなんて……」

 

ティアとティナも顔を見合わせる。

「……普通じゃない」

「……絶対に何かある」

 

ラキュースは身を乗り出して語気を強めた。

「そうなのよ! ただの水路調査じゃない。御方が“どこに繋がっているか予想している”ってラナーが言ってたわ。ね、想像してみて! 地下の闇の奥に、未知の世界が広がってるのよ!」

 

ガガーランは額を押さえ、ため息をつく。

「また始まったな……未知がどうの浪漫がどうのって。いいか、ラキュース、危険の匂いしかしねぇんだぞ」

 

イビルアイも机を叩いた。

「そうよ! 横穴の噂を聞いたことがあるわ。調査に向かった冒険者が何人も戻ってこなかったって。下水道の闇なんて、得体の知れない怪異の巣窟よ。脳缶にされるどころじゃ済まないわ!」

 

だがラキュースの瞳は、夢見る少女そのものだった。

「だからこそ行く価値があるのよ! 未知を求めるのが冒険者でしょう? 私たちなら必ず真実に辿り着けるはず!」

 

ティナが肩をすくめる。

「……ほらきた、浪漫病」

ティアも小さく頷いた。

「……治らない」

 

ラキュースは仲間たちの呆れ顔をものともせず、さらに言葉を重ねる。

「考えてみて。御方の予想が本当なら……あの横穴は、ただの下水道じゃない。地底世界、あるいは――もっと外の世界に繋がっているのかもしれないのよ!」

 

その言葉に、誰もが一瞬だけ黙り込んだ。

確かに、それほどの存在が関心を寄せるならば、常識では測れない何かが隠されているのだろう。

 

沈黙を破ったのは、ガガーランの豪快な笑い声だった。

「はっ、仕方ねぇな! お前がそこまで言うなら、付き合ってやるよ。ただしだ、命は落とすな。未知との遭遇どころか、未知に食い殺されましたじゃ洒落になんねぇからな!」

 

イビルアイは頭を抱えた。

「本当に……胃がもたない。ラキュース、あんたが生きて戻れなかったら、蒼の薔薇はどうなると思ってる」

 

ラキュースはにっこりと笑みを浮かべた。

「大丈夫。皆がいるもの。未知の暗闇がどんなに恐ろしくても、私たちが力を合わせればきっと切り抜けられるわ」

 

彼女の言葉は、無責任にも聞こえるし、同時に心を奮わせる熱も帯びていた。

 

蒼の薔薇の仲間たちは顔を見合わせ、結局のところ深い溜め息をつくしかなかった。

夜の静寂の中、蝋燭の火がゆらめく。

その光は、地下に眠る未知の闇を思わせるように、不吉な影を壁に投げかけていた。

 

 

/*/ エ・ランテル・地下下水道 横穴探索 /*/

 

 

昼の光が街を照らす中、蒼の薔薇は下水道の入口に立っていた。冷たい石の匂いと湿気が鼻をくすぐる。ラキュースは両手を組み、目を輝かせながら横穴を見つめる。

 

「ついに来たわね! 未知との遭遇の舞台よ、皆!」

 

「未知との遭遇、か……胃が痛くなりそうだな」

ガガーランがぶつぶつ言いながら装備を整える。

イビルアイは杖を握り締め、静かに警戒の眼差しを横穴に投げる。

「油断は禁物よ。ここで何が待ち受けているかわからない」

 

ラキュースは地下の闇に向かって一歩を踏み出す。

「心配無用! 私たちがいる限り、どんな未知でも切り抜けられるわ!」

 

湿った空気に包まれ、足元の石床が滑りやすくなる。光は頼りないランタンの炎だけだ。ラキュースは好奇心に胸を膨らませ、先頭を進む。

 

「見て! 壁のひび割れ、まるで古代の模様みたい! これ、きっと何かの痕跡ね!」

 

ティアが眉をひそめ、低くつぶやく。

「……模様じゃなくて、ただの老朽化」

 

しかし、ラキュースは聞かない。進むたびに床の水たまりを軽やかに飛び越え、壁の苔や汚泥を指でなぞる。

 

「ねえ、あの暗がり……何か光ってる? ねえ、見える?」

ティナは懐中灯を差し出す。かすかな青白い光が、壁の奥にちらついた。

 

「……まさか、本当に何かいるのか?」

イビルアイの声に緊張が混じる。ラキュースは小さく笑みを浮かべた。

「怖がることはないわ! この冒険は、きっと新しい発見に満ちているのよ!」

 

横穴の奥、湿った岩壁に微細な模様が刻まれている。そこには、未知の鉱物が微かに光り、まるで誘うかのように輝いた。ラキュースはしゃがみ込んで指先で触れる。

 

「見て! この七色に光る鉱石! まさに未知の素材……!」

 

「……ま、まさか、この光景を御方も予見していたのか?」

ガガーランが息を呑む。ラキュースは興奮で体を揺らす。

 

しかしそのとき、不意に湿った床が軋み、低い唸り声が横穴に響いた。

「な、なんだ!? 待て、ラキュース!」

イビルアイが警告する。ラキュースは振り返り、笑みを崩さない。

 

 

/*/ エ・ランテル・地下横穴・夢幻郷接続点 /*/

 

 

湿った石壁が続く横穴の奥、蒼の薔薇は足音を抑えながら進んでいた。ランタンの光が微かに揺れ、壁のひびや苔を白く浮かび上がらせる。

ラキュースは胸を高鳴らせ、未知の冒険に心を躍らせていた。

 

「見て、あの奥……何かいるわ!」

ティナが手を止め、指さす方向には薄暗い影が蠢いていた。

 

突然、腐敗臭が鼻を突き、空気が重くなる。壁の奥から、低く喉を鳴らすような唸り声が響いた。

 

「……グール?」

イビルアイが息をひそめ、杖を握り締める。

「アンデッドじゃないかもしれない……動きが生々しい」

 

闇の中から、地底から這い上がってきたようなグールが現れた。黒ずんだ皮膚に覆われ、異形の手足には鋭い爪。空気を裂くような素早い動きで、地下霊廟に放置されていた遺体を食い荒らしていた。

 

「止めなきゃ……」

ラキュースは咄嗟に前に出る。彼女の魔法が閃き、青白い光が横穴の闇を切り裂く。

 

「気をつけろ! この速度……通常のアンデッドより遥かに危険だ!」

ガガーランが剣を抜き、素早く身を翻す。鋭い一撃でグールの足を狙うと、イビルアイとティナも連携して攻撃を加える。

 

グールは唸り声を上げ、鋭い爪を振るいながら応戦する。その動きは無骨でありながら、生々しい筋肉の動きと知性のある目つきが戦慄を誘った。

 

「や、やっぱりアンデッドじゃない……」

戦闘の最中、ラキュースは気づいた。骨の欠片を散らして倒れたグールは、生物の組織としての柔軟さを残している。冷たい死者の腐敗ではなく、息づくような異形の肉体だった。

 

数分の激闘の末、蒼の薔薇は全員で力を合わせ、グールを制圧した。息を切らせ、汗と埃で顔を覆いながら、ラキュースは倒れたグールを見下ろす。

 

「……生き物だったのね……」

ティナも声を震わせながら頷く。

「アンデッドじゃない。動きも知性もある……何処からか来た外来種なんだわ」

 

イビルアイは手元のランタンを揺らし、倒れた異形の体を確認する。

「これは、想像以上に危険だったな。下手に近づいていたら……」

「いや、ラキュースの判断で先に攻撃したおかげよ。危険度が高すぎる」

 

ガガーランは荒い息を整え、剣を鞘に収める。

「まったく、俺たちの知らない世界ってのは本当に底が知れねぇな……」

 

ラキュースは胸を張り、微笑みを浮かべた。

「でも、こうして未知に立ち向かうのが冒険の醍醐味なのよ!」

 

その背後で、倒したグールの影が横穴の壁に薄く揺れた。

倒してもなお、そこに存在していた“生きた異界”の残像は、蒼の薔薇の冒険者たちに深い戦慄と、次なる未知への期待を刻み込んだ。

 

湿った空気の中、蒼の薔薇は息を整え、再び奥へと進む決意を固めた。

未知の横穴はまだ、底知れぬ恐怖と発見に満ちているのだから。

 

 

/*/ エ・ランテル・地下横穴・最深部 /*/

 

 

蒼の薔薇は、狭く湿った横穴をひたすら進んでいた。

足元は滑りやすく、石や土の破片が足に絡む。ラキュースの後ろで、ガガーランは大槌を抱え、時折岩にぶつけて肩を痛めながら進む。ティナやティアも武器や杖が天井や壁に当たらぬよう、慎重に身を屈める。

 

「……まだ先があるのかしら」

ティナの声に、湿った空気が息苦しさを増している。

 

進むほどに、空気の感触が変わった。湿り気に混ざって、何か不思議で不気味な感覚が胸を押す。まるで、世界の境界を越えたような……得体の知れぬ圧力。

イビルアイが目を細める。

「……戻った方がいい。本能が、危険だと叫んでいる」

 

ラキュースは息を整え、頭を振った。

「でも、行くのよ……未知を目の前にして、引き返すなんて冒険者らしくないわ!」

 

その意思の力で、胸のざわめきに打ち勝ち、仲間たちはさらに奥へと進む。

足が重く、呼吸が荒くなる。何時間歩いたのか、感覚が麻痺してくる。時折大剣やハンマーの重みが腕を引き、疲労の限界を告げる。

 

「……もう、限界かも……」

ガガーランがうめく。しかしラキュースは振り返らず、歩みを止めない。

 

どれほど潜り続けたのか。暗闇と湿気の感覚が、時間の感覚を溶かす。やがて、胸の奥にかすかな温かさが差し込む。光――いや、それは光のような感覚ではない。

 

先を見ると、横穴の先に眩い光が差し込んでいた。

 

「……太陽?」

ティアの声が震える。確かに、頭上に広がる光は太陽そのものだ。

「……いや、大地を何時間も潜ってきたのに……」

ガガーランも目を見開く。

 

ラキュースは手を伸ばし、光の中に足を踏み入れる。すると、周囲の空間が一気に開けた。視界の先には、広大な大空が広がり、風が肌を撫でる。地下とは思えない、空気の軽さと自由な広がり。

 

「……ここは、地下じゃない……間違いなく……」

イビルアイも立ち尽くし、口を開けて光を仰ぐ。湿った石の匂いも、狭い横穴の閉塞感も、もはやどこにもない。

 

広がる世界。高く青い空。太陽の光が大地を包み、風が新しい息吹を運ぶ。

ラキュースは小さく息を吐き、笑みを浮かべた。

「やっぱり……未知を追い求める価値はあるのよ……」

 

仲間たちは互いに目を合わせ、言葉を失った。恐怖や不安が溶けたその先に、計り知れない発見の興奮だけが残った。

地下横穴の果てに、蒼の薔薇が見たものは、まさしく人知を超えた、開かれた世界の始まりだった。

 

 

「大丈夫、大丈夫! 未知との遭遇の一部よ!」

 

 

薄暗い横穴の奥、壁の影がゆらりと動く。蒼の薔薇のメンバーは息を潜め、次の一歩に神経を研ぎ澄ませる。

「未知……これが本物の未知……!」

ラキュースの声が、暗闇に吸い込まれていった。

 

その背後で、仲間たちは互いに視線を交わす。

「……また、ラキュースが先頭か……」

「……胃が痛い」

「……でも、きっと何か見つけるわね」

 

湿気と闇に包まれた下水道。そこには、都市伝説を超えた未知の世界が広がっていた。ラキュースの冒険心と、仲間たちの不安が混じり合う中、蒼の薔薇の探索は静かに、しかし確実に進んでいく。

 

 

/*/カリドーン/*/

 

 

蒼の薔薇は、長い洞窟を抜けると、ようやく外の光に包まれた。洞窟の冷たい石壁や湿った空気はもうなく、代わりに柔らかな風が頬を撫で、鳥の鳴き声が遠くから聞こえる。山の頂から足元を見下ろすと、眼下には広がる谷間に小さな街がひらけていた。瓦屋根や石畳の道、人々の姿まで見えるが、地上の世界と大きく変わるものはないように思えた。

 

蒼の薔薇はゆっくりと山を下り、木立の間を抜け、谷に広がる街へ足を進める。街の入り口に差し掛かると、子どもたちが走り回り、商人たちが声を上げて品物を売っていた。市場の香り、焼きたてのパンや果物の甘い匂いが、彼女の心をほっとさせる。

 

街の広場に立ち止まり、近くにいた老人に尋ねた。

 

「ここは……?」

 

老人は杖をつきながら笑った。

「おお、珍しい顔だね。ここはカリドーン。夢見人が迷い込むこともある、ちょっと特別な街さ」

 

通りすがりの人々も、彼女を興味深そうに眺めていた。

「夢見人かい? 最近じゃ珍しい存在だね」

「オルフィオンの王様も、夢見人だって噂に聞くよ」

 

その言葉に、蒼の薔薇の胸は微かに高鳴った。異世界の住人たちに自分の存在を認められたような、そしてこれからの道のりに何か大きな期待が待っているような、不思議な感覚だった。

 

広場の奥に見える石造りの建物の上には旗がはためき、王都としての威厳を漂わせている。蒼の薔薇はその方向へ、まっすぐ足を運んだ。夢見人としての旅の本当の始まりは、まさにここからだったのだ。

 

 

/*/オルフィオン

 

蒼の薔薇は広場を抜け、街の中心にそびえる石造りの王宮へ向かった。城壁の間をくぐると、庭園には色とりどりの花が咲き乱れ、小川のせせらぐ音が耳に届く。宮殿の扉は大きく重厚で、金色の装飾が太陽の光にきらめいていた。

 

門番に自分の名を告げ、夢見人として王に会いたいと申し出ると、門番は少し驚いた顔をしたが、やがて深く頷いた。

「夢見人……珍しい存在です。王もその噂を耳にしておられます。どうぞ、お入りください」

 

宮殿の中は静かで、天井の高い廊下には古い絵画やタペストリーが並んでいる。蒼の薔薇は緊張を抑えつつ、王の間へと案内された。

 

王の間に足を踏み入れると、王は静かに彼女を見つめた。その瞳には、どこか遠くを見つめるような深い光が宿っている。

 

「ここは、星が夢見る世界――夢幻郷とも、夢の国とも呼ばれます」

 

王の言葉に、蒼の薔薇は息を呑んだ。

 

「かつて滅びに瀕していた人類は、夢を手繰り、生き延びるためにこの地にたどり着いたのです。目覚めた世界からの来訪者は年々減り、今では目覚めた世界では人類は滅んだものと思われているでしょう」

 

王の周囲には、星座のように光る小さな装置や書物が並び、まるで世界そのものの記憶を留めているかのようだった。

 

「夢見人――あなたのような存在は、この世界において希少です。夢を旅する者として、あなたの力は我々にとって希望そのもの」

 

蒼の薔薇は静かに頷いた。目覚めた世界での記憶と、この夢の世界の現実が重なり、胸に熱い決意が芽生える。

 

「王様……私が、この世界でできることは何でしょうか」

 

王は微笑み、ゆっくりと手を差し伸べた。

「まずは、この世界の真実を知ることです。そして、夢を手繰る者として、未来を紡ぐこと――それがあなたに与えられた使命なのです」

 

蒼の薔薇の目に、遠い星々の光が映り込む。夢と現実、過去と未来が交差する場所――ここが、彼女たちの新たな旅の始まりだった。

 

王は柔らかく微笑みながら、蒼の薔薇に言った。

 

「街でゆっくりと旅の疲れを癒して下さい。心配はいりません。この地にいる限り、時の流れはあなた方に触れません。ずっと若さを保ったままいられるのです」

 

蒼の薔薇は驚きと安堵が入り混じった表情を浮かべた。

「……ありがとうございます、王様」

 

王は穏やかにうなずき、立ち上がると視線を遠くに向けた。

「旅の疲れを癒したら、またお話しましょう」

 

その言葉を最後に、蒼の薔薇は王宮を後にし、街の中を歩きながら宿屋を目指した。石畳の道を抜けると、木造の暖かい建物が目に入り、そこが今日の滞在先だと直感する。

 

宿屋に入り、木の扉を閉めると、外の喧騒から隔絶された静けさが広がった。小さなランタンの灯りが部屋を柔らかく照らし、暖炉の火がぱちぱちと音を立てる。疲れ切った体を椅子に沈め、蒼の薔薇は深く息をついた。

 

窓の外には、街の灯りがゆらめき、遠くには夜空に瞬く星々――夢幻郷の世界であることを改めて感じさせる景色が広がっていた。ここで少しの間、心と体を休め、次に訪れる王との会話に備えるのだった。

 

 

/*/宿屋

 

 

蒼の薔薇が宿屋の椅子に身を沈め、深く息をついたその時、イビルアイがふと顔を曇らせた。

 

「……ちょっと待て」

 

皆の視線が彼女に集まる。イビルアイは低く、慎重に言葉を選びながら続けた。

「王の言葉……“時の流れは触れず、若さを保てる”――これは、もしかすると……ここは死者の国かもしれない」

 

一瞬、部屋の空気が凍りつく。壁にかかるランタンの光が、揺れるたびに影を伸ばし、まるで静寂の中に潜む何かを示すかのようだった。

 

「死者の国……?」他のメンツが思わずごくりと唾を飲み込む。

 

イビルアイは唇を噛み、目を細める。

「もしそうだとしたら、この世界のものを食べたり、飲んだりしたら……戻れなくなる可能性がある。少なくとも、私たちが目覚めた世界に帰れるか、確認しておくべきだ」

 

慎重に指を動かし、〈転移〉の準備を整えるイビルアイの姿に、蒼の薔薇は胸の奥がひりつくような緊張を覚えた。

「……やるしかない」心の中で覚悟を決める。夢幻郷の静けさと美しさの裏に、もし死者の国のような危険が潜んでいるなら――先に進む前に確かめなければ。

 

静まり返った宿屋の一室で、仲間たちは互いの顔を見つめる。呼吸が徐々に揃い、緊張と決意が混じり合う空気が部屋を満たす。やがて深呼吸とともに、〈転移〉の準備が静かに、しかし確実に始まった。

 

 

/*/転移

 

 

イビルアイが慎重に呪文を唱え、指先に微かな光を集める。蒼の薔薇たちは息をひそめ、その瞬間を見守った。

 

瞬間、部屋の空間が軋むように歪み、光が周囲を巻き込む。風のないはずの空間に渦が生まれ、時空が微かに震えた。

 

「行け……!」イビルアイの声が響く。

 

次の瞬間、蒼の薔薇の視界は光に包まれ、足元がふわりと宙に浮く感覚――そして意識が静かに落ち着いた。無事、〈転移〉は成功した。

 

しかし周囲を見渡すと、そこはまだ見覚えのある夢幻郷の街ではなかった。冷たい石壁と湿った空気が漂い、かすかな風のようなものが、身体の奥にざわつく感覚を伝える。蒼の薔薇は瞬間的に思い出した――あの洞窟を降りた先で感じた、境界面の存在だ。

 

「……ここは……降り洞窟の、あの境界の手前……?」

 

仲間たちも同じ感覚を覚え、互いに顔を見合わせる。安全ではあるが、完全に夢幻郷に戻ったわけではない。境界面の微かなざわめきが、まだ五人の感覚をくすぐり続ける。

 

蒼の薔薇は深呼吸をひとつして、仲間たちに声をかけた。

「転移は半分成功か。だが……境界面は越えられないのか」

 

緊張を少し残したまま、彼らは周囲を改めて確認した。〈転移〉は成功したものの、夢幻郷と目覚めた世界をつなぐ境界の存在が、物語にさらなる不穏な気配をもたらしていた。

 

蒼の薔薇は決意を固めると、境界面を越えて再度〈転移〉を行い、無事にエ・ランテルの街へと戻ったのだった。

 

 

/*/エ・ランテル

 

 

〈転移〉の光が消え、蒼の薔薇たちは再び石畳の街に立っていた。肩の力がゆっくりと抜け、仲間たちは安堵の息をつく。

 

「やっと……戻れたか」ガガーランが小さく呟き、ほっとした笑みを浮かべる。

「危なかった……」イビルアイも肩の力を抜き、微かな震えを落ち着かせるように深呼吸した。

 

そのとき、ラキュースが目を輝かせて叫んだ。

「やったー! 夢幻郷はホントにあったんだ!」

 

その声に、仲間たちは思わず顔を見合わせ、苦笑する。

「お前、本気で喜びすぎだろ……」イビルアイが小さく呆れる声を漏らす。

「いや、まあ……生きて帰れた安心感もあるけどな」ガガーランも苦笑い。

 

ラキュースは周囲を見渡しながら、目を輝かせて付け加えた。

「ほら、王様の言った通り、時間も止まってるし、若いままなんだ! 本当に夢みたいだよ!」

 

イビルアイは微かに目を細めて呆れながらも、心の中で深く頷く。

「……確かに、喜ぶ気持ちは分かるけど……油断はできない」

 

蒼の薔薇は、夢幻郷での出来事を思い返す。王の言葉、境界面の感覚、〈転移〉の成功――すべてが現実と夢の狭間にあることを改めて意識させた。

 

「……夢幻郷はただ美しいだけじゃない。危険と未知が同時に潜んでいる」

「でも、戻ってこれた今だからこそ、次に進む道が見えてくる」蒼の薔薇は決意を胸に刻む。

 

夜風に揺れる街路樹の葉が、まるで未来の導きを示すかのようにざわめく。仲間たちはその静けさを受け止め、ラキュースの無邪気な喜びも背に、次章で待つ新たな冒険に思いを馳せるのだった。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。