オーバーロード~狼(以下略)~その他まとめ 作:ぶーく・ぶくぶく
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エ・ランテルの冒険者組合。
朝から、重々しい扉の外には長蛇の列ができていた。
「……なんだ、この数は」
受付嬢の一人が思わずつぶやく。
広間に入ってきたのは、ひ弱そうな若者や、杖を突いた老人、さらには子連れの母親までいた。
誰も彼もが「冒険者になりたい」と口々に訴える。
「次の方、登録理由をお願いします」
「えっと、その……蘇生の条件に調度三十って聞きまして!それなら冒険者で鍛えるしかないかと!」
「私もです!筋肉をつければ死んでも蘇るんでしょう!?」
受付嬢は頭を抱える。
「……冒険者は筋肉教室じゃありません」
組合の奥から、熟練の冒険者たちが顔を覗かせる。
「おいおい……今まで冒険者を鼻で笑ってた連中まで押し寄せてきやがったな」
「そりゃそうだろ。一度きりの蘇生を手に入れるには鍛えるしかない、って広場で熱狂してたじゃねえか」
若者の一人が勢いよく拳を握りしめて叫んだ。
「俺は!絶対に調度三十を超えてみせる!ビーストマンだって越えてやる!」
「俺もだ!死んでも蘇るんだろ!?怖くない!」
その叫びに、組合の空気は一層ざわめいた。
だが、銀級以上の冒険者が冷たく言い放つ。
「甘いな。お前らが想像してるのは“蘇生後”の話だ。実際の戦いは、その前に命を賭けるんだ」
一瞬、広間に沈黙が落ちる。
だが次の瞬間、また新しい志願者が駆け込んできた。
「遅れたか!?俺も登録頼む!」
「今ならまだ間に合うんだろ!?」
受付嬢は深いため息をつき、登録用紙を机に積み上げる。
「……こんな調子が続いたら、冒険者組合は訓練場と化しますね」
その一言に、熟練冒険者も苦笑を漏らすしかなかった。
/*/ エ・ランテル 冒険者組合 朝 /*/
組合本部の扉が朝からひっきりなしに開閉していた。
「次の受付はこっちだ! 順番を守れ!」
「私は鍛え直したいんだ! 体力試験はどこで受けられる!?」
「蘇生してもらえるんだろ!? 俺は死ぬ気で挑戦する!」
組合のホールは、人でごった返し、怒号と期待の声が入り混じる混乱状態。
机はひっくり返され、臨時の申請用紙は瞬く間に山積みになり、書記係の職員は泣きそうな顔で羽根ペンを走らせていた。
「お、おい……これ、俺たちの手に負えねぇぞ……」
「もう限界だ! 元組合長を呼べ! アインザックを呼び戻せ!」
混乱のさなか、半ば伝説めいた名前を呼ばれ、急ぎ駆け付けたアインザック。
扉をくぐった瞬間、目に映った光景に絶句する。
「……なにがおこってる」
若手職員が血相を変えて説明する。
「ほ、保険と戸籍制度の発表のせいです! 一度きりの蘇生機会を得るために、みんな冒険者になれば鍛えられると……! 蘇生の条件を満たすために、町の連中が雪崩れ込んできて!」
アインザックは額に手を当て、大きくため息をついた。
「馬鹿な……そんな簡単に銀級になれるはずがないだろう」
だが、諦めるわけにはいかない。
今やエ・ランテルは魔導国の直轄都市。組合の混乱が都市全体に響くのは避けねばならなかった。
「……いいか、聞け!」
アインザックの一喝が混乱の空気を切り裂く。
「まずは俄かに運動と簡単な訓練を課せ! 見込みのある者は本格的な育成コースに叩き込め! だが、蘇生の条件を満たせるだけの生命力を鍛えるには年月がかかる。今日明日でどうにかなると思うな!」
場が一瞬静まり返る。
群衆の中には落胆する声もあれば、逆に闘志を燃やす声もあった。
「そ、それじゃあ……! 俺は今日からでも鍛えるぞ!」
「俺だって! 死んで終わりなんて御免だ!」
「子供を守れる父親になるんだ! 蘇生の資格を得られるまで絶対やめない!」
混乱は収まらない。だが、それはもはや絶望の騒ぎではなく、希望を叫ぶ熱狂だった。
アインザックはその光景に胸の奥で苦く笑う。
「……まるで戦争前の徴兵騒ぎだな。だが、これを導いたのは魔導国か……人を死と生の境で走らせるとは、実に恐ろしい」
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――こうして冒険者組合は一夜にして「民衆鍛錬所」へと変貌を遂げ、エ・ランテルの日常は大きく揺れ動き始めていった。
/*/ エ・ランテル 冒険者組合臨時執務室 夜 /*/
乱雑に積まれた申請用紙の山。
かすれた声で部下に指示を飛ばしていたアインザックは、疲れ切った顔のまま椅子に沈み込む。
そこへ扉が開き、黒衣のジョンとアルベドが静かに入ってきた。
「……よう。遅くに悪いな」
ジョンが軽く手を上げると、アインザックは苦笑いで迎える。
「来てくれて助かる。いや、助からんか……正直、俺の手には負えん」
机を叩くようにして積まれた書類を示す。
「見ろ、この申請の山だ。冒険者希望者で押し寄せて、組合の廊下は朝から晩まで人間の波。『蘇生の条件を満たすために鍛えるんだ!』と叫ぶ若者ども、農民、商人……中には老婆まで押しかけてきやがる」
ジョンは肩をすくめ、アルベドは冷ややかな微笑を浮かべる。
「いいじゃないか、命を軽んじず、鍛える気概を持つ。悪いことじゃない」ジョンが言う。
「……気概があればな。だが現実は違う。筋肉痛で三日と持たず脱落する奴が大半だ。そもそも銀級相当の生命力――調度三十まで鍛えるなんざ、十年かけても達せるかどうか。なのに全員が『明日には蘇生可能になれる』と信じ込んでやがる」
アインザックは頭を掻きむしり、酒を欲しがるかのように乾いた喉を鳴らす。
「これは熱狂だ。まるで宗教の集団狂気だぞ。俺たちは冒険者組合じゃなく、神殿の神官にでもなった気分だ」
アルベドが楽しげに唇を弧にした。
「人心とはかくも容易く掌握できるもの。命を一度だけ救う、その約束で……皆、魔導国に縛られる」
「それが怖いんだ」アインザックは低く唸る。
「人の営みが、まるごとお前たちの掌の上にある……この熱狂が冷めたとき、俺たちはどうなる」
ジョンは少し考え込み、やがてぽつりと答えた。
「冷める心配はいらんさ。だって、死は誰にでも来る。だからこの熱狂は永遠に続く」
アインザックは顔をしかめた。
「……お前たちは、本当に恐ろしい支配者だ」
その呟きに、アルベドの黄金の瞳が愉悦を湛えて細められた。
/*/ エ・ランテル 冒険者組合臨時執務室 続き /*/
アインザックの愚痴を黙って聞いていたジョンが、ふっと笑みを浮かべた。
「……いい案がある」
「また怖ぇことを思いついた顔だな」アインザックが苦々しく言う。
ジョンは椅子に背を預け、指を組んで語り出した。
「基礎訓練課程を作ろう。――学校にしてしまえばいい。子供たちに読み書き計算などの基礎教育を与えつつ、同時に運動や訓練もさせて力をつけさせる。労働者の底辺全体を底上げできる」
「学校……だと?」アインザックが眉をひそめる。
「今までは人手を惜しんで子供を教育に行かせる親は少なかった。だが、蘇生の条件に必要な生命力を育てられるとなれば話は別だ。戸籍に登録したら魔導国民の義務として学校に通わせる。無償だ。さらに給食も出せば、親たちも文句は言わないだろう」
アインザックの口が半開きになった。
「……義務教育を、蘇生の条件と抱き合わせにするってのか?」
ジョンはあっさりとうなずいた。
「その通り。読み書き計算ができる労働者が増える。体力の底上げもされる。国家としては得しかない」
アルベドが艶やかに笑う。
「素晴らしいですわ。カルバイン様。義務と権利を巧みに結び付けることで、人々を強制ではなく自発的に従わせる。完全に魔導国に組み込まれることになるでしょう」
「教師はどうする?」アインザックが渋い顔で尋ねる。
ジョンは指先で机を軽く叩きながら言った。
「教師役にはエルダーリッチを派遣する。人間よりもはるかに正確で、眠らずに記録を取り続けられる。しかも不正を働かない。理想的な教師だろう」
「いやいやいや! 不死者を教師に!? 子供が泣き叫ぶぞ!」アインザックが頭を抱える。
「最初だけだよ。すぐに慣れるさ。子供は順応が早い。むしろ『不死者に教わった』っていう誇りを持つようになるだろう」
アインザックは絶句し、深いため息をついた。
「……本当に、お前たちは人を支配するのが上手すぎて恐ろしい」
アルベドが小さく笑った。
「恐ろしくとも、彼らは抗えません。死者蘇生という甘美な餌がある限り――」
ジョンは静かに頷いた。
「だからこそ、この制度は揺るがない」
部屋に沈黙が落ちる。
外の組合はまだ喧騒に包まれていたが、その夜、魔導国の未来を形づくる仕組みの原型が、静かに描かれ始めていた。
/*/ エ・ランテル 冒険者組合臨時執務室 /*/
アインザックはまだ信じられない顔で机を叩いた。
「だがよ……子供の教育だぞ? 普通は人間の教師を置くもんだろ!」
ジョンは首を振った。
「人間教師はダメだ。成長期の子供は、必ず誰かに憧れ、時に恋をする。教師に惚れる生徒が出れば授業の秩序が乱れる。あるいは、教師自身が人間なら誘惑に負けることもある」
アインザックは眉をひそめた。
「……確かに現場でそんな揉め事は多かったがよ」
アルベドが扇で口元を隠し、妖しく笑う。
「だからこそ、不死者なのです。感情に左右されず、恋愛沙汰にも巻き込まれず、ただ教育に徹する。完全無欠の教師」
ジョンは静かに続けた。
「エルダーリッチなら不変の存在だ。知識を正確に伝え、記録を取り、裏切らない。生徒たちもいずれ“尊敬すべき先生”として慣れる」
アインザックは額を押さえ、低く呻いた。
「……ますます人間の居場所がなくなっていくな……」
アルベドが微笑みながら囁く。
「逆でしょう。人間の子供たちは、不死者に導かれて正しく育つ。これほど幸運なことはありませんわ」
ジョンは力強く結んだ。
「人間教師は禁止だ。――学校は、未来を支える礎。私情を持ち込ませてはならない」
/*/ エ・ランテル 冒険者組合臨時執務室 /*/
アインザックは机に肘をつき、深いため息を吐いた。
「子供に不死者を教師? あまりにも人間味がなさすぎる……現場は混乱するだろうな」
ジョンはにやりと笑い、茶をすする。
「そんなに心配なら、カルネ・ダーシュ村の孤児院を見学に来いよ。結構うまくいってるぞ」
アインザックは眉をひそめる。
「孤児院? どんな教師を置いているんだ」
ジョンは軽く肩を竦め、わざとさらりと言った。
「犬頭のペストーニャと、快楽殺人鬼のクレマンティーヌだ」
室内に、一瞬凍り付くような沈黙が落ちた。
アルベドは目を細めて微笑むが、その笑みはどこか愉悦に満ちている。
「まあ……面白い取り合わせですこと」
アインザックは絶句した。
「お、お前正気か……!?」
ジョンはケラケラと笑い、カップを置いた。
「冗談半分だが、事実だ。だがな――子供たちは元気に学んでいる。ペストーニャは面倒見が良いし、クレマンティーヌは戦闘訓練の天才だ。結果さえ出せば、教師の素性なんてどうでもいい」
アインザックは頭を抱えるしかなかった。
「……魔導国の教育は、常識を逆さにしたところから始まるのか」
ジョンは笑みを浮かべ、まるで何でもないことのように言い放った。
「常識は死んだ。新しい世では、結果がすべてだ」
/*/ カルネ・ダーシュ村・孤児院 /*/
村の奥にある木造の建物の前で、アインザックは馬から降りた。
魔導国の庇護下にある孤児院。ここで本当に教育が行われているというのか……。
扉を開けた瞬間、子供たちの元気な声が飛び込んできた。
「はい、もう一回! もっと腰を落として! そう、それだ!」
広間では、金髪の女――クレマンティーヌが木刀を片手に立っていた。
彼女の顔には満面の笑み。子供たち相手だというのに、目は本気の戦士のそれだった。
「ほらほら! 死ぬ気で避けな! 遅いと木刀で叩かれるよ!」
ぱしん! と木刀が空を裂き、数人の子供が必死に転がって避ける。
だが泣き言は出ない。むしろ笑いながら立ち上がり、再び挑んでいった。
「……なんだ、これは」アインザックは思わず呟く。
奥から現れたのは、犬の頭を持つメイド服――ペストーニャ。
盆に給食を乗せ、鼻歌を歌いながら子供たちを呼んだ。
「さあ、授業の前に腹ごしらえですわん。今日は肉と野菜のシチューですよ……わん」
木刀を担いだクレマンティーヌが叫ぶ。
「ほら、飯の前に腕立て五十回! 腹が減ってるときにやると効くんだよ!」
「うわーっ!」と子供たちは文句を言いながらも地面に手をつき、必死に体を動かす。
やがて汗だくになった小さな顔が、シチューの香りに誘われて笑顔になる。
アインザックはその光景を呆然と見つめた。
確かに、教師は人間社会であれば受け入れがたい存在だ。
だが、子供たちの目は輝き、体は強くなり、学ぶ意欲に満ちている。
ペストーニャが穏やかな声で言った。
「彼らは孤児でしたが、今では家族のように支え合っています。わん。
力を付け、知識を得て、未来を切り開く。……それが魔導国流の教育ですわん」
アインザックは額に手を当て、深く息を吐いた。
「……狂気と理想が同居してやがる。だが……結果は、確かに出ているな」
彼の脳裏にはジョンの言葉がよみがえる。
――常識は死んだ。新しい世では、結果がすべてだ。
その時、訓練を終えた子供たちが駆け寄ってきた。
「おじさん! 冒険者の話をしてよ!」
「魔物と戦ったことあるんだろ!」
小さな瞳に好奇心と期待が宿っている。
アインザックは思わず苦笑し、子供たちの頭を撫でた。
「……ああ、話してやるよ。だが、真似するなよ」
孤児院の空気は不思議な熱気に包まれていた。
狂気の中に確かに芽吹く、未来の力――。
アインザックは、ここに魔導国の底知れぬ強さを見たのだった。
/*/ エ・ランテル・魔導国政庁舎 夜 /*/
アインザックは執務室の扉を開けると、深くため息をついた。
机に書類を並べていたジョンが顔を上げ、目を細める。
「おかえり。で、カルネ・ダーシュ村の孤児院はどうだった?」
アインザックはしばらく言葉を探した。
「……正直に言おう。狂気と理想のごった煮だ。だが、結果は出ていた」
ジョンは口の端を吊り上げ、愉快そうに笑う。
「だろ? ペストーニャは優しい奴だし、クレマンティーヌはああ見えて鍛え方は一流だ。
あいつらに任せりゃ、孤児だろうが何だろうが一人前に育つ」
アインザックは机に両手を置き、深々と身を乗り出した。
「だがジョンさん! 子供相手に木刀振り回して、転がして、泣かせて、それを飯で釣って……
普通の国なら大問題だぞ!」
「ふふ、普通の国ならな」ジョンは肩をすくめた。
「でも、魔導国は常識を葬り去ったんだ。
人間の教師を置いたら? 生徒が惚れる。派閥ができる。腐る。
だったら不死者か狂人を教師にすりゃいい。余計な色恋も、情けもない」
アインザックは言葉を失った。
だが脳裏には、確かに目を輝かせて訓練に励む子供たちの姿が焼き付いている。
あの眼差しは、未来への希望そのものだった。
ジョンは机の上の地図を指で叩く。
「基礎教育と基礎訓練、給食つきの義務教育だ。
子供たちを鍛え上げれば、底辺の労働力も、兵士も、冒険者も底上げできる。
なにより――『一度の蘇生』を現実のものにするには、みんな強くならないといけない」
アインザックは額を押さえた。
「……お前さん、どこまで先を見てるんだ。
俺は孤児院で未来の冒険者を見た気がする。だが、お前さんは国全体を見てやがる」
ジョンはわざとらしく笑って見せる。
「心配すんな。教育ってやつは、手を抜かずにやればどこだって形になるんだ。
あとは教師の狂気を受け入れられるかどうかだけだ」
アインザックは椅子に腰を落とし、深く息を吐いた。
「……まったく。魔導国じゃ、人材育成まで狂気に満ちてるのか」
だがその声には、恐怖と同じくらい、確かな期待も混じっていた。
/*/ エ・ランテル・魔導国基礎教育校・教室 /*/
アインザックは広間に並ぶ机と椅子を眺め、眉をひそめた。
「学校ってのは……結局、どこまで教えるんだ?」
ジョンは壁に掲げられた世界地図と古文書を指差し、軽く肩をすくめる。
「四則演算と九九、読み書き……それから、600年前に人が滅びかけたところから6大神に救われ、八欲王に大陸が制覇されるまでの一連の歴史で良いだろ」
アインザックは目を丸くする。
「……え? そこまで教えるのか? いや、歴史の大筋くらいならまだしも、細かい流れまで覚えさせるのか?」
ジョンは微笑みながら答える。
「その程度なら基礎教育だ。子供たちは歴史の流れを知ることで、自分の立ち位置や国の仕組みを理解できる。……それ以上の知識を欲する者は魔術師組合の方に行けば良い」
アインザックは額に手を当て、ため息をついた。
「なるほど……国民としての基礎教育か。それは分かるが、子供たちの好奇心と探究心を抑えつけるような気もしないか?」
ジョンはにやりと笑う。
「好奇心は大事だ。だが、まずは生き延びる力をつけさせないと、好奇心も知識も役に立たない。蘇生一回の保証があっても、命を守るのは自分自身だ」
アインザックは一瞬、言葉を失った。
その眼差しの先には、目を輝かせて前を向く子供たちの姿があった。
「……そうか。なるほどな、ジョンさん……」
ジョンは机の上で指を鳴らし、子供たちを眺める。
「よし、では授業開始だ。四則演算と歴史から基礎を固めるぞ。ついでに体力も鍛えて、冒険者としての基礎も一緒に作る」
アインザックは苦笑しつつも、胸の奥に少しだけ安心を覚えた。
「……この国の教育、狂気じみてるが、案外うまくいくかもしれんな」
子供たちの声が教室に響き渡り、基礎教育の第一歩が始まった。