オーバーロード~狼(以下略)~その他まとめ 作:ぶーく・ぶくぶく
/*/ ローブル聖王国・カルバイン様を称える会 訓練場 /*/
乾いた木剣の打ち合う音が響く。
炎天下の訓練場では、若き兵士たちが汗を飛ばしながら稽古に励んでいた。
その中央で指導に立つ男――教導官“ゼロ”。
鍛え上げられた体躯、無駄のない動き。彼の一声で、訓練場の空気は一変する。
その場に、一人の女性が歩み入った。
ヒルマ・シュグネウス。かつて〈八本指〉の幹部として裏社会に名を馳せた女である。
兵士たちの視線が彼女に集まる中、ゼロは木剣を下ろし、ゆっくりと振り返った。
「……まさか、あんたがこんなところで教導官なんてやっているなんてね」
ヒルマが唇の端を吊り上げる。
ゼロは一瞬だけ目を細め、静かに答える。
「そっちこそ、生きていたのか」
ふたりの間に、過去を共有した者同士だけが知る緊張感が走った。
「……警備部門に戻ってくる気はない?」
ヒルマが探るように声を落とす。
ゼロは軽く首を横に振り、背筋を伸ばした。
「今は更なる強さの高みを目指しているところだ」
「……そう」
ヒルマの瞳がわずかに揺れ、しかしすぐに笑みに変わる。
沈黙が一瞬だけ流れる。
訓練場の兵士たちは固唾を呑み、この二人がどういう関係なのかと胸をざわつかせた。
/*/ ローブル聖王国・訓練場裏の離れ /*/
訓練を終えた後、ゼロはヒルマを人気のない離れへと案内した。
木の扉を閉め、外の喧噪が遠のくと、ヒルマは真剣な眼差しで切り出した。
「……力を貸して欲しいのよ、ゼロ」
ゼロは黙って机に置かれた茶器を手に取り、少しの間を置いた。
そして懐から一通の封書を取り出す。
「……お前が来たら、これを開けろと言われていた」
蝋を割り、文面に目を通した瞬間――ゼロの眉がわずかに動いた。
「……訓練から零れ落ちた者を、片端からヒルマに託せ……だと?」
ヒルマは口元を吊り上げた。「あら、それは随分と親切なこと」
ゼロは深く息を吐き、紙を机に置く。
「確かに、訓練についていけず挫ける者はいる。理想と才能の乖離に苦しみ、捻くれていく者も……だが、それを裏社会に流せと? ただの敗残者を悪党に落とすのではなく、組織的に活かせと……」
言葉の先に、ゼロの動揺が滲んでいた。
聖王国の秩序を守るための「表の兵士」と、影を制御する「裏の徒」。
その境界線が、カルバイン様の意思で意図的に作られていると気づかされたからだ。
ヒルマは椅子に背を預け、妖艶に笑う。
「秩序を保つために、裏もまた必要ってこと。捨てられるはずの者を拾ってやるんだから、あんたも安心でしょ?」
ゼロは拳を握りしめ、しばし黙考した。
自分の教え子を、正義ではなく闇の道へ送り込む――それが正しいのか。
だが手紙の文末には、カルバインの署名と印。
「これは命令である」と明確に記されていた。
ゼロは目を閉じ、やがて開いた。
「……わかった。お前に預ける。だが、私の教え子たちを無駄に使うな」
ヒルマはにやりと笑みを深める。
「心配しなくてもいいわ。あたしは商売女よ。人材を粗末に扱ったりしない」
/*/ ローブル聖王国・訓練場裏 夜 /*/
夜の帳が降りる頃、訓練場の裏手。
人目を避けるように、ゼロは一人の青年を伴ってやってきた。
「……ここだ」
青年はまだ十七、八ほど。
粗末な鎧の肩紐は緩み、靴もまともに揃っていない。
目は泳ぎ、焦点が合わず、落ち着きなく指先を動かしていた。
「こいつは?」とヒルマが目を細める。
ゼロは短く答えた。
「名はディオ。訓練に耐えられず脱走を繰り返し、仲間からも浮いていた。だが力はある。扱い方を誤らなければ兵にもなる」
「……兵、ねえ」
ヒルマはゆっくりと青年の前に歩み寄る。
「お前、あんたの剣は何のためにある?」
ディオは言葉に詰まり、肩をすくめるだけ。
「戦いたいわけじゃ……でも、生き残りたくて」
ヒルマはくすりと笑った。
「いい答えじゃない。でも、悪党としては上等ね」
ゼロの眉がひそかに動いた。
ヒルマの言葉は冷酷でありながら、どこか現実に即していた。
彼のような者を無理に「正義の兵」として縛れば、いずれ裏切りや腐敗を生む。
だが、最初から「裏の駒」として活かすなら――
ゼロは拳を握り、言葉を飲み込む。
カルバイン様の意図がそこにあることを、改めて悟らされた。
「……こいつを任せる」
ヒルマは頷き、青年の肩に手を置いた。
「安心しなさい。あたしは商売人。あんたを無駄にはしない。生き延びるための場所は、ここよりずっと用意してあるわ」
ディオの瞳が不安げに揺れながらも、次第にわずかな光を帯びる。
行き場を失った者にとって、その言葉は甘美に響いたのだ。
ゼロはその姿を見届け、背を向ける。
「……ヒルマ。お前に預けた命、軽んじるな」
「わかってるわよ」
ヒルマは妖艶に笑い、青年を伴って闇の路地へ消えていった。
ゼロは一人、夜風の中で拳を握る。
「……これが、秩序の裏の形か」