オーバーロード~狼(以下略)~その他まとめ 作:ぶーく・ぶくぶく
/*/ ハバルス帝国・皇帝執務室 /*/
昼下がりの執務室。
豪奢なカーテンから差す陽光の下、ジルクニフは報告書を受け取った瞬間、顔色を失った。
「……蘇生、一人一回を……国民全員に?」
声が震えていた。
側近たちも同様に凍りつく。秘書官ロウネ・ヴァミリオネンが震える手で書類を読み上げる。
「魔導国では、国民総戸籍保険を導入し……生まれながらに一度だけ、安全な蘇生を受ける権利を付与すると……」
室内に沈黙が落ちた。
ジルクニフはこめかみを押さえ、頭を抱える。
「馬鹿げている……いや、馬鹿げているどころの話ではない。死すらも『保証』に組み込むのか……!」
ロウネが恐る恐る続ける。
「ただし……安全に蘇生を受けるには、冒険者で言うところの銀級相当の生命力が必要だと。つまり……ある程度の健康体でなければ、蘇生に耐えられない、という……」
「なるほどな」
ジルクニフは苦々しく吐き捨てる。
「だからか……国民が一斉に健康を目指し始めたと噂があったのは」
報告によれば、魔導国の子供たちは給食と学業、そして身体訓練を無償で受けられる。
栄養管理された食事。体系立てられた教育。幼少期からの鍛錬。
――すべてが、国民を「銀級の基礎体力」に導くための仕組みだった。
「……おのれ。人の欲望と心理を突きすぎている」
ジルクニフの拳が震える。
死の恐怖は、人が最も抗えぬ根源の弱み。
それを「国民一人一回蘇生」という形で保障し、しかも「健康であるほど有利」と条件を付ける。
――その結果、国民は自発的に鍛え、魔導国に従属していく。
「こんなこと……帝国では到底できぬ」
ロウネが声を詰まらせる。
「無償で学を与え、飯を与え、鍛錬まで施すなど……財政が持ちません」
ジルクニフは机を叩きつけた。
「財政? そんなもの、あの国には障害ですらない! 死者を蘇らせる国庫があるのだぞ!」
重苦しい沈黙。
帝国の誰もが理解していた。
これは単なる福祉政策ではない。
――人の「死」という究極の恐怖を手綱に取り、国民を家畜のように囲い込み、従わせる。
魔導国の冷酷にして悪辣な支配の一端が、ここに露わとなったのだ。
ジルクニフは額に汗を滲ませながら呟いた。
「……あれは、人類の支配者の器だ」
/*/ ハバルス帝国・皇帝執務室 /*/
報告を聞き終えたジルクニフは、椅子に深く沈み込み、長く息を吐いた。
「……魔導国は、死さえも統治の道具に変えてしまった。これに対抗する術が……我らにあるのか?」
重苦しい空気を破ったのは、秘書官ロウネだった。
「陛下……帝国には帝国なりの強みがあります。魔導国が全員を銀級に引き上げようとするなら、我々はさらに選抜を徹底し、精鋭を鍛え上げる方向に……」
「エリート教育か」
ジルクニフが腕を組む。
「確かに、すべての民を銀級にするなど財政が破綻する。だが、我々がすべきは“選ばれた者”を徹底的に鍛え上げること……」
ロウネが頷く。
「はい。国家を支える士官、官僚、兵士、その道を歩む者だけに資源を集中すれば、魔導国の“横並び”とは違う強さが得られるはずです」
しかし、ヴァミリオネンが口を挟む。
「ですが陛下……民衆の心はどうでしょうか? “魔導国では誰でも一度は蘇れる”と聞けば、帝国の庶民たちは――」
「羨み、怯え、揺らぐだろうな」
ジルクニフは苦々しく呟いた。
「……死の保証は、何よりも人の心を縛る。どれほど帝国が精鋭を育てようと、大衆の心は魔導国に向かってしまう」
誰もが沈黙する。
帝国の論理では、この悪辣な仕組みに勝つことはできないのだ。
やがて、ジルクニフは拳を握りしめ、静かに言った。
「ならばせめて、我らは“死に抗う強者”を育てるしかない。蘇りに頼らぬ、絶対の強者をな。魔導国の『保証』を超えるのは、英雄の実在しかあるまい」
ロウネと側近たちは一斉に頭を垂れた。
だがその胸中では、皇帝の決意がどこまで国を守れるのか、不安が渦巻いていた。
ジルクニフの指は、机の上でわずかに震えていた。
――死の保証に抗うというのは、もはや神に挑むことと同義だった。
/*/ ハバルス帝国・市街地 /*/
魔導国が「国民総戸籍保険」と「一人一回の蘇生保証」を掲げて以来、帝国の民は揺さぶられていた。
そして追い打ちをかけるように、妙な噂が広まり始める。
「帝国で蘇生が難しいのは、神殿の連中の信心が足りないからだってよ」
「やっぱりな。金を巻き上げて贅沢三昧、肝心の奇跡は起きやしない」
「魔導国じゃ子供の頃から鍛えて、神殿に頼らず蘇生できる。帝国の神殿なんざ、無能の象徴だ」
居酒屋の酔客から、街角の老婆の世間話まで、噂は雪崩のように広がっていく。
寄進は細り、神官に冷たい視線が浴びせられる日々。
だがその一方で――。
「皇帝陛下こそ真に我らを救ってくださるお方だ」
「神殿が堕ちても、ジルクニフ陛下がおられる。あの御方は”天位”を持つ英雄だ」
「天にも届く剣士の位を授けられたお方……陛下にこそ、信を寄せるべきだ」
市井では神殿を見限り、皇帝を讃える声が日に日に高まっていた。
/*/ 帝国・神殿本部 /*/
「け、けしからん! 全く根拠のない中傷だ!」
高位神官たちは顔を紅潮させて怒鳴り合うが、反論の声は次第に弱々しくなる。
「だが事実、蘇生は成功しておらぬ……」
「それは信者の心が薄いからだ!」
「違う! 民は神殿の私腹を肥やす姿を見抜いているのだ!」
若い神官たちの一人が小さく呟く。
「……魔導国が噂を流しているのでは」
その場を沈黙が支配した。否定する声は、誰一人として上がらなかった。
/*/ ハバルス帝国・皇帝執務室 /*/
ジルクニフは報告を受け、深く息を吐いた。
「やられた……。奴らは神殿の腐敗を突き、民衆の不満を煽っている。これは戦場ではなく、人心を奪う戦だ」
ロウネが険しい顔で続ける。
「ですが陛下、皮肉なことに神殿の失墜と同時に、陛下への信が日に日に高まっております。『天位』を持つ英雄皇帝として、民は貴方を精神的支柱と仰ぎ始めているのです」
ジルクニフは机に肘をつき、目を伏せた。
――自分の意思ではなく、魔導国の掌の上で。
だが確かに民は彼を讃え、”天にも届く剣士の位”を掲げる英雄皇帝として人気はうなぎ上りだった。
「……まったく。勝手に祭り上げられていくのは、これほど恐ろしいものか」
ジルクニフは苦笑したが、その胸の奥には冷たい戦慄が拭えなかった。
/*/ ハバルス帝国・市街地 市場 /*/
青空の下、賑わう市場。
野菜を並べる商人の声をかき消すように、民の噂話が飛び交う。
「神殿に頼んでも蘇生は叶わない。けど、陛下は違う」
「英雄皇帝ジルクニフ陛下――”天位”を持つお方だ。神殿なんぞより、よほど頼りになる」
「天にも届く剣士の位を授ける御方と聞いたぞ。あのお方こそ我らを導く英雄だ!」
老婆が孫の頭を撫でながら、にこやかに言う。
「勉学に励み、強き身をつくれ。そうすれば蘇生も叶う……陛下はそう教えてくださるのだよ」
子供は誇らしげに胸を張った。
/*/ 帝国軍兵舎・中庭 /*/
槍を手にした若い兵士たちが休憩の合間に談笑していた。
「なぁ、聞いたか? 魔導国のやり方を真似て、学舎に通えるようにするって噂」
「陛下が動いてくださるなら、俺らの弟や妹も学べるな」
「……もう神殿なんぞ要らねえ。俺たちには皇帝陛下がいる」
兵舎の壁に背を預けていた古参兵までもが、低く頷いた。
「民を守り導けるのは、腐った神官じゃなく英雄皇帝だ。俺は陛下のために槍を振るう」
/*/ ハバルス帝国・皇帝執務室 /*/
ジルクニフの耳に、その声が次々と報告される。
「市場の女たちは陛下を救世主と呼び、兵士たちは陛下に忠誠を誓い始めています」
ロウネが苦々しく言葉を継ぐ。
「神殿勢力が落ち込む一方で、民の信仰がすべて陛下へと集まっている。まるで魔導国がそう仕向けているかのように……」
ジルクニフは窓の外を見やり、強張った笑みを浮かべた。
「……祭り上げられていくな。だが、これは剣よりも恐ろしい。人の心を握る者こそ、この時代の勝者だ」
彼の名は、神殿の威光を覆い隠し、帝国民の胸に新たな象徴として刻まれようとしていた。
/*/ ハバルス帝国・皇帝執務室 夜 /*/
燭台の炎が揺れる執務室。ジルクニフは机に置かれた地図を睨みつけ、ロウネや腹心の者たちと密談を続けていた。
「魔導国は、我が名を利用して民を煽っている。ならば――逆にそれを利用するまでだ」
ジルクニフの声は低く、しかし揺るぎなかった。
「……と申されますと?」ロウネが目を細める。
「”英雄皇帝ジルクニフ”という偶像を徹底して育て上げる。神殿の失墜で生じた空白を埋め、民衆の信仰を私に向けさせる。魔導国が火を点けたのなら、その炎を我がものとするのだ」
ロウネは思わず息を呑む。
「陛下……それはまさに、帝国を超える象徴に」
ジルクニフは薄く笑った。
「象徴で良い。民が信じ、心を委ねるのなら、私はその幻想を演じてやろう。剣士としての”天位”も、彼らを導く道具にすぎん」
書記官が震える声で言葉を添える。
「……ですが、あまりに目立ちすぎれば魔導国が警戒を」
ジルクニフは机上の杯を取り、一気に飲み干した。
「構わん。奴らが民の心を奪うのなら、我は帝国の魂そのものとなる。――魔導国よ、見よ。貴様らの悪辣な策謀が、帝国を逆に強くするのだ」
炎に照らされたその瞳は、もはや策士の影を超え、
人々に信仰される”英雄”の光を帯びつつあった。
/*/ ナザリック地下大墳墓 第九階層 作戦会議室 /*/
巨大な玉座の間に隣接する会議室。アルベドとデミウルゴスは、ジルクニフの動きを記した報告書を並べ、静かに言葉を交わしていた。
「……面白いことを思いついたものですわね、あの皇帝は」
アルベドが艶やかな笑みを浮かべる。
「神殿の腐敗を我々に暴かれ、代わりに自らを”英雄皇帝”として祀り上げるとは。民の信仰を自分に集めるなど、傑作だわ」
デミウルゴスは眼鏡を指先で押し上げ、薄い笑みを浮かべた。
「確かに、ただの傀儡で終わらせるには惜しい器です。己を偶像と化すその覚悟――普通の為政者にはできぬこと。ですが……」
彼は報告書を軽く叩きながら言葉を続ける。
「結局は魔導国が仕掛けた盤上の上。皇帝は”国民総戸籍保険”という制度に依存せざるを得ず、蘇生の恩恵を民に示すためには、必ず魔導国の枠組みに触れねばならない。いかに英雄を気取ろうとも、その根は我らに縛られているのです」
アルベドは小さく頷き、目を細める。
「つまり――英雄皇帝ジルクニフという虚像は、民衆をまとめるために便利な”飾り”にすぎない、ということね」
デミウルゴスが恭しく一礼する。
「ええ。彼を担ぎ上げれば、帝国民はより従順に魔導国の制度を受け入れる。皇帝自身がそれを推奨していると信じ込むのですから」
アルベドは唇に指を当て、楽しげに笑った。
「人の心は脆弱で操りやすい……本当に、至高の御方の大戦略には抜かりがないこと」
その笑いは、帝国の英雄皇帝が力強く民衆を鼓舞しているまさにその時、ナザリックの深淵から冷たく響いていた。
/*/ ナザリック・執務室/*/
ジョンはクリスタルモニターの前で、帝国の人気爆発ぶりを眺めながら呟いた。
「ジルクニフ大人気だなー。モモンガさん、ジルクニフをもうちょっと強化してきても良い?」
モモンガは椅子にもたれ、腕を組みながら苦笑する。
「あんた、戦闘ジョブしか強化できないでしょ。政治力や民心を操る力まで上げたら、帝国が吹っ飛びますよ」
ジョンは肩をすくめる。
「まぁ、確かに戦闘力だけじゃ民心は動かせないか……でもさ、もう少しだけなら、皇帝のカリスマとか強化してもバレないんじゃね?」
モモンガは冷静に首を振った。
「バレるよ。それに、政治的判断や外交能力を無理に上げたら、逆に国が混乱する。君は戦闘専門でいいの」
ジョンは少し残念そうに、しかし楽しそうに笑った。
「じゃあ、戦場での強さを少し増すくらいにしとくか。民衆の人気は自然の力に任せるとするか」
モモンガは納得したように頷き、机の上の資料に目を落とす。
「まあ、英雄は民衆に支えられるものよ。強化できるのは戦闘力だけで十分。あとは民心が勝手に作る“英雄”という名の幻影ね」
ジョンは笑いながらディスプレイに目を戻す。
「なるほどなー。戦闘力だけで帝国を支える英雄、か……面白いな」
こうして、ジルクニフの人気爆発は、ナザリックの執務室での軽口交わしと共に、静かに分析されるのであった。