オーバーロード~狼(以下略)~その他まとめ 作:ぶーく・ぶくぶく
/*/ ナザリック地下大墳墓 第九階層・ジョン私室 /*/
石造りの静謐な一室に、かすかな湯気と金属のきしむ音が漂っていた。
ジョンの机の上には銀色に光る奇妙な器具が置かれている。上部からは香ばしい匂いが立ちのぼり、じりじりと圧力が抜ける音が室内に広がっていった。
「ジョン様ぁ、それ、また新しい魔導具っすか? なんか変な匂いしてますけど」
ベッドに寝そべり、頬杖をついたルプスレギナが、犬耳をぴくりと揺らしながらこちらを見ている。
「魔導具じゃない。ただの器具だよ。〈マキネッタ〉って言ってな、湯の蒸気圧で豆を抽出する。いわば携帯用の小型抽出器だ。厨房ではエスプレッソマシンを使っているから、ルプーも
これは見たことがないだろうな」
ジョンは片手で持ち上げ、湯気の上がる取っ手付きの器具を示した。
香りはどんどん濃厚になり、部屋の冷えた空気に溶け込み、黒々とした誘惑を放つ。
「へぇー。嗅いだことない香りっすね。苦いのか、甘いのか、どっちなんです?」
「飲めばわかるさ」
彼はカップを二つ取り出し、器具を傾ける。
黒い液体が細い流れとなって落ち、陶器の底に深い色を広げた。
ほんの少量――だが、その一滴一滴に凝縮された濃度は、まるで液体の刃のように鋭い。
「おっと、ジョン様自ら淹れてくれるなんて。あたし、ちょっと感激しちゃうっす」
「君は普段、血の匂いの中でも笑ってるだろう? たまには違う香りで休んでもらわないとな」
ルプスレギナはからかうように目を細め、差し出されたカップを受け取る。
一口――口の中に広がった苦味に、耳がぴんと立った。
「んぐっ……! すっごい濃いっすね、これ!」
「それがいいんだ。香りと苦味が一気に覚醒を促す。疲れた頭には丁度いい」
ジョンは自分のカップを口元へ運び、静かに啜る。
熱い苦味が舌を刺し、鼻腔を駆け抜け、頭の奥まで透き通るような感覚を残していく。
このひとときだけは、戦略も策謀も遠くへ追いやり、ただ純粋な“味”に没入できる。
「ふふーん。なるほど、ジョン様ってば、こういう楽しみ方もするんっすね。ナザリックでも珍しい趣味じゃないですか?」
「そうだな。だが、誰にでも分けてやるつもりはない」
「特別ってことっすか?」
「そういうことだ」
ジョンの声は淡々としていたが、ルプスレギナは唇を吊り上げ、頬をほんのり赤らめる。
彼女の金色の瞳が、獲物を弄ぶ狼のそれから、一瞬だけ柔らかい光に変わった。
「じゃあ……この苦いの、クセになりそうっすね。血の味とはまた違って」
「中毒性があるからな。飲みすぎるなよ」
二人の間に沈黙が訪れる。だがその沈黙は決して重くなく、コーヒーの香りが空間を埋めることで心地よい間に変わっていた。
ルプスレギナはカップを揺らし、残った液面を覗き込む。
「ふふ……次は、あたしが淹れてみてもいいっすか?」
「構わない。ただし手順を誤ると、ただの苦い湯になる」
「んー、それもまた一興っすよ?」
ジョンは苦笑しつつ、再びカップを口へ運んだ。
苦味の向こうに、確かな安らぎがある。戦場の喧騒や策略の渦中では決して得られぬ、ほんの刹那の平穏――それこそが、この小さな器具がもたらす贅沢だった。
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