オーバーロード~狼(以下略)~その他まとめ 作:ぶーく・ぶくぶく
/*/ 辺境遺跡・魂を喰らう影 /*/
地下回廊に沈黙が満ちる。
ラキュースが手にした探索記録を懐へ収めた瞬間――闇の中から低いざわめきが漏れ出した。
「……見た……ぞ」
空気が裂ける。冷たい光のない、粘液のような闇が天井から滴り落ち、形を持たぬまま膨れ上がる。
蒼の薔薇全員の心臓が同時に凍りついた。
「っ……これは……!」
イビルアイが咄嗟に防御障壁を張る。だが遅い。
闇は触手のように絡みつき、ティアとティナの影を縫いとめる。
ラキュースの腕からは力が抜け、まるで魂が抜き取られるかのように視界が白く霞んでいった。
「や、め……っ」
その声を呑み込むように、巨大な影が姿を見せる。
――旧き神、ヤンスデーン。
目はなく、無数の歯が円環を描いていた。
「魂……甘き……火……」
まるで千の囁きが重なったかのような声が響く。
次の瞬間、世界が震えた。
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「……っ!? なんだ、この異常な生命力は!」
夢幻郷の調査にカリドーンに滞在していたジョンは、〈生命力感知〉に引っかかった異常な波動に顔を上げた。
「でけぇ……魂の奔流……。ヤベェな、こりゃ」
即座に《ヨグ=ソトースの腕輪》を握り、空間に裂け目を走らせる。
「〈転移門〉ッ!」
眩い光の穴から飛び込んだジョンが、崩れかけた広間に躍り出る。
「お前か、魂狩りの亡霊!」
両腕を交差させると、左右の籠手が青と黄に輝く。
――《風神拳》、そして《雷神拳》。
「吹き飛べッ!」
轟音とともに二つの拳が炸裂し、烈風と雷光が奔流を巻き起こす。
光が闇を裂き、ヤンスデーンの巨体が断末魔をあげて後退した。
「……覚え……た……ぞ……」
呻くように呟きながら、その存在は黒い霧となって虚空に溶けていった。
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静寂。
崩れ落ちるラキュースを支え、ジョンは振り返る。
「間に合ったか……」
イビルアイは呆然と、その背を見つめていた。
無数の魂を喰らう化け物を、たった一撃で退けた存在。
――圧倒的な強さ。
――守ってくれた救いの手。
胸の奥に、得体の知れない熱がこみ上げる。
「……な、何なの……あなた……」
彼女の声は震え、頬は赤く染まっていた。
ラキュースたちはなお息を整えるのに精一杯だ。
だがイビルアイだけは、その場に釘付けになっていた。
(……こんな庇護者……私の全てを委ねられる存在……)
彼女の心に芽生えたのは、理性では制御できぬ衝動。
吸血姫の止まった心臓が高鳴るたび――「恋」という甘く危うい毒に蝕まれていった。
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蒼の薔薇はジョンと共に無事に帰還する。
だがこの日を境に、イビルアイの視線は常に、彼を追うことになった。
/*/ エ・ランテル・黄金の輝き亭 夜 /*/
宴も終わり、賑わいの余韻が残る酒場の一角。
蒼の薔薇の面々は長旅の疲れを癒すべく、テーブルを囲んでいた。
イビルアイは杯を手にしていたが、中身にはほとんど口をつけていない。
視線は自然と、店の中央で談笑しているジョンへと吸い寄せられていた。
豪放に笑い、店主と世間話を交わし、子供たちから呼び止められては肩車をしてやる。
その姿は、普段の無骨な戦士のものとは違い――奇妙なほど温かみを帯びていた。
――その背中を見ていると、胸が詰まる。
(どうして……。
私は人の命など儚くて弱いと知っている。
けれど……あの時、ヤンスデーンの腕から救い出してくれたのは――彼だった)
魂を抜き取られる寸前。
絶望の闇に呑まれかけた時、雷鳴のごとき拳が割り込んできた。
あの瞬間の眩しさと安堵は、今も瞼の裏に焼きついている。
「……っ」
気づけば、杯を握る手に力がこもり、わずかに震えていた。
ラキュースが隣で首を傾げる。
「どうしたの、イビルアイ? なんだか落ち着きがないように見えるけれど……」
「な、なんでもない!」
慌てて声を荒げ、視線を逸らす。
しかし心臓の高鳴りは収まらない。
(私は吸血姫、長き命を生きる魔導師。
こんな感情……無駄だと分かってるのに。
それでも――守られたあの瞬間、私は……恋をしてしまった)
黄金の灯りが揺れる中、ジョンの笑い声が響く。
イビルアイは小さく、誰にも聞こえぬほどの声で呟いた。
「……バカ。どうして、あんたなんかに」
そして、胸の奥に芽生えたざわめきは、もう隠しきれないものになっていた。
/*/ エ・ランテル・黄金の輝き亭 二階の客室 /*/
夜更け。
酒場の喧騒が階下に遠ざかり、二階の一室では蒼の薔薇の面々が寝る前の談笑をしていた。
イビルアイは窓辺に座り、頬杖をついて月を見上げている。
小さな肩が、どこか沈んだ影を背負っていた。
「……知ってしまった。あの人狼――ジョンには、既に伴侶がいると」
胸の奥に渦巻く痛みは、まるで鋭い刃で抉られるようだった。
しかもその相手、ルプスレギナ。
村で見かけたその女は、豊満な曲線を惜しげもなく揺らし、溢れる色香で周囲を圧倒していた。
「……」
思わず視線を自分の身体へと落とす。
細い手足。十二歳前後の少女の姿に封じられた、平らな胸。
比べるまでもなく――敗北は明白だった。
「どうして私は、こんな体なんだ……っ」
小さな拳をぎゅっと握りしめ、声を震わせる。
沈んだ空気を察したのか、仲間たちがちらちらと視線を交わす。
ガガーランが頭をかきながら、気まずそうに口を開いた。
「なぁ、イビルアイ。あー……その、胸とか尻の大きさが女の価値じゃねぇぞ」
ティナが慌てて続ける。
「そうそう! イビルアイは可愛いし、魔法の腕前だって凄いんだから!」
ティアも頷きながら、しかし不器用に言葉を探した。
「……小さいのは、護ってやりたくなる。……悪くない」
「お前ら……」
イビルアイは赤くなった顔を仮面の下に隠し、ぷいと横を向いた。
「べ、別に! 私は落ち込んでなんかいない!
ただ……ただ少し、腹立たしいだけだ! あんな……あんな色気で勝負する女なんて!」
強がる声に、仲間たちは苦笑し合う。
ラキュースがそっと肩に手を置いた。
「大丈夫。イビルアイはイビルアイのままでいいの。あなたはもう、私たちにとって十分に大切だから」
その言葉に、胸の奥の痛みがわずかに和らぐ。
けれど――夜空の月を見つめながら、イビルアイは心の中でそっと呟いた。
(……それでも。もし願いが叶うなら、一度でいい。あの背に、隣に、立ってみたかった)