オーバーロード~狼(以下略)~その他まとめ 作:ぶーく・ぶくぶく
/*/ カルネ・ダーシュ村・郊外 /*/
夕暮れ時。赤く染まる空の下、村の外れに広がる草原に、二つの影が対峙していた。
「……ルプスレギナ。今ここで勝負だ!」
イビルアイは震える声で叫ぶ。その手に握られた魔導書と杖は汗で滑り、胸の奥では自分でも制御できない感情が渦を巻いていた。
「へぇ? 急にどうしたんすか?」
ルプスレギナは余裕たっぷりに笑いながら、両手で巨大な聖杖を軽々と構える。その仕草ひとつさえ挑発的で、イビルアイの胸を締め付ける。
「理由なんて……わかってるでしょう……!」
怒鳴るように放たれた魔法弾が宙を駆ける。だが、ルプスレギナの身体に届く前に淡い光の障壁に弾かれ、火花のように散った。
続けて詠唱を走らせても、次々に防がれる。焦りで唇を噛みしめたイビルアイは接近戦に切り替え、杖を振るって突っ込んだ。
「ちいっ……!」
だが次の瞬間、巨大な聖杖が唸りを上げ、イビルアイの小柄な身体を軽く弾き飛ばした。地面に叩きつけられ、息が詰まる。
「……ふふん。なるほど。ジョン様に恋してるから、あたしに挑んだんすね?」
ルプスレギナの声が、あまりにも的確に核心を突く。
イビルアイの瞳が大きく揺れ、言葉が喉に詰まった。
「……な、何を……」
「隠さなくていいっすよ。見てりゃわかります。けどね――至高の御方の傍に仕えるなら、アンタの力じゃ全然足りない」
そう告げるや否や、ルプスレギナは高らかに詠唱を響かせた。
「第九位階魔法――朱の新星《ヴァーミリオン・ノヴァ》」
紅の大爆発が轟き、草原を薙ぎ払う。炎と衝撃が地を裂き、熱風がイビルアイを呑み込んだ。
直撃は避けられても、その威圧感と破壊の光景に、イビルアイの心は完全に折れた。
「……わたしは……もう、勝てない……」
膝をつき、握った杖ががしゃりと音を立てて落ちる。胸に込み上げるのは敗北の痛みではなく、失恋の痛み。
その時、ルプスレギナが歩み寄り、容赦なくイビルアイの仮面に手をかけた。
「……や、やめ――!」
必死の抵抗も虚しく、仮面は外される。
露わになったのは、12歳前後の少女の顔。涙で濡れた頬、絶望に揺れる瞳。
ルプスレギナはその表情を舐めるように眺め、満足げに微笑んだ。
「……いい顔っすねぇ。堪能させてもらったっすよ」
イビルアイは顔を伏せ、声にならない嗚咽を洩らすしかなかった。
敗北も、失恋も、すべてを悟らされたその場で――。
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紅い夕焼けがすっかり薄闇に溶けはじめ、燃え残るような余熱だけが漂っていた。
膝をつき、杖を取り落としたまま動けないイビルアイ。頬を伝う涙は、もう枯れそうだ。
「……もう……何もかも、終わりだ……」
胸の奥が焼け付くように痛む。敗北の痛みではない。自分の愚かさ、無力さ、そしてどうにもならない恋心。
小さく肩が震える。
だが、仮面を剥がされ晒された顔に、ふと熱いものがこみあげた。
(……いや……このままじゃ、駄目だ)
(わたしはまだ、立ち上がらなきゃいけない……!)
ガタリと音を立て、イビルアイは両手を地面につき、震える足に力を込めて立ち上がる。
小さな身体に似合わぬ決意が、その瞳に宿っていた。
「……それでも、立ち上がらなきゃ……! どんなに惨めでも、悔しくても、わたしはわたしを諦めない……!」
その姿に、ルプスレギナが目を細めて笑った。
「へぇ……絶望の底から立ち上がるっすか。御方が好きな表情っすねぇ」
聖杖を肩に担ぎ、挑発とも賞賛ともつかない声色で続ける。
「私は絶望に沈んでる表情の方が好みっすけど……」
イビルアイは荒い息のままルプスレギナを睨み返す。
「……わたしは、諦めない。何度でも立ち上がる」
ルプスレギナはくすりと笑い、杖の先で地面を軽く突いた。
「――10年待ちなさい」
「……10年?」
唐突な言葉に、イビルアイが目を瞬かせる。
「10年もすれば、至高の御方が育てている次世代が立ち上がってくるっすよ。
アンタに惚れる。アンタが惚れるバカものが出てくる。
至高の御方のなさる事を信じなさい」
イビルアイは唇を噛みしめたまま、しばし黙った。胸に差し込む言葉の一つひとつが、悔しさと同時に不思議な温かさをも運んでくる。
「……そんな日が……ほんとうに来るのかな……」
呟きながらも、その声にはさっきまでなかった力がこもっていた。
ルプスレギナは肩をすくめて笑う。
「さあ? でもね、絶望の底で這い上がろうとする奴にしか、道は見えないっすよ」
イビルアイは涙を拭き、もう一度、地に落ちた杖を拾い上げた。
その小さな背中には、敗北の影と共に、微かな光が宿っていた。
杖を握り直したイビルアイは、低く震える声で独り言をつぶやく。
「……10年か……」
小さな肩を揺らしながら、目は遠く、星空に向かっていた。
「その時、わたしは……もっと強くなって、あの御方の傍に立てる……!」
胸の奥に、まだ消えぬ恋心が疼く。
だがそれ以上に、今の自分にできること――守るべき者を守る力を身につける決意が、その心を支えていた。
「ルプスレギナが言った通り……至高の御方の采配を信じる。
そして、わたしは……絶望に沈むんじゃない。10年かけて、必ず立ち上がる……!」
イビルアイは握った杖を軽く振るい、風に乗せて自分の誓いを確認する。
紅い夕焼けが完全に消え、夜の帳が降りる中、彼女の瞳にはわずかながらも確かな光が宿っていた。
(……10年後――その時、わたしは――!)
その小さな誓いは、遠くから見守るジョンの存在を胸に刻みながら、やがて新たな戦いと成長の物語へと繋がっていく。