オーバーロード~狼(以下略)~その他まとめ 作:ぶーく・ぶくぶく
/*/ バハルス帝国 皇帝執務室 /*/
厚い緞帳に包まれた執務室の空気は、張り詰めた弦のように重苦しい。豪奢な机の上に広げられた一枚の羊皮紙――そこには、帝国の技術者が見たこともない奇怪な図面が描かれていた。
銃身、弾倉、そして下部には別の発射機構。異質な線画に走る銘文は、ジョンの筆致でこう記されている。
《USCMC制式採用 M41Aパルスライフル》。
「……これは」
ジルクニフは眉間に皺を寄せた。図面を凝視しても、その全貌を理解できない。
ジョンは軽く指で上部を叩き、言葉を添える。
「ここに第3位階魔法使いの〈魔法の矢〉をエンチャントする。下のランチャー部分には〈火球〉だ。数を揃えるのは難しいが……一挺あれば、オーガやトロールにも十分通用する魔銃になる」
「魔銃……」
ジルクニフの喉が、かすかに鳴った。
ジョンはさらに追い打ちをかけるように、淡々と告げる。
「ちなみに魔導国では、〈魔法遅延化〉を利用して――銃の方は九十連発。ランチャーは三連射可能なものを作った。……もっとも、材料の都合もあるから、そっくりそのままは難しいだろうがな」
言葉を失ったのは、皇帝であるジルクニフだった。
彼は鋭い頭脳で常に未来を読み、帝国の存亡を賭けた布石を打ってきた。だが――目の前の男は、まるで未来そのものを弄んでいるかのようだった。
魔導国は、こんなものを「惜しげもなく」開示してくる。
つまり――この程度の技術は、彼らにとって脅威にも秘密にも値しない。
ジルクニフの胸中に、冷たい戦慄が奔った。
もしこれがほんの氷山の一角ならば、その水面下に眠る叡智はいかほどのものか。
想像するだけで背筋が冷たくなり、同時に抗えぬ畏怖が心臓を締めつける。
「……魔導国は、どこまで先を見据えているのだ……」
かすれた声が、誰に聞かせるでもなく零れた。
その瞬間、ジルクニフは悟る。
帝国がいかなる足掻きを重ねようと、この“叡智”に追いつくことは叶わぬ――。
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ジルクニフは図面から視線を離せなかった。
銃身に刻まれた魔法回路の線を追うごとに、思考は暗い未来へと滑り落ちていく。
もし――この魔銃が、帝国軍に配備されたら。
否、帝国だけではない。農村の一隅に、兵ではない農民の手に渡ったらどうなる。
九十連射の魔法の矢。三連射の火球。
兵士が持てば部隊が一変し、農民が握れば翌日にでも人を殺す手段となる。剣や槍を扱う訓練など不要。握り、引き金を引くだけで命を刈れる。
――帝国軍など、紙同然だ。
ジルクニフは無意識に拳を握りしめた。胸の奥を、冷や汗に似たものが伝う。
ジョンはその様子を見て、口元にわずかな笑みを浮かべた。
「だからこそ、帝国に先行投資してやるんだ」
「……先行投資、だと?」
ジルクニフの声がかすれる。
「そうだ。民が皆、兵になる。農夫が戦士に、職人が兵士に。――そういう世界を想像してみろ」
ジョンの声音は淡々としていたが、その言葉が孕む意味は恐ろしく重かった。
ジルクニフの頭に稲妻のように閃く。
農民が人を殺せるようになれば、秩序はどうなる? 国家は? 帝国は? 戦争の概念すら変わる。魔導国は、そんな未来を当然のように見据えているというのか。
だからこそ、惜しげもなく開示しているのだ。
この程度では秘密にする価値すらない。魔導国の叡智は、さらにその先を行っている。
ジルクニフは深く息を吸い込み、吐き出した。
自分が「帝国皇帝」として築いてきた盤上は、既に根底から覆されようとしている――そう悟らざるを得なかった。
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ジョンの言葉は、執務室の空気を切り裂いたように静まり返らせた。
「それを恐ろしいと思えるお前だからだ。だから渡す。魔銃があれば人は生きていけるのだろ。人の知恵と生き様を見せてくれ──」
ジルクニフの瞳が、一瞬だけ揺れた。長年、国家の存亡を計り、人の死と秩序を秤にかけてきた男の顔に、幼子のような戸惑いが覗く。その戸惑いを、ジョンは冷ややかに、しかし真摯に見据えていた。暖炉の火がかすかに揺らぎ、図面に落ちる影がきしむ音を立てる。
「……なぜ、そうまでして渡すのか」
ジルクニフの声は震え、だが命じるように低かった。「それを与えれば、我が帝国は、あるいは全世界は変わる。秩序は崩れ、民は武装し、統治の意味すら変容する。お前ら魔導国は、その先に何を見るというのだ?」
ジョンは肩越しにちらりと笑った。笑顔は刃のように冷たいが、そこには確かな確信が宿っている。
「お前だから分かるだろう。恐ろしいと感じる者には、同時に痛みと可能性の両方が分かる。恐れない連中は、往々にして盲目だ。俺達は盲目ではない」
彼は机の上の図面を軽く押し、ジルクニフの前に押し出した。紙の上の銃は、ただの兵器の図ではなく、選択肢の象徴のように見えた。ジョンの声は更に静かに、しかし確固たる強さを帯びる。
「魔銃は道具だ。道具が人を殺すのではない。誰がどう使うかだ。お前は恐れ、慎重になるだろう。だからこそ、俺はお前に託す。お前が臆せずに決断するのなら、その決断がどのような知恵と生き様を導くか──見たいのだ」
ジルクニフは指で額の汗を拭い、長い息をつく。帝国の政策、徴税、徴兵、流通、治安維持の仕組みが頭の中で回転する。もし民が皆、即席に凶器を手に入れ得る世界が来るなら、法と秩序を維持するための器も変わらねばならない。だが、器を変えるには犠牲が伴う。犠牲は誰が負うのか。
「お前が言う『見せてくれ』の意味を、俺はどう解釈すれば良い」
ジルクニフは問いを投げる。問いは試験のようであり、あるいは乞いでもあった。
ジョンは僅かに目を細め、答えた。
「強制はしない。だが証明は求める。民をただの駒として消耗するのか、それとも民の知恵を引き出し、共に立つ術を見せるのか。お前の選択次第で、この兵器は解放にも抑止にもなる。だがな──」
彼は立ち上がり、窓の外、広がる帝都の微かな灯りを指差した。
「翌朝、農夫が人を殺せるようになった世界と、同じ朝にその農夫が家族を守る技術を手にした世界は違う。どちらを選ぶかは、お前達次第だ。見せてくれ、人の知恵と生き様を。お前が恐れるからこそ、渡すのだ」
ジルクニフは指先を図面に押し付け、ゆっくりと頷いた。震える掌には、決意とも妥協ともつかぬ何かが宿る。長い沈黙の後、彼は低く、だが確実に口を開く。
「受け取った。ただし──我が帝国は、試されるつもりだ。お前らの出した道具で、我々が何を為すかを。だが忘れるな、ジョン。もし我らがその重さに堪えられぬとき──お前らもまた、その刃を向けられる」
ジョンは短く笑い、そしてその笑みを消して皇帝を見返した。
「それでいい。力は示すべきものだ。真価は、その後に現れる。さあ、やってみろ。お前たちの知恵と、生き様を見せてくれ──」
窓の外、夜風が一枚の旗を揺らした。二人の影が机の上に重なり合い、世界の均衡はまた一つ、新たな軋みを刻み始めていた。