オーバーロード~狼(以下略)~その他まとめ 作:ぶーく・ぶくぶく
/*/ バハルス帝国 皇帝執務室 /*/
窓から差し込む陽光の中、ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスは一枚の報告書を広げていた。
そこに記されているのは、魔導国から流入した“肥料”と“石鹸”の実態調査。
「……ふむ。肥料を使えば、荒れ地でも収穫が三割増しになる、と?」
背後で控える文官が頷いた。
「はい、陛下。特に辺境地では顕著でございます。これまで貧しい小麦しか取れなかった土地で、豊かに実るようになったとか」
「兵站の安定は戦力の増強に直結する。……魔法をかけたわけでもないのに、か」
ジルクニフは眉を寄せた。
次に彼は石鹸の項目に目を落とす。
「石鹸によって、疫病や赤子の死亡率が低下している……。庶民どころか兵士たちの衛生状況まで改善されているらしいな」
「はい、陛下。兵営に配布すれば、病死者の大幅な減少が見込まれます」
ジルクニフの唇が皮肉げに歪んだ。
「王国の貴族どもなら笑い飛ばすだろう。だが帝国は違う。これは立派な軍事資源だ。魔導国は“石鹸の泡”で、戦場の勢力図すら塗り替えようとしている」
彼は椅子の肘掛けを指先で叩きながら、独り言のように続ける。
「兵糧も兵の健康も、すべて魔導国の手に握られる。軍事同盟の名の下に恩恵を受けるか、それとも独自に生産体系を築くか……。どちらを選んでも、あの国の影を避けることはできまい」
文官が恐る恐る尋ねた。
「……陛下は、魔導国の狙いをどうお考えで?」
「狙い? 決まっている。武力で国を圧すのではなく、生活を浸透させて支配する。剣で縛るよりも、石鹸で繋ぐほうが牢獄としては強固だ」
ジルクニフは報告書を閉じ、深くため息をついた。
「……まったく、魔導国とは恐ろしい。だが同時に、我が帝国が学ぶべきは“その効率性”だ。王国のように軽んじれば滅ぶ。利用できる限りは徹底的に利用し尽くさねばならん」
その目に宿る光は、畏怖と同時に、獲物を狙う猛禽のような鋭さを帯びていた。
/*/ バハルス帝国 皇帝執務室 /*/
重厚な扉が開き、陽光の中を颯爽と進む一人の男――ジョン。
その足取りには自信と余裕が満ち、執務室に控える護衛たちも一瞬、身を引いた。
「よっ、ジル。邪魔するぜ」
ジョンの声は軽く、それでいて押しの強さを感じさせる。ジルクニフは眉を上げ、椅子からゆっくりと体を起こした。
「……また貴様か――」
「そうそう。街道整備の話で来たんだ」
ジョンは手元の巻物を広げ、図面を示す。
「国境から帝都まで、うちで街道を整備してるんだよ。舗装は千年持つ石畳。ちゃんと手入れすりゃ千年単位で維持できるやつだ」
ジルクニフは巻物を覗き込み、目を細めた。
「……ふむ。確かに堅牢そうだが……なぜ、わざわざ我が帝国にその話を?」
ジョンは肩をすくめ、にやりと笑う。
「そりゃ簡単だろ。街道が整えば兵糧や物資の輸送が安定する。魔法なんか使わなくても物流が良くなって、軍の力が底上げできるんだ」
ジルクニフは椅子に深く腰を沈め、顎を突き出した。
「……民生のための舗装を、軍事国家である我が国が整備する意義は理解できる。だが……手間と費用が膨大だぞ」
「そのへんは心配すんなって」
ジョンは巻物を指で軽く叩く。
「作り方は俺らが教える。材料も工程も効率化済みだ。ジルんとこの技術者なら、魔導国の資材を使わなくても十分やれるさ」
ジルクニフは眉間にしわを寄せ、しばし沈黙する。
「……ふむ。物流改善か……民の満足度向上か……それが戦力に直結すると言うのか」
「直結するって。兵站が安定すれば戦略の幅も広がるし、疫病や飢えで戦力が減るのも防げる。つまり“文明的に勝つ”ってわけだ」
ジョンは軽く笑みを浮かべる。
「な? ジル、これで街道を整備しない理由はないだろ」
ジルクニフは腕を組み、眼光を鋭くしながらも、眉をひそめる。
「……むう……民生と戦略、どちらも合理的に見える。しかし我が国で、これほど大規模な道路整備を承認すれば、臣下どもが何を言うか……」
ジョンはにやりと笑い、巻物を軽く床に置いた。
「それはジル次第だな。でも物流改善の恩恵は、誰にも否定できない。せっかく帝国の力を底上げできる方法を、放っとくのは損だぜ」
ジルクニフは椅子に沈み、眉間の皺を押さえたまま、静かに息を吐いた。
「……なんという厄介な提案だ……。文明の利器で、軍事国家の皇帝までも悩ませるとは……魔導国の者は恐ろしい」
ジョンは軽く敬礼して笑う。
「恐ろしいって言われるのは褒め言葉だな。ま、決めるのはジルだし、好きにしてくれよ」
その背後で、護衛たちも思わず笑みをこらえた。
ジルクニフ――帝国の皇帝が、街道整備の軽口交じりの提案ひとつで頭を抱えるとは、誰も予想だにしていなかったのだ。
/*/ バハルス帝国 皇帝執務室 夜/*/
重厚な扉が閉じられ、執務室には帝国の重鎮たちが集まっていた。
大臣や将軍たちの顔には、警戒と好奇心が交錯する。ジルクニフは椅子の背もたれに深くもたれ、長い指を組んで考え込んだまま沈黙している。
「……陛下、あの街道整備の話は本当に有用なのでしょうか」
老齢の大臣が慎重に口を開く。
「兵站の安定は確かに重要ですが、帝国の財政と技術者を投入する価値があるかどうか……」
若い将軍が腕を組み、睨むように言った。
「国境警備や軍備増強の方が優先ではないか。民生の道路整備に膨大な予算を使うなど、戦争国家として失策では?」
ジルクニフは低く唸り、指を組んだまま答える。
「……我が国は確かに軍事国家だ。しかし、街道の整備により兵糧輸送の効率が上がれば、戦力を削ぐことなく増強できる。戦略上の利点は無視できない」
「……しかし、工事に必要な資材と技術は、魔導国の支援が前提ではないですか?」
別の大臣が眉をひそめる。
「帝国独自で整備可能とされても、膨大な人員と時間が必要でしょう」
ジルクニフは机を軽く叩き、声を鋭くした。
「魔導国の技術は参考にするだけで十分だ。我が技術者で改良すれば、帝国独自の方法でも対応可能だ。問題は民と軍の両立、そして臣下の理解だ」
重鎮たちは互いに目を合わせ、沈黙が続く。
その空気を破ったのは、ジルクニフ自身だった。
「……決めた。街道を整備する。国境から帝都まで、陛下の命令として実行する。兵站の安定、民生の改善、そして戦力の増強。すべてこの一手で狙う」
将軍たちが目を丸くする。
「陛下……!」
「戦略と民生の両立とは……恐れ入りました」
ジルクニフは目を細め、眉間に皺を寄せながらも小さく笑った。
「……ジョンの男、恐ろしい。文明の利器ひとつで、我が臣下どもまで悩ませるとはな」
老齢の大臣が息を吐き、静かに言った。
「しかし陛下、この決断が帝国をさらに強固にするでしょう。民も、軍も、街道が整えば利益を受ける」
ジルクニフは椅子に深く沈み、皇帝の威厳と同時に、微かな楽しみを口元に浮かべた。
「……よし。ならば、準備を進めよ。技術者、予算、そして兵士たち。すべて動員せよ。魔導国の石畳を、我が帝国の道にするのだ」
重鎮たちは深く頭を下げ、決意を胸に執務室を後にした。
ジルクニフは一人残り、窓の外に広がる帝都の光を眺めながら、思わず微笑む。
「……文明の利器ひとつで、国家の運命を揺さぶるとは……面白い」
その背後で、街道建設の未来図が静かに、しかし確実に動き出していた。
/*/ バハルス帝国 街道建設現場 /*/
帝都から国境まで伸びる街道の整備現場は、朝日を受けて忙しく動き出していた。
厚い石板が積まれ、土を掘る音、槌で石を打つ音、木材を運ぶ音が混ざり合う。帝国の技術者たちが腕まくりをして現場を指示する一方、ドワーフの土木部隊が石畳の敷設を指導していた。
「よく聞け、帝国の技術者ども! 石をただ並べるのではない。下地の砂利、排水の角度、石の組み方……すべて千年持つように計算されておる!」
長老ドワーフの声が響き、帝国技術者たちは息を飲む。
ジョンは巻物を広げ、設計図を指差しながら説明する。
「見てみろよ。角度はここで大体二度。雨水が自然に流れて、石畳が痛まないようになってる。ドワーフのみんなの指導があれば、この精度を保ちながら量産できるんだ」
若手技術者が困惑した顔で訊く。
「しかし、ジョン殿……こんな細かい角度まで計算して……我々の方法では精度が出せません!」
長老ドワーフがにやりと笑う。
「だからワシらが来たのじゃ。魔導国の千年持つ石畳は、技術の蓄積と経験の結晶。教えるのは一日で完璧にはできぬが、繰り返せば帝国の技術者も習得できる」
ジョンは腕を組み、現場を見渡した。
「だから帝国の兵士も技術者も一緒にやってもらうんだよ。みんなで作業すりゃ効率も上がるし、災害や戦時にも耐えられる街道になる。そうなりゃ兵糧の輸送も安定するだろ」
砂埃の中、帝国の将校たちも現場を見回す。
「……なるほど。これなら兵站が飛躍的に向上する。民生も守れる。しかも耐久性は千年……か」
長老ドワーフは肩を揺らして笑い、石を軽く叩いた。
「さあ、始めるぞ! まずは基礎の砂利敷きからだ!」
一斉に作業の号令がかかり、石畳の敷設が始まった。帝国の技術者たちは初めこそ戸惑いながらも、ドワーフの指導に従って手を動かす。
ジョンは巻物を抱え、満足そうに微笑む。
「これで帝国の物流も、魔導国式の千年石畳に守られるわけだな。街道が完成したら、戦略の自由度も民の生活も一気に変わるぜ」
ジルクニフ皇帝の目に、わずかに光が宿る。
「……文明の利器ひとつで、国家の力まで変わるとは……恐ろしいが、面白い」
砂埃と槌の音の中、帝国の新たな街道建設は静かに、しかし確実に進み始めていた。