オーバーロード~狼(以下略)~その他まとめ 作:ぶーく・ぶくぶく
/*/ エ・ナウイル 漁港兼交易港 /*/
「ここは……人が住んでるんだね」
港町へ足を踏み入れたぐりもあは、目を瞬かせた。これまで見学してきた北部の直轄領では、どこもかしこも無人の工場や農地にアンデッドが黙々と働いていた。それが当然の光景だっただけに、目の前の賑わいは異質だった。
魚を並べる商人、網を修繕する漁師、荷馬車で穀物を積む若者。香ばしい醤油の匂いが漂い、屋台からは焼き魚や団子の香りも混じる。人の声と潮風が重なり合い、街は活気に包まれていた。
「ああ、ここだけは特別さ」
ジョンは満足げに胸を張る。
「交易の都合上、人が暮らしてないと話にならないからな。だから移住希望者を募って、商人や漁師を呼び寄せたんだ。醤油の生産もここでやってるしね」
「醤油……」ぐりもあは喉を鳴らす。
エ・ナウイルの空気そのものが芳醇な香りを孕んでいるようで、思わず腹が鳴りそうになる。
「で、見てくれ!」
ジョンが大仰に手を広げ、視線を向けた先には一隻の大きな漁船があった。白木を基調にした船体は力強く、帆には大きく「釣れたか丸」と墨字が踊っている。
「……ツレタカマル?」ぐりもあは声を詰まらせ、思わず笑ってしまった。
「そう! 我が船、“釣れたか丸”だ!」
ジョンはどこか子供のように自慢げで、胸を叩いてみせる。
「これで釣りも素潜りもできる。捕った魚を醤油で頂く! これがまた最高なんだよ」
ぐりもあは船を見上げながら、呆れたように笑う。
「なんだか急に庶民的になったね」
「うまい飯は国の力だぞ!」とジョンは力説する。
「それに……」と声を潜め、少し得意げに続けた。
「この世界の海は淡水なんだ」
「……えっ?」ぐりもあは思わず二度聞きする。
「海が、淡水?」
「ああ。だから魚の種類もだいぶ違う。でも旨いぞ。塩は岩塩や魔法でどうにかしてるし、困らない。むしろ、発想の幅が広がったな」
ぐりもあはしばし言葉を失った。
「……さすが異世界。科学的に考えると頭が痛くなりそうだけど……でも、確かに面白い」
港町を吹き抜ける風は、淡水特有の澄んだ香りを運んでくる。その向こう、漁船の帆は力強く張られ、まるで「さあ出発だ」と呼びかけているようだった。
「ぐりもあさんも乗ってみるか? 釣りと素潜り、それから醤油漬けの焼き魚。こいつは最高だぞ!」
ジョンの瞳は子供のように輝いていた。
ぐりもあは苦笑しながらも、少し心が弾むのを覚える。
「……そこまで言うなら、付き合うしかないね」
こうして二人は、賑わいの漁港から、淡水の大海へと船出する準備を整え始めた。
/*/ 淡水の海・釣れたか丸 船上 /*/
「おおー! 風が気持ちいい!」
ジョンは大きく胸を張り、潮風ならぬ湖風を吸い込むように深呼吸した。
「……本当に海なのに、塩の匂いがしない……」
ぐりもあは船縁に立ち、真下を覗き込んだ。透き通った水の中を銀色の魚影が群れを成して泳いでいる。その光景は確かに海のようだが、鼻腔に塩の刺激はなく、むしろ山間の湖の清澄さが漂っていた。
「な、面白いだろ? これが淡水の海だ!」
ジョンは満面の笑みで、太い釣竿をぐりもあに手渡す。
「さあ、投げてみろ!」
「……えっ、僕もやるの?」
「当然だろ! 釣れた魚をその場で食うのが最高なんだから!」
半ば強引に竿を握らされたぐりもあは、仕方なく仕掛けを放り投げる。水面に小さな波紋が広がり、沈んだ餌の周りを魚影が蠢いた。
「……お?」
「引いてるぞ! ぐりもあさん、合わせろ!」
言われるがままに竿を引き上げると、銀色に輝く魚が水を跳ねて姿を現した。大きさは手のひらほどだが、背に縞模様が走り、肉厚で美味そうな一匹だ。
「す、すごい! 一発で釣れた!」
「ははっ、淡水の海は豊漁だからな。さあ、もっと釣るぞ!」
ジョンの豪快な笑い声とともに、船上では次々と魚が釣り上げられていく。ぐりもあも気付けば夢中になり、童心に返ったような笑みを浮かべていた。
やがて十分な量が揃うと、ジョンは素潜り用の縄を腰に巻いた。
「よし、今度は俺が潜ってくる。ぐりもあさん、ちょっと待ってろ!」
そう言って海へ飛び込み、しばしの後、大きな淡水エビや貝を抱えて水面から現れる。滴る水を払いながら船に上がるその姿は、まるで野生の漁師王のようだった。
「ほら見ろ、こいつが淡水の恵みだ!」
「……いや、本当に万能すぎるよジョンさん……」
やがて船上に簡易かまどが設けられ、ジョンは手早く料理を始めた。
まずは釣り上げた魚を手際よく捌き、串に刺して炙る。その上から黄金色の醤油をたらすと、じゅわっと音を立てて香ばしい匂いが広がった。
「ぐりもあさん、焼きたてをどうぞ」
「……い、いただきます」
恐る恐る口に含むと、淡水魚特有の淡白な身に、醤油の深い旨味が染み込み、舌の上で弾ける。柔らかいのに脂が乗っていて、後味にほんのり甘みが残る。
「……う、うまい! こんなの反則だ!」
「だろー! 釣ったそばから食うのが最高なんだよ!」
続いて淡水エビの素揚げ、醤油で煮付けた貝、さらに魚の切り身を醤油と香草で和えた刺身まで振る舞われる。
ぐりもあはすっかり無心になって食べ続け、気付けば皿は空になっていた。
「……はぁ、まさか勉強のつもりで見学に来たのに、こんなご馳走を食べることになるなんて……」
ジョンは葉巻を咥え、満足げに煙をくゆらせた。
「いい空気といい飯、それが一番の贅沢だろ? ぐりもあさんも分かってきただろう」
淡水の海を吹き抜ける風の中、ぐりもあは心から笑みを浮かべた。
「……うん。これなら、呼んでくれても良かったかもね」
二人を乗せた釣れたか丸は、澄んだ波を切りながら、ゆるやかに航路を進んでいった。
/*/ エ・ナウイル交易港・積み荷所 /*/
潮風に混じって、荷車の軋む音と商人たちの呼び声が響き渡る。港町エ・ナウイルでは、日々多種多様な品が陸路と空路を駆け巡っていた。
「荷馬車の準備は整ったぞ! 山越えの街まで二日で届ける!」
頑丈な荷車に樽を積み込む声が響く。陸送は最も安価で確実な方法だ。干物や穀物、保存の利く織物や木工品など、時間に左右されない商品は大抵こちらを利用する。ぐりもあは、荷馬車が列をなして動く様子を眺め、地図を頭の中で重ね合わせながら小さく感嘆した。
「ふむ……確かにコスト効率は高い。安定性も抜群だな……」
空を見上げると、翼の影が幾筋も港を横切る。鎧に身を包んだワイバーンライダーたちが旋回し、荷物を運んでいる。
「通常航空便……なるほど、時間短縮と盗賊リスクの軽減を両立させてるわけか」
ぐりもあは目を輝かせる。保存が利かない青果や薬材がこの方法で次々と輸送される様子を、まるで実験装置を観察するかのように興味深く見つめた。
さらに頭上を覆うように舞い降りるのは――シャルティア率いる無限航空隊だ。真紅の竜種が編隊を組み、魔法で保冷された樽や箱が背に固定されている。鮮魚や搾りたての醤油、高級酒や生花など、鮮度が命の商品を瞬時に目的地へ運ぶための究極の空輸システムである。
「……すごい……これが無限航空便か……!」
ぐりもあは息を呑んだ。翼の影と魔法の保冷装置、整然とした隊列。商業物流の合理化と魔法技術の融合――まるで実験装置の完成形を目の当たりにしているかのようだ。
商人たちは資金と商品の性質に応じて便を選ぶ。ぐりもあは帳簿を手にするかのように目を細め、口元に微笑みを浮かべる。
「鮮魚は無限航空便か……なるほど、腐敗リスクをゼロに近づけるわけだ。陸送で安く上げられるものと使い分けてる……合理的すぎる」
「この布地は陸送で十分か。薬草はワイバーンに頼もう……なるほど、各便の特性を正確に見極めて使い分けてるんだな」
ジョンは港の喧騒を見渡し、にやりと笑う。
「ぐりもあさん、分かってきただろ? 人も物も、生き物みたいに循環してる。この港はもう止まらねぇ」
ぐりもあは感心の色を隠せず、メモを取りそうな仕草をしながら頷いた。
「……ああ、本当に……この規模の物流ネットワークを魔法でここまで最適化してるなんて……まるで都市全体が一つの生態系みたいだ」
港の上空を、三種の輸送網が縦横無尽に飛び交い、陸上では荷車が隊列を作る。すべてが有機的に連動して、都市と交易を生き生きと動かしていた。
/*/ エ・ナウイル市場・積み荷受け渡し場 /*/
港の一角では、無限航空便で運ばれたばかりの鮮魚や搾りたての醤油が次々と荷揚げされていた。魔法で冷却された箱からは、まだ水滴がしたたる魚や香り立つ醤油樽が姿を現す。商人たちは早速、箱を開けて鮮度を確認し、取引の準備に入る。
「この鯛、鮮度は抜群だな。昨日の深夜に獲れたとは信じられん!」
「搾りたての醤油も、香りが違う。これなら遠方の都まで運んでも品質は落ちないぞ」
ぐりもあは目を見張った。
「……なるほど、これが無限航空便の威力か。届いた瞬間、鮮度も品質もほぼ損なわれていない……これは本当に画期的だ」
商人たちは箱の中身を見比べ、値段の交渉を始める。箱単位で取引されるため、迅速かつ正確な判断が求められる。ぐりもあは観察しながらメモを取る手を止めず、目を輝かせた。
「配送手段の差でここまで価格が変わるのか……輸送効率とリスク管理の可視化がここまで明確になっているとは……」
「おい、この鮮魚はどうだ?」
「無限便か? ならこの価格でどうだ」
「それじゃあ、俺の醤油とセットで買い取れないか?」
ジョンは少し離れた場所で、笑みを浮かべながら市場を見渡していた。ぐりもあに向かって声を掛ける。
「見ろ、ぐりもあ。商人たちは資金と商品、そして輸送便をうまく組み合わせて、最適な取引をしてるんだ」
ぐりもあは頷く。
「うん、理論通りに市場が回ってる……この規模で、魔法を利用した輸送のメリットがここまで明確に出るとは。驚きだ」
ジョンは釣れたか丸の船上で得た醤油や魚を、すぐ近くの屋台で商人たちと交渉する光景を指差す。
「見てろ、ここで値段交渉が決まる。品質の差と輸送スピードで価格が変わる。無限航空便は鮮度重視、通常航空便はコストと時間のバランス、陸送は安価で大量運搬。全部、うまく使い分けてるんだ」
ぐりもあは感心しきりで目を丸くした。
「なるほど……魔法と経済の融合がここまで自然に機能しているなんて……これなら誰も文句は言えないわけだ」
港の喧騒の中、魚や醤油、各種商品が三つの輸送網によって効率よく分配され、商人たちの声と笑い声が入り混じる。ぐりもあは胸の奥に小さな興奮を感じながら、目の前の光景を余すところなく観察していた。
/*/ エ・ナウイル交易港・無限航空便集積所 /*/
無限航空便で運ばれた鮮魚や搾りたての醤油を見ながら、ぐりもあはふと空を仰いだ。編隊を組んで旋回するレッドドラゴンたちの瞳が、確かに真っ赤に光っているのに気づく。
「……ところで、無限航空便のレッドドラゴン、目が赤かったけど……まさか……」
ぐりもあの声には、驚きと少しの恐怖が混じっていた。
ジョンは肩をすくめ、淡々とした口調で答える。
「どうにも反抗的で、言うことを聞かなかった奴らを3匹ほど、シャルティアに吸血鬼化させたんだ」
ぐりもあは目を大きく見開いた。
「えっ……吸血鬼に……!?」
「そう。シャルティアが物流だけはアンデッドがいなくてボトルネックになってるって悩んでたんだ。それで、反抗的なドラゴンを数匹アンデッド化して、物流力の補強に回したってわけ」
ジョンは手を広げるように、淡々とした大人の余裕で説明した。
ぐりもあは思わず後ずさり、手を頬に当てる。
「ええー……ひくわー……」
港では無限航空便の作業が淡々と続く。赤い瞳を光らせるレッドドラゴンが、冷却魔法で鮮度を保った樽を次々と運ぶ。吸血鬼化されたアンデッドドラゴンは、昼夜を問わず休むことなく作業をこなすため、商人たちも安心して荷を任せることができる。
ぐりもあは思わず息を呑む。魔法とアンデッド、そして商業物流の合理性が、ここまで非情な形で結びついているとは想像もしていなかったのだ。
「……すごすぎる……物流だけでこんなに徹底されてるなんて……」
ぐりもあの瞳は、驚きと恐怖、そして感心が入り混じった輝きを宿していた。
ジョンは笑みを浮かべ、港の喧騒を眺めながら言った。
「まあな、物流に手を抜く奴は、この世界じゃ生き残れねぇってことだ」
無限航空便のドラゴンたちが、空から次々と荷を運び下ろす。赤い瞳のアンデッドドラゴンは、昼夜を問わず正確に仕事をこなす。港の商人たちは慌ただしく荷を受け取り、値段交渉を続ける。ぐりもあは、その光景をただ呆然と眺めるしかなかった。
/*/ エ・ナウイル港・陸路輸送区 /*/
ぐりもあが無限航空便のアンデッドドラゴンに驚ききっている横で、ジョンは肩をすくめて笑った。
「まー、陸便もアンデッドだけの便あるから、それ使うと割と速いよ」
ぐりもあは首をかしげる。
「陸路で……アンデッドだけの便?」
ジョンは港の一角を指さす。列をなす荷車の横には、鎧に身を包んだデスナイトたちが堂々と立っていた。
「そう。デスナイトが護衛についてるから、盗賊も魔獣も怖くねぇ。陸路で普通の人間が運ぶより、むしろ速いくらいだ」
ぐりもあは目を丸くする。
「……なるほど……盗賊や魔獣対策まで完璧か……」
荷車の列が静かに動き出す。地面を踏みしめるアンデッドたちの足音は重厚で、昼夜を問わず一定のペースで進む。デスナイトの護衛が周囲を警戒し、どの角度からも魔獣や盗賊が近づけないように配慮されている。
「この便なら、保存が利くものや量が多い荷物は安定して輸送できるってわけか」
ぐりもあは感心しつつ、頭の中で図を描くように陸路と空路の物流網を組み合わせて考え始めた。
ジョンはにやりと笑う。
「荷物の種類や到着時間に合わせて、無限航空便、通常航空便、陸路アンデッド便をうまく使い分ける。それで港も市場も、商人たちも回るってわけだ」
ぐりもあは一歩近づき、重厚な荷車と護衛のデスナイトをじっと観察する。
「……本当に、生き物も物流も、全部計算し尽くされてるんだな……」
港の喧騒の中、陸路の列も空路のドラゴンも、まるで一つの都市機能の血管のように動き続ける。ぐりもあは息を呑み、目の前の光景を余すところなく観察した。
/*/ エ・ナウイル港・陸路輸送区・体験編 /*/
ぐりもあは一歩前に出て、重厚な荷車の側面に手をかけた。手触りは冷たく、金属と木材が混ざった硬質な感触。列を取り囲むデスナイトたちは、ぐりもあの動きにも微動だにせず、その威圧的な存在感を保っていた。
「すごい……このペースで、昼夜を問わず動くんだ……」
ぐりもあは思わず声を漏らす。足元ではアンデッドたちが規則正しく地面を踏みしめ、荷車を押すリズムがまるで機械のように正確だった。
ジョンはにやりと笑いながら説明する。
「見てよ、ぐりもあさん。こいつら全部、モモンガさんの配下だ。魔導国だけで何十万ってアンデッドが、彼とつながってるんだぜ。そりゃあ昼夜問わず働けるわけだ」
ぐりもあは驚きと同時に、思わず少し身震いする。
「……そんなに……!? 一国分のアンデッド軍団が物流まで掌握してるってこと?」
「そうそう。モモンガさんの配下だから、命令一つで統制が取れる。盗賊や魔獣なんか、まず手出しできねぇ」ジョンは列を見渡して誇らしげに笑った。
ぐりもあは列の最後尾に目を向け、荷車が整然と動く様子を目の当たりにする。列の中で微動だにしないアンデッドたちの規律の高さ、そして護衛のデスナイトたちの鋭い眼光。まるでこの列自体が生きているかのように見える。
「……信じられない……これで陸路も、ほぼ無敵ってわけだ……」
ぐりもあはつい手を伸ばし、荷車の側面を軽く叩いてみる。反応は全くなし。冷たく硬い感触だけが返ってくる。
ジョンは肩をすくめ、港の喧騒を背景に余裕の笑みを浮かべた。
「ほらな、ぐりもあさん。空も陸も、魔導国式アンデッド物流網が回ってるんだぜ。これなら量も鮮度も安心、時間も正確」
ぐりもあは感心のあまり、つい声を漏らす。
「……これ、研究対象としても興奮する……魔法とアンデッド、物流の完璧な融合だ……」
アンデッドたちの列は、昼夜を問わず正確に動き続ける。ぐりもあは息を呑み、荷車のリズムと護衛の鋭い視線を体感しながら、その非情なまでの効率性に圧倒されていた。
港の空には無限航空便のドラゴンが舞い、陸ではアンデッドたちが整然と荷を運ぶ。ぐりもあは初めて、魔導国の物流の“血流”を五感で理解し、感心しつつも少し怖気づいた。