オーバーロード~狼(以下略)~その他まとめ   作:ぶーく・ぶくぶく

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夢の代償

 

 

/*/ 夢幻郷・ドリームランド “時逆の塔” 帰還の階段 /*/

 

 

 ――世界が、割れた。

 

 竜の咆哮と八欲王の光が交錯する最中、

 ラキュースの意識は重力を失い、深い海へと引きずり込まれるように沈んでいった。

 

 光景が崩れ、色が音を失い、時が逆巻く。

 彼女の足下の大地が反転し、塔の水晶の床が再び現れる。

 だがそこには、もう夢の中の戦場はなく――冷たい青の静寂だけがあった。

 

 蒼い薔薇の仲間たちも、ひとり、またひとりと膝をつく。

 ガガーランの呼吸は荒く、ティナの瞳は焦点を失い、ティアの口元には薄い血の跡があった。

 イビルアイでさえ、マントの裾を握りしめ、魔力の奔流に身を震わせている。

 

 ――“見た”のだ。

 神秘が壊れる瞬間を。

 竜が滅び、世界の理が書き換わる瞬間を。

 

 蛇賢ナーハ=シュルの声が、空気そのものから響く。

「代償を、支払え」

 

 塔の壁面の水晶がひとつ、またひとつと砕けていく。

 その欠片が宙に浮かび、まるで魂の断片のように蒼い薔薇の周囲を巡った。

 

「知るということは、己の記憶を削ること。

 世界が隠した真理を覗くならば、代わりに“何か”を失わねばならぬ」

 

 ラキュースの胸に痛みが走る。

 胸の奥――魂の中心に、冷たい手が差し込まれたような感覚。

 彼女の記憶のいくつかが、光となって霧散していく。

 

「……っ! やめろ、それは――」

 イビルアイが叫ぶが、その声も揺らぐ。

 自分の名を呼ぼうとした瞬間――その“誰か”の名が思い出せない。

 記憶が、塗りつぶされていく。

 

 ラキュースは、唇を噛みしめた。

 痛みを軸に、かろうじて己を繋ぎ止める。

「……代償なら、私が受け取る。みんなは……無事でいて」

 

 蛇賢の舌が揺れ、満足げな笑みを浮かべた。

「勇気と傲慢は紙一重。良いだろう、ラキュース・アルベイン・デイル・アインドラ。

 お前の“理”の一部を、この塔に預けよ」

 

 光が収束し、塔の中心に巨大な魔法陣が浮かび上がる。

 そこへ、ラキュースの影が吸い込まれていった。

 

 彼女の瞳の奥に、青い紋章が刻まれる――“夢を知る者”の印。

 同時に、彼女の心から“ある夢”が消える。

 幼い頃、まだ貴族の娘だった頃に抱いていた“未来の約束”。

 その相手の顔が、霞のように薄れていった。

 

 やがて光が静まり、蛇賢の姿も消える。

 塔の時間が止まり、そして――正常に流れ始めた。

 

 ラキュースは膝をつき、深く息を吐いた。

 胸に刻まれた冷たい印を手で押さえながら呟く。

 

「……これが、“知る”ということ……なのね」

 

 ティアが震える声で問う。

「ラキュース……今の、夢だったの?」

 

 ラキュースは静かに首を振る。

 その瞳の奥には、もう誰も知らぬ蒼い光が宿っていた。

 

「いいえ――現実よ。

 私たちは、“夢の外側”を見た」

 

 

/*/ 夢幻郷・ドリームランド 時逆の塔・外縁部 帰還の階段 /*/

 

 

 蒼い薔薇の面々は、塔を出るための螺旋階段を上っていた。

 ――いや、上っている“はず”だった。

 

 何度昇っても、視界の中では同じ回廊、同じ青の光。

 足元の感覚がふと浮き、壁の陰影が時間ごと滑るようにずれる。

 上っているのか、降りているのか、もう誰にも分からなかった。

 

「……まるで、世界が“迷ってる”みたいね」

 イビルアイが呟く。

 その声すらも、反響して数秒後に戻ってくる。

 

 やがて、ラキュースが立ち止まり、深呼吸をした。

 青い光の中で、彼女の瞳に刻まれた紋章が一瞬だけ輝く。

 

「……大丈夫。出口は“まだ未来”にある。時間が閉じているの」

 ラキュースの言葉に、ガガーランが目を丸くした。

「未来? なに言ってんだ、時間ってのは過ぎていくもんだろ?」

「ええ。でも、この塔は違う。過去も未来も、“ここ”では同じ場所なのよ」

 

 ラキュースが剣を床に叩きつけると、

 音が空間を裂き、青水晶の壁に波紋が広がった。

 光が渦を巻き、螺旋が反転する――それが“出口”の兆しだった。

 

 次の瞬間、全員の身体が光に包まれ、視界が弾ける。

 

 

/*/

 

 

 ――そして、現実。

 

 ラキュースは、硬い大地の感触で目を覚ました。

 冷たい夜風。湿った草の匂い。

 頭上には、見覚えのある星空。

 

 周囲には、倒れた仲間たちがひとり、またひとりと動き出す。

 ガガーランが呻きながら起き上がり、ティナが懐中時計を見て絶句した。

 

「……嘘でしょ。出発したの、昨日の朝だったはず……なのに」

 針は、十六日先を指していた。

 

「十六日……?」

 イビルアイの声が震える。

「まさか、十六日も経ってるって言うの?」

 

 ティアが周囲の草を掴む。

 葉は伸び、茎には朝露ではなく霜が降りていた。

 季節が、わずかに進んでいる。

 

 ガガーランが空を見上げ、唾を飲み込んだ。

「……見ろよ。星座の位置が、違う」

 

 ラキュースは黙って、空を見上げた。

 彼女の目の奥の紋章が淡く光ると、視界がゆらぎ、

 そこに“時間のひび”のようなものが見えた。

 夜空の一点――星の流れが、逆向きに動いている。

 

「ここ……時間の層が、ずれてる」

「どういうことだ?」とガガーラン。

「塔の中で私たちがいた“時間”と、外の世界の“時間”が一致してない。

 ……私たち、夢の外側にいた間、現実の十六日分が過ぎてる」

 

 イビルアイが沈黙し、やがてぽつりと呟いた。

「時間の遅延現象……あの蛇野郎、知ってて黙ってたな」

 

 ティナが指差した。

 遠くの丘の上、月光を受けて光るものがある。

 それは――かつて“塔”があった場所。

 

 だが、今は何もなかった。

 ただ、黒い焦土と、風の中でゆらめく蛇の抜け殻のような痕跡だけ。

 

 ティアが囁く。

「塔が……消えてる……」

 

 ラキュースは黙って、その場所に手を伸ばした。

 だが風は、ただ冷たく通り過ぎるだけだった。

 

「――夢は、現実の中に跡を残さない。

 けれど……私たちは“現実”を変えたのかもしれない」

 

 夜空の一角で、星が一つ、音もなく落ちた。

 ラキュースはそれを見上げながら、胸の奥に感じる微かな痛みに気づく。

 ――記憶を代償に支払った、その痕跡。

 

 名も知らぬ誰かの笑顔が、一瞬だけ閃いて消えた。

 

 

/*/ 野営地 

 

 

 焚き火がぱちりと弾け、炎の粉が宙に舞った。

 蒼い薔薇は疲労困憊のまま、静かに休息を取っていた。

 十六日という時間の喪失――それをどう説明すればいいのか、誰も分からない。

 

 ティナは小さな鍋でスープを温め、ティアは沈黙のまま星を見上げている。

 ガガーランは寝袋に潜り込みながら、わざと明るい声を出した。

「ま、命があるだけ上等だろ。十六日くらい、寝坊したと思えばいいさ」

 

 だが、誰も笑わなかった。

 

 ラキュースは、焚き火の向こうで静かに座っていた。

 その手には剣がある。だが刃は微かに震え、熱を帯びていた。

 青白い光が刃文に浮かび、かすかな“竜の吐息”のような音がする。

 

「……ラキュース?」

 イビルアイが呼びかける。

 だがラキュースは応えなかった。

 ただ、虚空を見つめたまま、唇がかすかに動く。

 

「――“我が翼は、天を裂く”」

 

 それは、竜語だった。

 誰も教えていない、失われた古の言葉。

 焚き火の炎が、まるでその響きに怯えるように低く揺らめく。

 

 イビルアイの声が震えた。

「……それ、今なんて言ったの?」

「わからない。でも……知っていたの。意味も、音も。

 胸の奥で“目覚めた”のよ」

 

 ラキュースが手を胸に当てる。

 心臓の鼓動と同じリズムで、あの青い紋章が光る。

 光はまるで竜の瞳のように、瞠目し、呼吸していた。

 

「……塔で見たあの夢。あれは、ただの記録じゃなかった」

 ラキュースの声は震えていた。

「――“誰か”が、私の中に残した。

 竜王の……記憶の欠片を」

 

 その瞬間、焚き火が一気に燃え上がった。

 風がなくとも炎が天へ伸び、竜の影が一瞬、夜空に描かれる。

 その背には、かつて“理”を操った竜王の姿。

 

「世界を書き換えられた者の“憎しみ”……それが、まだこの魂に残ってる」

 ラキュースの声がかすれた。

 その瞳の中に、ほんのわずか――竜の縦瞳が浮かぶ。

 

 イビルアイが立ち上がり、マントの裾を翻す。

「……まさか、竜の魂が“共鳴”してるの? あなたの中で?」

「わからない。でも感じるの……。

 八欲王が書き換えた“理”の裏側――それが、呼んでる」

 

 風が吹き抜け、焚き火が再び静まる。

 闇の中で、ラキュースの瞳だけが青く輝き続けた。

 

「……ラキュース、あんた、もう人間じゃ……」

 ガガーランが言いかけて、言葉を飲み込む。

 

 ラキュースは微笑んだ。

 悲しく、しかしどこか凛として。

 

「いいのよ。

 私は“未知”を知りに行った――そう言ったでしょう?

 ……なら、これはその“答え”よ」

 

 夜空の星が、再び流れた。

 その尾は、まるで竜の涙のように青く輝いていた。

 

 

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