オーバーロード~狼(以下略)~その他まとめ 作:ぶーく・ぶくぶく
/*/ 帝国・皇帝執務室 /*/
ジルクニフは放送の報告書を机に叩きつけるように置いた。
「……魔導国は、光の板に映像を浮かべ、声を全土に流したというのか」
報告を受けて集まった魔法省の高官たちは、互いに顔を見合わせ、誰も答えられない。
重苦しい沈黙ののち、皇帝が低く問うた。
「――魔法省は、あの機器を再現できるか?」
最年長の魔導師が、おずおずと口を開いた。
「……陛下、あのようなもの、我らは想像すらしたことがございませぬ。映像を記録する魔道具、声を遠くへ届ける呪文は存在いたしますが……無線で送り、同時に受け取るなど、まったく未知の領域にございます」
別の若い魔導師も声を震わせながら続けた。
「仮に研究を始めるとしても、基礎から理論を積み重ねねば……数年、いや数十年を要するやもしれませぬ」
ジルクニフは苛立たしげに立ち上がった。
「魔導国は既に"それ"を完成させている。しかも国民の娯楽に使う余裕すらあるのだ! 我が帝国が理論を積み上げている間に、奴らはさらに先へ進むだろう!」
拳で机を叩く音が室内に響いた。
「……やれ。やってみせろ。どんな犠牲を払ってもだ。
これは単なる娯楽ではない、支配の手段だ! 我らが後れを取れば、帝国の未来はない!」
魔法省の面々は顔を青ざめさせながら頭を下げた。
「は、ははっ……!」
しかしその場を去るとき、彼らの胸にあったのは使命感よりも――
"まったく未知の領域に足を踏み入れる恐怖" であった。
/*/
こうして帝国では、ジルクニフの強い命で「魔導国式放送機器の模倣研究」が始まる。
だが彼らには理論も前例もなく、暗闇を手探りするような試行錯誤しか待っていなかった。
/*/ 帝国・皇帝執務室 /*/
魔法省が放送機器の模倣に着手してから、すでに数か月。
だが、成果は皆無だった。
「映像が……映りません!」
「音声は拾えますが、すぐに消えてしまいます!」
「そもそも"波"という概念自体が、魔術理論に存在いたしませぬ!」
報告を重ねるたびに失敗は山積し、試作機は爆ぜて魔導師を吹き飛ばすことも珍しくなかった。やがて魔法省の高官たちはついに、皇帝に直訴する。
「……陛下。これ以上は時間と人材の浪費にしかなりませぬ。
せめて魔導国から技術の一部を――"鉄の騎士"や"重機関銃"のように、提供を受けられないかと……」
その言葉に、ジルクニフの心臓が嫌な音を立てた。
――来たか。
魔導国から与えられた数々の「驚異」。
あの〈鉄の騎士〉といい、へびーましんがんといい、どれも軍事に直結する"わかりやすい力"だった。権力者が欲しがるものばかり。
(そうか……あれは"撒き餌"だったのか……)
ジルクニフは冷たい汗を額ににじませる。
〈鉄の騎士〉を見せつけたときから、〈重機関銃〉を披露したときから――魔導王は計算していたのだ。いずれ我らが自力で追いつけず、みずから頭を下げて「餌を乞う」ようになる未来を。
そして今、まさにその通りになった。
「……」
ジルクニフは深く椅子に沈み込み、天を仰ぐ。
(恐ろしい……。どこまで見通しているのだ、あの魔導王は……)
臣下たちには悟られぬよう、ゆっくりと口を開いた。
「……よかろう。だが、決して我らから"哀願"したと悟られるな。あくまで"対等な技術交流"の形を装え」
魔法省の面々は安堵の息をつき、恭しく頭を下げる。
しかし、ジルクニフの胸中には安堵など一片もなかった。
(結局、我らは誘導されている……! 手のひらの上で、踊らされているのだ……!)
その夜、ジルクニフは再び胃薬を求め、苦々しくそれを噛み砕いた。
/*/ 帝国・皇帝私室 深夜 /*/
重厚な扉を閉ざし、侍従すら遠ざけた私室。
机の上には、魔法省が必死の末に形だけは整えた「試作品の受信機」が置かれていた。
木製の枠組みに水晶板が嵌め込まれ、背後には複雑な魔法回路が刻まれている。見た目はどこか歪で、不格好。魔導国の滑らかな器具とは雲泥の差だった。
ジルクニフは、ひとり息を呑む。
「……魔導王は、これを……日常の娯楽に使っているというのか」
彼は震える手で、魔法省から渡された水晶のレバーを操作した。
次の瞬間――
――ザザッ……ザザザ……
水晶板に、不気味な光が揺らめいた。だが映像は乱れ、音声はノイズに掻き消される。
「……っ!」
ジルクニフは思わず身を乗り出した。
辛うじて――数息のあいだだけ――映ったのは、劇場らしき舞台の一幕。
剣を振るう冒険者の姿と、観客の歓声。
その刹那、光は消え、板は暗闇へと戻る。
「……ほんの一瞬で……この衝撃……!」
ジルクニフの胸を震わせたのは、失敗作を通じてすら伝わる"圧倒的な文明の差"だった。
(民草がこれを日常的に目にし、耳にする世界……。愚鈍な民でさえ、秩序の外で未来を夢見るだろう……!)
胃が焼けるように痛む。だが目は冴え、恐怖と興奮で身体が震える。
「……魔導王め……ここまで見せつけ、我らを羨望と屈辱で縛り上げるつもりか……!」
彼は受信機のスイッチを切り、闇に沈む水晶板を睨みつける。
(この器具を"無様な模倣"しか作れぬ我ら。
対して魔導国は、完璧な実用品を"余興"として与えている……。
すべて計算済みか……! この俺が自ら手を伸ばすと知っていたとでもいうのか……!)
こめかみに汗を浮かべながら、ジルクニフは深く椅子に沈み込んだ。
心臓の鼓動がうるさい。吐き気すら覚える。
――だが同時に。
皇帝の胸には奇妙な昂ぶりが芽生えていた。
「……見せてみろ、魔導王。貴様の未来を。
俺は……この"地獄"の先を、覗かずにはいられん……!」
私室に響くのは、かすかな荒い息と、苦い笑みだけだった。
/*/ 帝国・都市部 /*/
魔法省が作った試作品の受信機は、皇帝の命で帝国内の一部の貴族や高官に配布された。
しかし、実際に映る映像は、わずかな断片と雑音にまみれたものだった。
劇場の一場面、競馬の一瞬、闘技場の歓声……それらは瞬間的に浮かび上がり、すぐにノイズに飲み込まれる。
それでも、貴族たちは熱狂した。
「おお、見える……! 音が聞こえる……!」
「これは前代未聞だ! 帝国でこのような魔道具が……!」
噂は瞬く間に広まり、流通した受信機を覗き込む人々の列が各都市で作られた。
映像の断片しか見えず、内容もほとんど理解できないにもかかわらず、民衆の好奇心と興奮は爆発的だった。
だが、この噂は魔導国の耳にも届く。
「……帝国、試作品とはいえ、受信機を作らせたのか」
魔導王の命令により、担当者が即座に要求してきた。
「その失敗作を送れ。詳細を確認したい」
皇帝ジルクニフの顔色が変わる。
(……くそ……こ、こう来るか……!)
失敗作といえど、魔導国の目に触れるとなれば、そこに込められたノイズや不完全さも全て見透かされる。
もし分析されれば、帝国の技術力の乏しさは瞬時に暴かれるだろう。
「……魔導王め……失敗作でさえ、我らをさらに追い詰めるつもりか……!」
焦燥と恐怖が、ジルクニフの胸を締め上げる。
魔法省の役人たちは、怯えつつも配達の準備を進める。
だが皇帝は深く息を吸い込み、歯を食いしばる。
(……これも計算済みか……。あの魔導王は、我らが自ら頭を下げ、見せたものを解析する――その先まで見通している……!)
帝国内の熱狂と皇帝の焦燥。
同時に、魔導国の静かな計算が、冷ややかに世界を動かしていた。