オーバーロード~狼(以下略)~その他まとめ 作:ぶーく・ぶくぶく
/*/エ・ランテル冒険者組合・訓練用ダンジョン第9区画:〈浅瀬の悪夢・三段仕掛け〉/*/
ぱしゃ……ぱしゃ……と靴音が水面に広がる。
足首ほどの深さ――見た目はただの浅瀬。
だが、冒険者組合の訓練生たちは知っていた。
この区画は「浅瀬」と呼ぶにはあまりに残酷で、悪名高い。
清掃係のバニアラ班長が、肩の水滴を払いながらため息をつく。
「……今日も三人、吸い込まれたらしい」
若い清掃員が青ざめて聞き返す。
「またですか? ここ、“比較的安全”って聞いたんですけど……」
「それは嘘だ。ここは“浅い地獄”だ」
班長が指を鳴らす。
すると、壁際のルーンが光り、仕掛けが再現モードで作動を始めた。
浅瀬の中央に、一歩踏み出した瞬間――
――シュッ!
音もなく、水面を裂いて“紐付きの銛矢”が飛んできた。
矢は正確に胸部を狙い、水中に突き刺さる。
もし訓練生が実際にいたなら、鎧を貫通して臓腑を掠める威力だ。
「最初の罠だ。銛には魔導金属製のワイヤーが繋がっている。
矢が刺さったまま動くと、奥の栓が自動的に抜けて……」
――ゴウッ!!
床の一角が開き、強烈な吸い込み音。
浅瀬だった水が一瞬で渦を巻き、中心に吸い込まれていく。
若者が喉を鳴らす。
「うわ……これ、もし紐を切らなかったら……」
「そのまま吸い込まれて、穴の底で“ドリル仕掛け”の壁に巻き込まれる。
死ぬ。……いや、“訓練だから死んで覚える”か」
バニアラが皮肉混じりに笑う。
「ここでの正解は、矢を抜くんじゃなくて“紐を切る”ことだ。
切れば栓は抜けない。だが、それで終わりじゃない」
老人が頷く。
「そうじゃ。穴のそばまで行って安心した奴が……次に潰される」
天井の格子がカシャンと音を立て、鉄の柱が降りてくる。
ちょうど“避難ポジション”を狙い撃ちするようなタイミングだ。
――ズドン!!
重金属の栓が床に叩きつけられ、浅瀬の水が弾ける。
一拍遅れて、無口な男が報告した。
「衝突圧、約三トン。人間ならぺしゃんこ」
若者がごくりと唾を飲む。
「……でも、これで終わりですよね?」
バニアラは苦笑した。
「いいや。“浅瀬”はここからが本番だ」
ズズズッ……と地鳴りが響き、今度は水が逆流する。
先ほどの穴から泡を吹き上げながら、水流が一気に戻ってくる。
そこに混じっていたのは――
――“モンスター”。
水と共に押し上げられたのは、ぬるりとした体表を持つ半魚人型の訓練用魔物。
しかし、爪と牙は本物。
組合製の“安全な模擬魔物”などではない。
「はい、第二ラウンド開幕。
ここで油断した訓練生が、さっき切った紐を拾いに戻ろうとして喰われるんだ」
老人が苦笑交じりに言う。
「命を賭けて冷静さを学ばせるとは……まさに地獄の教育じゃな」
「その分、覚えは早い。死ねばすぐ蘇る。何度でも繰り返せる。
だが……本当に怖いのは“死ぬ恐怖”じゃなく、
“次にまた死ぬとわかっているのに踏み出す”訓練なんだよ」
バニアラがそう言って、淡く光る水面を見つめた。
再びルーンが光り、仕掛けが初期化される。
銛が引き絞られ、水が静まり返る。
「よし、次の訓練班、入室準備完了」
通路の奥から、緊張した若者たちの声が響く。
「うわ、ここ“浅瀬”だって! 安全って聞いたけど……!」
「先輩、紐切り用のナイフ、ちゃんと磨きました!?」
バニアラは記録板に“危険度:維持”と書き込み、ぼそりと呟く。
「……ま、水深よりも浅いのは命の方だ」
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第9区画〈浅瀬の悪夢〉――通称“水面(みなも)の地獄”は、
今日も新しい訓練生たちの悲鳴と水音でにぎわっていた。
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浅瀬の水面が静まり返り、訓練用の魔法陣が停止する。
銛矢は再装填、天井の鉄栓は元の位置に戻り、モンスターも魔導陣の光と共に再封印されていく。
バニアラ班長が汗を拭いながら、いつもの清掃班三人と点検を始めた。
「……よし、罠作動順は正常。吸い込み圧も規定通り。死人、二名。蘇生申請、済みだな?」
無口な男が静かに頷く。
「完了。二名とも軽度の錯乱症状あり。蘇生後は再挑戦を希望している」
「まったく元気なやつらだ」
バニアラが苦笑した時、若者が手を上げた。
「班長……ひとつ聞いてもいいですか?」
「ん、なんだ」
「このトラップって……いったい誰が考えてるんですか?
普通、ここまで悪意ある構造、思いつきませんよ」
その場の空気が、少しだけ重くなる。
老人がうっすら笑いながら言う。
「わしも最初そう思った。こんなの、訓練じゃなくて拷問だと」
バニアラは記録板を閉じ、淡々と答えた。
「表向きは“罠設計部門”だ。冒険者育成局の下請け扱いになってる。
だが、実際は――魔導王陛下の直案だって噂もある」
若者がぎょっとする。
「えっ……ま、魔導王陛下が!? なんでそんな……」
老人が口髭をなでながら言う。
「そりゃ、アンデッドだからじゃろ。生者がもがく姿を見て楽しんで――」
「いや」
バニアラが言葉を遮った。
「それは違うと思う」
若者が目を瞬かせる。
「え?」
「本気で嫌ってたら、こんな精巧な訓練設備なんざ造らんさ。
これ全部、時間も金も人手もかかってる。
“死んで覚えろ”を、ただの皮肉じゃなく“確実に学ばせる形”にしただけだ」
老人がゆっくり頷く。
「うむ。嫌いな相手にここまで手間をかけるものかのう。
むしろ、命を賭けてでも学ばせようとする執念じゃ」
無口な男が、短く言葉を添えた。
「……愛の鞭、だな」
若者は引きつった笑いを浮かべた。
「愛が……ちょっと重すぎません?」
バニアラは肩をすくめる。
「まあ、“王の愛”ってのは大抵そんなもんだ。
痛い目見ないと覚えられない、ってことだ」
その時、通路の奥で警報音が鳴った。
再試験班が入室した合図だ。
――シュッ!! ビュンッ!
浅瀬に踏み出した訓練生が、瞬時に紐付きの銛矢を食らう。
悲鳴と共に水面が渦を巻き始めた。
「おっと、また始まったな」
バニアラはぼそりと呟き、巻き取りリールを確認する。
老人が笑う。
「王の教育は容赦なし、か」
「そうだな」
バニアラは記録板に一行、さらりと書き加える。
――〈訓練結果:実地再開。陛下の教育方針、浸透中〉
浅瀬の水音と悲鳴が、今日もダンジョンの奥に響き渡っていった。