オーバーロード~狼(以下略)~その他まとめ   作:ぶーく・ぶくぶく

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サイフォン

 

 

/*/ ナザリック地下大墳墓 第九階層 ジョンの私室 /*/

 

 

深く静かな空気に包まれたジョンの私室は、外界とは隔絶された落ち着きが漂っていた。整えられた机の上に、透明なガラス器具――サイフォンが置かれ、ランプの小さな炎が丸いフラスコの底を赤々と照らし出している。

 

ルプスレギナは白磁のような指先で器具を扱いながら、楽しげに鼻歌を口ずさんでいた。いつもの軽薄そうな笑みではなく、どこか真剣な顔つき。ガラスのチューブを通って湧き上がるお湯が、ふつふつと上部の漏斗へと押し上げられていく。香りが漂い始め、部屋の中に柔らかな甘苦い気配が満ちていった。

 

「……へえ。厨房じゃエスプレッソマシンを使ってるのに、まさかサイフォンで淹れられるとはね」

ジョンはソファに腰かけながら、顎に手を添え目を細める。

 

「ふふっ。ジョン様に飲んでほしくって、こっそり練習したんですよー。見た目も楽しいですし、味もばっちりです♪」

ルプスレギナは楽しげに炎を調整し、粉と湯の混ざる泡立ちを愛おしそうに眺めていた。やがて一定の時間が過ぎると、彼女はタイミングを見極めて火を消す。するとコーヒー液はすうっと下のフラスコに落ちていき、香りがいっそう強くなる。

 

「……なるほど。真空を利用した抽出ってわけか。マキネッタとも違うし、エスプレッソとも違う。いいね」

ジョンは興味深げに器具を覗き込む。

 

ルプスレギナはカップを二つ用意し、艶やかな笑みを浮かべてジョンに一杯を差し出した。「はい、どうぞっ♪」

 

ジョンは受け取ると、香りをまず確かめてから口をつける。熱と共に広がる芳醇な味わい。マイルドでありながら奥行きがあるその風味に、彼は目を細めた。

「……悪くない。いや、かなり美味いな」

 

「えへへっ♪ ジョン様にそう言っていただけると、がんばった甲斐がありますねぇ」

ルプスレギナは嬉しそうに尻尾を振りながら、自分のカップにも口をつける。

 

私室は静かで、外界の時間が止まったかのようだった。香りと味わいが二人の間に橋を架け、柔らかな余韻が心地よく流れていく。

 

「……たまにはこういう落ち着いた時間も悪くないな」

ジョンの言葉に、ルプスレギナはにこにこと微笑み、まるで「もっと用意しますよ」と言いたげに器具を見やった。

 

こうして、ナザリックの深淵にある一室は、ほんのひととき、焙煎の香りに包まれた穏やかな空間となっていた。

 

 

/*/ ナザリック地下大墳墓 第九階層 ジョンの私室 /*/

 

 

コーヒーの芳香がまだ漂う中、ルプスレギナは立ち上がり、軽やかに手を叩いた。

「せっかくですから、お菓子も用意してきちゃいましたよ♪」

 

そう言って彼女がテーブルに置いたのは、小さな銀の盆に並べられた焼き菓子だった。バターと蜂蜜をたっぷり使ったサブレのようなもの、そして干し果実を練りこんだパウンドケーキ。甘い香りが、コーヒーの香ばしさに溶け合う。

 

「おいおい、至れり尽くせりだな。料理はともかく、菓子作りも得意なのか?」

ジョンが少し驚いたように訊ねると、ルプスレギナはいたずらっぽく笑い、尻尾をゆらりと振った。

 

「んー、得意ってほどじゃないですけど。お菓子作りって、分量も手順も正確さが大事なんですよね。だからこそ、練習するとちゃんと結果に出るんです。……それに、ジョン様が喜んでくれるなら、いくらでも試したいですから♪」

 

ジョンはサブレをひと口かじる。サクッと小気味よい音を立てて、口中に甘やかで香ばしい風味が広がる。コーヒーをひとくち含むと、苦味と甘みが混じり合って絶妙な余韻を生んだ。

 

「……なるほど。これは合うな。サイフォンの柔らかい味わいと、この軽い甘さ。考えて合わせたのか?」

「もちろんです♪ ただ濃いだけの味じゃもったいないですしねぇ」

 

ルプスレギナは自分のカップを揺らしながら、ふと視線をジョンに落とす。その目は、普段の飄々とした笑みの奥に、ほんの少し真剣さを帯びていた。

 

「こうやって、落ち着いた時間を一緒に過ごせるのって……私にとっては、とっても特別なんです」

「……ふむ」

ジョンは短く返すと、目を伏せてカップの中の黒を覗き込んだ。

 

彼の私室は無数の魔道書や地図、道具で満ちているが、それでもこの瞬間だけは、不思議な安らぎに包まれている。ナザリックという強大な牙城の中心で、ひとりの人間と、ひとりの亜人が並んで飲むコーヒー。静けさの中で、心臓の鼓動が少しだけ意識される。

 

ルプスレギナは空気が硬くなりすぎないように、ぱっと明るく笑った。

「今度は水出しコーヒーにも挑戦してみますね! 時間はかかりますけど、夏にぴったりですし♪」

 

「なるほど。じゃあ楽しみにしてるよ」

ジョンはそう言って、残りのコーヒーを飲み干した。深い苦味とほのかな甘みが、喉を通って胸に落ちていく。

 

二人の間に漂うのは、焙煎の香りと、静かな安らぎ。

それは戦乱の影を知らぬ、束の間のひとときだった。

 

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