オーバーロード~狼(以下略)~その他まとめ 作:ぶーく・ぶくぶく
/*/エ・ランテル冒険者訓練ダンジョン ― “呪われた宝玉の間”/*/
光のない通路を抜けると、そこだけ淡く輝いている部屋があった。
中央には、磨き抜かれた黒曜石の台座――その上に鎮座するのは、握りこぶしほどもある巨大なダイヤモンド。
壁も床も、ひびひとつない白大理石のように整っている。血の跡も、戦闘の痕跡もない。
若者が息を呑む。
「……すげぇ、あれ、本物か?」
「どう見ても本物だな。こんなバカでかいの、王国にだってねえぞ」
バニアラ班長はため息をついた。
「触るなよ。あれは“拳喰いのダイヤ”だ」
老人が眉をひそめた。
「拳喰い?」
「そう呼ばれてるだけだ。掴んだ瞬間、全身に激痛が走る。それでも手を離さなければ……両手が宝石に変わる」
若者が乾いた笑いを漏らした。
「……そ、それって死ぬんですか?」
「いや、死なねぇ。ただ、手が戻らなくなる。拳ごと、な」
/*/
台座の近くには、腕を突き出したまま動かない石像がいくつも立っている。
一見ただの装飾に見えるが――その手は、どれも人間の腕とは思えぬほど透明に光り輝いていた。
ダイヤモンド化した拳だ。
「掴み続ければ続けるほど、腕の奥まで宝石化が進む。肘まで行くと神経が切れて動かなくなる」
老人が低く呟く。
「離せば助かるが……その時点で拳はもう戻らん」
無口な大男が、興味深げに腕を組んだ。
「……だが、殴るには向く」
「そうだ。あれで殴れば、金属鎧ごと砕ける。だが、火には弱い。燃えたら終わりだ」
バニアラが皮肉めいた口調で言う。
「魔導国の訓練設計者は、これを“地味な部屋”と呼んでるらしい。派手さはねぇが、学びにはなる。欲と痛み、どっちを選ぶかの試験だとよ」
若者が震えながら見上げる。
「……あれ、価値どれくらいあるんですか?」
「知らん。だが掴んだ奴は皆、同じことを言う。“離せない”ってな」
/*/
清掃班がこの部屋を通る時、彼らは必ず目を逸らして通り過ぎる。
部屋の隅には、拳だけが残された像がいくつも転がっており、光の加減でまるでそれが笑っているように見えるからだ。
「……地味なトラップだが、これが一番性質が悪い」
班員の一人がぼそりと呟く。
「人間、欲を試されると、訓練だってわかってても手を伸ばすんだよ」
部屋の中央、ダイヤモンドは今日も何も知らぬ者を待っている。
――輝くその光は、決して希望ではなく、呪いそのものだった。
/*/
エ・ランテル冒険者訓練ダンジョン ― “拳喰いのダイヤ” その後
/*/
「……あの時は、掴んじゃいけないって分かってたんだよ」
男の声は重く、どこか砕けていた。
元冒険者、リオル。
いま彼は、エ・ランテルの南区で荷運びや工房の手伝いをして生計を立てている。
だが――両の拳は、いまだに透明な輝きを放っていた。
“拳喰いのダイヤ”の呪い。
掴んだ者の両手を宝石へと変える、あの訓練ダンジョンの悪名高き罠だ。
彼の両手は見事なまでに結晶化し、光を受けるたび七色の光を放つ。
「見てくれは綺麗だろ? でも、触ると冷たいんだ。……自分の拳じゃないみたいでさ」
リオルは小さく笑った。
笑いながらも、指先――いや、もはや指という概念のない硬質な塊を見下ろす。
拳は動かない。だが、殴ることだけはできる。
実際、その一撃は人間離れしていた。
硬化した拳で石壁を叩けば、粉塵が舞い、鉄杭を砕くほどの威力。
冒険者を辞めた後、街の喧嘩屋に挑んだ愚か者たちはみな、同じように言う。
「ありゃ、人間の拳じゃねぇ……」と。
/*/
だが、それだけの力にも代償があった。
火に弱い。
暖炉の近くにいると手が軋み、炎にかざすと、ひびが入る。
料理もできない。器用な仕事も無理。
握手も、抱きしめることも、もうできない。
「……恋人に触れるのが、怖くなったんだ」
リオルの声は小さく震えていた。
「最初は手袋してた。でも、気づいたらそれすら意味がなくてさ。火のそばで一緒にいると、拳が鳴るんだ。……彼女、泣いちまってな」
それ以来、彼は工房で金属を砕く仕事に就いた。
叩き潰すのは得意だから、と笑いながら。
/*/
ある夜、清掃班のバニアラが酒場で彼に声をかけた。
「生きてたか、リオル。あの時は見事な掴みっぷりだったな」
「……あんたらがいなかったら、腕ごと石になってたさ」
「ま、あの部屋は“学びの部屋”って言うらしい。痛みと欲望の勉強だとよ」
バニアラは苦笑しながら酒を啜る。
「で、後悔はしてるか?」
「してるさ。でも、掴んだのは俺だ。あれは……確かに、綺麗だったんだ」
リオルは拳を掲げた。
ランプの灯りが拳に反射して、天井に虹の筋を描く。
まるでそれは、呪いではなく祝福のようにも見えた。
「……ダイヤモンドってのは、砕けねぇ代わりに、柔らかくもなれねぇ。俺も同じだ」
「だからこそ、光るんだろうな」
バニアラがぼそりと呟く。
二人はしばらく黙っていた。
外では、夜風に混じって遠くの冒険者ギルドの喧騒が聞こえる。
リオルは立ち上がり、言った。
「……今度、鍛冶屋で働くことになった。炉の前は無理だけど、叩く仕事はできる。あんたらが片付けた石像の破片も、再利用してみるつもりだ」
「なるほど、拳がダイヤなら金床にはちょうどいいな」
リオルは笑い、拳を軽く合わせた。
カン、と澄んだ音が響く。
それは鉄を叩く音よりも清らかで――まるで、彼がまだ冒険者だった頃の心を打つようだった。
/*/
その後、リオルは“宝拳の鍛冶師”として知られるようになった。
彼の作る短剣や装飾は光をよく反射し、奇妙な美しさを持っていた。
彼自身は冒険には戻らなかったが、
彼の拳が打つ一撃一撃は、今でも多くの冒険者の装備に刻まれている。
――そして夜。
彼の作業場の片隅、黒い台座の上にはひとつの小箱がある。
中には、かつての恋人の髪飾り。
触れることも、壊すこともできぬまま、ダイヤの拳が静かに光を返していた。