オーバーロード~狼(以下略)~その他まとめ 作:ぶーく・ぶくぶく
/*/ 魔導国・エ・ランテル 魔術師組合図書館の一室 /*/
薄明かりのランプが、書棚の山を静かに照らしていた。
山と積まれた羊皮紙の間を縫うように、三人のエルフ娘が立っていた。
アイクが両手を胸の前で握りしめ、切実な声を上げる。
「ジョン様……。ヘジンマール様が、最近ほとんど食事を摂られないのです」
ジョンは手にしていた本を閉じ、顔を上げた。
「ほう? また“飯より本”の禁断症状か」
セルデーナが困ったように眉を寄せる。
「お茶やパンをお出ししても、軽く口をつけるだけで……そのまま夜明けまで読書をなさってしまうのです」
クアイアも心配そうに頷いた。
「寝室に誘っても、『今ちょうど章が良いところだから』って……もう三日も続いてます」
ジョンは「なるほどな」と腕を組み、少し思案した。
やがて、ふっと笑う。
「まぁ、心配はいらん」
三人の視線が一斉に上がる。
「ドラゴンってのはな、もともと巨体のわりに、驚くほど食わない。
あいつらは“外気”を吸って、それを生命のエネルギーに変えてる。つまり、空気を食ってるようなもんだ」
「外気……を?」アイクが首をかしげる。
「ああ。ヘジンマールはモンクの修行を積んだろ? あの修行で“内気”と“外気”の循環を覚えた。
呼吸とともに世界の気を取り込み、自分の気と混ぜて巡らせる――つまり、自分の体を“無限炉”にしてるんだ」
セルデーナが目を丸くした。
「では……本当に、食べなくても平気ということですか?」
「平気どころか、たぶんその状態の方が集中できるんだろう。
食事をすれば消化に気を取られるが、気だけで生きてるなら、全ての力を“思考”に回せる。
――つまり、本を読むためにやってるんだ」
三人は顔を見合わせ、ほっと息をついた。
クアイアがそっと笑う。
「本当に……ヘジンマール様らしいですね」
ジョンは軽く肩をすくめ、書斎の方を見やった。
扉の向こう、紙の擦れる音が微かに聞こえる。
「まあ、放っとけ。飢え死にしないのは確かだ。
ただし――」
ジョンはニヤリと口元を歪めた。
「本を読みながら悟りでも開きかけてたら、ちゃんと止めてやれよ」
アイクは笑い、三人で一斉に頭を下げた。
「はい、ジョン様」
そして三人が出て行くと、静寂が戻る。
ジョンは天井を見上げ、小さく呟いた。
「……まったく。あいつ、竜の学者のくせに、仙人みたいになってきやがったな」
書斎の奥では、灯りに照らされた銀鱗の影が、静かにページをめくり続けていた。
/*/ 魔導国・エ・ランテル ターマイト商店 テラス席 /*/
昼下がりの陽射しが、ガラス越しに紅茶の表面で反射していた。
テラスには柔らかな風が流れ、街路のざわめきが遠くに聞こえる。
木製の丸テーブルを挟み、金髪赤眼の少女と、黒髪赤眼の少年が向かい合って座っていた。
少女――イビルアイは涼やかな視線を少年に向け、少しだけカップを傾けた。
少年――ケネウスは真剣な顔つきで紅茶を置く。
「……ネームレス・スペルブックを、君のために取ってくるよ」
イビルアイはカップの縁を指先でなぞりながら、ため息をつく。
「そんな危険な場所に、行くつもり?」
ケネウスは目を逸らさずに答えた。
「うん。放っておけないんだ。あの本があれば、君の研究が進むだろ?」
「バカね」
イビルアイは小さく笑いながらも、瞳の奥に憂いを宿す。
「そんなことで、私が喜ぶとでも?」
ケネウスは一瞬言葉を詰まらせたが、すぐに顔を上げる。
「じゃあ、一緒に行こう。僕ひとりじゃなくて、君と」
イビルアイの唇がわずかに震えた。
「……っ、子供が簡単に言うことじゃないわよ、それ」
それでも、微かに笑みがこぼれる。
「ふふ……あんた、本当に真っ直ぐね」
「その方が、君に見てもらえる気がするから」
その言葉に、イビルアイはほんの一瞬だけ目を伏せた。
「……もう、どうしてそういう台詞が自然に出てくるのよ」
/*/
その様子を、少し離れたカウンターから見ていた男女の店員がいた。
ターマイト商店の常連スタッフ――ヘッケランとイミーナだ。
イミーナが、食器を拭きながら微笑む。
「ねぇヘッケラン、見て。あの二人、まるで恋人みたいじゃない?」
「ははっ、ああ。年は離れてそうなのに、雰囲気は悪くねぇな」
ヘッケランは腕を組んで頷く。
「それにしても、あの金髪の娘さん……ずいぶん落ち着いてる。あれで冒険者か何かか?」
「かもね。どっちにしても――」
イミーナは頬杖をついて、そっとため息を漏らす。
「こうやって若い子たちが、平和そうにお茶してるのを見ると……少しだけ救われる気がするのよ」
ヘッケランも静かに笑った。
「まったくだ。外じゃモンスターだの戦争だのって騒ぎなのに、ここだけは別世界みてぇだな」
「そういう場所を作るのが、あたしたちの仕事でしょ?」
「へいへい、看板娘様のお言葉、ありがたく承った」
二人のやりとりをよそに、テラス席の二人は小さく笑い合っていた。
イビルアイがカップを掲げ、ケネウスがそれに合わせて微笑む。
午後の日差しが、紅茶の琥珀色をきらめかせ、ゆっくりと時間が流れていった。
/*/ 魔導国・エ・ランテル 冒険者組合・訓練所 /*/
金属のぶつかり合う音と、掛け声が響く。
午後の訓練所は、熱気と汗の匂いに包まれていた。
天井の高い石造りの広間に、数十名の冒険者たちが模擬戦を繰り返す中、
ひときわ目立つ四人の姿があった。
蒼の薔薇――ラキュース、ガガーラン、ティナ、ティア。
かつて王国最強の名を冠したパーティは、今や魔導国の冒険者教育を担う指導役でもある。
「おい、そこの新人! 盾が甘ぇ! 腰を落とせぇ!」
ガガーランの怒声が響く。
腕組みした筋肉の塊のような女戦士が、遠慮なく新人を叩き起こすような声を張り上げていた。
ティナが横でため息をつく。
「ガガーラン、もう少し優しく言えませんか? 相手、半泣き」
「優しくして強くなれるんなら、あたしが苦労してねぇ!」
豪快に笑いながら、ガガーランは巨大な槌を肩に担いだ。
「訓練ってのはなぁ、ちょっと死ぬかもって思うくらいじゃねぇと身につかねぇんだよ!」
ティアが無表情のまま横目で見て、ぼそりと呟く。
「……そう言って、本当に死人を出しかけたの、三回目」
「はっはっは、数えるなよティア!」
ガガーランは笑い飛ばすが、ラキュースは額に手を当てていた。
「まったく……貴女は本当に教育係に向いてないわね」
ラキュースは溜息をつきながらも、微かに笑っている。
「けれどまあ、あなたが指導すれば誰も手を抜かない。それは確かです」
「だろ? あたしに怒鳴られて動ける奴は、生き残る可能性があるってことさ!」
訓練場の中央では、ガガーランの檄に触発された若手冒険者たちが、次々に模擬戦を始めていた。
木剣が鳴り、砂が舞う。
ティナが小声で呟く。
「……あの勢い、まるで昔みたいですね」
ラキュースは静かに頷く。
「ええ。蒼の薔薇が駆け出しの頃を思い出すわ。あの頃は……まだ、王国というものに希望があったわね」
ティアが短く言葉を添える。
「でも今は、魔導国に“次の世代”を育てる場がある。それは悪くない」
「……そうね」
ラキュースの瞳に、炎のような光が宿る。
「私たちが生きた意味を、次へ繋ぐ。それが、今の蒼の薔薇の使命よ」
ガガーランが彼女の背を力強く叩いた。
「よっ、説教モード入ったな! じゃあ、あたしは実践モードだ!」
彼女は訓練場に踏み出し、木剣を持った新人たちの前で斧を構えた。
「さぁ、誰でもかかってこい! あたしを倒したら、酒おごってやるぞ!」
どっと笑いと歓声が起こる。
その中心で、ガガーランの豪快な笑い声が響いた。
/*/ 魔導国・エ・ランテル 冒険者組合・訓練所 午後 /*/
木剣と鎧のぶつかる乾いた音が響く訓練場。
砂の舞う広場では若い冒険者たちが模擬戦を繰り返している。
その奥、石段に腰を下ろしながら蒼の薔薇の四人――ラキュース、ガガーラン、ティナ、ティアが見守っていた。
ガガーランが腕を組み、広場の外を見ながらにやりと笑う。
「……うちのおちびさん、ずいぶんとめかし込んで出かけたじゃねぇか。あれ、デートかね?」
ティナが手を止めずに木剣の手入れをしながら呟く。
「おちびさんって、イビルアイのこと?」
「そうそう。あの赤眼ちゃんよ。今日はやけに香水なんかつけてたろ。髪も巻いてたしなぁ~、女の顔してたぜ」
ガガーランは豪快に笑いながら、からかうように肘でラキュースをつつく。
「どうするよリーダー、ついに弟子が恋に落ちたか?」
ラキュースは苦笑しながらも、静かに首を振った。
「多分ね。けれど……あんまり弄るのはやめてあげなさいよ」
「おやおや、珍しいな。鬼ボスが優しいじゃねぇか」
「恋愛を笑うのは、女の恥よ」
ラキュースは涼やかに言い切り、薄く笑う。
「それに――ケネウス君、真面目でいい子じゃない。二人が並んで歩いてるのを見ると、ちょっと微笑ましいわ」
ティナが頷きながら、磨いていた木剣を軽く掲げる。
「鬼ボスの言う通り。からかうより見守るべき」
ティアも静かに続ける。
「弄り過ぎて、抉れたらケネウス殿に悪い」
「はっはっは! お前らまで真面目になっちまって!」
ガガーランは腹を抱えて笑った。
「まぁいいさ。イビルアイが誰かと笑ってるなら、それで充分だな。……あの子、長いこと“戦う顔”しかしてなかったし」
ラキュースはその言葉に小さく頷き、遠くの空へ視線を向けた。
「ええ――ようやく、“人としての時間”を取り戻せたのかもしれないわね」
訓練場に吹く風が、四人の髪を揺らす。
若い冒険者の掛け声が響き、笑い声が混ざる。
ガガーランは大きく伸びをして立ち上がった。
「さて、惚気の邪魔でもしに行くか――」
「行かない!」
三人の声がぴたりと揃い、ガガーランの足が止まった。
「……ちぇっ、つまらんチームだぜ」
それでも笑いながら、彼女は戦槌を肩に担ぎ、再び訓練場へ歩いていった。
夕陽が傾き、蒼の薔薇の影が長く伸びる。
その中に、確かな絆と温かさがあった。