オーバーロード~狼(以下略)~その他まとめ 作:ぶーく・ぶくぶく
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エ・ランテル冒険者ギルド訓練ダンジョン ― “無料休憩所(仮称)”
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「――無料休憩所」
それは、あまりにも優しい響きを持つ言葉だった。
岩の通路を抜けた先に現れるその看板は、冒険者たちにとってまさに“天の救い”のように見える。
長い戦闘、罠、毒、焼け焦げた鎧。
疲弊した彼らの目に映るのは、柔らかな灯りに照らされた広間だった。
中は広く、幾つかの木製のブースに区切られている。
湯気を立てる足湯、香ばしい軽食コーナー、そして奥には「個室マッサージ室」の看板。
どこかの温泉宿を思わせる、穏やかな空気。
「こ……これ、罠じゃないですよね?」
若い冒険者が半信半疑に尋ねる。
仲間の戦士が笑って肩を叩いた。
「ははっ、無料って書いてあるんだ。訓練施設の“休憩ポイント”だろ? 気が利いてるじゃないか」
そして、彼らは足湯に浸かり、温かいスープを啜る。
次第に、警戒心が薄れていく。
疲労で緊張していた筋肉が溶けるように緩んでいく。
そこへ、声がかかった。
「お疲れのようですね。特別に“施術”もご利用いただけますよ」
声の主は――あまりにも美しかった。
白い肌、整った顔立ち、完璧な微笑。
男にも女にも、同じように抗いがたい魅力を放つ。
個室の扉が静かに開かれた。
中は淡い灯りと花の香り。
マッサージ台に身を預けると、指先が背中を滑り――そこからはもう、何も考えられなくなる。
「気持ちいいですか?」
「……あぁ……」
「もっと、力を抜いて……」
吐息とともに耳元で囁かれる。
手のひらの温度が上がっていく。身体の中心に手が滑り込み、絶妙な手つきでしごきあげる。
心拍が早まる。
脳が溶けるような快感の波が押し寄せ――
――そして、何かを発射しながら吸い取られる。
身体の奥から“何か”が抜けていく。
呼吸が浅くなり、目が霞む。
全身の力が抜けていき、最後に見たのは、
施術者の背からのびた黒い翼と、蠢く尻尾だった。
「ふふ……おやすみなさい」
唇が触れる。
それが、“最後の感覚”だった。
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翌朝。
清掃班が巡回する。
扉を開くと、そこには乾いた音を立てて倒れた“人形”のようなもの。
皮膚は紙のように薄く、骨が透けて見えるほどに干からびていた。
「また出たか、“無料休憩所”の犠牲者だな」
バニアラ班長が鼻を押さえながら呟く。
若い清掃員がメモを取りながら問う。
「ここの“施術者”たち、結局何なんです?」
「正式には“欲魔体験訓練”。サキュバスとインキュバスを使った誘惑耐性訓練だ。……まあ、耐えられなきゃ死ぬ」
「無料って言葉に弱いんですよね、皆……」
「そういう勉強をさせる場所だ」
清掃班は干からびた遺体を魔法布で包み、浮遊台に乗せて搬出する。
作業は慣れた手つきだが、どこかで全員がため息をつく。
「見た目が綺麗すぎる罠は、だいたい地獄だな」
「スライム姫よりマシだが、気分は悪い」
浮遊台が静かに動き出す。
背後では、また別の冒険者の笑い声が聞こえた。
――足湯に浸かり、幸せそうに目を閉じる者たち。
その奥の個室では、黒い翼がゆっくりと広がり、
次の“客”を迎えるために、柔らかな笑みが形を整えていた。
無料休憩所。
その言葉ほど――甘くて、残酷な誘い文句はない。
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エ・ランテル冒険者ギルド訓練ダンジョン ― “無料休憩所(仮称)”後日談
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ギルドの受付前。
朝からまた行列ができていた。
冒険者たちは口々に騒ぐ。
「“癒やしの間”が再開したらしいぞ!」
「マッサージ最高だよな。全身が軽くなる!」
「魂まで軽くなるけどな!」
笑いながら談笑する一方で、受付嬢は額に手を当てていた。
机の上には新しい報告書が山積み。
死亡報告:無料休憩所(再)
状況:干からび/皮膚剥離/生気欠損
原因:自己責任(※ワザと)
――つまり、罠だと知っていて入っている。
かつて恐怖の代名詞とされた“無料休憩所”。
だが、インキュバスやサキュバスによる生気吸収の快感を「一度は味わうべき」と吹聴する愚か者が現れ、
それを“癖”にして通い詰める者が後を絶たなかった。
「……あの吸われる瞬間がたまらないんだ」
「死んでもいい。あれで逝けるなら本望だ」
――まさしくサキュバス依存症。
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ついにナザリック魔導国代表、ジョン・カルバインが呼び出された。
冒険者訓練ダンジョンの総監督でもある彼は、机に書類を叩きつけて呟いた。
「……馬鹿の再犯率、九割かよ」
横で書類を整理していたぐりもあが淡々と返す。
「幸福死の一種かもしれませんね」
「だからそれが問題なんだっての」
ジョンはギルドホール中央に出て、怒鳴り声を上げた。
「おい、“干からび常習者”ども!!」
ざわめく冒険者たち。
金の瞳がギラリと光る。
「今後、“無料休憩所”に自発的に入った奴には――
俺が《下位の呪い(レッサー・ギアス)》を掛ける!」
「ひぃっ……!」
「ジョン様マジギレだ……!」
「いいか、内容はこうだ!」
ジョンは指を突き出した。
「誘惑部屋に近づいた瞬間、全身に激痛が走る!
それでも入ろうとしたら、訓練ダンジョンへの入場資格を永久剥奪だ!!」
冒険者たちの間にどよめきが広がる。
「ひ、ひどい! 俺たちの自由はどこへ!」
「干からびる権利があるだろ!」
「蘇生費も払ってるのに!」
ジョンは大きくため息をついた。
「……お前ら、それもう訓練じゃなくて趣味だろ」
ぐりもあが小さく補足する。
「そもそも、これは“誘惑耐性訓練”です。誘惑に勝つための場所であって、負けに行く場所ではありません」
「……お、おれ一回だけ耐えたんです!」
「嘘つけ、干からびてたじゃねぇか!」
「いや、あれは油断だ!」
ジョンは頭をかきながら呆れ果てた。
「もういい。次に入った奴は痛みでのたうつから覚悟しろ。
それでも行くなら、今度は蘇生しねぇ」
静寂。
数秒後、誰かがぽつりと呟いた。
「……でも足湯は本当に良かったよな」
ジョンが睨む。
「足湯だけなら許可する」
「やった!」
「ただし! 個室には入るな!!」
「ちぇっ……」
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後日、ギルド掲示板には新しい注意書きが貼られた。
【重要通達】
“無料休憩所”個室利用者のうち、三回以上干からびた者には
“下位の呪い”《レッサー・ギアス》を付与します。
※症状:発熱・幻聴・サキュバス禁断症状。
※解除にはジョン様の許可が必要。
それ以降、休憩所の人気は少し落ちた。
……だが完全には止まらなかった。
「ギアスの痛みに耐えながら近づくと、逆に気持ちいいらしいぞ」
「痛みと快楽が合わさると“覚醒する”ってさ」
そんな噂を聞いたジョンは、机に頭を打ちつけながらぼやいた。
「……もう、“人間”じゃなくて“干からび系モンスター”だな。
次は入室制限じゃなく、永久封印だ」
その言葉にぐりもあが小さく笑った。
「でも、訓練としては効果ありますよ? “己の愚かさ”を知るって意味では」
「……確かに、教育としては完璧だな」
――そう皮肉を言いながら、ジョンは次の対策書類に「“欲望依存症対策班”新設」と書き加えた。