オーバーロード~狼(以下略)~その他まとめ 作:ぶーく・ぶくぶく
/*/ネム・エモット ― “緑の手”を持つ少女/*/
カルネ・ダーシュ村の朝。霧が晴れる頃、薬草小屋の裏で小さな手が忙しなく動いていた。
ネム・エモット――エンリの妹にして、まだ十歳の少女。だがその手つきは、すでに一人前の薬師のように確かだった。
姉の手伝いで薬草を刻み、煎じ、乾燥させるのが日課。だが彼女が他の子と違うのは、ジョンの道場に通って「気功治療」を学んでいたことだ。
体の内を巡る“気”を操り、癒しへと変える技――ジョンはそれを「命の流れを整えること」と教えていた。
ネムはその感覚を、草花にも感じ取れるようになっていった。
/*/“緑の手”の覚醒/*/
ある日、干からびかけた薬草を見つけたネムは、掌をそっとかざした。
ジョンに教わった通り、息を整え、気を掌に集中させる。
小さく震える指先から、淡い光が漏れた。
草の葉がゆっくりと色を取り戻し、まるで眠りから目覚めるように立ち上がった。
それを見たエンリは思わず息を呑んだ。
「……ネム、それ、どうやったの?」
「えっと……草が冷たくて、寂しそうだったから……少し温めてあげたの」
ジョンはその報告を聞いて、にやりと笑った。
「気功を通じて生命力を流せるようになったか。人の体だけでなく、植物にも――それが“緑の手”だ」
/*/
ジョン曰く「生命力とは気の流れそのもの」だという。
ネムは幼いがゆえに固定観念がなく、気を“命のあたたかさ”として自然に扱えたのだ。
/*/村の変化
ネムが薬草の世話をするようになってから、カルネ・ダーシュ村の薬畑は目に見えて豊かになった。
村人たちは彼女を“森の娘”“芽吹きの巫女”と呼び、ジョンの教えが村に根付いていく。
ジョンも「気を通わせるというのはこういうことだ」と、弟子たちに誇らしげに語るのだった。
/*/ カルネ・ダーシュ村・ジョン道場 黎明 /*/
朝霧がまだ地を這う時間。
村の外れにある小さな道場の庭に、十歳の少女ネム・エモットは裸足で立っていた。
露に濡れた草が足首をくすぐり、冷たい。だが彼女の瞳は真剣で、少しの迷いもなかった。
道場の戸が音もなく開く。
ゆったりとした歩調で現れたのは、師――ジョン。
灰色の道着の袖をまくり上げ、帯に手を添えたまま、静かに少女を見た。
「……決めたのか」
ネムは小さく頷いた。
「はい。お姉ちゃんみたいに、みんなを助けたいです。でも、病気やけがを治せるようになりたい。だから、弟子にしてください!」
その声は幼いが、心は澄んでいた。
ジョンは軽く息を吐くと、道場の奥から一本の棒――修行用の木杖を持ってきた。
そして、庭の中央に立つネムの前にそれを突き立てる。
「この杖は、俺の師から受け継いだ“気を繋ぐ証”だ。弟子入りの儀を受ける者は、自らの気でこの杖を震わせてみせる。言葉や力じゃなく、心を通わせるんだ」
ネムは緊張で唇を噛んだが、杖の前に膝をつき、両手を合わせた。
深呼吸。吸うたびに胸の奥が熱くなる。
――生きるものすべての息を感じて。
ジョンにそう教わった言葉を思い出しながら、静かに掌を杖へと伸ばす。
時間がゆっくりと流れた。
霧の中、鳥の声すら遠くなる。
ネムの掌から、ほんのりと緑がかった光が滲み出した。
柔らかい風が流れ、杖の表面を撫でるように震わせる。
やがて――その木杖が「トン……トン」と二度、静かに地を叩いた。
ジョンは目を細める。
「……やったな。これでお前の気が世界と通じた。気の呼吸は完全だ」
ネムは顔を上げた。
頬に朝陽の光が差し、緑の輝きが瞳に宿る。
「できた……! できました、師匠!」
「よし。だが覚えておけ。気功の目的は力じゃない。流れを整え、命を助けることだ。お前の“緑の手”は、そのためにある」
ジョンは懐から一枚の布を取り出した。
淡い白布に、緑の糸で“風と芽吹き”を象る紋が縫い込まれている。
彼はそれを慎重にネムの首へかけた。
「この布は、弟子の印だ。まだ半人前にも満たないが――今日からお前は、正式に俺の弟子、〈気功の徒〉ネム・エモットだ」
ネムは小さな拳を握り、深々と頭を下げた。
「はいっ! 絶対に立派な気功師になります!」
その瞬間、庭の周囲に植えられた薬草がふっと揺れた。
朝露をまとった葉が光を弾き、まるで祝福の雨が降るようにきらめく。
ジョンはわずかに口角を上げ、呟く。
「……自然が喜んでる。やれやれ、十歳の弟子に抜かされる日も近いかもしれんな」
道場に射し込む陽光が、師と弟子を包んだ。
ネムの背はまだ小さい。だがその手には確かな力――命を育む“緑の気”が宿っていた。
それはカルネ・ダーシュ村に新しい希望の芽を告げる、静かな朝だった。
/*/ カルネ・ダーシュ村・ジョン道場 午後 /*/
昼下がりの陽光が、道場の庭の薬草畑に降り注いでいた。
風は柔らかく、草花の香りが漂う。遠くから子供たちの笑い声が聞こえる中、庭の中央でネム・エモットは深く息を吐いた。
「息を整えろ。焦るな」
静かな声が背後から響く。
ジョンが木陰に立ち、腕を組んで弟子の姿を見守っていた。
ネムの目の前には、白い小花をつけるはずの薬草――〈ミルル草〉の株がある。
だが、花はまだ固い蕾のまま。
「この子に気を流して、咲かせてみせろ。それが今日の課題だ」
ネムはうなずき、掌をそっと伸ばした。
師に教えられた通り、気を押し出すのではなく、相手と“混ぜる”ように。
彼女の小さな手の中に、淡い緑の光が宿る。だが、花は動かない。
「……だめ、まだ届かない……」
ジョンは近づかず、静かに言葉を投げる。
「力で咲かせようとするな。お前の気はまだ荒い。命の流れに合わせろ。
植物は、命を急がない。焦るほど離れていく」
ネムは唇を噛んだ。
彼女の掌からあふれる光は少し揺らぎ、弱まっていく。
心が乱れた――その瞬間、草の葉がしおれかけた。
「……っ!」
「止めろ。気が乱れたまま続けると相手を枯らす。引け、ネム」
ジョンの声にハッとして手を引っ込める。
ネムはしょんぼりとうなだれた。
「ごめんなさい……この子、痛かったかな……」
ジョンは近づき、ネムの肩に手を置いた。
「謝ることはない。命を扱うなら、失敗を恐れずに感じろ。
なぜ草が痛いと感じた?」
「……気が、悲しそうに感じたんです。冷たくなって……」
「それが“通じた”証拠だ。気功師にとって、最初に覚えるべき感覚だ。
命の悲鳴が聞こえるようになったのは、第一歩だ」
ネムは小さく頷いた。
涙を拭い、もう一度ミルル草の前に膝をつく。
今度は掌を広げず、そっと両手で株全体を包み込む。
「ごめんね。もう一回だけ……」
目を閉じる。
風の音、鳥のさえずり、遠くで揺れる木々の葉――
その全てをひとつに溶かし込むように、ゆっくりと呼吸を重ねていく。
――生きている。
ミルル草の中にも、静かな鼓動のようなものが感じられる。
ネムはその流れに自分の気をそっと合わせ、ほんの少しだけ温もりを送り込んだ。
まるで春の陽射しが一瞬射し込んだように、草の葉がわずかに震えた。
蕾がふるふると揺れ、音もなくほどけていく。
花弁が一枚、二枚と開き――純白の小花が、ネムの掌の中で咲いた。
「……!」
ジョンは目を細め、わずかに口元を緩めた。
「見事だ」
ネムは驚きと喜びで声を失い、震える手の中の花を見つめた。
花の中心に淡い光が宿り、気の流れが穏やかに周囲へ広がっていく。
庭の薬草たちが風に揺れ、まるで一緒に息をしているようだった。
「師匠……咲いたよ……! 本当に……!」
「見れば分かる。よくやった、ネム。
その花はお前の気が世界とひとつになった証だ。もう“緑の手”は本物だ」
ネムの目に涙が浮かぶ。
「この子、嬉しそう……」
ジョンは軽く笑い、花を見下ろした。
「命ってのは、押しても咲かない。
けど、寄り添えば自ら咲く。お前が覚えたのはその違いだ。
それが、癒やしの根っこだよ」
ネムは花を両手で包み、大切そうに胸に抱えた。
その姿を見ながら、ジョンは小さく呟く。
「……これでカルネ村は当分、豊作だな」
「えっ?」
「お前が触るだけで畑が喜ぶ。下手をすれば、芽も実も早く育ちすぎるかもしれん。
……ま、村の婆さんたちが大騒ぎする前に、ちょっと練習量を増やすか」
ネムはくすっと笑い、頷いた。
「はいっ、がんばります!」
ジョンは立ち上がり、陽にきらめく庭を見渡した。
空には白い雲が流れ、風が香草の香りを運んでいく。
その中で、小さな師弟の影が並んで立っていた。
その手の中に咲いた花は、ただの草ではない。
命を感じ、命を咲かせた――ひとりの気功師の、確かな第一歩だった。
/*/ カルネ・ダーシュ村・ジョン道場 午前 /*/
木の床に響く足音、乾いた掛け声。
村の子供たちが円を描いて組手を見守る中、ネム・エモットは気を静めて立っていた。
髪を後ろで束ね、白い稽古着の袖をきゅっと締める。
その小さな体からは、まるで草木のような静かな気配が漂っていた。
向かいに立つのは、村の少年マーク。十二歳。
ネムより二歳年上で、体格も倍近い。
「今日は負けないぞ、ネム!」
「うん、よろしくお願いします!」
木陰で腕を組むジョンが、軽く顎を上げる。
「始め」
二人の間の空気が一瞬で張り詰めた。
マークが踏み込み、右拳を振り抜く。
踏み込みに力があり、腰も据わっている――だがネムの目がわずかに光る。
呼吸の揺らぎ、足の筋の収縮、そのすべてを“気の流れ”として読み取っていた。
拳が届くより早く、ネムの体が動く。
半歩、滑るように横に流れ、掌で軽く相手の腕を押し出す。
「くっ!」
マークの体勢が崩れ、その瞬間にネムの掌底が胸元に“止め”として添えられる。
ドン、と乾いた音。空気が震えた。
「そこまで」
ジョンの声が響く。
マークは呆然としたまま息を吐き、苦笑した。
「やられた……動く前に読まれてた……」
見ていた子供たちがざわめく。
「ネムちゃんまた勝った!」「すげぇ……動き見えなかった!」
ネムは少し困ったように頭を下げた。
「えっと、ごめんなさい。強く当ててないけど、痛くなかった?」
「ぜんぜん。ていうか、なんで避けられたのか分からん……」
マークが笑いながら首をかしげる。
ジョンは静かに歩み寄り、ネムの肩に手を置いた。
「……“先の先”を取る、か。見事だ」
ネムは首をかしげた。
「さきの……さき?」
「相手の動きが起こる前――つまり“気”の揺れを読んで、一瞬先に動くことだ。
お前の『緑の手』で身につけた感覚が、戦闘にも応用され始めてる」
ジョンは片手を挙げ、子供たちへ向けた。
「気は、見えないが必ず“流れる”。呼吸、視線、意志――それが揺らげば、動きの前に伝わる。
ネムはその流れを感じ取っているんだ。だから相手の攻撃が生まれる“前”に対応できる」
「えっ、そんなのズルくないですか!?」
年上の少年の一人が叫ぶ。
ジョンは笑って首を振る。
「ズルじゃない。鍛錬だ。ネムは他の誰よりも気を整える練習をした。
癒しのための“感応”が、戦の中で“先見”になっただけのこと。
命を感じる力が、そのまま守る力になる――それが気功の本質だ」
ネムは両手を見つめた。
小さな掌が、淡く輝いている気がした。
「……師匠。わたし、人を治すために気功を習ったけど……戦うのにも使えるんですね」
ジョンはゆっくり頷いた。
「命を護るためなら、癒しも拳も同じだ。
ただし忘れるな――気功は殺すための力じゃない。流れを正すための技だ。
お前が使う時は、“誰かを守る時”だけにしろ」
「はい」
その声は幼いが、芯が通っていた。
ジョンは満足げに頷くと、弟子たちに向かって言った。
「今日の稽古はここまでだ。午後は畑の手伝いを頼む。ネムは残れ」
子供たちが解散していく中、ネムは少し不安そうにジョンを見上げた。
「わたし……強くなりすぎちゃったのかな」
ジョンは笑った。
「強くなったんじゃない。“整った”だけだ。お前の中の気が、自然と調和してる。
その流れが早すぎて、他の子たちの動きが止まって見えるんだろう」
ネムは目を丸くした。
「止まって見える……たしかに、動く前に、風が当たるみたいに分かるんです」
「それが“気の波”だ。お前はもう、モンクとしても半人前以上だな」
ジョンは背を向け、道場の柱に寄りかかった。
陽光が差し込み、木目が金色に輝く。
「モンクのレベルが上がると、自然に世界の“息”が見えるようになる。
ガイキ・マスターとしての直感も磨かれてる証拠だ。
ただ――調子に乗るな。先を読む者ほど、自分の足元を見失う」
ネムは静かに頭を下げた。
「はい、師匠」
その時、庭の端で風が吹いた。
ネムの足元の草がざわりと揺れ、数輪の小花が咲く。
ジョンはそれを見て、笑みを浮かべた。
「……本当に、“緑の手”だな。お前が歩くだけで、命が咲く」
ネムは頬を赤らめ、笑った。
「じゃあ、わたしが通った後は、お花畑になっちゃいますね」
「それも悪くない。――だがまずは、強く優しくあれ。それが“気功の道”だ」
ジョンの言葉に、少女はまっすぐうなずいた。
春の風が吹き抜け、二人の間に新しい気の流れが生まれた。
それは小さな弟子の成長を告げる、柔らかくも確かな息吹だった。
/*/ ナザリック地下大墳墓 第9階層・ジョンの私室 /*/
机の上に広げられた魔法理論書と薬草資料。
ジョンが目を通している横で、モモンガが珍しく「疲れた」とため息をついた。
「どうしたんですか。珍しいですね、モモンガさんがそんな顔するなんて」
「……いやね。フールーダじいさんの件だよ」
ジョンが顔を上げる。
「フールーダ・パラダイン。帝国の大賢者で、あなたを“師匠師匠わが師よ”って慕ってるあの人ですよね。
どこが不満なんです?」
モモンガは骨の指で額を押さえた。
「あー、あのじじい……。血を吐きながら高位の位階魔法に到達しようとしてるじゃないですか」
「まぁ、熱心ですね」
「いや、ぶっちゃけキモイ」
「おい」
モモンガは手を振った。
「だってさ、私が少し手本見せただけで、翌日に目の下にクマ作って“師よ! この苦悶こそ成長の証です!”って叫ぶんだよ?
私、死者なのに引くって相当だと思わない?」
ジョンは肩をすくめる。
「確かに、方向性が違う情熱ですけど……まぁ弟子が慕ってくれてるのは良いことじゃないですか」
「いや、あれは“慕う”っていうより“憑りつかれてる”だよ。
たぶんあのまま放っとくと、死ぬまで詠唱しながら倒れるタイプだよ」
「そしたらまたアンデッドにするんでしょう?」
「まー、死んだらオーバーロードにしてやっても良いくらいですけどね」
「だから、なんでもアンデッドにするなっての」
ジョンが即座に突っ込む。
モモンガはしれっとして肩をすくめた。
「いやいや、冗談だよ。……半分くらい」
「半分残ってるじゃないですか」
「でもね、評価してる部分もあるんだ。
“死者の書”を精霊化してエル=ネクロシアを作ったのは、正直すごい。
あれがなかったら、ぐりもあさんを呼べなかったからね」
ジョンは顎に手を当てた。
「確かに、あれは快挙ですね。死者の書を自己存在変換で精霊に昇華させたっていう……
つまり、“死を司る知識”を生命体系に繋げた。完全に狂気の天才」
モモンガは頷いた。
「そう。狂気なんだよ。だから、尊敬はしてるけど、ちょっと怖い。
あの執念は、もはや“研究”じゃなくて“呪い”に近い」
「分かりますよ。生者としても、あれは気が狂ってるとしか言えません」
ジョンは肩を回しながら言う。
「でも、あなたとフールーダって似てますよね」
「は?」
「やってることのスケールは違っても、“限界を超えて世界を覗こうとする”姿勢は同じです。
あなたが《叡智安定冠》とか《死者の記憶盤》とか作るときの顔、あのじいさんそっくりですもん」
モモンガは一瞬黙った。
「……それ、キモイって言われた気がするんだけど」
「いや、あなたの場合は理性で止まってるから。
じいさんは理性がどっかに行っちゃってるだけです」
「なるほど、つまり“まだマシ”と」
「そう。比較的マシ。ちょっと死人増やすくらい」
「ちょっとって言うな」
二人の会話を聞いていたデスナイトが、無言で扉の外へ出ていった。
ジョンがそれを見て苦笑する。
「ほら、部下まで空気読んで逃げたじゃないですか」
「いやいや、逃げてない。……たぶん」
少しの沈黙のあと、ジョンはため息をついた。
「フールーダじいさん、あのままだとたぶん死ぬまで研究しますよ」
「そうだね。だから、せめて死後の居場所くらいは用意してあげようと思って」
「だからそれが“アンデッドにするな”って言ってるんだよ!!」
モモンガは骨の肩をすくめ、苦笑した。
「うーん、善意って難しいね」
「お前の善意は死者を増やす方向にしか働かないのが問題なんだよ」
その後――
モモンガは“弟子アンデッド化禁止”の条項を追加された。
だが彼はこっそりと、メモ帳にこう書き残していた。
『フールーダ、死後用バックアッププランA:オーバーロード軽装版』
ジョンに見つかるまで、三日だった。
/*/