オーバーロード~狼(以下略)~その他まとめ   作:ぶーく・ぶくぶく

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ヘジンマールの今

 

 

/*/ バハルス帝国・王都闘技場 /*/

 

 

観客席を揺らすような歓声と、鉄が軋むような咆哮が交錯する。

氷の結晶が宙に散り、白銀の竜鱗が陽光を反射した。霜の白竜――〈氷禍王〉ヘジンマール。

その吐息は嵐のような冷気を孕み、空気そのものを裂いてゆく。

 

対峙するは、黒金の獣――ヴィジャー・ラージャンダラー。

上半身は鋼のように隆起した獣人の筋肉、下半身は黒豹を思わせる獰猛な肢体。

漆黒の体毛に金属鎧を纏い、竜骨すら砕く篭手が鈍く光っていた。

 

「グルァァァァァッ!!」

怒号とともに地を蹴る。

闘技場の石床が砕け、ヴィジャーの巨体が黒い残光を引いて突進した。

その拳がヘジンマールの頬を掠め、白い血が弧を描く。

 

だが次の瞬間、竜の尾が唸りを上げて薙ぎ払った。

硬質な衝撃音。鎧が軋み、ヴィジャーの身体が宙を舞い、石壁に叩きつけられる。

 

「ぐっ……まだ、だッ!」

血を吐きながら立ち上がる。

体毛に氷が張り付き、呼吸は荒い。だが、瞳の奥にはなお闘志の光が燃えていた。

 

ヘジンマールが鼻を鳴らし、やや呆れたように首を傾げる。

「いや、まあ、君、強いと思うよ」

 

「くや……俺では竜に届かないというのかッ!?」

 

竜は肩をすくめた。

「でも、僕も“戦闘メイド並”らしいから……メイドだよ、メイド?」

 

闘技場に一瞬の静寂。

ヴィジャーは唇を震わせた後、獣じみた笑いを噛み殺した。

 

「……冗談を言う余裕があるなら、次はもっと本気で来い」

「そのつもりだよ。君がまた立つ限り、ね」

 

白い息が交差し、氷塵が舞う。

ヴィジャーは悔しさと誇りを混ぜた笑みを浮かべ、拳をゆっくりと握りしめた。

 

「ならば次は――“届かせて”みせる」

 

観客たちの歓声が、凍てつく空に響き渡る。

──天と地、竜と獣。

勝者なき戦いは、なお続く。

 

 

/*/ 帝国魔法学院・北棟屋上 夜 /*/

 

 

夜気が冷たい。

屋上の手すりに腰かけて、ヘジンマールは月を仰いだ。

下ではまだ学生たちが魔法理論の実習をしている。青白い光が、時折ふっと揺れる。

 

「……気づいたら“教授”か。おかしいな。」

 

独りごちて、笑う。

白い息が夜気に溶けて消えた。

 

「帝国の歴史と文化を学びに来ただけだったはずなのに。

 いつの間にか、講義をして、論文を査読して……」

 

爪の先で欄干を叩くと、氷の輪紋が広がっていく。

その中心に映る自分の顔は、人の姿をとってはいても、竜の瞳を隠しきれない。

 

「人の文化は面白い。“教える”という行為に、誇りや意味を見出す。

 学ぶ者がいれば教える者が生まれ、教える者が増えれば、やがて学問は宗教になる。」

 

軽く肩をすくめて、もう一度笑った。

 

「……そんなものを観察したくて来たのに、気づけば僕もその輪の中か。」

 

月が雲に隠れ、少しだけ暗くなる。

遠くで、学生の笑い声が聞こえた。

 

「彼らの方が、ずっと“生きている”な。

 竜は時間の中で冷えるばかりだ。――凍りつく知識には、何の意味もない。」

 

そう呟いて立ち上がる。

外套を翻しながら、階段へ向かう足取りは静かだった。

 

「さて……次の講義は“人間の愚かさ”について、だな。」

 

自嘲めいた笑いが夜に溶け、月がまた顔を出した。

 

──氷禍王ヘジンマール、その嘆きは誰にも届かぬまま、静かに凍てていった。

 

 

/*/ 帝国魔法学院・中庭 春の夕暮れ /*/

 

 

桜に似た淡い花弁が、風に乗ってゆっくりと舞っていた。

中庭のベンチに腰かけた三人のエルフは、学院の正門前を見つめていた。

そこでは、卒業生たちが最後の記念撮影をしている。

 

セルデーナが頬杖をつきながら、ぽつりと呟いた。

「人間は忙しいですね。昨日、入学したと思ったら、もう卒業してしまう。」

 

アイクは眼鏡の位置を直し、静かに頷く。

「彼らは百年も生きませんから。学ぶことを急ぐのも当然です。」

 

クアイアは風に揺れる花を見上げて、目を細めた。

「でも……忙しすぎて、見上げる空の色を忘れてしまいそうですね。

 季節の音を聞く暇もなく、春が通り過ぎてしまう。」

 

セルデーナが笑う。

「私たちが同じ速度で生きてたら、教授の講義、十回分くらいで一生終わっちゃうね。」

 

アイクが軽く咳払いをして言葉を返す。

「それでも、彼らは一瞬にすべてを込めようとする。

 私たちにはない“焦り”が、彼らを成長させるのかもしれません。」

 

クアイアは頷き、両手を胸の前で組む。

「春を急ぐ花ほど、香りが強い……。

 教授はきっと、そんな人間の“速さ”を学んでいるのかもしれませんね。」

 

三人は視線を交わし、微笑んだ。

門の向こうで夕陽が沈み、空が橙から群青へと変わってゆく。

その色の移ろいを、彼女たちは静かに見つめ続けた。

 

──エルフたちの時間は、春のように長く、そして穏やかに流れていた。

 

 

/*/ 帝国魔法学院・北棟・地下円形講堂 夜 /*/

 

 

夜更け。

学院の上階はすでに眠り、灯は落ちていた。

けれど、地下の円形講堂だけは青白い魔導灯が淡く明滅していた。

そこに集うのは、僕と三人の従者――アイク、セルデーナ、クアイア。

 

今夜の議題は「魂の情報密度と再構成理論」。

 

アイクが静かに口を開いた。

「――では、魂を“構造体”として扱うのは危険だと?」

 

「理論上はね。」

僕は手元の投影陣を操作しながら答えた。

「魂は情報だけど、完全なデータじゃない。観測されるたびに形を変える。

 つまり、“保存”はできても、“固定”はできないんだ。」

 

セルデーナが前のめりになり、光の陣を覗き込む。

「じゃあ、死者の魂を呼び戻す神聖術は、“再構成”じゃなくて“再記述”ってことですか?

 神の声で上書きしてるような――」

 

僕は軽く微笑んだ。

「おお、いいところに気づいたね。

 僕の仮説でも、神聖術の多くは“再記述型現象”だ。

 でも君たち神官は、どうしてそれを“奇跡”と呼ぶんだろう?」

 

セルデーナが肩をすくめて笑う。

「だって理屈で命が戻るなんて言われたら、神様が拗ねちゃいますよ。」

 

僕は少しだけ考え込み、静かに頷いた。

「……人間的だね。けど、学問にとって情緒は時に毒だ。」

 

その言葉に、クアイアがそっと口を開いた。

「でも、教授。情緒のない知識は、花のない春のようなものです。

 香りがなければ、誰も近づこうとしません。」

 

僕は思わず目を細めた。

「……君の詩は、時々、論文より鋭いね。」

 

クアイアは少しだけ照れたように笑った。

「詩は、論文よりも速く心に届くんです。」

 

アイクが咳払いをし、話を戻す。

「教授。では、“魂の保存”を可能にする理論的枠組みは存在しないと?」

 

「存在はする。ただし――実用は、僕たち竜でも危うい。」

僕は低く息を吐いた。

「魂は熱に似ている。冷やせば凝固するけれど、凍らせすぎれば二度と溶けない。

 僕はそれを“魂の絶対零度”と呼んでいる。」

 

セルデーナが眉をひそめる。

「……教授、それってつまり、蘇生じゃなく“封印”なんですか?」

 

「そうだ。帝国が追い求めている“死者の軍勢”の理論はそれに近い。

 だけど、彼らは理解していない。

 あれは命を蘇らせるんじゃなく――凍らせているだけなんだ。」

 

講堂に沈黙が落ちた。

三人は互いに目を合わせ、そして僕を見た。

 

クアイアが小さく息を吸う。

「教授……どうしてそんな危うい理を探すんですか?」

 

僕は答えを探すように、天井を見上げた。

「――僕は、知るために生きている。

 けれど“知ること”の果てに、人がどうなるのか……それを確かめたいんだ。」

 

その言葉を吐いたとき、胸の奥にわずかな痛みを感じた。

セルデーナが立ち上がり、胸の前で手を組む。

「じゃあ今夜だけは祈らせてください。

 教授の探す“果て”が、誰かの涙じゃなくて、希望になりますように。」

 

アイクも立ち上がる。

「教授、明日の講義は私が準備します。少し休まれてください。」

 

クアイアは灯を落としながら、やさしく言った。

「夜の風が静かです。今日の議論は、きっと良い夢になりますね。」

 

僕は三人を見渡し、小さく笑った。

「まったく……僕は竜だというのに、いつの間にか君たちに守られている。」

 

そして、ゆっくりと光を消した。

静寂。

講堂には、青い残光だけが漂っていた。

 

──後にこの夜の討論は「魂温度仮説」として記録され、

 帝国の学徒たちはそれを“氷禍王の夜会”と呼ぶことになる。

 

 

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