オーバーロード~狼(以下略)~その他まとめ 作:ぶーく・ぶくぶく
/*/ バハルス帝国・帝都 アーウィンタール宮殿 皇帝執務室 /*/
昼下がり。厚いカーテンを透かして、黄金色の光が執務机を照らしていた。
机の上には山のような報告書。その中央に、赤い封蝋の施された一通の書状が置かれている。
その書状を読み終えたジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスは、
こめかみを押さえながら深くため息をついた。
「……ジョン。貴様、竜王国に“鉄の騎士”を提供したらしいな。」
ソファにだらりと座っていたジョンが、肩をすくめてにやりと笑う。
「耳が早いな。竜王国の宮廷に情報提供者でも潜ませてるのか?」
「茶化すな。」
ジルクニフは眉間に皺を寄せ、机を指で叩いた。
「どういうつもりだ? 帝国との軍事均衡を崩す気か?」
ジョンはカップの珈琲をひと口すすり、平然と答える。
「そう身構えるなよ。目的は単純さ。
――東のミノタウロス国家との交易がしたいんだ。」
「……交易?」
ジルクニフは訝しげに目を細める。
「そう。“人間を食料と思ってる”ような奴らとだ。」
ジョンは机に肘をつき、軽く指を組んだ。
「竜王国の東端に、あいつらの国がある。
いずれ文化が成熟したら、鉱石や魔獣の素材なんかを交換できる。
だが――問題は“安全保障”だ。」
「だから軍備を整えさせたと?」
「ああ。あいつらが“話の通じる隣人”になるまでな。」
ジョンの声は軽いが、その目だけは冷たく光っていた。
「ミノタウロスの国は長命だ。
人間を食ってた“現役世代”が死に絶えるまで、2、3百年はかかる。
まあ、俺たちは待てるけどな。」
「……2、3百年、だと?」
ジルクニフは椅子の背に体を預け、呆れたように笑う。
「つまり、私の――六代後の皇帝くらいを見据えて動いているのか。」
ジョンは珈琲を置き、ゆっくりと笑った。
「なに気を抜いてるんだ。
そう簡単に“引退”させると思うなよ、ジル。」
「……なに?」
ジルクニフの手が止まる。
ジョンは軽く立ち上がり、彼の肩に手を置いた。
「知ってるか? アンデッド技術で“延命処置”くらい簡単にできるんだよ。
適正体質と精神強度があれば、百年どころか二百年は余裕で現役だ。」
ジルクニフの顔から血の気が引く。
「ま、まさか……」
ジョンはにやりと笑い、耳元で囁いた。
「なぁに、安心しろよ。
“国家を見届ける義務”がある皇帝陛下を、簡単に老いさせたりしないさ。」
「やめろ! その“実験的興味”みたいな顔をするな!」
「ははは、冗談冗談。」
ジョンは軽く手を振り、再びソファに腰を下ろす。
だが、その笑顔の奥の瞳だけは、冗談には見えなかった。
ジルクニフは冷や汗を拭いながら、
「……ああ、嫌な予感しかしない……」と小声で呟いた。
――その予感が、後に“帝国史上最長の在位”という
前代未聞の記録として現実になることを、
このときのジルクニフはまだ知らなかった。
/*/ バハルス帝国・王都アーウィンタール宮殿 皇帝執務室 /*/
夕陽が重厚なカーテンを透かして差し込み、黄金の反射が床を染めていた。
積み上げられた書類の山の向こうで、ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスは静かにペンを走らせていた。
その執務机の前、ソファにくつろいで珈琲を啜っているのは、いつもの厄介な訪問者――ジョン。
「そういえば、ジル。」
ジョンが何気なく口を開いた。
「お前、内縁の妻はいても公式な妃はいないんだよな。」
ペン先が止まる。
ジルクニフは少しだけ目を細めた。
「……そうだが。それがどうした。」
ジョンは頬杖をつき、軽く笑う。
「いやな、うちで預かってる竜王国のアウレリア姫とかどうだい?」
「……は?」
「才媛だし、見た目も良い。王家の血筋で教養もある。
それに――」ジョンはカップを置いて、真面目な口調になった。
「竜の血が入ってるから長命だ。
長生きさせる予定のお前にはぴったりだと思ったんだが。」
ジルクニフはしばし沈黙し、そして深くため息をついた。
「……“長生きさせる予定”という言い方が既に不穏なんだが。」
ジョンは悪びれずに肩をすくめる。
「だってお前、二百年は働いてもらう予定だし?」
「誰の予定だ、それは。」
ジョンは軽く指を立てて、
「俺。」
「やめろ。」
ジルクニフはこめかみを押さえ、額を揉んだ。
「……姉よりはマシだが、あの若作り婆が義姉になるのかと思うと背筋が寒くなる。」
ジョンは目を瞬かせ、
「本当に嫌そうだな。」
「当然だ。」
ジルクニフは真顔のまま言い放つ。
「私の義姉が“年齢不詳の怪物女王”になるなど、悪夢以外の何物でもない。」
ジョンは思わず吹き出した。
「はははっ! そんな風に言うなよ、竜王国の外交筋が泣くぞ!」
「貴様が勝手に話を持ちかけているんだろうが!」
ジョンは悪戯っぽく笑いながら立ち上がった。
「まぁまぁ。アウレリア姫は頭も良いし、あの姉上に似ず品がある。
お前みたいな政治脳とは、案外いい組み合わせかもしれないぞ?」
ジルクニフは渋面のままジョンを睨みつける。
「……余計なことを言いふらすな。特にアウレリア本人に。」
ジョンはにやにやと笑いながら、
「ははっ、言わない言わない。多分。」
「“多分”と言うな!」
夕陽が二人の影を長く伸ばす。
その光の中で、皇帝のため息と魔導国の悪友の笑い声が、
いつまでも室内に響いていた。
/*/ バハルス帝国・王都アーウィンタール宮殿 皇帝執務室 夕刻 /*/
窓の外、沈みかけた太陽が赤い帯を城壁に伸ばしていた。
書類の山に囲まれ、羽ペンを握るジルクニフの前で、
ジョンはカップを傾けながら気楽に口を開く。
「でも実際のところさ。」
軽くソファに背を預けたまま、ジョンは言葉を続けた。
「アウレリア姫って、お前が一番苦手な“権勢欲”とか“野心”とまったく無縁の育ちしてるだろ?」
「……まあ、それは認める。」
「宮廷闘争なんて絶対できないし、根が真面目で優しい。
ああいうタイプは、ジルの癒しになると思うぞ。」
ジルクニフは書類から顔を上げ、わずかに眉をひそめた。
「癒し、ねぇ……皇妃に癒しを求めるつもりはない。」
「そりゃ皇妃としては少し物足りないかもしれないけどさ。
でも、外交とかの仕事はできるだろ?
特産品の売り込みで竜王国からきたときの彼女の動き、見たんだろ?」
ジルクニフは小さくうなずく。
「……ああ、確かに。
あの若さでよくやっていた。言葉も礼儀も完璧だった。」
ジョンはにやりと笑い、カップを置いた。
「だろ? ほら、もう答え出てるじゃん。
猫のミリヤさんだけが癒しってのも寂しいだろ?」
「……別に、猫だけが癒しというわけでは――」
ジルクニフの返答が途切れる。
「……待て、なぜ“猫”に“さん”付けするのだ?」
ジョンは真顔で答えた。
「敬意を表してる。」
「やめろ。」
「だって、あの子、尻尾でお前の書類を整理してくれるんだろ?」
「……それは、まあ、そうだが……」
ジョンはにやりと笑う。
「つまり、お前の執務室で一番働いてるの、猫だよな。」
ジルクニフの額に青筋が浮かぶ。
「黙れ、魔導国の狂技師。」
「ははっ。けどまあ、猫でも姫でもいいけど、
“癒し”がない皇帝なんて、燃料切れの機械と同じだからな。」
ジョンの声は軽く、けれどどこか優しかった。
ジルクニフは一瞬だけ、苦笑を浮かべて首を振る。
「……お前の言葉は、時々だけ正論だな。」
「“時々だけ”って言うなよ。」
夕陽の光が執務室を染める。
猫のミリヤは窓辺で尻尾を揺らしながら、
まるで二人の会話を楽しむように「にゃあ」と鳴いた。