オーバーロード~狼(以下略)~その他まとめ 作:ぶーく・ぶくぶく
/*/ エ・ランテル・冒険者の宿 一階酒場 夜 /*/
ランプの灯がゆらめき、酒とスープの香りが立ち込める。
ざわめく冒険者たちの声の中で、奥の丸テーブルだけが妙に緊張感を帯びていた。
そこには――漆黒の剣の四人、ペテル、ルクルット、ニニャ、ダイン。
そして、神官装束《ヒーラーズ・ローブ》に身を包んだ竜王国のアウレリア姫と、いつものように寛いだ様子のジョンがいた。
「えっ?」
アウレリア姫はカップを持ったまま、驚いた顔をする。
「私の……輿入れ先が、帝国ですか?」
ジョンは苦笑し、手をひらひらさせた。
「いやいや、“候補”ってだけだよ。正式に決まったわけじゃない。」
「候補でも大問題ですよ!」
勢いよく身を乗り出したのはニニャだった。
「私は反対です! 政略結婚なんて絶対にだめです!」
「お前はそう言うと思ったよ。」
ジョンは苦笑しながら、カップの縁を指で叩いた。
ニニャは両手で机を叩き、真剣な表情を崩さない。
「だって、愛のない結婚なんて幸せになれません!
それにアウレリアに“宮廷闘争”なんてできないでしょう!」
「……うむ。」
ダインが重々しくうなずく。
「確かに我々とは立場が違うが、王族である以上、
政略結婚というのは避けられぬ宿命である……とはいえ、
アウレリア殿の性格を考えれば、火の海に放り込むようなものだな。」
「それ、俺もそう思う。」
ジョンが静かに言った。
「だったら……!」
ニニャは勢い込んで言いかける。
だが、その先を言う前に、ジョンが少しだけ表情を柔らげた。
「……でもな、ニニャ。お前が言いたいことは分かるけど、
アウレリア姫は“竜の血”を引いてる。
その長い命を通して、国を見て、支えていく立場にあるんだ。
だからこそ、政治的な話も避けて通れねぇ。」
アウレリア姫は静かに俯き、指先でグラスの縁をなぞった。
「私は……竜王国の再建のために生まれました。
だから、そういう話が出ること自体は……仕方のないことです。」
「でも!」
ニニャが立ち上がる。
「アウレリアは優しいです! 争いなんて向いてない!
ジルクニフ陛下みたいな政治の怪物たちの中に放り込まれたら――」
「……確かにな。」
ジョンは小さく笑い、肩をすくめた。
「アウレリア姫は、ジルが苦手とする“権勢欲”とか“野心”と無縁の育ちだ。
宮廷闘争なんて絶対できない。
でもな、だからこそ“癒し”になれると思うんだ。」
「癒し……?」
アウレリアが小さく問い返す。
ジョンはにやりと笑い、
「皇妃としては少し物足りないかもしれないけどさ。
外交の仕事ならもうできてるだろ?
この間、特産品の売り込みで堂々としてたじゃないか。
あれ見てたジル、ちょっと感心してたぞ。」
「本当ですか?」
アウレリア姫の頬がうっすらと紅くなる。
「本当本当。
……それに、猫のミリヤさんだけが癒しじゃ寂しいだろ?」
「猫……さん?」
アウレリアが瞬きをする。
「“さん”付け!?」
ペテルが思わず吹き出した。
ジョンは真面目な顔で言う。
「だって、あの猫、尻尾で書類整理してくれるし、ジルの仕事を半分助けてる。
あれはもう、側近クラスの働きだ。」
ダインがうなる。
「それは……確かに“さん”をつけるべき働きぶりである。」
「そういう問題じゃない!」
ニニャが突っ込む。
「でもジョンさん……アウレリアが“癒し”になれるって、
それは、愛される相手であるってことですよね?」
ジョンはふっと笑ってグラスを傾けた。
「さあな。そればっかりは本人たち次第だ。」
沈黙。
アウレリア姫の指が、そっと胸元のペンダントを握る。
灯火が彼女の瞳を揺らめかせ、その光の中でほんの少し、
夢見るように笑った。
――その夜。
冒険者の宿の片隅で、
“政略結婚の噂”は、いつの間にか“恋の話”として囁かれ始めていた。
/*/ エ・ランテル・冒険者の宿 二階共用ラウンジ 昼下がり /*/
陽光が窓から差し込み、古びた木の床を明るく照らしていた。
外は穏やかな風。
だが室内には、どこか気まずい空気が漂っている。
テーブルにはジョン、ペテル、ルクルット、ダインの三人。
そして――肝心のニニャの姿だけがない。
ジョンは頬杖をつき、気の抜けた声でぼやいた。
「ペテル~、ルクルット~、ダイン~……。
ニニャがあれから口きいてくれないんだよぉ。」
「……それはまぁ、仕方ないのではないか?」
ダインが真面目な顔でスープをかき混ぜながら言う。
「ニニャの姉上は、貴族に攫われてひどい目にあったと聞く。
貴族同士の政略結婚や政治的婚姻に忌避を示すのは、やむを得ないのである。」
ルクルットが苦笑しながら肩をすくめた。
「そりゃそうですよ。ジョンさんが“帝国との縁談”とか言い出したら、
そりゃ怒りますよ。あの子、アウレリア姫を本気で守りたいと思ってるんです。」
ペテルも腕を組み、真剣な顔でうなずく。
「ニニャは……自分の家族を守れなかったと思っているんです。
だから、“誰かを政治の駒にされる”のを見るのが何よりも嫌なんですよ。」
ジョンはカップの中を覗き込みながら、少し沈黙した。
「……なるほどな。」
ルクルットが肩を竦めて笑う。
「ジョンさん、たぶんニニャ、怒ってるというより――悲しかったんですよ。」
ジョンはぼんやりと窓の外を見る。
エ・ランテルの通りを歩く人々。
笑い声。光る屋根瓦。
そしてその向こう――彼の脳裏には、泣きそうな顔で睨みつけてきたニニャの姿が浮かんでいた。
「……悪ぃことしたな。」
ジョンは小さく呟く。
「いや、悪意はなかったのである。」
ダインが穏やかに言う。
「だが、優しさゆえに人を傷つけることもある。
今は時間を置くのがよいのである。」
ペテルは微笑を浮かべ、
「そのうち、ちゃんと話せますよ。あの子、意外と素直ですから。」
ジョンは息をつき、口元をゆるめた。
「……ま、怒る元気があるだけマシか。
俺の周りは、怒るより黙って首落とすタイプばっかだからな。」
その場に一瞬、微妙な沈黙。
ルクルットが恐る恐る笑いながら言った。
「……えっと、それは“冗談”ですよね?」
ジョンはにっこり笑い、
「もちろん冗談だとも。」
だが、その笑顔の奥の金色の瞳は、どこか本気だった。
ペテルたちは顔を見合わせ、
「やっぱり“怒るだけ”で済んでるニニャは偉いな」と
小声で囁き合うのだった。
/*/ エ・ランテル・一階酒場 夜 /*/
ランプの灯が揺れ、木の卓を温かく照らしている。
冒険者たちの笑い声や食器の音が混ざる中、
ジョンとニニャが向かい合っていた。
他の仲間たちは少し離れた席で、
「また始まったな」という顔で見守っている。
ニニャの頬は少し紅潮し、目は真っ直ぐ。
手にしたグラスをぎゅっと握りしめながら言った。
「どうせ、皇帝なんて言っても――女を侍らせて、
認知しない子供とか、いっぱいいるんでしょ!
そんな人にアウレリアを嫁がせるとか、あり得ません!」
ジョンは一瞬、黙った。
そのあと、苦笑いを浮かべながら肩をすくめる。
「あー……うん。あいつ、表に出してない子供、結構いるな。」
「ほら! やっぱり!」
ニニャが机をばんっと叩いた。
「そんな人、最低です! 権力の座にいるからって、
何しても許されるなんて、間違ってます!」
「……まあ、そう言いたくなる気持ちは分かる。」
ジョンは椅子にもたれ、少し真面目な口調になる。
「けどな、ニニャ。
あいつ――ジルクニフは、遊びでそうしてるわけじゃない。」
「……どういうことですか?」
「皇帝だからさ。」
ジョンはゆっくりとグラスを回し、
琥珀色の酒を揺らめかせながら続けた。
「帝国ってのは、まだまだ盤石じゃない。
内政も、後継も、油断すればすぐに傾く。
だから、“次代の皇帝候補”を育てる必要があるんだ。
愛の結晶じゃなくて、“国家の成果”としてな。」
ニニャは眉をひそめ、言葉を詰まらせる。
「でも……それって……子どもを道具みたいにしてるじゃないですか。」
「そうだな。冷たいやり方だよ。」
ジョンは静かにうなずく。
「けど、あいつは“自分の欲望”のためにそれをしてるわけじゃない。
王国の腐った貴族みたいに、
己の快楽で女を傷つけたり、子を捨てたりはしない。
全部“国のため”って割り切ってやってる。
……だからこそ、あいつは孤独なんだ。」
その言葉に、ニニャははっとした。
グラスを見つめながら、
「……孤独?」と呟く。
「そう。
愛する人を一人も選べない。
選んだ瞬間、そこに権力の天秤が生まれるからな。
あいつは自分の“感情”を切り捨てて、
国を回してるだけの機械みたいなもんだ。」
ジョンの声は穏やかだった。
けれどその奥には、ほんの少しの哀しみがあった。
「だから俺は、あいつに“癒し”をやりたいと思ってる。
アウレリア姫みたいに、争いも権力も知らない、
優しい子が隣にいれば、少しは人に戻れるかもしれない。」
ニニャは唇を噛みしめた。
そして、ゆっくりと顔を上げる。
「……ジョンさん、優しいですね。」
ジョンは苦笑し、肩をすくめた。
「俺は現実主義者なだけさ。
愛も理想も大事だけど――
“守れる現実”を作る方が、もっと大事だ。」
ニニャは静かに頷き、グラスを持ち上げた。
「……それでも、アウレリアが悲しむなら、私は止めますよ。」
「止めろよ。」
ジョンは笑ってグラスを合わせた。
「そうやって“本気で怒る”やつがいないと、世界は腐るからな。」
ジョンはグラスを軽く揺らしながら、穏やかな口調で言った。
「まーでもな、ニニャ。アウレリア姫ってのは、政略結婚でも結婚してから相手に恋をして、ちゃんと愛することができるタイプだと思うぞ。」
ニニャは腕を組み、難しい顔をする。
「……でも、ジルクニフ陛下が、アウレリアをそう見てくれるかどうか……」
ジョンは小さく笑い、
その笑みの奥に、どこか現実を見据えた色を宿した。
「そこなんだよ、問題は。
あいつな、女性関係については――心が死んでる。」
「……え?」
ニニャが目を瞬かせる。
ジョンはグラスを置き、低く続けた。
「父親である先代皇帝が、妃だった母親に殺された。
政略と権力にまみれた愛の末路を、子供の頃に見せつけられたんだ。
そりゃもう、根っこから信じられなくなるわな。」
ニニャの顔から怒気が引き、代わりに少しだけ悲しみの色が浮かぶ。
「……そんなことが……」
「だからさ。」
ジョンは苦笑しながら、指で卓を軽く叩いた。
「ジルクニフがアウレリア姫を受け入れられなければ、この話は無しだ。
“好きでもない相手と結婚して我慢しろ”なんて強制はしない。
アウレリアが愛のない結婚を強いられることは、絶対にない。
そこは安心しろ。」
ニニャは小さく息をついた。
「……本当、ですか?」
「ああ。」
ジョンはにやりと笑った。
「俺がついてる。
嫌な話なら、俺が握り潰す。」
ニニャはわずかに笑って、それでもどこか寂しげな表情でグラスを見つめた。
「……アウレリアは長生きだから、どんな人と結婚しても幸せに生きていけそうですけど……
私たちは……いつか、置いてかれますね。」
ジョンはその言葉に、一瞬だけ視線を落とした。
そして、わざと軽い調子で言った。
「おいおい、しんみりするなよ。
アウレリア姫は竜の血で長命だけど、
ニニャは“普通の人間”なんだからな。
他人の恋より、自分の人生を心配しろ。」
「……わ、分かってますけど。」
ニニャは頬を赤らめ、目を逸らした。
「でも……あの子が誰かに傷つけられるのは、やっぱり嫌なんです。」
ジョンは優しく笑う。
「なら、それでいい。
お前がそう思えるうちは、アウレリアもきっと幸せだ。」
彼の声は、いつになく柔らかかった。
ランプの炎が二人の間で揺れ、
ニニャの瞳にその光が映る。
――現実主義者と、理想を信じる少女。
その夜の会話は、まるで遠い未来を見据える約束のように、
静かに酒場の喧騒に溶けていった。
/*/ エ・ランテル・一階酒場 夜 /*/
夜更けの酒場は、すっかり落ち着いた空気に包まれていた。
酔いつぶれた冒険者たちが隅で寝息を立て、
残っているのはジョンとニニャ、そして半分冷めたスープの皿だけ。
ジョンはグラスを軽く傾けながら、
どこか楽しそうに言った。
「そうだ。そんなにアウレリアが心配なら――
ついていけるように“メイド修行”でもしてみるか?」
「……は?」
一拍の沈黙。
酒場の奥から「グラスが割れたような音」が聞こえたほど、完璧な“間”だった。
ジョンは唇の端を上げて笑った。
「おお、渾身の“は?”が来たな。そんなに嫌か?」
「嫌ですよ!!」
ニニャが即答した。
「貴族相手するとか死んでも嫌ですね!
皮肉と見下しの笑みを貼り付けた連中に頭下げるなんて、絶対無理です!」
ジョンは肩をすくめ、テーブルに肘をついた。
「そうは言ってもな。
いつかアウレリア姫が王宮に戻ることになったら、
会いに行く時に最低限の礼儀作法くらいは出来てないと、
アウレリアに迷惑が掛かるぞ?」
ニニャは一瞬、口を開きかけて、そして言葉を詰まらせた。
「……会いに、行けるんですか? 私たちが?」
ジョンは少しだけ目を細め、穏やかに笑った。
「そりゃ行けるさ。
お前さん、“第五位階”まで進んだ魔法使いとの縁をないがしろに出来る国なんて、
そうそうないぞ。」
「……第五位階……」
ニニャは自分の手を見つめた。
指先には魔力の微かな光が宿る。
その力がどれほどの価値を持つのか、
彼女自身が一番分かっていないようだった。
ジョンはそんな彼女を見て、少しだけ優しく笑う。
「お前の実力、もうちょっと自分で評価してやれよ。
“庶民出の魔法使い”なんて言葉、もう誰も使わねぇ。
お前は――超一流の冒険者で、ちゃんと認められた術者だ。」
ニニャは俯いたまま、少しだけ頬を赤く染めた。
「……褒めても何も出ませんよ。」
「いや、飯は出る。俺のおごりで。」
「えっ?」
ジョンが手を挙げると、
奥から給仕の声が返ってきた。
「チーズ入りシチューと焼きパン追加で!」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! そういう問題じゃ――!」
「修行前に腹ごしらえだ。」
ジョンはにやりと笑って、
「メイドは体力勝負だぞ?」と追い打ちをかける。
ニニャは両手で頭を抱え、
「もうやめてくださいぃぃ!」と叫んだ。
その声に、カウンターの冒険者たちが笑い、
ジョンは楽しそうにグラスを掲げた。
――その夜。
酒場の灯が揺れる中、
師弟のような二人のやり取りは、
まるで父と娘のように温かく、賑やかに続いていった。