オーバーロード~狼(以下略)~その他まとめ 作:ぶーく・ぶくぶく
/*/ナザリック地下大墳墓 第9層・使用人食堂/*/
長い石造りの廊下を抜けると、明るい灯が並ぶ使用人食堂に出た。
整然と並んだテーブル、銀食器が整列し、空気にはわずかな香油と清潔な石鹸の香りが漂う。
そこに、メイド長ペストーニャ・S・ワンコが姿勢よく立っていた。
彼女の前に並ぶのは、ナザリックに仕える41人のメイドたち。
全員が作業を中断し、新入りの紹介に注目している。
ペストーニャは柔らかい声で宣言した。
「紹介するわん。こちら、カルバイン様の弟子の――ニニャだわん。
しばらく礼儀作法の勉強に、私たちの元でメイド修行をすることになったわん。
皆、指導してやって欲しいわん」
その隣に立つニニャは、緊張した面持ちで頭を下げた。
白と黒のメイド服に身を包み、短い茶髪を隠すための金髪ウィッグを被っている。
その姿は――まるでツアレを思わせた。
(……やばい、鏡で見ても自分でもちょっと似てる)
内心でニニャは焦っていたが、ペストーニャの紹介を遮るわけにもいかず、
慣れないスカートの裾を摘んで、お辞儀をした。
「よ、よろしくお願いしますっ」
メイドたちは、一瞬だけ沈黙した後、
ぱっと表情を明るくし、拍手を送った。
「まぁ! 弟子様がメイド修行なんて!」「素晴らしいわね!」
「若いのに偉い」「一生懸命な子は好きよ!」
――だが、その拍手の裏では、別の計算も働いていた。
「しばらくしたらいなくなる子ね」
「つまり私たちの仕事は奪われない」
「“メイド修行”ということは……外に出た後、その子の出来で私たちの評価も上がる」
そう理解した瞬間、ナザリックのメイドたちの目が変わった。
教育者の、いや、職人の光を宿した真剣な眼差しである。
「――それでは早速、掃除の基本から!」
「給仕の姿勢が違う! 腰を落として! はい、もう一回!」
「笑顔が引き攣ってるわよ? お客様は癒やされに来るんだからね!」
ニニャはひたすらに動いた。
モップを握り、皿を磨き、礼の角度を十度単位で修正され、
三歩進んでは「やり直し」と言われる。
昼にはペストーニャが優しく差し入れを持ってきた。
「がんばってるわん。水分補給、忘れずにだわん」
「は、はいっ……ありがとうございます……!」
その頃にはもう、ニニャの足は棒のようであった。
夜。
食堂の片隅で、金髪ウィッグを外して椅子にぐったり寄りかかる。
「……こ、これが……礼儀作法……」
ペストーニャが隣に座り、静かに笑う。
「大変だったわん? でも、いい刺激になったでしょ」
「ええ……研究ばっかしてて、頭の中が煮詰まってたんです。
でも今日の一日は……なんか、すごく“生きてる”感じがしました」
「ふふ、良いことだわん。メイドの仕事はね、“生かす”こと。
食事も、掃除も、人の心も」
ニニャは小さく頷き、柔らかく笑った。
その笑顔は、金髪ウィッグ越しに――ツアレの面影を宿していた。
そして翌朝。
再びメイドたちの声が響く。
「ニニャさん、今日はベッドメイキングよ!」
「さ、気を抜かないで! 昨日の続きからいくわよ!」
――こうして、ナザリックの“最も厳しいが優しい訓練場”で、
ニニャの数日間のメイド修行は始まったのだった。
/*/帝都アーウィンタール・皇宮・アウレリア滞在用客室前 午前/*/
帝都の朝は、陽光がまだ弱いというのに、すでに張り詰めた空気を孕んでいた。
皇宮の奥に設けられた客室――そこは竜王国の王妹、アウレリア・オーリウクルスが滞在する部屋である。
廊下には、彼女を護るリザードマンの戦士たちが立ち並んでいた。
漆黒の鱗に覆われた巨体、冷ややかな爬虫の瞳。
その威圧感に、皇宮警備の人間兵士たちでさえ一歩下がっている。
さらに、アウレリア付きの侍女――人狼族のマルグリットとデルフィーヌ。
今日は二人とも、人狼形態のままメイド服を纏っていた。
尖った耳と黄金の瞳、鋭い牙を覗かせた横顔。
だが、その動作は優雅そのもので、銀盆を運ぶ手には一切の乱れがない。
異形でありながら、完璧な仕草と礼節を併せ持つ。
それこそ、竜王国式の“戦う侍女”だった。
――そして今日、その二人のもとに一人の見習いが加わっていた。
金髪のウィッグを被り、白と黒のメイド服を着た少女、ニニャ。
もともとは冒険者で、ナザリックでのメイド修行を経て、
友人であるアウレリア姫の手伝いとして派遣されてきたのだ。
「……あ、あの、マルグリットさん、袖が引っかかっ……!」
「はいストップ。姿勢を崩さず直して。メイドは優雅でなくては」
「は、はいっ!」
デルフィーヌは微笑みながら紅茶の器を整える。
「緊張しなくても大丈夫。誰だって最初はぎこちないものですよ」
そこへ、扉が静かに開いた。
黒髪の少女が姿を現す。
長く艶やかな黒髪を背に流し、金色の瞳が朝の光を映す。
竜王国の王妹、アウレリア・オーリウクルス。
その気品と静かな強さが、場の空気を一瞬で掌握する。
「おはよう、ニニャ。今日もよろしくね」
「は、はいっ! アウレリア姫!」
アウレリアは柔らかく笑みを浮かべた。
「そんなに緊張しなくてもいいのよ。今日は竜王国の新しい珈琲豆の試飲会だけ。
帝国の商人たちに、私たちの味を知ってもらう日なの」
テーブルの上には、竜王国の山麓で栽培された黒褐色の豆が並ぶ。
“黒竜の息吹”と名付けられた新種の珈琲。
焙煎された香りが漂うたび、部屋全体が柔らかな焦げ香に包まれる。
マルグリットが魔導ポットで湯を注ぎ、
デルフィーヌがカップを用意する。
その一連の流れはまるで舞のようだった。
「ニニャ、砂糖壺を」
「は、はいっ!」
おずおずと盆を差し出すニニャに、アウレリアは穏やかに微笑んだ。
「あなたが入れてくれた方が、きっと美味しいわ」
その言葉に、ニニャの頬がほのかに赤くなる。
蒸気が立ちのぼり、香ばしい珈琲の香りが広がった。
アウレリアはゆっくりとカップを傾け、満足そうに目を細める。
「……うん。これなら帝国でも通じるわ。
竜王国の農家たちに、胸を張って報告できる」
ニニャはほっと息をつき、黒髪と金の瞳の王妹を見上げた。
その姿は、まるで夜空に浮かぶ金星のように美しく、強く――そして温かかった。
この日、竜王国の珈琲は帝国市場への第一歩を踏み出し、
ニニャにとっては、ナザリック以来となる“緊張と誇りの一日”となったのである。
/*/バハルス帝国・魔導国大使館別館 夕刻/*/
アウレリア姫のもとでの仕事を終え、ニニャはようやく大使館の別館に戻ってきた。
薄暮の帝都の空が橙から群青に変わる頃、玄関ホールのランプが灯り、柔らかな光が石壁に映える。
その光の中に、白いエプロン姿の女性が立っていた。
別館メイド長――ツアレ。
金髪を後ろで束ねた彼女は、穏やかな笑みを浮かべて一歩前に出た。
「おかえりなさい、ニニャ。今日も一日、頑張ったわね」
「お姉ちゃん……」
ニニャは少し顔をほころばせ、緊張の抜けた声で息を吐いた。
「アウレリア姫のところ、すごかったよ。
護衛のリザードマンさんも、人狼のメイドさんも、みんな綺麗で怖くて……。
お茶会の準備で失敗しないようにって、手が震えてさ」
ツアレは小さく笑い、妹の肩にそっと手を置く。
「ふふ。偉いわ、ニニャ。
毎日気を張って頑張ってるのね。……お姉ちゃんも、最初はそうだったのよ。
緊張でお皿を割って泣いた日もあるんだから」
「えっ、お姉ちゃんでも?」
「ええ。毎日が勉強だったわ」
二人は並んで廊下を歩く。窓の外では夜の帳がゆっくりと降り、街の灯が瞬いていた。
ツアレは立ち止まり、少し誇らしげに言った。
「でもね、あなたの方がずっと凄いわよ。
帝国で名高いフールーダ様が認めた才媛が、アウレリア姫付きのメイドをしている――
その噂、帝国の貴族たちの間で広まっているの」
「え、うそ……ほんとに?」
「ほんとよ。アウレリア姫の力になれている証拠ね。
ちゃんと“ナザリック式の誇り”を身につけてるわ」
ニニャの頬が少し赤く染まる。
「……お姉ちゃんにそう言ってもらえるの、嬉しい」
ツアレは優しく微笑み、妹の手を取った。
「さあ、今夜はちゃんと食べて、早く休みなさい。
明日もあなたを見てる人がたくさんいるんだからね」
「うんっ!」
ランプの灯がふたりを包み込む。
姉と妹――ナザリックで生まれた絆は、
異国の帝都でも、変わらず温かく輝いていた。
/*/ナザリック地下大墳墓 第9層・モモンガ執務室 朝会/*/
魔導灯の白い光が静かに照らす執務室。
長机の上には、積み重ねられた報告書と、湯気の立つ珈琲のカップ。
ジョン、ぐりもあ、そしてモモンガが、いつもの朝会を始めていた。
ジョンがカップを置き、報告書の一枚をひらひらと持ち上げた。
「――まーニニャにメイドやらせるとか、人材の無駄遣いなんだがな」
ぐりもあが即座に頷く。
「ですね。彼女の能力なら、魔導国研究局か学院に入れて論文の一本でも書かせた方が、よっぽど有意義ですからね」
ジョンは肩を竦める。
「だろ? 本人、あんなに真面目で優秀なのに、掃除と給仕で汗かいてんだぜ」
モモンガは静かに書類を閉じ、骨の手を組んだ。
「しかし――彼女自身が望んだことですよ。
友人のために何かをしてあげたい、その気持ちは、ナザリックとしても無下にはできません」
ぐりもあが小さく笑う。
「……それね」
ジョンも頷きながら珈琲を啜る。
「それな。
ま、俺も昔、友人のために無駄みたいなことを必死でやったことあるしな。
ああいう気持ちは、放っておくより応援した方がいい」
モモンガが微かに笑みを含んだ声で続ける。
「ええ。彼女にとって、それが“学び”になれば十分。
どんな役職よりも、心を磨く経験になりますから」
ぐりもあが机の上に次の議題書を置きながら言った。
「となると、次は“メイド修行修了後の進路”についても考えておくべきですね」
ジョンは苦笑して言う。
「本人がそのままツアレの下で働きたいって言い出したら、どうする?」
モモンガは軽くため息をつき、静かに答えた。
「……そのときは、“優秀な研究員が一人、掃除好きになった”と受け入れましょう」
三人の笑いが静かに広がり、
ナザリックの朝が、また穏やかに動き出した。