オーバーロード~狼(以下略)~その他まとめ 作:ぶーく・ぶくぶく
/*/星の残光(ほしのざんこう)/*/
カッツェ平野に、風が吹いていた。
夕陽は傾き、長く伸びた七つの影が草原に落ちている。
それは、折れた塔の影――七つの巨塔。
かつて「ネコさま大王国」と呼ばれたミャウルディアの魔導塔群だった。
塔の先端には、いまだに青白い光が灯っている。
それは夜を待つ星のように微かに脈打ち、時折、心臓の鼓動のように明滅していた。
ジョンは草の上に立ち、腕を組んでその光を見つめていた。
「……カッツェ平野は、ミャウルディア王国の領地だったんだよな。
八欲王の生き残りのエルフ王に攻められて滅んで、
あの七つの折れ塔だけが残った。
ミャウルディアのにゃんこの塔……にしては、造りが異様だ。
星の智慧派はあれを“智慧の眼”って呼んでるけど、どういう意味なんだろうな。
『塔の頂上に残る光は、星の残光』――って、あれ、誰が言い出したんだ?」
横でしゃがんでいたミリヤが、欠けた塔を見上げながら尻尾をひらりと揺らした。
彼女の声には、どこか苛立ちと疲れが混じっていた。
「あーしが聞きたいくらいだよ。
あれ、うちらの国の塔だったのにさ、今じゃ星の智慧派の聖遺構扱い。
教団の連中が中で変な儀式してるし、勝手に“神々の眼”とか呼んでんだよ。
意味わかんないっての。」
ジョンは軽く息を吐く。
ミリヤの尻尾が風に煽られ、草をなでた。
「……星導師が“ルメナ・クレア・ナイ”って名乗るのは、まだ続いてるのか?」
「ああ。ずっと。
何代変わっても、星導師は必ずルメナ・クレア・ナイ。
生まれ変わってんのか、乗っ取られてんのか知らないけど、
あの名前だけは変わんないんだよ。
……聞くなら本人に聞きなよ。初代だって、まだどっかにいるかもね。」
ジョンは静かに頷き、塔の方を見た。
その瞬間、遠くの塔の光が脈打つように明滅し、
空気が一瞬だけ震えた。
「――ルメナ・クレア・ナイ。
星の智慧派の初代星導師。
あんたに問う。あの塔を“智慧の眼”と呼んだ理由を、教えてくれ。」
風が止んだ。
空の色がわずかに変わる。
そして、どこからともなく、女の声が降りてきた。
それは耳で聞くというより、頭の奥に直接響く声だった。
「……懐かしい名を呼ぶのね。
あれは塔ではない。眼よ。
神々が地上を覗くための“観測器官”。
あの七つの折れ塔は、かつて天と地を繋ぐ『視線』の焦点だったの。」
ジョンは眉をひそめた。
ミリヤは背を丸め、耳をぴくりと動かす。
「神々が……見るための塔?」
「そう。
神々は天の彼方に在り、地上を直接見ることはできなかった。
だから“眼”を造ったの。
世界を記録し、魂を選別し、観測するための装置として。
あの塔は祈りを捧げるものではなく――祈りを観測するためのものだったのよ。」
ミリヤは小さく息を呑んだ。
「あーしらは……神に祈ってたんじゃなくて、
神に“見られてた”ってわけ? 最悪だね。」
ルメナの声は、冷たくもどこか哀しげだった。
「祈りは届くものではない。
祈りは、見られるための光。
けれど――今、あの塔を動かしている存在は……私にも分からない。」
ジョン「……どういう意味だ?」
「私はもう、人ではない。
そして、私の名を継ぐ者もまた、人ではない。
“ルメナ・クレア・ナイ”の名は今、混沌の使者に渡された。
ニャルラトホテプ――外なる神の現身が、私の名を借りてあの塔を動かしている。」
風がざわめく。
塔の光が赤黒く滲み、まるで何かが瞬きをしたように明滅した。
「あの光は、もう星の残光ではない。
神々が地上を見た“眼”を、今は混沌が覗いている。
何を視ているのか、誰にも分からない。」
沈黙。
ジョンは目を細め、遠くの塔を睨むように見つめた。
「……神の観測装置を、外なる存在が乗っ取ったってわけか。」
ミリヤが尻尾をぱたんと叩き、ふてぶてしく笑った。
「……やっぱ、触らない方がいいね。
星の智慧派の連中、頭おかしいと思ってたけどさ。
あんなもん動かしてんの、“神”でも“人”でもねえじゃん。」
ルメナの声が、遠くで微かに笑った気がした。
「それでも、智慧を求める者はいる。
星の残光を覗くことは――神々が去った後も、“観測されること”の悦びだから。」
光がふっと消え、夜が訪れる。
風が戻り、草の波が音を立てた。
ジョンは静かに呟いた。
「……神に見られるための塔。
でも今は、混沌に見られているのか。」
ミリヤは肩をすくめ、黄昏の空を見上げた。
「見られて気分いい奴なんていないよ。
でも、あーしらはずっと、誰かの“眼の中”で生きてきたんだろうね。」
草の香りが、夜風に溶けた。
七つの折れ塔は静かに沈黙し、ただ、星々の光だけがその影に瞬いていた。
/*/ 「這い寄る混沌と観察欲」 ナザリック地下大墳墓 第九階層・ジョンの私室 /*/
夜。
机の上に広げられた古文書の頁が、ランプの光を受けて淡く揺れていた。
先ほどまでのカッツェ平野の記録をまとめたばかりのジョンは、
ため息をつきながら紙束を閉じる。
「……つまり、あの七つの折れ塔を今動かしてるのは、
外なる神――ニャルラトホテプの現身、ルメナ・クレア・ナイか。」
その名前を口にした瞬間、
ジョンの隣で静かに聞いていたぐりもあの肩が、
ピクン、と跳ねた。
ゆっくりと彼女の口角が上がり、
瞳の奥に狂気とも陶酔ともつかぬ光が宿る。
「……にゃ……ニャルラトホテプ……? それ、今……言いました? ジョンさん?」
ジョン「……うん。言ったけど。」
ぐりもあは次の瞬間、手にしていた羽ペンを放り投げ、
両手で頬を押さえながら身を震わせた。
「ひゃぁああぁあ! 来たぁあああああああ!!!」
机がびくんと揺れた。
ジョンはコーヒーをこぼしかけ、
思わずカップを持ち上げる。
「いや、何そのテンション。」
「ジョンさん! 外なる神の使いですよ!? 這い寄る混沌ですよ!?
あの、“見る者を狂わせる観測者”ですよ!?
も、もう――た、たまらない! 観察しましょう! 捕まえて解剖しましょう!
混沌の構造を調べれば、神々の情報体系まで覗けるかもしれませんっ!」
「いやいや待て落ち着け! まず捕まえる前提おかしいだろ!」
「だって、ニャルラトホテプですよ!?
外なる神々の中でも“接触可能”な個体!
観察可能! 交渉可能! 破滅確定!! あああ最高!」
ぐりもあは胸元から観測符を次々に引き出し、
机の上に魔法陣を描き始めた。
インクがまだ乾いていない紙束の上にまで、星形の線を刻む。
「ぐりもあ、机汚すな! あと理性戻せ!」
「理性? そんなもの、この名を聞いた瞬間に消えました!
ああジョンさん、これは観察のチャンスです!
混沌が“形を取る”なんて、何億年に一度の出来事ですよ!?
私のこの手で、あの構造を……」
ジョンは彼女の額を指で弾いた。
パチン、と乾いた音が響く。
「……いってぇ。何するんですか。」
「正気に戻れ。
ニャルラトホテプって関わると碌な目にあわなかったって話、知らないのか?」
ぐりもあは瞬きを一つして、
ふと動きを止めた。
「……え、碌な目に、あわない?」
「ああ。
関わった文明は全部滅びてる。
関わった学者は全員狂ってる。
関わった神も……消えてる。」
ぐりもあの笑顔が、すうっと引き攣った。
「……やだ、それ……すっごい観察したい。」
ジョン「話を聞け!」
「だって、滅びるまでの過程を記録できたら、それこそ真理への道ですよ!
“滅びの観測”なんて、こんなロマンないですよ!?」
ジョンはため息をついた。
「ほんとにお前、混沌と相性いいな……」
「光栄です!」
「褒めてない。」
ぐりもあは満面の笑みで、塔の記録映像を再生していた。
映し出された七つの折れ塔の光が、
ゆらりと彼女の瞳に反射する。
その瞳の奥では、もう“好奇心”と“恐怖”の境界が、完全に溶けていた。
「ジョンさん。
この世界が覗かれているなら――
せっかくだから、覗き返しましょう?」
ジョンは苦笑いを浮かべた。
「……お前って、時々ほんとにヤバい方向に賢いよな。」
/*/ 「覗き返す方法」 ナザリック地下大墳墓 第九階層・ジョンの私室 夜 /*/
古文書の山が崩れ、机の上はもう紙と魔法陣で埋まっていた。
ぐりもあはその中心に座り、頬杖をつきながらにやにや笑っている。
一方のジョンは、コーヒーを啜りながら冷ややかな視線を送っていた。
「……で、“覗き返す”ってどうやってやるつもりなんだ?」
「簡単ですよ。
あの“智慧の眼”は観測機構――つまり受信装置です。
外なる神が“見る”なら、逆にこちらから“映す”こともできるんです。
ね、ジョンさん? 鏡って、一方通行じゃないでしょう?」
「一方通行の方が安全だと思うけどな。」
「もう、そうやって夢がない~。
こっちから覗き返すことで、外なる神の“観測情報”を逆解析できるかもしれないんですよ!
世界の構造を、神の視点から見るんです!」
ジョンはカップを置き、額を押さえた。
「……で、見た結果、狂うか、死ぬか、存在がねじ切れるか、どれだ?」
ぐりもあは指を一本立てて、満面の笑みを浮かべた。
「全部、観察したいですね。」
「やっぱお前はダメだな。」
二人の視線が交錯し、しばらく沈黙が流れた。
その沈黙を破ったのは、ジョンのぼそりとした一言だった。
「……まあ、俺としては、カッツェ平野を清浄な地に戻したいだけなんだがな。」
ぐりもあはキョトンとした表情で顔を上げた。
「……清浄な地に?」
「ああ。
あの辺りは今でも瘴気が残ってて、生き物が棲みづらい。
塔の魔力の名残と、昔の死霊戦争の穢れが混ざってる。
あれを浄化して、穀倉地帯に変えたい。」
ぐりもあは目を細め、ほんの少しだけ笑みをやわらげた。
「……夢がないですねぇ、ジョンさん。」
「いや、一大穀倉地帯って結構夢あると思うけど?」
「ふふっ、ジョンさんの“夢”って、現実的すぎて逆にファンタジーです。」
「実際問題、食料は戦略物資だからな。
アンデッドが耕せて、天候魔法で管理できる土地を増やせば、
魔導国全体の人口維持にも繋がる。
……塔を再利用できれば、瘴気の流れを抑制する地脈制御にも使える。」
ぐりもあは、頬杖をついたまま、うっとりとした目でジョンを見た。
「やっぱり、ジョンさんって“神を作る側の人間”ですよねぇ。」
「いや、畑を作る側だ。」
「同じことです。創造行為ですよ?」
ジョンは眉をひそめた。
「……お前の定義は時々危ないんだよ。」
ぐりもあは笑いながら立ち上がると、机の上に広げた図面をトントンと叩いた。
「ま、どうせ塔を使うなら、僕も協力しますよ。
再構成して、観測機構を“地脈制御”に転用する……面白い試みです。
でも、条件があります。」
「条件?」
「“覗き返し”を、一回だけやらせてください。」
ジョン「……何を覗くんだ?」
「外なる神の視界。」
ジョンは沈黙した。
それから、コーヒーを一口飲み、カップを置いて言った。
「……一回だけだぞ。」
ぐりもあの瞳が、夜空の星のように光った。
「了解。
じゃあ――覗き返しましょう、ジョンさん。
この世界を見ている“眼”に、私たちの姿を。」