オーバーロード~狼(以下略)~その他まとめ 作:ぶーく・ぶくぶく
/*/ 魔導国南方・前線工廠 /*/
「……これが、獣化兵用の新武器か?」
ジョンは鉄床の上に置かれた“それ”を見て、思わず息を吐いた。
床が沈む。鉄板が軋む。
そこに鎮座しているのは――剣と呼ぶにはあまりにも粗野な鉄塊だった。
全長二メートル半。幅三十センチ。
刃も細工もない、ただの削り出しの鉄。
一振りで百キロを超え、全重量は二百八十キロ。
それでも、火打ち石のような鈍い光を放っていた。
ぐりもあが、冷静な声で説明する。
「名称は“ベヒーモス・エッジ”。
刃ではありません。質量そのものが破壊力です。
可変機構や制御魔法は一切排除。
ただの鉄です。」
ジョンが肩をすくめた。
「……潔いな。」
「ええ。機構を足せば壊れる箇所も増えます。
彼らは人ではなく、すでに兵器。
ならば“物理”だけで充分です。」
演習開始の合図が鳴る。
訓練場に立つのは、数体の獣化兵。
新しく魔法で形成されたヒラ爪が、巨大な鉄塊を掴む。
「……ッ、重い……いや、握れる。」
筋繊維が隆起する。関節が悲鳴を上げる。
彼らの腕は軋みながらも、確かに“鉄塊”を持ち上げた。
その動作だけで地面が鳴る。
「一撃試験――開始!」
獣化兵が吠えた。
鉄塊が振り下ろされる。
風圧で砂が舞い上がり、直撃した鋼製標的が“粉砕”ではなく“蒸発”した。
断面もなく、ただの衝撃波で吹き飛んだように。
観測塔の窓が震え、ジョンは思わず笑う。
「……いいな。文明が悲鳴を上げる音がする。」
ぐりもあは書類を閉じ、淡々と答える。
「これが最も効率的な破壊です。
魔法も理屈もなく、ただの“力”による暴力。
信仰も技術も、質量の前では沈黙します。」
もう一体の獣化兵が、今度はハンマー型の鉄塊――“ベヒーモス・ブレイカー”を持ち上げた。
鉄の塊を鉄棒でまとめたような構造。柄も握りも飾り気はなく、総重量は三百キロを超える。
打撃とともに地面が抉れ、地中の岩が露出した。
近くに立っていたオーガの盾兵が、思わず身を退く。
「……もはや武器じゃねぇな。」
ジョンが呟く。
「腕があって、気が狂ってないと扱えねぇ。」
「だから“獣化兵”なのです。」
ぐりもあは小さく笑みを浮かべる。
「理性の枷を外し、ただ破壊を命じる。
魔導理論も戦術思考も、あの鉄塊の前では無意味です。」
ジョンは煙草に火を点けた。
硝煙と溶鉄の匂いが入り混じる。
「……いい。あの音、戦場に響かせようぜ。
神の兵でも魔法でもない、“純粋な暴力”ってやつをな。」
ぐりもあは記録水晶を閉じ、静かに頷いた。
「了解。ベヒーモス級重装武器――実戦配備、許可します。」
鉄塊の群れが立ち上がる。
誰の詠唱もない。
ただ、質量が存在を主張する。
世界は再び、原始の法則――“重さは力”の時代に戻りつつあった。
/*/ 竜王国辺境地帯――黒泥湿原の夜襲 /*/
月は厚い雲に隠れ、湿原は蛙と昆虫の断続的な合唱で震えている。
木製の杭と粗末な網で作られた匿い場に、獣のような影が蠢いていた。ミノタウロスの人間密猟部隊──角の代わりに鉄兜を被り、泥にまみれた獣の眼を光らせている。彼らは夜の狩りを自分たちの狩り場だと信じて疑わない。
だが今夜、答えは違う。
草むらの縁、三つの暗い影が静かに立っている。
その姿は人でも獣でもない。灰黒の布が筋肉をなぞり、掌の掌紋が青く瞬いている。獣化兵用防護服〈ベール=リグ〉が夜の闇に溶け込み、薄くほのめく銀糸が風を受けてきらめく――まるで死の前触れの薄い光輪だ。
小隊長が囁く。指先の準備の腕輪が反応して、掌の内側に収められた小さな符石が体温で光る。準備の腕輪は、収納印章と起動触媒を内蔵した装置で、作戦前には整備班が一斉に符石を充填しておく――今夜もその静かな準備が功を奏している。
「獣化――汝らの信仰を神に捧げよ」
合図と同時、腕輪が掌に吸い付くように回り、静かな金属の感触とともに符石がはじける。
空気が、指先から音もなく裂ける。ベール=リグがほとばしる魔導を帯び、一瞬で布が膨張し、獣の肢体に密着する。生地の模様が筋のうねりに沿って流れ、掌のコネクタが軋むように接続された。
その瞬間、準備の腕輪と連動したストックに収められていたベヒーモス級の塊が、掌の中から現れる。
鉄の塊は深い黒を帯び、銀の針状の混ぜ金が表面に細く走る。装飾など無い。長く、幅広く、ただ“ある”というだけで畏怖を与える形。重さは数字としては語られない。振り上げれば大地が呻き、振り下ろせば世界が割れるだろう。
獣化兵が息を吸い込み、筋が隆起する。ヒラ爪が鉄塊の柄を噛むように掴み、掌紋コネクタが武器と共振する。
掌の青い印が閃き、武器と防護服、準備の腕輪が一つの動作系になる。刃先でも槌面でもない、その“塊”は、ただ振るうためだけに作られていた。
月明かりのない湿原に、第一撃の重低音がこだました。
ベヒーモス・ブレイカーが振り下ろされると、濡れた土が大きく吹き飛び、傍らの木が二本、音もなく裂けた。ミノタウロスの楯列が衝撃で後退し、鉄兜のひとつが砕けた。湿原の闇に赤い火花が散る。
火滅聖典側は迷いがない。改造された彼らの詠唱は、もはや儀礼ではなく、地面を裂くための号令だ。紅い符文が空を引き裂き、火球が跳ねるが、ベール=リグの表面が魔導紋を震わせてそれを分散し、獣化兵は間合いを詰める。火の雨を受け流し、鉄の塊で前列をなぎ倒す。
何よりも、美しいのはその同期だった。
準備の腕輪は小隊長の短い合図に反応し、全員の動作を0.8秒以内に収束させる。ベール=リグが一瞬のうちに防御の光を纏い、掌のコネクタは武器をしっかりと“我が身”として受け入れる。全ては機能美のように滑らかで、残虐さと合理が混じった冷たい華である。
ミノタウロスたちの叫びは短い。鉄塊の直撃は身体だけでなく意志をも砕く。欠けた盾の隙間にランスが押し込まれ、泥の上に赤い花が咲いた。密猟の焚き火がひとつ、またひとつと消える。彼らの誇りは、押し潰される石の下で砕けた。
戦いが終わると、空気がまた別の種類の静寂で満ちる。獣化兵たちは重い武器を掌で押し込み、準備の腕輪が柔らかく収束して符石を呑み込み、ベール=リグは再び肌に馴染む。布は泥の飛沫を弾きつつ、その伸縮はまるで獣の息遣いと同期しているかのようだ。
小隊長がゆっくりと剣の柄に手を置き、低い声で数を数える。被害は最小限。目的は遂行された。辺境の湿原はまた静けさを取り戻すが、どこかが確実に変わっている。夜風が通り過ぎ、ベール=リグの銀糸がわずかに残光を散らした。
誰かが後ろで呟く。きっとぐりもあのような記録者だろう。
「準備の腕輪、収束率良好。BR防護、火耐性平均+24%。ベヒーモス一撃の破壊力、想定上回る。」
その声に小隊長は、わずかに笑った。泥に染まった掌を空に掲げると、掌紋がひとつ、またひとつと消えた。彼らの手にはもう血が乾いており、鉄と布と魔導の匂いだけが残っていた。
/*/ 竜王国辺境地帯――黒泥湿原・ミノタウロス前哨拠点 /*/
湿った夜の空気を吸い込み、老いた角牛が息を吐いた。
彼の名はグルマ=トルグ。
かつて竜王国の北辺を支配した“牙の王”の血を引く、今やただの密猟団の頭目である。
だが、彼にとってそれは堕落ではなかった。狩ることは、生きることだ。
血と肉の循環こそ、この世の理。弱き者は喰われ、強き者は残る――それだけの話だ。
「夜霧が濃いな。……奴ら、嗅ぎつけてきやがったか。」
見張りの若い雄が鼻を鳴らした。
その目は夜に慣れていたが、遠くの影を捉えた瞬間、理屈ではない寒気が背を這い上がった。
「……見えたか?」
「いいえ、見えません。ただ……聞こえます。雷でもない、獣でもない……鉄の鳴き声が。」
グルマは槍を掴んだ。
その先端には、竜の骨を削って作られた刃が光る。人間を仕留めるには十分すぎる凶器だ。
だが、彼は知らなかった。その夜、自らが“狩られる側”になることを。
湿原の闇が――“裂けた”。
三つの影が現れたとき、まず聞こえたのは風ではなかった。
空気が潰れる音。
次に――“何か”が地を踏み抜く音。
泥が跳ね、闇が光り、そして鉄の塊が振り下ろされた。
「ぐ――ッ!」
前列が崩れる。楯が、骨ごと折れた。
音ではなく、存在そのものが叩き潰された感触。
グルマの鼻孔を焦げた鉄と血の臭いが満たした。
「敵は人間か!? いや……違う、違うッ! あれは獣だ! 獣じゃない、何だ――!」
その言葉を遮るように、再び大地が震えた。
稲妻のように閃いた銀の糸。
人の形をしている。だが、その布は肉に貼り付き、光を孕んで脈打つ。
“皮膚”でも“鎧”でもない。生きた呪具。
そして、その手に握られた武器。
鉄塊そのもの。
グルマは咆哮した。「神に仇なす者ども、俺が喰らう!!」
だが、相手の瞳は何の感情もなかった。
怒りも、恐怖も、信仰も。
ただ命令に従う“聖なる機械”。
「――“神の兵”だ。」
誰かがそう呟いた。
それが最後の言葉となった。
振り下ろされた鉄の塊が、焚き火の光を遮り、湿原全体が一瞬だけ白く照らされた。
炎が風に押し潰されるように消え、夜が沈黙を取り戻した。
グルマの意識が闇に沈む直前、彼は思った。
――神とは、かくも冷たいものか。
自らが信じてきた“狩る神”ではなく、“均す神”。
人と獣の区別を溶かす、無垢なる破壊の化身。
その名も知らぬ“神の兵”たちが、湿原を掃き清めていく。
彼らが通った跡には、血も残らず、泥も乾いた。
まるでそこが、最初から“神の領域”だったかのように。
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