オーバーロード~狼(以下略)~その他まとめ 作:ぶーく・ぶくぶく
/*/ 魔導国・エ・ランテル太守府 執務室 /*/
ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフは、
分厚い地図帳を開きながら、静かに紅茶を口にした。
執務机の上には、領主不在地の一覧と、候補者名簿が並んでいる。
机の端で控えていたのは、側近の文官――淡々とした性格の青年。
彼が恐る恐る口を開く。
「……それで、太守閣下。カルネ・ダーシュ村の件はどうなさいますか?
周辺三村も統治者不在で、アンデッドの監督官が暫定管理を行っておりますが……」
ラナーは軽く頷いた。
「ええ、そこはもう決めておりますわ」
「決めておられる、というと?」
「――カルネ・ダーシュ村長、エンリ・エモット・バレアレ。
彼女に適当な爵位を与えて、周辺の村ごと面倒を見てもらいましょう」
文官が驚いた顔でペンを止めた。
「……あの、“血濡れのエンリ”を、ですか?」
ラナーは頬に手を添えて微笑む。
「そう、あの方。名前は少々物騒ですけれど、
実際は非常に堅実で、温かい心を持っておられます。
カルバイン様からも聞いておりますのよ」
文官が身を乗り出す。
「カルバイン様が、ですか?」
「ええ。
『村娘ながら薬師の夫を持ち、四則演算と読み書きができ、
簡単な帳簿も付けられる。しかも民に慕われ、
私が村を任せても安心できる人物だ』――
……と、太鼓判を押しておられました」
ラナーの声には、確かな信頼が滲んでいた。
「この国の新しい秩序を築くのは、
生まれや血ではなく、信頼と実績です。
貴族とは本来、“生まれながらの上位者”ではなく、
“人を守る者”の称号であるべきでしょう?」
文官は息を呑み、静かに頷いた。
「……なるほど。まさに陛下の理にかなっております」
ラナーは軽くペンを取り、命令書に署名を入れた。
『カルネ・ダーシュ村およびその周辺三村を、
エンリ・エモット・バレアレに一任する。
爵位は準男爵(バロネス)とする。
民政・徴税・警備の権限を限定的に付与し、
魔導国太守府への直接報告義務を負うものとする。』
署名を終えると、ラナーは小さく笑みを浮かべた。
「これでカルバイン様の肩の荷も少しは下りますわね。
あの方、最近は“人間社会の再構築”とやらで忙しそうですし」
文官が一枚の地図を差し出す。
「太守閣下。カルネ村は交通の要所でもあります。
風脈ガレオン船の支線が延びる予定地にも近く、
この決定は物流的にも理に適っております」
「でしょう?」
ラナーは満足そうに頷いた。
「きっと、あの村の人たちなら上手くやってくれます。
……なにより、エンリさんは“人をまとめる力”がありますもの」
彼女の金の瞳が、柔らかく笑った。
「そういう人こそ、本当の貴族にふさわしいのです。
――血よりも、信頼の貴族を」
文官が深々と一礼し、命令書を持って退室する。
ラナーは窓の外を見つめた。
春の風がエ・ランテルの街を渡り、
その先にはカルネ・ダーシュの緑の森が広がっている。
「……クライム、ねえ。
あの村のように、穏やかに笑って暮らせる日が来ると思う?」
静かな独白に、返事はない。
ただ、風脈ガレオン船が空を横切り、
陽光の中に、ひとすじの風の帯を描いていった。
/*/ 魔導国・エ・ランテル太守府 ラナー執務室 /*/
陽の傾き始めた午後、
ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフは、
机の上に広げた地図へ細い指を滑らせていた。
淡く金色に輝く瞳が、河川の線をなぞる。
「……あとは、カルネ・ダーシュ村と水路で繋がっている、
リザードマンの集落、ですわね」
文官がすぐに頷いた。
「はい。あの水域一帯は現在、魔導国直属領として扱われており、
コキュートス殿が現地統治をなさっています」
ラナーは頬杖をついて小さくため息をついた。
「ええ、コキュートス様が治めてくださっているのは心強いのですが……
あの方は軍務全般を司る将ですし、行政職というには少々、真面目すぎるところが」
文官が苦笑をもらす。
「確かに、リザードマンたちの“上申書”も、すべて戦功報告の形式で届きます」
「そうでしょうとも……。
“水位が安定し、収穫も順調、誇り高き我らは魔導王陛下のため死す覚悟”――
……報告書というより決死宣言ですわ」
ラナーはおかしそうに微笑みながらも、真剣な顔に戻る。
「とはいえ、あの地もきちんと領主を置くべきです。
コキュートス様は軍務に専念していただくとして……
どうすればよいかしら。やはり、陛下にご相談すべきですね」
/*/
――同時刻、魔導国王都・ナザリック地下大墳墓 第九階層 モモンガの執務室。
ラナーの報告を聞き終えたアインズ・ウール・ゴウン魔導王は、
玉座に座ったまま、静かに指先を組んだ。
その頭蓋骨の奥で、赤い光がゆるやかに瞬く。
「……ふむ。ラナーの判断は妥当だな。
コキュートスには、元より軍団指揮と戦略監督という本来任務がある。
長期の民政統治は彼の気質には向かん」
傍らに控えるアルベドが頷く。
「ですが、陛下。あの湖沼地帯は種族間の均衡も複雑に絡みます。
新たな統治者の選定は慎重に行う必要が」
「わかっている……だが、すでにその地には“族長”がいる。
私が認めた者だ」
玉座の上の骸骨の口が、かすかに動く。
「――クルシュ・ルールーを領主とせよ」
その言葉に、室内の空気がわずかに張り詰めた。
「彼女は族長として知恵があり、何より人望がある。
コキュートスの指導の下で民をまとめた実績も十分だ。
リザードマン社会を理解し、人間との橋渡しもできる。
あの地の安定には、彼女が最もふさわしい」
アルベドが恭しく一礼した。
「畏まりました。コキュートスには、軍務復帰の旨をお伝えいたします」
アインズは、軽く頷いた。
「うむ。コキュートスは軍務へ戻せ。
彼の忠誠と力は戦略にこそ生かすべきだ。
――リザードマンの地は、クルシュ・ルールーに任せよう」
/*/
その報告を受けたラナーは、書類にサインを入れながら、
ほっと息をついた。
「やはり、陛下はすべてをお見通しですわね。
クルシュ・ルールー様なら、誠実で民の信頼も厚い。
湖沼地帯はこれで安定するでしょう」
そして小さく笑みを浮かべる。
「……陛下が任せると言った以上、もう“失敗”という選択肢はありませんわね」
窓の外では、エ・ランテルの空を風脈ガレオン船が横切る。
その航跡が光を帯びて消えるのを見ながら、
ラナーは静かに呟いた。
「――カルネ村にはエンリ。湖にはクルシュ。
こうして、人の国は“死”と“理”のもとで再び息づくのね」