オーバーロード~狼(以下略)~その他まとめ 作:ぶーく・ぶくぶく
/*/ 魔導国・エ・ランテル太守府 ラナー執務室 /*/
窓の外では、風脈ガレオン船が雲間を滑るように航行していた。
その姿を眺めながら、ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフは
紅茶のカップを手に、静かに小さなため息をついた。
「……仕事が減ったように“感じる”だけ、なのよね」
執務机の上には、相変わらず書類の束が積み上がっている。
ただ、その中身は以前とは違っていた。
かつては農政・治安・徴税に関する報告がほとんどだったが――
今は、そこに新しい時代の課題が加わっている。
/*/
「太守閣下、こちら“ありんす急便”の新航路開設申請書です」
文官が一枚の厚い書類を差し出した。
ラナーは受け取りながら、軽く笑みをこぼす。
「ありんす急便……名前は相変わらず愛嬌がありますね。
でも、この物流会社がなければ、地方の生活物資が回らなくなるわ」
風脈ガレオン船を中心とした空路物流網――
それの誕生前から魔導国を支えたのが、
魔導国の空中地上輸送組織〈ありんす急便〉だった。
荷物の積み替え、時間指定便、冷却魔法による生鮮輸送――
どれもかつての王国では想像もつかなかった精密な流通。
「彼らが“時間”を守る国民意識を育てている。
――それは、文明の成熟そのものですわ」
文官が頷き、次の書類を差し出す。
「続いて、“各種運航便”の認可です。
王国方面、帝国方面、聖王国方面、それぞれ週十便の増便要請が……」
「風脈ガレオン船の運航拡大ね。
貨客を増やせば経済も潤うけれど、
同時に――情報の流れも速くなる」
ラナーの視線が机の端に置かれた別の報告書に移る。
表紙には金文字でこう書かれていた。
『魔導TV・ラジオ・劇場・出版統合運用対策局 設置案』
ラナーは小さく笑った。
「……領主たちを任命して、やっと政治の基盤が安定したと思ったのに、
今度は“情報の時代”の対応に追われるなんてね」
文官が苦笑混じりに答える。
「人々が知るようになれば、次は“伝える者”と“管理する者”が必要になります。
いわば、新しい領主が空と電波に生まれたのです」
ラナーは指先で紅茶のカップを回しながら、軽く頷く。
「魔導TVは、国民教育と報道を兼ねたものとして成長しています。
問題は“放送倫理”ね。
先日も、“デスナイト料理番組”を子どもが真似して骨を煮詰めたとか」
文官が目を伏せる。
「……あれは苦情が多かったですね」
「そうでしょうね。魔導TVは良くも悪くも、国を動かす鏡よ。
だからこそ、放送局を統合して“魔導国情報運用庁”を設立する必要があるのです」
彼女は次の書類を取り、さらりと署名を入れた。
その内容は、放送・出版・劇場を連携させた国家マスメディア体制の整備。
「ラジオは地方の声を拾い、
TVは都市の姿を映し、
劇場は感情を伝え、
出版は記憶を残す――
すべてが“国の神経網”として機能していくのです」
文官は深く頷きながらも、少し笑う。
「太守閣下……これでは、結局仕事は減りませんね」
ラナーも微笑んだ。
「そうね。でも、不思議と嫌ではないの。
領主を選んで、行政を整えたら、
今度は“国の心”を作る番だと思うのです」
彼女は窓の外を見上げた。
空を横切る風脈ガレオン船――
地上では、ありんす急便の馬車が走り、
街角の魔導TVには劇場中継の映像が流れている。
「……死の国と呼ばれた魔導国が、
今では最も活気ある文明の中心になっている。
陛下の望んだ“理の支配”は、
こうして形を変えて、今も広がっているのですね」
ラナーは紅茶を飲み干し、書類を束ねる。
「――仕事は減らない。
でも、減らないということは、
“国が動き続けている”という証でもあるのですわ」
外では、鐘の音が街中に響き、
風脈ガレオン船が陽光を受けて金色に光った。
その光を見つめながら、ラナーは微笑んだ。
「さて――今日も“退屈しない国”のために、もうひと働きしましょうか」
/*/ 魔導国北部・農産直轄地 報告書抜粋 /*/
「……紅茶の評判が非常に良いですわね」
ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフは、
報告書のページをめくりながら、わずかに唇を綻ばせた。
机上に置かれたカップからは、琥珀色の香りが立ちのぼる。
蒸気がゆらぎ、花と蜂蜜のような甘い香気が部屋を満たしていた。
「魔導国北部直轄地産、“滅菌アンデッド管理農園”製の紅茶……。
やっぱり、これが今いちばん人気みたいね」
文官が資料を確認しながら答える。
「はい、太守閣下。
“滅菌アンデッド”による衛生管理と収穫工程が評価されています。
農作業用アンデッドを完全に殺菌・除菌状態で運用しているため、
人の手よりも清潔だと評判です。
――市場では“死者が摘み、命を癒す茶”と呼ばれております」
ラナーはその表現に小さく笑った。
「死者が摘み、命を癒す、ね……詩的でいいじゃない。
不気味さと信頼が絶妙なバランスで釣り合っているわ」
「味も品質も申し分なく、しかも価格が安い。
他国産の高級茶葉より三割ほど安価で取引されています」
「流通は?」
「風脈ガレオン船と“ありんす急便”の連携で、
摘み取りから三日以内に王都・聖王国・帝国まで配送可能です。
香りを逃さず、酸化もしない状態で届くので、
他国商人からも“革命的”と評されています」
ラナーはカップを傾け、香りを楽しみながら微笑んだ。
「……もう、かつての“魔導国=死の国”という印象は薄れつつあるわね。
“最も衛生的で安全な食品輸出国”――この肩書きは、
アインズ・ウール・ゴウン陛下の理想にふさわしい」
文官が続ける。
「紅茶だけでなく、北部直轄地で生産される乳製品群も高い評価を得ております。
牛乳、バター、チーズ、ヨーグルト――いずれも品質が高く、価格が安い。
滅菌アンデッドによる搾乳と魔法冷却設備の導入で、
人手をかけずに品質を一定に保てているのです」
「なるほど。人の労力を減らして、清潔さを保つ……完璧ね」
「はい。特に“魔導国バター”と“北方ヨーグルト”は王国と聖王国で大人気です。
濃厚でありながら、保存性が高い。
しかも庶民でも手が届く価格帯に抑えられています」
ラナーは軽く頷き、指先で書類を整えた。
「紅茶に乳製品……これで“お茶の時間”が完全に魔導国文化として根付くわね。
あとは――そうね、“魔導TV”で午後のティー番組でも始めましょうか」
文官が思わず苦笑する。
「また新しい仕事を増やされますか?」
「ふふ。だって仕方ないでしょう?
“紅茶の国”になったからには、その香りを文化にまで昇華させなければ」
窓の外では、風脈ガレオン船が夕陽を受けて黄金色に輝いている。
ラナーはその光景を見ながら、カップを傾けた。
「……本当に、仕事が減る日は来ないのね」
そう呟く声には、疲労よりも満足の響きがあった。
彼女の紅茶は、滅菌アンデッドが摘んだ魔導国北部産の香り高い一杯。
その一口が、魔導国の繁栄を象徴していた。