オーバーロード~狼(以下略)~その他まとめ 作:ぶーく・ぶくぶく
/*/ナザリック地下大墳墓第9層ジョンの工房 /*/
――ナザリック第七層、技術試験棟の休憩卓。
白磁の皿に並べられたのは、掌ほどの黒い板菓子と、小瓶に入った黒液体。
ジョンが正面の席に座り、湯気を見つめていた。
そこへ、遅れて足音が近づく。
「呼ばれたので来ました。何の実験ですか?」
銀髪の少女――シズ・デルタ。
人形のような無表情のまま、淡々と椅子に腰を下ろす。
「味見だ。試作品が二つある。まずはこっちだ」
ジョンは板状の菓子をひとかけら折り、シズの前に置いた。
チョコのように見えるが、香りは弱く、どこか焦げた豆の匂いが混じっている。
シズはちらりとジョンを見た後、ためらいもなく口に入れた。
小さな咀嚼音が三度。
そして――微妙な沈黙。
「……おいしい、です。たぶん」
淡々とした口調の奥に、微かに困惑が滲んでいた。
「“たぶん”?」ジョンが片眉を上げる。
「味はチョコみたいなんですけど、後味が……土っぽいです。
でも、不思議ともう一口ほしくなる感じです」
ジョンは満足げに頷いた。
「それでいい。糖分と少量の〈再生蜂蜜〉が魔力回復を補助する。
味は副次効果だ。……気分がどうだ?」
「ちょっと……頭が冴える感じがします。体も軽いです」
「なら成功だ」
ジョンは筆を走らせ、「人類救済味、効果確認」と記す。
モモンガが横で小さく笑った。
「この名前のまま流通させたら、間違いなく避けられますね」
「いいんだ。避けるくらいがちょうどいい」
ジョンは言い捨てるように答え、次の瓶を差し出した。
「さて――もう一つ。こっちは“飲み物”だ」
黒い液体は湯気を上げ、表面に鈍い泡がいくつか浮かんでいる。
シズは小首を傾げ、無言でカップを受け取った。
そして、ためらいなく口をつける。
一瞬、瞳が震えた。
ジョンは観察するように視線を細める。
シズはゆっくりとカップを置き、わずかに眉根を寄せた。
「……これは、えっと……武器、ですか?」
モモンガが吹き出しそうになるのをこらえ、肩を震わせた。
ジョンは淡々と答える。
「飲料だ。軍用コーヒー“泥湯の恩寵”。
味はともかく、どんな汚水でも安全に飲める」
シズはじっと黒液を見つめ、再びひと口。
無言のまま、目を細める。
「……うん。これは……」
少し間を置いてから、ぽつりと。
「――世界が終わった後でも、生きていけそうな味です」
ジョンの口元が、わずかに弧を描いた。
「最高の褒め言葉だな」
モモンガが腕を組み、ため息まじりに言った。
「兵士にこれを支給したら、敵より先に心が鍛えられそうですね」
「それが狙いだ。強い者は、まず味覚から鍛える」
その言葉に、シズは黙って頷いた。
手元の黒いチョコバーをもう一口かじり、苦いコーヒーで流し込む。
その表情は淡々としているが、どこか満足そうでもあった。
ジョンは筆を取り、記録書の最後にこう書き添えた。
《チョコバー一号・人類救済味》――精神安定効果:良好
《軍用コーヒーB・泥湯の恩寵》――生命維持性能:極めて高
そして、小さく呟いた。
「これで、戦場にも日常にも“必要な味”が揃ったな」
モモンガは静かに頷く。
「幸福と絶望を、同じ厨房で作るとは……まったく、あなたらしい」
ジョンは淡々と器具を片付けながら言った。
「どちらも、人を生かすための味だ」
――その夜、ナザリックの食糧保管庫には、
「甘味による救済」と「苦味による鍛錬」という、二つの矛盾した発明が並んで静かに眠っていた。
/*/ どこかの戦場 /*/
――戦場は、灰色の空に覆われていた。
雨とも霧ともつかぬ湿気が漂い、地表の泥はぬかるみ、
転がった鎧の表面を、粘ついた水がゆっくりと滑り落ちていく。
その中で、かろうじて生き残った数名の帝国兵が、
崩れた塹壕の中に身を寄せていた。
「水……もう、飲めるのがねぇ……」
「さっきの雨水も、もう黒い……くそ、舌が砂みてぇだ」
誰もが声を枯らし、唇は割れていた。
救援も補給も来ない。
士気は、泥と一緒に沈み切っている。
そんな中、斥候が泥まみれの布袋を抱えて戻ってきた。
「おい……! 魔導国からの支援物資だ!」
袋の中には、黒い板菓子と、幾本かの小瓶。
どれも見たことのない形状――だが、兵たちはすぐに飛びついた。
最初に封を切った男が、瓶を傾ける。
泥水で満たされた軍用鍋に、その黒液体を数滴。
たちまち、泡が立ち、泥が沈む。
「……おい、濁りが消えたぞ?」
「魔法の薬か?」
恐る恐る口をつけた兵士が、次の瞬間、
喉を焼くような苦味に顔をしかめ、噎せた。
「げほっ……なんだこれ……! くっそ不味ぇ……!」
だが、彼はもう一口飲んだ。
そして息を吐き、少しだけ笑った。
「……でも、生き返った気がする……」
その一言が合図のように、皆がカップを回し始める。
泥と血の味に慣れた舌が、それでも確かに“生命”を感じた。
胃が動き、思考が戻る。
冷え切った身体に、温かさが戻ってくる。
黒液――“泥湯の恩寵”は、戦場で初めて本領を発揮した。
チョコバーを齧った兵が呟く。
「……これも変な味だ。甘いのに、焦げてる。
でも、なんか……泣きそうになるな」
その夜、彼らは誰一人として倒れなかった。
翌朝、増援が到着した時、指揮官は驚愕した。
飢えと渇きに晒されたはずの分隊が、
不自然なほど冷静で、整然と配置につき、
しかも――笑っていたのだ。
「敵が来るぞ!」
「上等だ。泥でも飲めるんだ。負ける気がしねぇ!」
/*/
その報告がナザリックに届いたのは、三日後のことだった。
ジョンは無言で報告書を読み、
ゆっくりと紅茶(本物の)を一口飲んだ。
「……ふむ。“不味いが、生を思い出す味”か。
上出来だ」
モモンガが書類の端を覗き込み、軽く笑う。
「皮肉ですね。あなたの“絶望の味”が、生きる力になっているとは」
「皮肉じゃない」
ジョンは淡々と返す。
「人間は、“もう少し生きてみよう”と思えた時点で、救われている。
それを思い出させるなら、どんな不味さも価値がある」
モモンガはしばし黙し、
やがて静かに頷いた。
「……なら、あれは確かに“恩寵”ですね」
ジョンは書類を閉じ、視線を窓に向ける。
遠くの空で、雷光が閃いた。
「次は、冷凍保存でも壊れないタイプを試す。
――戦場は、いつだって寒いからな」