オーバーロード~狼(以下略)~その他まとめ 作:ぶーく・ぶくぶく
/*/ 灰色の賢者の抜け殻 /*/
琥珀色の陽光が窓から差し込み、エリスの自宅のリビングを穏やかに照らしていた。
かつて「灰色の賢者」と呼ばれた老魔法士アルガスの面影は、目の前で黒髪を揺らし、豊潤な肢体を法衣にくゆらせる美女、エリスの中には微塵も残っていない。
対面に座るぐりもあは、中性的な法衣の袖から白い指を出し、手元の紙にペンを走らせていた。
彼女がここを訪れたのは、ジョンの仕掛けた「トラップ」がもたらす長期的影響の追跡調査のためである。
「……なるほど。肉体の変質のみならず、精神的な指向性においても、依然として『桃色の霧』の影響下にある、と」
ぐりもあの声は鈴を転がすように清らかだが、その響きには冷徹なまでの観察眼が宿っている。
「ええ、ぐりもあ様。お恥ずかしい話ですが……」
エリスは頬を林檎のように赤らめ、潤んだ瞳を伏せた。その指先は、無意識に自らのふくよかな太ももをなぞり、溢れ出る熱を抑えようとしている。
「あの迷宮の触手に中を徹底的に掻き回された感覚は、一生をかけて魔法の深淵を覗こうとしていた頃の記憶よりも、ずっと鮮明に魂に刻み込まれてしまったようです。
今でも夫に抱かれるたび、脳裏にはあの桃色の燐光がフラッシュバックして……いえ、人間の愛撫では到底足りなくて、無意識にあの『人外の蠢き』を求めて腰を振ってしまう自分に、愕然とすることがあるのです」
「脳の報酬系が完全に、かつ不可逆的に再定義されているね」
ぐりもあは淡々とペンを動かす。「特に、出産の際のエピソードについて詳しく。報告書にある『分娩時の苦痛の変換』についてですが」
エリスは小さく息を呑み、自身の腹部にそっと手を当てた。
「……はい。それは、この身体になった私にしか分からない、恐ろしいほどの至福でした。
産道を赤子が通り抜けるあの圧倒的な圧迫感、内側から強引に押し広げられる感覚……それが、あの九区画で私を蹂躙した触手の、あの凶悪なまでの太さと脈動に酷似していたのです。
産声をあげる我が子を抱く瞬間、私は母としての悦びと同時に、一人の雌として……全身の力が抜け、意識が白濁するほどの絶頂に震えていました」
ぐりもあは、ペンを握る手にわずかな力がこもるのを感じた。生命の誕生という神聖な行為すら、ジョンは快楽の装置に利用したというのだろうか。
/*/ 次世代への魔力汚染 /*/
「次に、お子さんたちの異常な成長速度について。彼らの魔力保有量は、エ・ランテル人の平均値を大きく逸脱しています。五歳児が無意識に第三位階の魔法を行使しているというのは事実ですか?」
ぐりもあの問いに、エリスは複雑な表情で頷いた。
「ええ。長男は教えもしないのに空間の歪みを感じ取り、遊びの中で飛行の真似事をしていました。
……ぐりもあ様。
私には、この子たちの血管に流れているのが、純粋な人間の血だけではないように思えるのです。
私の胎内があの時、人外の快楽と共に作り替えられた証拠……。この子たちは、あの迷宮の申し子として生まれてきたのではないでしょうか」
「……その推測は正しい」
ぐりもあは書類をまとめ、冷静に告げた。
「彼らは人間という種をベースにしながらも、ナザリックの魔力因子を先天的に組み込まれた『新人類』に近い存在。迷宮の罠は、ただの捕食ではなく、魔導国に忠実な『種』を蒔くための苗床作りだったということです」
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拠点へと戻った「ぐりもあ」は、手にした追跡調査の報告書を叩きつけるように卓へ置いた。その瞳には、隠しきれない憤燥と、生理的な嫌悪感が渦巻いている。
中性的な法衣の袖が、隠しきれない憤燥に震えている。
「ジョンさん! 報告書をまとめましたが、やはり理解できません。あんな酷い、冒涜的な罠……。肉体どころか魂の尊厳まで桃色に塗り潰して、家畜のように快楽の虜にするなんて。もし、もしですよ? 自分がそんな目に遭わされたらどうするんですか!?」
対面に座るジョンは、青い毛並みを陽光に輝かせ、巨躯をゆったりと椅子に預けていた。その隣では、モモンガが空洞の眼窩に宿る赤い燐光を静かに明滅させ、二人のやり取りを興味深そうに見守っている。
ぐりもあの詰め寄るような声に対し、ジョンは鋭い牙が覗く口元を緩め、事も無げに問い返した。
「え? 試したけど?」
「……え?」
ぐりもあの思考が、一瞬で凍りついた。
「え?」
ジョンもまた、不思議そうに首を傾げる。
「いや、だってぐりもあさん。自分が味わったこともないものを人に勧めるなんて、そんな無責任なことできないだろ? だから運用を始める前に、自分であの区画に突っ込んでみたんだよ。……いやぁ、思い出すだけで毛並みが逆立つよ」
ジョンは青い毛皮に覆われた大きな手を頬に当て、うっとりとした表情で、どこか遠くを見るような瞳を細めた。
「あの桃色の霧の中で、華奢で可憐な美少女に作り替えられてさ……。そこにルプー(ルプスレギナ・ベータ)がニヤニヤしながら現れるんだ。『あらぁ、可愛いワンちゃんがメス犬になっちゃいましたねぇ?』なんて言いながら、あの聖杖の柄や、迷宮の触手を使って徹底的に……ね? あれはもう、最高だったよ」
巨漢の人狼が、自らの体験を熱っぽく語る。その語り口には、一切の迷いも、羞恥心もなかった。
「…………」
絶句。ぐりもあは、開いた口が塞がらなかった。
この男……いや、この人狼は、狂っている。人道だの冒涜だのという概念が、そもそも通用する相手ではなかったのだ。
「……ばかじゃないですか?」
ぐりもあの唇から漏れたのは、怒りや驚きを通り越した、芯から冷え切った蔑みの言葉だった。
「酷いなぁ、ぐりもあさん。実地検証だよ、実地検証! 開発者がユーザーの気持ちを理解しないで、どうやって最高のサービスを提供できるっていうんだい?」
ジョンは思い返すように、うんうんと深く頷いた。その表情には、一点の曇りもない。
「……あれは凄くえがった。脳が融解するかと思ったよ。あの快感を知らずに死ぬなんて、人生の損失だね」
ぐりもあは、自分の胸に手を当て、自問する。ジョンの異常さにここまで戦慄し、吐き気すら覚える自分は、もしかして思ったよりも「人間寄り」の感性を持ってしまっているのではないか。
ナザリックの住人であれば、あるいは魔導国の幹部であれば、この狂気さえも「効率的」の一言で片付けるべきなのか。
「……信じられません」
ぐりもあは、半ば諦めを込めたジト目で、満足げな青い人狼をじっと睨み据えた。
その様子を眺めていたモモンガが、カチリと顎の骨を鳴らして口を開く。
「ふむ……。ジョンさん。手段は多少、その、個性的だが、実地検証を怠らぬその姿勢、支配者の一人として評価に値する。……しかし、ぐりもあ。君のその『常識的な危惧』もまた、我が国には必要な視点だ。……まあ、ジョンさんがその、あちら側の悦びに目覚めてしまったのは、少々予想外ではあったがな」
「モモンガさんまでそんな……!」
ぐりもあの嘆きを余所に、ジョンは尻尾をご機嫌に揺らしながら、次の獲物を――あるいは自分用の「再調整」の予定を――楽しげに練り始めるのであった。