オーバーロード~狼(以下略)~その他まとめ 作:ぶーく・ぶくぶく
/*/ ナザリック地下大墳墓・第九階層 /*/
冷たい石造りの回廊を、シズ・デルタは無表情のまま歩いていた。
その腕に抱かれているのは、小さな子犬。青と白の毛並みが光に照らされ、まるで宝石のようにきらめいている。
その光景は、機械仕掛けの戦闘メイドには似つかわしくないものだった。
「わん……」
子犬がか細い声で鳴き、シズはほんの僅かに抱きしめる腕の力を強めた。
角を曲がった瞬間、ちょうど掃除当番の一般メイドたちが目に留める。
「あー! シズちゃんだ!」
「えっ、可愛い! 何その子犬!」
「ちょっと見せて!」
思わず声を弾ませる彼女たちに、シズは無表情のまま立ち止まった。
だが子犬を撫でる仕草は、普段の無感情な様子とは違い、どこかぎこちないながらも優しさに満ちている。
「……シズ、ちゃん?」
一般メイドの一人が目を丸くする。
シズは小さな声で答えた。
「……だめ。吠える。驚く」
そう言いながら、子犬の耳をそっと撫でて、落ち着かせるように抱き直した。
メイドたちは顔を見合わせ――ついに小さく声を抑えて、囁くように盛り上がる。
「可愛い……! 普段無表情なのに……」
「写真に残せないのが悔しい……!」
「……あれ、ちょっと癒しじゃない?」
回廊に、小さな笑い声と子犬の「わんっ」という鳴き声が響いた。
――シズ・デルタの無機質な日常に、少しだけ柔らかな色が差し込んでいた。
/*/ ナザリック地下大墳墓・第九階層 /*/
シズの腕に抱かれている青と白の子犬――。
一見すると小動物らしい愛らしさに溢れているが、その実態はナザリックの至高の41人が一人ジョンが気まぐれで変じた「子犬モード」であった。
支配者のオーラは隠しきれるものではない。
いくら尻尾を振り、小首をかしげて可愛さを振り撒こうとも、その圧は回廊に充満し、一般メイドたちを硬直させていた。
「……あ、あの……可愛い……けど、空気が重い……」
「ひぃっ、目を合わせられない……!」
「でもシズちゃん嬉しそう……」
恐怖と愛らしさの狭間で震える一般メイドたち。
さらに遠くから、足音が近づいてきた。
戦闘メイドの一人、ソリュシャンが現れる。
「……なるほど。子犬、という擬態ね。けれど、その濃密な支配者のオーラ、誤魔化せるわけがないじゃないですか」
くすくすと笑い、冷たい瞳でシズの腕の子犬を見つめる。
直後にルプスレギナも顔を出し、耳をぴょこんと動かしてにやりと笑った。
「わっははーん♪ ジョン様、やるじゃん! 可愛い子犬モードっすかぁ? シズっちに甘やかされて嬉しそうっすね~」
シズは無表情のまま子犬を庇うように抱きしめ、きっぱり言った。
「…… カルバイン様。わたしが、守る」
その言葉に、ソリュシャンとルプスレギナが思わず顔を見合わせた。
――無表情だが、間違いなく「庇う意志」がそこにある。
そして角の向こうから、ゆっくりと靴音が響く。
アルベドが現れ、扇で口元を隠しながら小さく笑んだ。
「……ふふ。支配者でありながら、子犬に化けてシズに甘えるなんて……。可愛らしいですわね、カルバイン様」
その場の空気は凍りつきつつも、どこか柔らかい熱を帯びていた。
青と白の子犬の姿のジョンが、シズにぎゅっと抱えられたまま、慌てて声を上げた。
「ち、違う! 俺は甘えてるんじゃなくて……シズが可愛いものが欲しいって言うから……その、応えただけだ!」
必死に否定する子犬モードの声は、どこか情けなくも愛嬌に満ちている。
シズは無表情のまま、だが抱きしめる腕は離さない。
そこへルプスレギナが両手を腰に当て、耳をぴこぴこと動かしながら前のめりになった。
「えぇ~!? それなら私が子犬モードでも良いじゃないっすかー!
ほらほら、きっと私の方が鳴き声だって可愛いし、尻尾もふさふさっすよぉ?」
彼女はその場で軽くしゃがみ込み、わざと犬っぽく「わんっ」と鳴いて見せる。
だがシズは一切そちらを見ず、青と白の子犬を抱き締めたまま動かない。
「……カルバイン様。わたしが、欲しいのは、この子犬」
その一言に、ルプスレギナは「ぐぬぬっ」と唸り、床を転がるように悔しがった。
ソリュシャンは頬に手を当て、冷笑を漏らす。
「……ルプス。張り合うだけ無駄よ。シズはそういう子なの」
そしてアルベドは扇を口元に寄せ、まるで保護者のように微笑む。
「まぁまぁ……ふふ。仲良きことは美しきかな、ですわね。
ジョン様が可愛らしく見える日が来るなんて……至高の御方も、ずいぶんと温かい遊び心をお持ちですこと」
その場の空気は、恐怖と笑い、そして妙な和やかさが入り混じった独特のものとなった。
――第九階層の静かな回廊は、今日に限ってまるで家庭の一幕のように騒がしかった。
不意に、回廊の奥から低い声が響いた。
「……ジョンさん。なにを、してるんですか?」
振り向けば、黒衣の骸骨――モモンガその人が立っていた。
眼窩の赤い光が淡く瞬き、ごくりと“無いはずの喉”が鳴ったような気配すら漂う。
その場にいたメイドたちは一斉に背筋を伸ばし、緊張で息を詰める。
アルベドは優雅に一礼し、迷いなく答えた。
「モモンガ様。カルバイン様は子犬モードでシズに甘えていらっしゃったのですわ。
……ああ、なんと慈愛に満ちた、微笑ましい光景でしょう」
「ちがーうっ!」
シズに抱えられたまま、ジョン(子犬モード)が必死に足をばたつかせた。
「俺は! 甘えてるんじゃなくて! シズが可愛いものが欲しいって言うからぁぁぁ!」
しかしその抗弁は、子犬の甲高い声で叫ばれるため、余計に愛らしくしか聞こえない。
シズはそんな騒ぎをよそに、無表情でしっかりと抱きしめ直した。
「……カルバイン様。わたしが欲しいのは、この子犬」
モモンガは一瞬沈黙し、ゆっくりと頭を抱える。
(……なんだこれは。いや、本当に何なんだこれは!?
子犬……ジョンさん……いや、可愛い。いやいや、可愛いで済ませて良いのか?)
背後でルプスレギナが大声を上げた。
「モモンガ様ぁ! 私も子犬モードできますよぉ! ほらほら、わんっ♪」
ソリュシャンは冷めた目でため息をつく。
アルベドは頬を染め、保護者めいた眼差しで「尊い……」と呟いている。
第九階層の回廊は、普段の荘厳さを完全に失い――
ただ一人の骸骨の頭蓋に、深い頭痛めいた衝撃だけが残った。
無表情のまま、しかし子犬を撫でる手はやさしく、シズがぽつりと口を開いた。
「……後輩、ネイアにも、子犬を見せたい」
その場にいた全員が、息を呑んだ。
青と白の子犬――正体は至高の御方ジョン――を、外に連れ出すなど前代未聞だ。
モモンガは一瞬呆然とし、それからゆっくりと振り返って考え込む仕草をした。
(……いや、待て。ネイア……確かあの聖王国の娘か。シズが彼女に心を許しているのは知っているが……子犬=ジョンさん、を見せる……? いやいや、色んな危険では……いや、でも……シズの感情が動いている……?)
逡巡の末、アインズは思い切ったように両手を広げた。
「……よろしい。シズ。君に休暇を与えよう。その……子犬を連れて、ネイアと過ごしてきなさい」
「……はい」
シズの返答は短い。だが普段変わらぬ顔に、ほんの僅かだが光が宿ったように見えた。
子犬モードのジョンは慌てふためく。
「ちょっ……! ちょ、ちょっと待てモモンガさん! 俺は別に――」
だが、その声は可愛らしい子犬の鳴き声にしか聞こえず、周囲のメイドたちの耳には「わんっ♪」としか届かない。
アルベドは恍惚とした眼差しで両手を胸に重ねた。
「……ああ、なんと尊い光景でしょう。シズの願いを叶え、さらにカルバイン様を外へ解き放つ……。モモンガ様、御英断ですわ」
ルプスレギナはわざとらしく床をごろごろ転がり、
「うわーん! ずるいっす! シズっちだけ子犬モードジョン様とお出かけなんて、絶対羨ましいっすよー!」
ソリュシャンは肩を竦め、冷ややかに笑う。
「……どうなっても知らないわよ」
第九階層の回廊に、笑いと困惑と溜息が交錯した。
その中心で、シズは変わらず子犬を抱きしめ、ただ静かに前を見ていた。
/*/ 聖王国 転移門前 /*/
転移門の光がゆらぎ、そこから現れたのは戦闘メイドのシズ・デルタ。
その腕には青と白の子犬――「カルバイン様」ことジョンが、なおも小さな姿で抱かれていた。
シズは周囲を確認すると、無言のまま一歩踏み出す。
目指す先は聖王国内で密かに催されている集会――〈カルバイン様を称える会〉。
信徒たちが小規模ながら熱狂的に、至高の御方の名を広めている場だ。
シズは迷うことなく会場の扉を押し開けた。
ざわめく信徒たち。その中に、懐かしい姿があった。
金色の髪をひとつにまとめた少女――ネイア・バラハ。
「……シズ先輩!」
驚きと喜びが入り混じった声で、ネイアが駆け寄ってくる。
「会いたかった……! って……えっ、その子犬……?」
ネイアの視線は自然とシズの腕の中へ吸い寄せられた。
青と白の毛並みは、ただの愛玩動物とは思えぬ神秘の輝きを放っている。
「わん……」
ジョン(子犬モード)が、シズに抱かれたまま小さく鳴いた。
会場の信徒たちは一斉に息を呑み、ひれ伏すように頭を垂れる。
「な、なんという……! まさか、この子犬は……!」
「カルバイン様の御化身……!」
「我らの信仰の証、その御姿を目にするとは……!」
熱狂が一気に広がり、〈称える会〉は狂喜の渦に包まれる。
ネイアは困惑しながらも、そっとシズの顔を覗き込んだ。
「シズ先輩……まさか……この子犬……」
シズは表情を変えぬまま、ただ一言。
「……ネイア。可愛い」
それだけで、ネイアの頬は赤く染まり、胸が熱くなる。
だが――子犬の正体を知る一部の者は、心の奥でぞっとする。
この小さな可愛い存在こそ、支配者のオーラをまき散らす至高の御方であることを。
/*/ 聖王国 〈カルバイン様を称える会〉会場 /*/
信徒たちの熱狂に包まれる中、ネイアはシズの腕の中の子犬に目を奪われていた。
青と白の毛並みは柔らかそうで、宝石のように輝いている。
「……シズ先輩、その子犬……少しだけ、抱いてみてもいい?」
ネイアの声は震えていた。憧れと、子供のような純粋な願い。
シズは一瞬だけ瞬きをし、ゆっくりと頷いた。
「……ネイアなら。いい」
そう言って、シズは子犬をそっと差し出す。
「ま、待て! シズ、それはまず――」
ジョン(子犬モード)は慌てふためき、足をじたばたさせた。
しかし甲高い声は信徒たちにはただの「わんわん!」としか聞こえず、むしろ可愛さを増幅させてしまう。
「きゃ……!」
ネイアの腕にすっぽり収まった子犬は、驚くほど軽く、温かかった。
胸に抱きしめた瞬間、心臓が高鳴り、目尻が緩む。
「……かわいい……本当に……」
頬をすり寄せながら、ネイアは子犬の耳をそっと撫でた。
「や、やめろおおお! そんな顔近づけんな! 危険だからっ!」
ジョンの必死の抵抗は空しく、信徒たちの目にはただの「きゅーん」と鳴く愛らしい仕草にしか映らない。
「……御神託だ」
「カルバイン様がネイア様をお認めになっている……!」
「聖なる抱擁……!」
会場はさらに熱狂を増し、跪く音と祈りの声で揺れ動いた。
シズは無表情のままその光景を見つめ、ぽつりと呟く。
「……ネイア。似合う」
ネイアの顔はさらに赤く染まり、子犬を抱きしめる腕の力が強まった。
――ジョンの心中はただ一つ。
(……俺はいつから、信仰対象と抱き枕の二役を同時に背負う羽目になったんだ……!?)
ジョンは青と白の子犬の姿のまま、シズに抱かれながら深いため息をついた。
「……もう子犬で通そう」
遠い目をして、悟ったように小さな体を震わせる。
ネイアはきらきらした瞳で、子犬を見つめながら耳をそっと撫でる。
「ふふ、やっぱり可愛い……!」
「や、やめろおおおっ!」
ジョンは慌てて足をばたつかせるも、声はすっかり「わんっ!」としか聞こえない。
会場の信徒たちには、まさに「天使のように愛らしい仔犬」として映るだけだった。
「御神託だ! カルバイン様が、ネイア様を認めておられる!」
「まさか、抱きしめられるとは……!」
信徒たちは膝を折り、熱狂を増す。
シズは無表情のまま、子犬を抱きしめたままネイアに微かに頷く。
「……ネイア。似合う」
ジョンは思わず遠い目で心中つぶやく。
(……もう、俺はこのまま子犬で押し通すしかないのか……)
ジョンは小さく「わんっ」と鳴き、全力で尻尾を振る。
その仕草に、会場はさらに熱狂し、シズとネイアは微笑みながら見つめ合った。
――こうしてジョンは、公式に「カルバイン様の子犬」として、称える会の中で愛される存在となったのだった。