オーバーロード~狼(以下略)~その他まとめ 作:ぶーく・ぶくぶく
/*/ ナザリック地下大墳墓 第9階層 ジョンの私室 /*/
深い静寂の中、燭台の炎がほのかに揺れ、琥珀色の光が木目の机を柔らかく照らしていた。
温かい香りが部屋いっぱいに満ちている。――焙煎された豆の芳香、そして湯気とともに立ち上る甘やかな気配。
ルプスレギナが丁寧にフレンチプレスで淹れたコーヒーの香りだった。
その金色の瞳を細め、彼女は小さな音を立てぬように、ポットからカップへと黒い液体を注ぐ。
静かな滴りが、まるで心を落ち着かせるような旋律を奏でていた。
「ジョン様、そろそろペストーニャ様がお見えになります。
シククスが扉の確認に向かっております」
ルプスレギナが微笑みを浮かべて報告する。
ジョンは書きかけの書類を脇へ寄せ、穏やかに頷いた。
「そうか、ありがとう。――今日は、甘いものも用意してあるからね」
テーブルの中央には、白い皿に載せられたショートケーキがひとつ。
ふわふわのスポンジに生クリームが重なり、その上には艶めく苺が三つ、まるで宝石のように輝いている。
やがて、扉の向こうから控えめな声がした。
「ペストーニャ様、お越しです」
「うむ、通してくれ」
ジョンがそう言うと、シククスが恭しく扉を開いた。
そして、柔らかな光の中に、一匹の犬頭を持つ女性の姿が現れる。
「し、失礼いたしますわん……」
彼女――ペストーニャは、いつも通りの落ち着いた笑顔を浮かべていた。
白衣の裾を整えながら、尻尾が小さく揺れる。
その仕草に、どこか安心感と温もりが漂う。
「ようこそ、ペストーニャ。忙しい中、来てくれてありがとう」
「と、とんでもないですわん……! ジョン様にお呼びいただけるなんて、光栄ですわん」
ペストーニャは小走りで部屋の中に入り、ルプスレギナが引いた椅子にちょこんと腰を下ろした。
鼻をひくひくと動かし、漂う香りを感じ取る。
「……この香ばしい匂い、フレンチプレスですかわん?」
「そうだ。ルプスが丁寧に淹れてくれた。豆はスマトラから取り寄せたものだ」
ルプスレギナはにっこりと笑って、コーヒーの入ったカップを差し出す。
「香りを引き立てるために、少し粗めに挽いてありますっすよ。気に入ってもらえると嬉しいっす」
「ありがとうございますわん……。とってもいい香りですわん……」
ペストーニャは両手でカップを包み込み、そっと口をつけた。
その瞬間、まぶたを閉じ、ゆっくりと息を吐く。
「……ふわぁ……まるで心が温まるようですわん……」
ジョンは微笑を浮かべながら、ショートケーキの皿を彼女の前にそっと置いた。
「コーヒーだけじゃ少し寂しいからね。今日は甘いものを用意したよ。
いつも孤児たちやメイドたちのために献身してくれているから、その労いを込めて」
ペストーニャの耳がぴんと立ち、頬がほんのりと赤く染まった。
「そ、そんな……お気遣い、恐れ多いですわん……! 私たちはただ、御方の御心を支えるのが務めですのに……」
そう言いつつも、その尻尾は嬉しそうにぱたぱたと動いている。
ジョンはそれを見て、少しだけ笑いを堪えながら言った。
「君のその優しさと忍耐が、ナザリックを支えてくれている。
だからこそ、こうして少しでも礼をしたいんだ」
「……ジョン様……ありがとうございますわん……」
ペストーニャは胸の前で両手を重ね、深く頭を下げた。
その仕草は、まるで忠実な犬が主人に感謝を示すようでもあり、ひとりの女性としての誇りにも満ちていた。
ルプスレギナが穏やかに微笑みながら言う。
「ペストーニャ様、ケーキも召し上がってくださいっす。ジョン様が苺を選ばれたんですよ」
「えっ……ジョン様が? ……そ、それでは遠慮なくいただきますわん」
ペストーニャは小さなフォークを手に取り、丁寧に苺をひとつすくい上げた。
口に含んだ瞬間、幸福そうに尻尾がさらに揺れた。
「……甘くて優しい味ですわん……! このケーキ、まるでジョン様みたいですわん」
「ほう、それは褒め言葉として受け取っておこうかな」
そう言って笑うジョンの声に、ルプスレギナがくすくすと笑いを漏らす。
部屋の空気はさらに柔らかくなり、温かい雰囲気に包まれていった。
しばしの間、言葉少なに、三人はコーヒーと甘味を味わう。
ナザリックの静かな時の流れの中で、心だけが穏やかに満たされていく。
「……ジョン様、今日という日を私はきっと忘れませんわん」
ペストーニャは微笑みながら、両手でカップを抱きしめた。
「これからも、御方のため、そしてナザリックの皆のため、尽力してまいりますわん」
ジョンは静かに頷き、優しく応えた。
「その気持ちがあれば、ナザリックは永遠に安泰だ。ありがとう、ペストーニャ」
その言葉に、ペストーニャは目を細め、ゆっくりと尻尾を振った。
「……こちらこそ、感謝いたしますわん……」
そして、再びコーヒーの香りが部屋を満たし、
穏やかな夜のひとときが、深く静かに流れていった――。