オーバーロード~狼(以下略)~その他まとめ 作:ぶーく・ぶくぶく
/*/ リ・エスティーゼ王国王都・王城 ザナック私室 /*/
式典の喧騒が遠のき、王城の奥深く――厚い絨毯と香木の薫る私室には、静謐な時間が流れていた。
婚礼衣装のまま椅子に腰かけた聖王女カルカ・ベサーレスは、ふぅと息を吐き、肩の力を抜いた。
「……ようやく、終わりましたね。あの果てしない“演劇”も」
微笑を浮かべながらも、どこか安堵の色が混じる。
聖王国での政治劇、宗派間の権力闘争、民の信仰を盾にした駆け引き――それらに比べれば、いまこの静寂は夢のようだった。
窓辺では、ザナック・ヴァルレオン・イガナ・ライル・ヴァイセルフが外の夜景を眺めていた。
王都の灯が金の波のように揺れ、まるで新たな時代の到来を祝っているかのようだ。
「カルカ殿下……いや、我が妻カルカよ」
ザナックが振り返る。声には穏やかな温もりがあった。
「あなたがこうしてここにいるだけで、王国に光が差したようだ」
その言葉に、カルカはわずかに頬を染める。
「……お上手ですね、陛下。聖王国ではそんな言葉を聞いたことがありません」
「本心だよ。あなたほどの気品を保ち続けるには、どれほどの努力が要ったか、想像に難くない」
ザナックは歩み寄り、カルカの手をそっと取った。
その指先には剣ではなく祈りと勤勉が宿り、年齢を重ねてもなお瑞々しい。
「年上の女を娶らせてしまい、申し訳ありません……」
カルカが目を伏せると、ザナックは小さく笑って首を振った。
「王の妻たるに、年など問題ではない。――むしろ、あなたほど凛とした美を備えた方に隣へ立っていただけること、私の誇りだ」
その真摯な眼差しに、カルカの胸が熱くなる。
「……陛下、それ以上言われると、聖女の顔でいられませんよ」
頬に朱を差したカルカの姿は、王妃としての気品を保ちながらも、どこか初々しい乙女のようだった。
ザナックはその笑みを見つめ、静かに息をつく。
「これからは、あなたが無理をせず笑っていられるようにしよう」
その言葉にカルカはそっと頷く。
遠くの廊下では、レメディオス・カストディオ団長とケラルト・カストディオが控えており、彼女の安全は確保されていた。
それだけでも、聖王国での日々に比べれば十分すぎる安らぎだった。
夜の灯りが二人を包み、静かな幸福が滲む。
政略から始まったはずの縁は、今まさに、確かな絆へと変わりつつあった。
/*/ 新たな王と王妃の夜は、静かに幕を開けた /*/
夜更けの風がカーテンを揺らし、香炉の白煙がゆらゆらと天井に伸びていく。
その柔らかな香の中、カルカ・ベサーレスは鏡台の前でゆっくりと髪をほどいた。
聖王国の儀式では決して許されなかったほど、長く、豊かな金髪。光を受けて蜜色に輝くその髪を、今夜ばかりは侍女の手を借りず、自らの手で解いていく。
「こうして自由に身支度をするのも……いつ以来かしら」
自嘲めいた呟きが、鏡に映る微笑とともに零れた。
その背に、衣擦れの音。
ザナック・ヴァルレオン・イガナ・ライル・ヴァイセルフが近づき、手にしていた外套を静かに掛けた。
「冷える。王妃の身に風邪でもひかせたら、宮廷医師どもに叱られてしまう」
「……王妃、ですか。まだ、その響きに慣れません」
「すぐに慣れるさ。だが、王妃としてではなく、カルカとしていてくれれば、それでいい」
ザナックの声音は、いつもの政治の場での厳粛さではなかった。
柔らかく、どこか寂しげでもある――戦乱の中で家族を失い、孤独に国を背負ってきた男の、ようやく見つけた安息の声。
カルカは振り向き、その眼を静かに見つめ返した。
「陛下……あなたもまた、長いあいだ戦ってこられたのですね」
「ええ。だが、今日という日が来たことで、報われた気がする」
ザナックは微笑し、彼女の頬に手を添えた。
聖王国では、誰も彼女の努力を称えることはなかった。
“聖女”として、完璧であることを強要され続けた。
けれどこの男の掌には、政治の駆け引きでも信仰でもない、ただ一人の人間としての温もりがあった。
「……そんな顔をされては、いけませんね。涙が出てしまいそうです」
「泣いていい。誰も見ていない」
その言葉に、カルカの瞳が潤む。
頬を伝う一粒の涙を、ザナックは指先でぬぐった。
「私は――あなたの傍で、静かに生きたい。もう、誰の代理でも、象徴でもなく」
「それが私の願いでもある。あなたに笑っていてほしい。それだけで、戦う理由になる」
言葉が途切れ、二人の間に静寂が落ちる。
けれどその沈黙は、重苦しいものではなく、互いを受け入れる穏やかな空気に満ちていた。
やがてカルカがそっと立ち上がり、ザナックの胸元に顔を埋める。
王の心臓の鼓動が、かすかに伝わってくる。
その音に、彼女はようやく確信した。――自分は、確かにここにいていいのだと。
「カルカ」
「……はい、陛下」
「これから共に、この国を守っていこう。血ではなく、祈りと理知で」
その誓いの言葉に、カルカは静かに頷く。
聖王女ではなく、ひとりの女として、初めて自ら選び取った未来。
外では、王都の夜鐘が遠く鳴り響く。
新しい時代の鼓動のように。
/*/ 王と王妃、二つの孤独が結ばれた夜 /*/