きィ、きィ、と音を立てて甲板の木がなく。花京院は十輪寺に近づいて行った。
「…隣、座ってもいいですか。」
十輪寺の瞳が僅かに警戒するように揺れたが、ええ、と彼女ははにかんで答える。
遠慮することなく、花京院は彼女の隣の椅子に腰を下ろす。しばらくの沈黙の後、彼は十輪寺に言葉をかけた。
「…僕のことは、信頼できないですか。」
はっと身じろぎする十輪寺を無視して、彼は続ける。
「それどころか皆も。…あなたは、僕たちに対して壁を作っている。何か話したくないことを抱えているのではないですか?」
十輪寺はこちらを見ない。ただ、自分の手元を見てうつむいている。
「今まであなたは何人もの命を救った。…まるで、分かっていたかのように。皆、それを訝しんでいます。」
花京院の言葉は、この空間に静かに響く。
「けれど同じくらい、皆あなたを信じたがっている。…僕はあなたにあんな酷い仕打ちをした。だから、僕のことは疑っていて構わない。…けれど」
自分の心を、誇りをえぐられる心地を持ちながらも、花京院は言い切った。
「皆のことは、信じてあげてほしい。…誰かに、話してほしいんだ。僕は、秘密を抱えたままなのは嫌なんだ。」
***
寄せては返す波の音。沈黙の降りた星空の下には、ただ静かな波だけが規則的な潮騒を繰り返す。
沈黙の中、花京院は彼女の言葉を待った。どんな言葉であれ、受け止めるまでは引く気はなかった。
……幾ばく経っただろうか。迷い、迷いに。十輪寺が口を開いた。
「…花京院さんは、ハイエロファントは生まれた時からいたの?」
一見して全く関係のないような話。だが彼女がこの後に及んで話をそらすことなどありえないと確信した花京院は質問に答えた。
「…ええ。物心ついた時には手足と一緒で、ずっと側にありました。」
そっか、と彼女は息をついた。
そしてややあって、意を決したように海を見据え、語り出した。
「私は、5歳の時からです。…忘れもしない、50日の高熱で苦しんだ…あの後から。」
はっと、花京院は息を呑んだ。
「…まさか」
「ホリィさんの病床で言った、「1人だけ助かった人間」…あれは、私なんです。」
ぎこちなく微笑んだ彼女はその身を抱きしめるかのように腕をぐっと握りしめる。
「幸か不幸か…。生まれつき、波紋の素質があった私は、昏睡状態に陥りませんでした。」
うんと頷いて、花京院は無言で彼女の話を聴いている。決して急かすことないその様子に彼女も少しずつ、考えをまとめながら話を続ける。
「でも…熱に浮かされる中、私が経験したのはそれだけじゃあなかった。」
十輪寺はぐっと、痛くなるほど腕を握りしめた。
「…両親が、車に乗って…事故にあい、焼かれる夢、でした。」
え、と、思わず花京院は息を漏らす。そのときになって、ようやっと彼をちらりと見た彼女は、悲しげな硬い笑顔を浮かべていた。
「…発症して50日目。危なくなった私を別の病院に送るため……両親は、車に乗り込みました。」
「まさか…!」
花京院は狼狽して身を乗り出した。十輪寺はそんな彼を見て……フッ、といきなり柔らかい笑みを浮かべた。
「なぁんて、ね!」
「……は?」
唖然として彼がぽかんとする中、彼女はクスクスと笑いだした。
「花京院さん、今私の両親が大怪我したって思ったでしょ?まさか、何事もなく健在ですよ。」
あっけに取られる彼を前に、彼女は心底おかしい、という様子で笑う。花京院はハッとして、思わず言い返した。
「ならば思わせぶりに言わないでくださいよ…ッ!…全く、紛らわしい。」
「ふふっ…。ごめんなさい。」
笑顔のまま彼女は謝る。……だが、その笑顔にまた、先程の悲しげな色が混じった。
「…ですがね。本当に、事故は起きたんですよ。」
彼女の表情の変化と語られた内容に、花京院は怒りの穂先を引っ込めた。それで、と先を促す。
「相手車両の脇見運転だった。…その瞬間が、スローモーションに見えたのもはっきりと憶えてます。」
そして、と彼女は海の方を見た。
「父さんと母さんを助けなきゃ、と思ったその時に、モビーが助けてくれたんです。」
あ、と花京院は目を見張った。
「…スタンドは、強い精神力の具現化。」
「そう。あの一瞬で私は何も考えずに2人の手を掴んだ。…モビーは私ごと飲み込んだんです。」
花京院は絶句するよりほか無い。申し訳なさそうに十輪寺は眉を寄せる。
「…ごめんなさい。この話をおいては先を話せなくて。…皆さんが疑っていた、「わかっていたかのような行動」の確信に触れるには。」
花京院に向き直って、十輪寺は息を整える。まるで覚悟を決めるような彼女の様子に、花京院も真剣な面持ちで言葉を待った。とつとつと、彼女は語り始めた。
「その後嘘のように私は回復していきました。モビーという分身も得た。…けれど、それと同時に、私には「戦う」目的も生まれたのです。」
息を整えて、十輪寺は花京院の目をまっすぐ見て、言った。
「…私は、「夢」を見るようになった。それも、「その人が大怪我する様を見せつけられる」ような悪夢を。」
***
……呆然と、彼女の話を反芻する。
「それは、つまり…予知夢。」
こくり、と彼女は頷いた。その目はなにか恐れている様に揺れていて。
にわかには信じられないような話だ、と咄嗟に思った。ファンタジーやメルヘンじゃああるまいし、と。
だが。もしそうだとしたら。
(今までのすべてに、辻褄が合うじゃあないか。)
パズルのピースがパチリと噛み合うように、すんなりと合点がいった。
僕の正体に気が付き尾行していたこと。保健室でいち早く僕の凶行を止めたこと。空条邸での異変に真っ先に現れ対処したこと。タワー・オブ・グレーを欺いて乗客を助けたこと。船内の爆弾を全て解除したこと。船員を貨物船から守り抜いたこと。
すべて事前に見ていたのだ。彼女は。
彼女の目をそろそろと見返せば、彼女は未だ怯えたような硬い表情で。ああ、と何となく僕は察する。
(この目は、何度も疑われてきた人の目だ。)
息を呑みこんでから、僕はなんとか、言葉を返した。
「分かった…。話してくれて、ありがとう。」
僅かに彼女の表情が歪む。どこかすがるような表情がすべてを物語っていた。
「信じるよ。」
何も意識することもなく、僕はそう言っていた。
***
信じる。その言葉を聞いて、十輪寺は自分の中の張り詰めていた何かが音を立てて切れたのを感じた。文字通りすっと体から力が抜ける。
「…本当に?」
ポツリと確かめるように呟かれた言葉は震えていた。
「ああ」
力強く頷かれた肯定に、何かが溢れてくる。
「…気味悪いだとか、ない?」
「それは思ってもみなかったな…。言われたことがあるんですか?」
と、花京院は問い返したが……答えを待つ前に、慌てたように十輪寺に手を伸ばす。彼女にはその姿は何故かぼやけてよく分からなかった。
「十輪寺?大丈夫かい?」
「……あり、が、と…」
感謝の言葉は嗚咽にまぎれて途切れ途切れになってしまった。
星空の下で、しゃくりあげる声が響いていた。花京院は何も言わずただ十輪寺の背を優しくさすっている。
しばらくした後、段々と泣き声が収まってくる。呼吸を整えぐっと目を拭った十輪寺は、改めて花京院に向き直った。
「取り乱してすみません…。ありがとう…」
「いいえ。…今まで、信じてもらえなかったのかい?」
おずおずと尋ねられた言葉に十輪寺は頭を振る。
「そうじゃ、ないんです。両親も信じてくれてる。…でも、やっぱり両親が困ってるのが伝わってくる。」
ふっと、彼女は笑った。今までにない、どこか晴れやかな笑顔だった。
「なんででしょう?あなたの信じるで、ホッとした。」
「…わかる気がする。ただ受け止めてほしかったんだろう?」
ふと、花京院は自身の法皇が周りの誰にも見えないと気づいたときのことを思い出していた。…そんなものはいない、と言われてから後、ひた隠しにしていた苦い思い。
「そっか。…そうか。」
うんうんと頷いた十輪寺は、改めてありがとうと返す。それにまた気にしないでくれ、と花京院も笑い返す。
花京院は彼女の笑顔に、自分が懸念していた負の感情が実はまったくなかったことを悟り安堵していた。……しかし、それなら、とも心の端で思う。それなら、なぜ彼女はあんな視線を自分に向けていたのか。
(…まさか)
そう思った瞬間おもむろに、十輪寺が話し出す。
「…この際だから、聞いてもらっても、いいですか」
内心ビクリとしながらも彼はなんだい、と返した。
「…私の夢には…法則性があるんです。」
予想していた言葉とは違い、一旦安堵を覚えた花京院は「法則性…?」と聞き返す。うん、と頷いて、困ったように彼女は続ける。
「見る夢は必ず未来の不幸…」
瞳に悲しげな色が宿る。だが、言葉は淡々と、まるで自分に言い聞かせるかのように発される。
「でもそれは…。私が動くことでひっくり返せる運命なんだ…と、思う。」
運命、と花京院は反芻する。
「そう。病気とかどうにもならない事ではないんです。」
「…まるで、君に動けと誰かが下しているような…」
その言葉に全くだ、と十輪寺も頷いた。
「少しずつ違うけど…ほぼ、夢の事はそのまま起こる。…たちの悪い未来予知、ですね。」
暗い面持ちの十輪寺は海を見る。暗夜の海は、ただ紺色だ。「他にもあったんです」と彼女は続ける。
「例えば一回しか見ないとか、見る時間はだいたい決まって2時頃…この時間とか…」
言って彼女は顔をしかめて花京院の方を見た。
「…今はその法則が崩れています。ちょうどあなたたちに出会う3日ほど前から。違う夢を2つ見たり、昼にふと眠った時に早送りのように見ることがあったり。…同じ場面を繰り返すものも、ね」
だから旅についてきた……嫌な感じがするのです。そう締めくくって彼女はまた海の方を見て押し黙った。その横顔は厳しく、悩んでいるようにも見える。
「そうでしたか」と花京院もポツリと言ったあと、同じように海に視線を移す。2人の間に沈黙が降りたが2人とも取り繕うこともなく、ただ各々物思いにふけっていた。
彼女の話を自身の中で噛み砕いていた花京院は、ふと感じた疑問を口にした。
「…十輪寺。例えば、つまり…保健室で僕は本当は彼の目を貫いていたし、あの船は爆破されていたってことですよね。」
「…多分。」
苦々しい思いをしながら花京院が尋ねると、十輪寺は頷く。何もしなければ十輪寺が見たとおりの展開になっていたのは、ほぼ間違いない。ならば、と花京院は尋ねた。
「ならば…夢の中では、君はどう動いているんだい?君がいるなら起こるはずがないだろう?」
その質問に、十輪寺は悲しげに微笑んで答えた。
「…花京院さんは鋭いね。……居ないんだ。」
「え?」
「夢の世界に、私は、居ないんです。」
呆然とする彼をよそに、彼女は言った。
「両親の事故のときもそうだった。…私は居なかった。」
「それは、どう、いう」
喘ぐように声を絞り出した花京院に、十輪寺は感情を込めず、ただ言った。
「夢の中では、ただ見るしかないんだ。見ることしか、できないんだ。」
「……」
花京院は、その悪夢のどうしようもない不可解さと残酷さに絶句する。
(…目の前で起きる凶行を…ただ、見るだけ)
花京院は思う。そうしたらこの人は夢を見る度、一体どれだけ恐ろしい思いをしているのだろう。しかもその世界に自分は居ないのだ。まるで自分が異分子だと突きつけられているような。
彼の無言からその考えが伝わったのか、十輪寺は慌てて取り繕うように言う。
「心配しなくて大丈夫です…!現実に起きることを防ぐため、前向きになろうと決めました。だからこの旅についてきたし、離脱もしたくなくて。…私は皆の命を、守りたいん、だ…」
語尾はゴニョゴニョと気まずげに小さく言い、十輪寺はさっと顔を背ける。
「…驕り、でしょうか?」
「いいえ!」
咄嗟に口から否定の言葉が出る。伺うようにこちらを見返した十輪寺に、花京院は考えをまとめながら声をかける。
「…君は純粋に夢を現実にしたくないだけなんだろう?行動に移せているんだし…難しいこと考えないで、苦しむ必要は無い。」
十輪寺は目を見開いて彼を呆然と見ている。ややあって、ポツリ、と呟いた。
「…私は、ずっと「ズル」をしていると思ってたんです。」
「…ズル?」
ええ、と彼女は頷く。
「…愚痴になるから、誰にも言えなくて。」
言ってもいいですか、と恐る恐るかけられる言葉に花京院は勿論、と先を促した。
「…だって、夢で見たことは『知ってる』んですから。対処を考えるだけでいいんです。夢だって、たまたま私がそんな力をもっているだけ。…持っていなければ、きっとこんなに戦えていない。私は臆病者なんです…」
彼女の告白を花京院は黙って聞いていた。……一拍沈黙をおいてから、彼は答えた。
「…それは違うと思います。夢で見たからといって対処できるわけではない。まして、正面切って戦うなんて覚悟持っている時点で十分でしょう。」
彼女は目を丸くし、「本当にそう思っていいのか?」と、戸惑っている。花京院は思う。
(…これは厳しく一言添えておいたほうがいいな。)
花京院は強い口調で言った。
「君のその考えは「謙遜」や「驕り」ではない。「卑屈」だ。自分を痛めつけているのは見ていて…気分のいいものじゃあない。」
ハッと十輪寺が息を呑むのを見て、花京院は語気を弱めて続けた。
「…僕は、友人や仲間なら尊敬できる人と付き合いたい。あなたのことももちろん仲間だと思いたい。身の危険を顧みず戦っている時点で十分だ。…僕が尊敬する人を、貶めないでくれ。」
***
星空の下、しばらく沈黙が流れた。……ようやくして、十輪寺は、ポツリと呟いた。
「……ありがとう」
泣きそうな顔を歪め、彼女は笑って答えた。
ああ、と花京院は思う。こちらの思いは、伝わった。
「やっと、腹を割って話せたというところでしょうか?」
わざとおどけた口調で花京院がいうと、十輪寺はこくこくと頷く。
「今までごめんなさい。…仲間になりたいと思ってて…でもみんなが眩しくて。…もう仲間だと認めてもらえてたんだね。」
その言葉に花京院は顔をしかめる。
「当たり前だろう。そんなこと言ったら最初敵だった僕の立場がないじゃないか。」
その言葉に思わず十輪寺は吹き出した。クスクスと本当に楽しそうに笑うのを見て、花京院は不本意に感じながらもつられて笑みが浮かんだ。
その笑みに陰りを混ぜながら彼も言う。
「…あのときは本当に申し訳なかった。操られていたことを理由にできないとポルナレフを見て思ったんだ。…腕のアザはどうですか?」
恐る恐る訊く花京院にああ、と十輪寺は明るく笑う。
「前も言いましたが、私はなんとも思ってないですよ。アザもこの通り、治ったから大丈夫。」
彼女は袖をひらりとまくって答える。その腕に法皇が残した赤アザは確かに無い。
「…なるほど。尊敬できる人、か。私もあなたを尊敬してますよ。冷静で的確。…何より、大胆不敵なくせして安心感がありますもの。」
十輪寺はコロコロと笑って最後はからかうように言った。花京院は不服そうに返す。
「なんですか、人が心配したというのに!からかわないでください。」
ごめんなさい、と十輪寺は手を振って笑う。
「…ありがとうございます。…話せて、本当に良かった。」
笑みを穏やかなものに変えて、十輪寺は言う。最後の最後で煙に巻かれたようで花京院としては面白くなかったが、彼女の様子にどこかホッとした。
***
「ありがとう。…もう日をまたいだけれど、また明日。」
鯨の口の中から彼女は笑って言うと自身の部屋へと降下していった。
ぼんやりと、花京院はそれを眺める。なんとなく部屋の中に戻る気も起こらずだいぶ光の消えた町並みに目をうつした。
(これで、大きな問題は解決しそうだな)
自分に話せたのだからきっと他のメンバーにも打ち明けられるだろう、と花京院は思う。
(…あのことについては、訊けなかったけれど)
夜が明けるまで、まだあともう少し。