星の海を渡る船   作:仁倉

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空条邸にて

勝負は一瞬にして決した。空条の怒りが、裁きが下ったのだ。

全身から血を流して倒れ込む花京院の姿に半ば安堵を覚えながら、ようやっと十輪寺は次を考えることに思い至った。

(…そうだ、まずは先生の治療をしなければ!)

十輪寺は呼吸を整え始める。スタンドとはまた違う、彼女が持つ力。十輪寺は泰然と立つ空条に勘付かれないよう、微弱なその力を女医に流していく。

花京院が完全に気を失っているのを確認した空条は十輪寺の方を向いた。

「おい、十輪寺。てめー…」

「…ええと」

空条としては特段威圧しているつもりはないのであろうが、彼女にはその視線が強く感じられて思わず目をそらす。それをなんとなく察したのであろう。空条も話の取っ掛かりは踏み込んだものを避けた。

「…女医は無事か?てめーは?」

「ああ、はい。すぐ手当てすれば大丈夫でしょう。」

実際、傷はそう深くないものだった。その上に十輪寺の力を上乗せしている。

「そうか、なら良い。」

ほっと、彼が息をついたような気がした。

「…そちらは?」

「気絶してるだけだ。」

十輪寺としては空条自身のことを訊いたのだが……と声をかけようとしたとき、辺りが騒々しいことにやっと気がつく。遠くから先生が!JOJOが!と先程の不良の声が聞こえてきた。

「…騒ぎが大きくなったな。今日は学校をフケるぜ。」

そう誰にとも無く呟いた空条は、花京院を俵担ぎにして窓に向かっていく。

「十輪寺、てめーはどうする?こちらとしては色々聞きてぇことが山積みなんだが。」

窓からひらりと外に出た空条がこちらを向いて問うのに十輪寺は苦笑した。

「自分も聞きたいことが山積みですが、取り敢えずこの状況を丸く収めておきましょう。」

「…できんのか?」

訝しげな目を向ける空条に対し、彼女はまぁ、なんとかします、と曖昧に笑い返した。……納得はしていないのだろう。だが空条はふんと鼻を鳴らし踵を返した。

「事が済んだら話を聴く。逃げるんじゃあねーぜ。」

 

 

 ***

 

 

保健室からの二度に渡る爆発音は配管からのガス漏れで、何らかの形で引火したのではないか――という、実に曖昧なものとして片付けられることになった。……それしかこの不可解な破壊のあとは説明がつかなかったのだ。

保健室での一件を教師のもとに駆け込んで知らせた不良たちは、二度目の爆発音に巻き込まれたその後、最初に何があったのかを覚えていなかった。知らせを受けて駆け込んだ教師たちも、保健室についた途端それに巻き込まれ一度気を失う。その後、空条の存在や保健医の奇行はこの件を耳にした誰からも、全く忘れ去られていた。

 

 

 ***

 

 

目が覚めたらしい教師たちが慌ただしく指示を飛ばし始めるのを聞き、十輪寺は保健室外の窓の下から人知れず離れた。

二度目の爆発――正確に言うと破壊音を起こしたのは彼女である。さらに彼らを気絶させ、その記憶を曖昧にしたのも。

(…急ごしらえにしては上手く行ったかな。もう大丈夫。)

保健医は何事もなく爆発に巻き込まれたことになるだろう。それにしては傷が不自然ではあるが、事の真相がわからなければどうということはない。

(力の乱用かしら。…まあ、悪いことじゃないしいいよね。)

音を立てず十輪寺は学校を後にするべく窓の死角をすり抜ける。

(さて、どうするか。……決まってる。)

事は収めた。ならば、自分の疑問もある程度解決しておきたい。

彼と相対するのは身がすくむが、この戦いを目にした今、彼に対する恐怖は薄れつつあった。

(空条先輩のお屋敷か…行こう。)

十輪寺はこの地区では有名な、空条承太郎の住む屋敷に向かって歩き出した。

 

 

 ***

 

 

……玄関の呼び鈴を押すのも躊躇われる格式高い屋敷だ。そう十輪寺は思った。

保健室での一件をなんとか収めた十輪寺は今、空条邸の門の前でどうしようかと二の足を踏んでいた。

(なんていうか…。今、ゴタゴタしているだろうしなぁ…)

そういえば、と十輪寺は空条が担いで連れ去った花京院の存在を思い出す。戦いの場で彼は「あの方」と後ろにいる人物を匂わせていた。更に空条が言った、「じじいが会いたがる」の台詞。

まず今は花京院の口を割らせている真っ最中だろう。

(明日にするか…でもなぁ…)

十輪寺がうーん、と頭を抱えたその時、「あら?」と鈴を転がしたような明るい声が聞こえた。

声がしたのは門の中からだった。ハッとしてそちらを見ると、妙齢の白人女性がこちらをきょとんとした顔で見ているではないか。

「どうしたの?承太郎のお友達?」

家の中で何事も起きていないかのような様子で女性はぱちくりとこちらを見ている。

……この人は誰だろう?と十輪寺もぽかんとした。さては家を間違えたか、と表札を見るが間違いなく「空条」と書かれている。そもそも承太郎なんて名前そうそう居ない。そんな十輪寺をよそに、彼女は更に唖然とするようなことを聞いてきた。

「それとも花京院くんのお友達?」

…………空条邸で間違いないようである。中で一体何が起きているというのだろう。

女性の問いに困惑を深めながらも、十輪寺はなんとか声を絞り出した。

「ええと…どちらとも知り合い、です。」

「まぁ、そうなの!?さっきまで大変だったみたいだけど、もう大丈夫よ♡」

ぱあっと文字通り花が飛ぶような笑みを見せて彼女は微笑んだ。思わず、はぁ、と息が漏れる。

今まで自分が頭の中で考えていた……背筋が凍るような光景は、どうやらこの豪邸では起きていないらしい。

訳が分かっていない十輪寺なぞ気にも留めず、女性はうふふと笑って駆け寄ってくる。

「2人を心配してくれたのね?ありがとう!さぁ、上がっていって!」

「え?…ええと…え?」

「ほらほら!2人もきっと喜ぶわぁ〜♡」

グイグイと背中を押され、完全に困惑したままの十輪寺は彼女――空条ホリィに半ば無理やり、屋敷に通されたのだった。

 

 

「…逃げるどころかわざわざ出向いてくるとは関心だな。」

その言いざまは正直どうかと思う。そう考えながらも空条承太郎に迎えられた十輪寺はおっかなびっくり廊下を歩き、居間のある一室に通された。畳敷きで高価そうな座卓のあるその一室には、十輪寺にとって意外な人物が胡坐をかいて座っていた。

「え?…ジョースター、さん?」

「…お、おい承太郎…!その子、ひょっとして十輪寺というんじゃあ…!」

筋骨隆々の白人の老爺、ジョセフ・ジョースターがそこにはいた。ジョセフも十輪寺も目を丸くしてお互いを見る。

「あ?なんだ、知り合いか?」

承太郎がいぶかしげに両者を見やると、はっとしたようにジョセフは答えた。

「知り合いも何も…知古の娘さんなんじゃよ!久しぶりじゃのう!」

「ジョースターさんこそ…!御無沙汰しております。お変わりないようで!」

「小学生以来かの?大きくなったなァ!」

過去に自分に良くしてくれた人物の登場に、十輪寺の緊張がほぐれる。と、そこに別の声が問いかけてきた。

「ということはジョースターさん、彼女が以前おっしゃっていたスタンド使いの子ですか?」

彼女がぱっと声の方を見やるとそこには黒人男性が楚々として控えていた。慌ててお辞儀をすると相手も鷹揚に礼を返す。

「そうじゃ。彼女は十輪寺という。財団職員の娘さんで、かなり特殊な子なんじゃよ。」

「そうでしたか。…私はモハメド・アヴドゥル、しがない占い師だ。君と同じスタンド使いだがね。」

ゆるく微笑んだアヴドゥルに十輪寺も自己紹介する。一連の流れが終わると、さて、とジョセフが話を切り出した。

「十輪寺、今回は災難じゃったのう…。だが詳しい話が聞きたい。いいかな?」

「…その前に、いくつか宜しいでしょうか?」

「ん?なんじゃ?」

ジョセフはきょとんと十輪寺に向かって首をかしげる。

「あの、どうしてジョースターさんがこちらにいらっしゃるのですか?あと…花京院…でしたか、あの人は何なんです?」

なんで学区一の不良の家にジョセフがいるのか、そして空条承太郎が襲われたのか。そもそも状況が全くつかめていない十輪寺は困惑して彼を見つめ返した。

 

 

 ***

 

 

「…というわけじゃ。かいつまんで説明したが大丈夫かの?」

「え、ええと…はい…。ジョースターさんが空条先輩のお爺様で、花京院は別の人に操られていた、ということですね?」

そういうことじゃとジョセフがうなずく中、十輪寺は後ろで立ってこちらをじっと見下ろす承太郎をちらりと見上げた。……世間とはかくも狭いものなのだろうかと思っているところに承太郎の舌打ちが届いてきて、慌ててジョセフの方へと向き直る。

「…彼自身に悪気があったわけではない。今は別室で休ませている。」

言ってジョセフは十輪寺の顔色を窺うようにのぞき込む。それに対して十輪寺はそうですか、とうつむいた。

(じゃあ、悪い人じゃなかったんだ…。それであんなに夢と違う感じだったのか。)

十輪寺は黙考する。

(ということは…もしかしてあの金色の男が操ってた張本人…?)

「…大丈夫かね?」

おずおずとジョセフが尋ねてきたことで十輪寺ははっとする。慌てて何でもないですと頭を振って続けた。

「とりあえず無事なことがわかりました。ありがとうございます。」

頭の端で思う。夢のことは、誰にも話したくない。

 

 

その後、言葉を発したのは承太郎だった。

「それで…今度はこっちから質問だ。てめーは何故、ヤツが犯人だと知っていた?」

「簡単なことです。見えたから。」

彼女は問いに淡々と答える。

「見えた、とは?」

承太郎とは違い、柔らかくアヴドゥルが訊ねてくる。顔を上げて、十輪寺はぽつぽつと話し始めた。

「空条先輩が石段から落ちたとき…落ちる前から怪我をしていたように見えました。その時草むらに緑の帯…彼のハイエロファントが隠れていくのを見ました。」

「俺でも見きれなかったのにか。」

不服そうに眉をひそめる承太郎に対し目を向けながら、困ったような顔で十輪寺は続ける。

「ご存知のとおり、自分はこれでも武道の心得が有る方です。一瞬とはいえ、ハッキリ見ました。」

「ならなぜそれが花京院とわかったんだい?」

「…彼が階段を降りていくとき、緑の影がこっそり戻っていくのを見ましたから。」

これは嘘。花京院はそんな素振りは一切見せなかった。ばれないかと不安になりながら額を撫ぜる。

「ふむ…その場で言わなかったのは他にも人がいたからかね?」

「…ええ。なので、彼の後をつけました。」

嘘に気が付かれず安堵しながら十輪寺はぽろりと漏らす。その言葉に皆ハッと身じろぎをした。

「お前さん…花京院をつけたのか!?」

「…あっ」

「あ、じゃねーよ。…成る程、テメーのその痣は花京院にやられたのか。」

「ええ、まぁ。…すぐに言えず、申し訳ありませんでした。」

慌てて腕を握りながら、承太郎に対して頭を下げる。

「他人には見えないものだし、状況もよくわからなかったもので…」

「…まあ良い。結果として怪我人は先生くらいだったからな。」

興味を失ったように承太郎は十輪寺から視線を外した。……夢のことは隠し通せたらしい。十輪寺は心でほっと息をつく。だが何かに気がついた承太郎はふと視線を戻した。

「そういえば学校の方はどうした?…あれを誤魔化してきたってのか?」

「あ、ええ…。目撃者の2人にちょっと釘を差して…」

曖昧に笑って誤魔化す。……実は大して感心がないのだろう、承太郎はそれで良い様だった。ジョセフが意味深な視線を投げてきたので少々肩をすくめて返すと、ふぅ、と吐息をつかれる。それに対して少々居心地が悪くなった十輪寺は辞去を切り出した。

「あの、申し訳ありませんが…もう、宜しいでしょうか…。部活は出たいので…」

「それもそうじゃった。悪かったのう。……最後に1つ、いいかね?」

ジョセフの言葉に十輪寺は一瞬ぎくりとしたが、問われた内容は全く関係のないことだった。

「『DIO』という言葉に心当たりはあるかね?」

「え…?いえ、なんですか?それは?」

答えを聞いたジョセフはからりと笑った。

「知らないんならいいんじゃよ。引き留めて悪かったの。」

 

 

 ***

 

 

音を立てず廊下を歩いて玄関に向かう。十輪寺を見送るものは誰もいない……傍目から見ると。

十輪寺は背後にある気配を感じていた。慎重で、おそらく鍛錬を積んだものにしかわからない程度の気配。

(…根は優しい人なんだろうな。)

気付いた様子も見せず十輪寺は歩いていく。多分、気がついてしまったら彼を困らせることになるからだ。そして十輪寺自身も今はどう接していいかわからない。

(こういう時どうすればいいんだろう。…ごめんなさい。私はもうなんとも思ってないよ。)

先程の皆での話し合い。それも彼は聴いていたのではないかと思う。その気配は誰も全く気が付かなかったから、スタンドを使ったのだろう。

(今度は偶然を装って会いに行こう。)

夢で見た光景。彼は散る運命なのだろうか。

(…あなたのことは知らないが、それは、変えたい。)

十輪寺は心に秘めた思いを改に、空条邸を後にした。

 

 

夕暮れに日本家屋は映える。こんな美しい光景を生まれて初めて見たような心地を、花京院は感じていた。

(当たり前か。生まれ変わったようなものだものな…)

空条邸を後にした彼女を人知れず見送ったあと花京院は自嘲する。

操られていた。だが、それを言い訳にしてはならない程のことを自分はしでかした。それなのに空条承太郎は自分の命を助け、ジョースターたちは責めることをしなかった。

……だが操られ酷い仕打ちを受けた彼女は別だろう。当たり前である。

花京院は苦痛に顔を歪める。……この後に及んで謝罪のために飛び出せなかった自分の愚かしさに反吐が出そうだった。

(すみません…。次こそは…君の目を見て、謝りたい。)

 

 

 

 ***

 

 

 

―…一難去って、また一難かな…

今日の悪夢はなかなかに手が込んでいる、と私は場違いな思いを抱いた。

まずはいつもの夢…花京院さんがあの男にやられる夢だった。彼の人柄をなんとなく察してしまったから…なかなかに、くる悪夢である。

何度見ても慣れることは決してない。耳に残る衝突音。いつもはここで目が覚めるというのに。

―ここ…空条邸、だよね。

いきなり風景が揺らいで場面が変わったのだ。今までこんなことはなかった。一夜につき1つの悪夢。そういう法則だったはずなのに。

ふすまが少し空いている。外に月明かりはない。

―新月か。いつなのか分かるから参考にはなる。

悪夢は防ぐことができる。ならばいつ起こるかを把握しておけばいい。今までの経験からそれは学んでいる。

―この部屋はどのへんだろう?

部屋の中を見渡すと、かなり広い部屋のようだ。…この屋敷の殆どの部屋は畳敷きなのだろう。無論、この部屋も例外ではない。何も糸口がつかめないので私は隣の部屋に移動する。ふすまをすり抜けると、そこに敷かれた布団には空条先輩のお母様が眠っていた。

―何か起こるのは、この人にか…

胸が一気に苦しくなる。なんだって、こんないい人が不幸に目をつけられるというのか。…原因はわかりきっているけれど。

―襲撃させた男か…

そいつのことはよく分からない。だが、あの夢で花京院さんを襲うあの男が、おそらく。

その時、どす、と音がした。

ハッと彼女に目を向ける。…暗がりでも分かる。彼女の上に何かが覆い被さってはいないか?

―やめて…

全身から血の気が失せる感覚が駆けのぼる。影はいきなり私をすり抜けてダンと音を立ててふすまを突き破った。

残された彼女は。

 

 

その光景を目の当たりにした瞬間、十輪寺は小さく悲鳴を上げてガバリと起き上がった。心臓がバクバクと暴走する。

「嫌だ…嫌だ…ッ!!」

思わず自分を抱きしめ、彼女はベッドの上でうずくまった。……見てしまったのだ。あの、優しいホリィが。

「いつ…?何時だ…!?」

取り乱しながらも彼女はカレンダーに、目覚まし時計に視線をやる。そしてはっと息を呑んだ。

今の時刻は23:58。……いつも彼女が悪夢を見る時刻と大きく乖離している。

「な、なんで…?」

ヒヤリとした悪寒が走るのを彼女は感じていた。だがそれが彼女の思考をより冷静にもさせていく。

「…そうだ!新月!!」

夢に隠された自然の暗号を思い出し、慌てて彼女はカーテンを引いて窓を開ける。

果たしてそこには。……月は、どこにも見当たらなかった。

何も考えず彼女はそのまま窓から飛び降りた。

 

 

 *** 

 

 

裸足のまま十輪寺は夜の住宅街を駆け抜けていく。息は一切乱さず足に自身の有する力を集中させ全速力で空条邸に向かっていた。秋空の冷えた風を一身に受けて、彼女は徐々に冷静さを取り戻していく。

(あの影は…人の形じゃなかった!獣だ!それに、あの気配のなさ!動き!)

次の角は右。そのまた次は直進。音もなく風のように駆け抜けながら彼女は想像する。

(あれは、間違いない…。ゾンビだ!!!)

それは父親や財団から伝え聞いた、最悪の敵。……だが、何故この日本に?

(今はあとだッ!早く、早く!!)

必死の思いの彼女の目に立派な門構えが見えてきた。当たり前なことに戸は完全に閉ざされている。ならば。

彼女はバンっと地を蹴って飛び上がる。足元に、自身のスタンドの錨の()を出現させ、それを蹴って二段飛びをした。がっと高い塀に手をかけると彼女は勢いをつけて空条邸に侵入していった。

 

 

目まぐるしい一日だったせいか、花京院は寝付けず渡り廊下に1人ぽつんと座ってじっと庭園を見ていた。風もなく水面は穏やかに揺れている。

するり、と己の分身を出現させながらただそれをほどいていった。しゅるりしゅるりとハイエロファントは細く緑に煌めきながら広がっていく。それに人知れず安堵を覚えた拍子だった。

不意に視界の端に何か黒いものが入ってきた。はっとしてそちらを見やると、それは人影だった。長髪をたなびかせてその人物は塀を飛び越え池の水面に()()した。

「…え?」

花京院は茫然と声を漏らす。水の上に、人が浮いている。その声に相手もはっとしたようで花京院の方を振り返り、目が合った。

それはそれは澄んだ、目を引かれるグリーンの瞳だった。

一瞬の視線の交錯ののち、侵入者――十輪寺はふいと目をそらしてそのまま水を蹴る。奇妙な波紋が水面に広がりながら、彼女は驚くべきスピードで空条邸の一室へと走っていった。

思わず唖然として見入ってしまった花京院だったが、我に返ると慌てて立ち上がってその後を追った。

 

 

十輪寺がバン、バン、とふすまを乱暴に開けて目的の一室にたどり着いたと同時にその影は部屋の奥からダンッと飛び出してきた。

(モビー!吐き出して!!)

彼女が念じるとすぐそれは手元にひゅっと現れた。水に濡れた絹のようなマフラー。それを一気に振りかぶりながら十輪寺は呼吸を練った。

青緑の波紋疾走(ターコイズブルーオーバードライブ)!」

マフラーから放たれた水滴がバチリと光る。それはまるで弾丸のようにもう1つの侵入者の頭を打ち抜いた。

『ギャアアアアア!!!』

耳をつんざくような悲鳴が屋敷内にこだまする。ほぼ耳元でそれを聞いたホリィは何事かと飛び起きた。

「な、な!?え!?」

自身の隣を見てホリィは驚愕する。暗がりの中、狼のような何かがおぞましい悲鳴と音を立てて溶けていくではないか。その光景に思わず悲鳴を上げそうになったその時。今度は自分の後ろにとすっと何かが動く音がした。ひっ、と身をこわばらせる間もなく、何かの手がホリィの目と口を覆う。

「ごめんなさい。今は眠ってて。」

バチッと弾ける音とともに、ホリィは意識を手放した。

 

 

声がしたのは母の部屋の方ではないか。柄にもなく全力疾走し、乱暴にふすまを開いた承太郎が目にしたのは、じゅうじゅうと溶けていく何かと布団の上で倒れ伏す母を抱えた人影だった。

人影がさっとこちらを振り返る。……こいつは。

「てめー…!!」

そこまで思考して承太郎は己の半身を勢いのまま出現させる。青い戦士が拳を振り上げた。

 

 

あの拳が飛んでくる!避けることはできないと確信した十輪寺は咄嗟にホリィを庇うように抱き締め目を瞑り衝撃を待った。……しかし、一向に骨を砕かれる激痛は襲ってはこない。

恐る恐る目を開いてそちらを見ると、青い拳は、十輪寺の目と鼻の先でピタリと静止していた。ぞわり、と寒気が走る。呼吸が止まっていたことに今更気が付き、十輪寺がややあって整え始めたその時、バタバタと多方向から音がして別のふすまがバンと開いた。

廊下からは花京院が。奥の部屋からはジョセフとアヴドゥルが。みな切迫した表情で部屋の有様に目をむいている。

「なんじゃ?!何事じゃ!」

「ど、どうしたんだJOJO!?」

「君は…!何故ここに!?」

三者三様に声を漏らすなか、承太郎――いや、青い戦士は拳をゆるゆると引き、闇に溶けて消える。

承太郎が口を開いた。

「けたたましい叫びが聞こえて来たらそこの得体の知れんやつが溶けていた。そしてこいつがババアを抱えてた。だから殴りかかった。」

「だからって…君…ッ」

花京院が焦った表情で承太郎の肩に掴みかかる。それを意に返さず承太郎は続ける。

「だがこいつはすんでのところでババアを庇った。だから殴らんでおいた。」

「…っ!」

それを聞いて、十輪寺は初めて体から少し力を抜いた。勢いのまま殴りかかってきたと思ったら意外と冷静かつ論理的な判断だったようだ。

「…てめー、どういうことか説明しな。」

有無を言わさぬ声。当たり前だ、と返そうとしたその時。ゾクリ、と背筋が泡立つ感覚に十輪寺は息を詰めた。……まだ何か居る。

自身の呼吸を最大限かつ、静かに整えていく。コォォ、と呼気からわずかに音を響かせながら、周囲全体に、見えない何者かの動きがわかるよう集中する。

「…おい、てめ…」

痺れを切らした承太郎が声を掛けようとしたが、十輪寺はぱっと手を突き出してそれを妨げる。

「……取り急ぎ、1つだけ。」

冷汗が止まらない中、静かな声で十輪寺は皆に向かって言った。

「相手は人間じゃあない。弱点は頭。吹き飛ばさない限り行動停止はしない。…噛まれてはいけない。スタンドで攻撃して。」

「…!」

その言葉に一同は身構える。敵がまだ潜んでいると暗に伝えられたからだ。

各々がスタンドを出現させた。火が灯り部屋が一気に明るくなる。緑の帯が地を駆け抜ける。みな十輪寺の周りに背中合わせになるようそろりそろりと近づいて来た。

僅かな音も聞き逃してたまるか。皆が思ったその時。真っ先に反応したのは花京院だった。

「ハイエロファントに触れたッ!西の方角ッ!来るぞッ!」

声と同時にふすまを突き破って獣が躍り出た。ホリィを抱えた十輪寺は、咄嗟に自身のスタンドに命令する。

「モビー!!アンガーテイル!!」

巨大な錨が畳を殴打し跳ね上げた。獣はそれにぶつかり十輪寺たちから一旦飛び退る。それを許さんとした承太郎の青き戦士は、既に拳を獣の頭に向かって振り抜いていた。

『オラァ!!』

グシャリと嫌な音がこだまする。それを合図にしたかのように得体のしれない気配が一斉に動き出したのを、ハイエロファントを通じ花京院は感じ取った。

「なっ…!数が多いッ!しかも早いぞ!」

「なんだと?」

花京院とアヴドゥルが焦りに表情を歪ませる。それに対しジョセフは冷静に判断し返した。

「敵の狙いはわしらじゃ!固まって外に出るぞ!!」

さっと承太郎がホリィを抱えあげる。さきがけをアヴドゥル、中央にホリィを守る承太郎とジョセフ、しんがりは十輪寺と花京院という形で庭へ駆け出した。手前から、奥から、ゾンビ共がふすまを突き破って湧いてくる。

「『レッドバインド』!!」

アヴドゥルの炎のムチが広範囲に、かつ的確に敵の頭を落としていく。後方から迫る連中は十輪寺が水弾で、花京院がエメラルドスプラッシュで片付けていった。それでも取り逃したゾンビは承太郎の青い正確な拳と、ジョセフの紫の茨がはたき落としていく。

ただの一瞬。それでも力の差は歴然で、空条邸の面々は数の不利を覆していた。だっと外に出た一同は、広大な池に掛けられた橋を超える。最後にいた十輪寺は錨に命令してそれを叩き落とさせた。

池の向こうから、まだわらわらとゾンビ共は湧いて出てくる。……その様子に十輪寺は眉をひそめた。

「抜けたぞっ!次はどうする?」

「私と花京院で迎え撃つ!撃ち漏れたものは頼みます、ジョースターさん!承太郎!」

「こやつら…!まさか!」

誰ともなく声を掛け合い連携していく。敵に覚えがあるのだろう、ジョセフが声を上げる。だが十輪寺は一同のそれを制した。

「待ってください。おかしい。こいつらがこんなにいるなんて!」

「…どういうことです?」

「こいつらはゾンビ。吸血鬼の血でしか増やせない。…吸血鬼を生み出す石仮面はとうの昔に財団が根絶させたはず!」

「なんだそれは?」

承太郎の問いに今は後でと返しながら十輪寺は続ける。

「こいつらは太陽のもとに出られぬ奴ら。日本でゾンビなんて聞いたこともなかった!こんな大規模なヤバい連中…噂になるはず。なのにそんな事件耳にしたこともない!」

早口で捲し立てられる疑問にジョセフは唖然と聞き入っている。逆にゾンビがなんたるかを詳しく知らぬ承太郎は冷静に切り返した。

「つまり親玉が1人いて、つい最近日本で増やしたってことだろ。…そしてそいつはすぐそばで指示を出している。」

至ってシンプルかつわかりやすい解釈に、十輪寺は強く頷いた。

「そういうことでしょう。親玉を叩けば烏合の衆。あとは逃さないよう散滅させるのみ!」

「わかったぜ。おい花京院!こいつらの中で人型の奴の位置を炙り出せるか?」

判断を下したあとは早かった。承太郎は花京院に索敵を頼む。花京院もすぐさまハイエロファントの触脚を周囲に貼り巡らせていく。

「やってみせよう!それまでは奴らを食い止めてください!」

「…自分がやります。一気にカタをつけるので、できる限りあのあたりに敵を集めてほしい。」

池の手前の開けた砂地。真っ直ぐそこを指した十輪寺に訝しげに承太郎は問う。

「…できるのか?」

「スタンドよりも効果のある力がある。…自分の全力なら問題ないです!」

「わかった…!レッドバインド!!」

「…任せたぞ十輪寺!ハーミットパープル!」

炎と紫の茨がゾンビを牽制しつつ徐々に一箇所に敵を追い込んでいく。

その時、花京院が承太郎に声を掛けた。

「いた…!コイツだ!!屋敷じゃない、塀の外10メートル東!!」

「ナイスだ。片付けてくる。」

ダンっと承太郎が青い戦士を使って軽々飛び上がり塀の外に消える。その様子を不安そうにチラ、と十輪寺がみやると、残った花京院がフ、と笑いかけた。

「大丈夫です。わたしも援護する。」

「…見えないのに?」

「いいえ、見えてますよ。…君のスタンドは見えないんだね。」

視覚を共有できるスタンド。スタンドに対して知識の少ない十輪寺は目を丸くする。

前線で動いていた2人が声を上げた。

「これでどうじゃ!?」 

「一点に寄せたぞ!」

2人の叱咤に、十輪寺はハッと敵に向き直った。……一掃するのに十分な敵の位置取り。

「…よし!」

十輪寺は呼吸を整え駆け出した。……水面すら、意に返さず。

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