池の水に足をとられる。そんな思考を十輪寺は持ち合わせていなかった。
彼女は水面を文字通り走り抜けてゾンビ達に肉薄する位置に陣取った。足元には美しく奇妙な波紋が水面をゆらしていた。
その光景に場に居合わせた3人は息を呑む。――十輪寺が、水面に立っている。
「彼女は…水のスタンド使い…!」
花京院が言葉を漏らす中、いや……、と否定する声。ジョセフだった。
「あれこそが……『波紋』ッ!」
「出ろ!『
水面に立った十輪寺は高らかに自身の分身を呼んだ。それとともに、ゆうに5mはあろうかという巨体をくゆらせ、それは現れた。
純白の体に帆のような背びれ。オールのような胸びれに錨型の尾。どこか船を思わせるような装甲を持つ、鯨の姿の、スタンド。
アヴドゥルが感嘆の声を上げる。
「なんと巨大なスタンド…!」
それは主の言葉通り轟音を立て池の水をがぶりと口に取り込み、ゾンビ達に向き直った。
「ゾンビ共、覚悟。」
静かに言い放った十輪寺は、手に波紋を集中させた。モビー・ディックが口を開く。
ゾンビがその首をとらんと飛び掛かってくる中十輪寺は己のありったけの力をもって、最も得意とする技をモビーと共に放った。
「『
濁流が青緑の光を纏い、ゾンビの群れに押し寄せる。その水に触れた先から、彼らは悲鳴を上げながら塵のように溶けていった。
ズドドドドド!!
轟音が尽きる頃には、ゾンビは一体を除いてその原型を留めてはいなかった。
最後の一体がうなりを上げて、溶けた体もかえりみず十輪寺に躍りかかる。それを身構えることなく十輪寺は見据えていた。
(ああ、何でだろう…?)
ドス、と音がして、緑のきらめく帯がゾンビの脳に突き刺さった。その死を待たずして、炎と茨がその体を砕いていった。
(こんなに怖くないだなんて。)
ほうっ、と息を吐くと彼女の足は水の中にザボンと落ちた。とと、とバランスを崩しかけると、自身の分身が器用に前に出てその体に手をつかせてくれた。紺色の瞳がこちらを見る。
「…ありがとう、モビー。」
それに微笑むと、白鯨はふうっと消えていった。
後方からドサッと音がする。振り返ると無傷の承太郎が悠々と帰還したところだった。
その姿にジョセフは「さすが我が孫!」と嬉しそうに声をかける。「やれやれだぜ。」と帽子を目深にかぶり直す承太郎。「なんとかなりましたな」と朗々とした声でアヴドゥルが締めると、花京院はほっと息をつき「そうですね」とハイエロファントを呼び戻した。
その光景を池の真ん中から見て十輪寺は温かい心地になる。……ともに戦えて、良かった。
そう独り言ちていると、陸の方からおずおずとした様子で緑のきらめく触脚が伸びてきた。その主を見ると心配そうな、それでいて迷いに迷った表情を浮かべている花京院と目が合う。その様子にふっと笑み返し十輪寺はハイエロファントの手を取った。
***
「…まさかゾンビまで現れるとはな。」
破壊を免れた畳敷きの一室。一同はそこに介し、あるものはでんと座り、あるものは立ったまま、ジョセフの言葉に耳を傾ける。
波紋の力で眠らせたホリィは別室で休ませている。この話を穏やかな彼女に聞かせる必要は無いとの、ジョセフの親子心からの判断だった。一連の話の中で必然的に十輪寺のスタンドの話になる。
「私のスタンドは『モビー・ディック』と財団の方に呼ばれています。」
「成る程…『白鯨』か。」
畳にどっしりと腰掛けたアヴドゥルが呟く。対照的にジョセフはあっけらかんと十輪寺に言葉を投げかけた。
「いやー、見えるようになってたまげたわい。あんなに大きいとはな…しかも波紋との組み合わせ技まで編み出しているとは!」
「……すみません、その…『波紋』とは?」
部屋の隅でもたれて立つ花京院がおずおずと尋ねる。どう説明しようかと十輪寺が迷っていると、それを見たジョセフが簡潔に回答した。
「…わしの祖父、ジョナサン・ジョースター。そして若い頃のわしが学んだ…『吸血鬼殺し』の力、とでも言うべきかな。」
「そんなものがあるのですか?」
「…もとはチベットの奥地で生まれた生命力を活性させる特殊な呼吸法。ですがそれは、吸血鬼の弱点たる『太陽』の力を帯びたものでした。」
ジョセフの言葉に十輪寺が補足していく。
「…そもそも『吸血鬼』ってのがよくわからねぇ。おとぎ話の世界のヤツとはどー違うんだ?」
渡り廊下に面した戸口に立つ承太郎が更に疑問を呈す。今度は十輪寺がそのまま答えた。
「吸血鬼は『石仮面』という、人間とは別の種族が生み出した呪具によって生まれた…人間の成れの果て。血液が栄養源なので吸血鬼と呼んでいますが…。弱点は太陽光と、波紋くらいなのです。」
「石仮面?…別の種族?」
わけが分からぬ、といった表情の3人に対し十輪寺はええと、とジョセフを見る。……ジョセフは苦笑して話を続けた。
「…今は石仮面のことだけでいいじゃろう。そもそもの発端は、わしの祖父が石仮面を研究していたこと、ディオ・ブランドーという男がジョースター家を乗っ取ろうとしたことに始まる。」
神妙な面持ちでジョセフは語りだす。
「…乗っ取りに失敗したディオが、石仮面を被り吸血鬼となった。祖父ジョナサンはそれを打ち取るために波紋を学んだのじゃ。…多くの犠牲を出してジョナサンはディオを討ち取ったかに思えたが…」
「…ディオは生きていた。」
「そういうことじゃ。そして、呼応するようにわしらにスタンドが目覚めた。…おそらく、DIOも。」
成る程、と十輪寺は点と点が繋がったような心地になった。
「敵のDIOは吸血鬼なのですね。それも最近目覚めた…」
言って十輪寺は顔を歪めて続けた。
「…ということはつまり…あのゾンビは。」
「まさしくDIOのせいじゃろう。」
ジョセフがShitと呟くなか、今まで静観していたアヴドゥルが口を開く。
「失礼。話は変わるのだが…君はなんで波紋を身に着けているのだい?平和な日本の高校生だというのに。」
ああ、とアヴドゥルに向き直って十輪寺は答える。
「私の家系が代々波紋の適性を持っていて、万が一に備えて財団で働いているのです。その上私にはモビーが現れましたし…」
「成る程…」
「…あの、度々すみません。財団とは…?」
困惑した面持ちの花京院が再度問いかける。そういえばそうじゃったな、とジョセフは答えた。
「『スピードワゴン財団』じゃ。名前は聞いたことがあるじゃろ?」
「え、ええ。あの石油系の…」
「創始者のスピードワゴンはわしの祖父の親友でな。…表向きは医療も牽引する存在だが、実際は吸血鬼やスタンドを研究し、平和のために動いているのじゃ。」
その言葉に花京院は目を見開いた。承太郎も身じろぎしている。祖父が言う財団におおよそ検討はついていたが、実態は知らなかったのだろう。
「…医療に通じる波紋も研究対象です。だから父は波紋部で働いています。それでスタンドが目覚めた折にジョースターさんとお会いして。」
「スタンドという概念は知られていたが、まさか知古の娘さんに発現するとは思ってなくての。それでわざわざ出向いたというわけじゃ。」
ま、その時はなァんにも見えなかったけどね、とジョセフがおどけたことで場の空気が和んだ。
「…そうでしたか。君は、なぜ戦うことを?」
アヴドゥルのその問いに、困ったように十輪寺ははにかんだ。
「スタンドは…良くも悪くも『精神力の強さ』ですから…」
***
夕暮れ時と同じように、十輪寺は空条邸の廊下をひたひたと歩いていた。……違うのは、後ろから声がかかったことくらいだろうか。
「…あの!」
つと立ち止まり振り返ると、そこには花京院の姿があった。どこか所在なさげな様子を纏いながら、彼は頭を下げる。
「…本当に、申し訳ありませんでした。君に対しては…謝っても、謝罪しきれない…」
その様子を当然だと十輪寺も思う。非道なやつだと罵られるのは、きっと怖い。どう返せば怒っていないと伝えられるのだろう。
「……あれは、喧嘩の場ではなく、殺し合いの場でした。」
迷った末に庭の方に体を向けて、おもむろに十輪寺は語り出した。花京院は頭を上げて十輪寺を見る。
「…殺し合いに、卑怯も悪もへったくれもないと思う。貴方がしたことは、私は悪だとは思わない。」
え、と花京院が呆然とするのを聞きながら十輪寺は自嘲する。
「むしろ…殺し合いならば、あれは最善手。…自分なら迷わず人質も取るし、もっと卑怯なことをしてたと思います。…だから気にしないでください。まして操られてたんですから。」
自嘲を隠さぬまま彼を見ると、花京院はだが、と口を動かし押し黙った。その手はぎゅっと握りしめられ震えている。表情は硬い。瞳には確かに自己嫌悪が宿っている。
ああ、と十輪寺は悟った。
(…この人は、高潔な人なんだ。)
非道なことをした自分が死ぬほど許せない。十輪寺の言葉に一切救いを求めなかった。操られたことを理由にしなかった。
(私とは違う、良い人なんだ。)
そんな彼にこんな言葉をかけたのは的外れもいいところだ。自分を恥じながら十輪寺は花京院に向き直る。
「…ごめんなさい。当てつけのようなことを言ってしまいました…」
逆に頭を下げた十輪寺をみて花京院は息をのんだ。
「い、いや…!」
「…どうか気に病まないでください。私はもう、なんとも思っていないから…」
素直に言葉がこぼれ落ちた。ややあって、花京院に向かって手を差し出しながら礼をする。
「改めまして、十輪寺 結と申します。…どうか、お見知りおきを。」
そういえば彼は自分が初めて出会った同胞ではないか。そのことに気がついた十輪寺は、恐る恐る彼に言葉をかけていた。
驚きに硬直する花京院をみて、まずかったかな、と少し後悔する。す、と手を下ろし、踵を返そうとしたときだった。
「…わたしは花京院 典明。君のように勇敢ではないですが…。宜しくお願いします。」
同じように恐る恐る差し出された手。
十輪寺は迷わずその手を握り返した。
***
悪夢は十輪寺の精神を、じわじわと確実に削っていっていた。
いつもの夢。……もはやその人間性に敬意を抱いた彼女にとっては、花京院の死は暗暗たる呪縛となっている。
(…今日も眠れなかったし。)
2限目の英語。これに関しては財団職員とのやり取りで覚えた彼女にとって退屈な授業である。睡魔と戦うしかすることがない。
ぼんやり窓の外に目をやった。青空には不気味なほど雲がなかった。
「そう〜今日もJOJOきてないのよォ〜。」
授業後あまりの眠気にボーッっとしていると、承太郎の取り巻き女生徒が悲しそうな声で話すのを耳にした。
(来てないんだ、空条先輩。…ま、当たり前か。)
昨日の屋敷での戦闘を思い出して苦笑する。修繕も大変だろうなぁと考えていると、クラスメイトのうわさ話も耳に入ってくる。
「転校生、真面目そうでかっこいいんですって。でも今日も来てないみたいでみんな噂してるのよ。」
花京院のことだろう。
「噂って?」
「実は不良なんじゃないかって。どうやらJOJOを探していたらしいの。2人で話してたって噂もあるし。あとは…JOJOと喧嘩したとか!」
その噂に十輪寺は思わず吹き出した。……大方当たってしまっている。これは花京院さん学校に復帰したとき大変だなぁと考えたその時、ふと違和感を覚えた。
(あれ?なんで花京院さんも来てないんだ…?)
普通に戻ったはずなのだから登校しそうなものである。というよりもジョセフたちがそうさせそうなものなのだ。
(……まさか、ね)
嫌な予感がした。
***
空条邸の門構えを前にして、またしても十輪寺は躊躇って二の足を踏んでいた。
結局自分の妙な勘を信じて早引きしてきた彼女は、昼前だというのに邸宅の前につっ立っている。
この間のようにホリィが都合よく迎えに来てくれないものか……などと考えていたとき、くい、とカバンを何かに引かれた気がした。覚えのある感覚に目をやると、そこには極細の法皇の触脚が巻きついている。門の中、よくよく目を凝らしてみると……実に細やかに、緑の網目が敷かれているではないか。思わずぽかんとしてまじまじとその網を観察しているとガラッと扉が開いた。……花京院が、青ざめた顔を覗かせている。
「十輪寺さん…!来てくれ!!」
切迫した花京院の様子に、十輪寺は予感が的中してしまったことを悟った。
『ホリィさんにスタンドが発現して倒れた』
道すがら花京院から伝えられた十輪寺はまさか、とホリィのもとへ急ぐ。
足音も隠さぬままその部屋に向かうと承太郎が立っておりこちらを険の有る瞳で見る。それを気にもとめず部屋の中を覗き込むと、そこには伏したホリィと側に寄り添うジョセフがいた。
「…十輪寺。」
ジョセフの声に返事もせず、目を凝らす。……ホリィのうなじあたりから、半透明のシダのような何かがのぞいている。
「これって…!」
床に伏したホリィを見てつぶやくと、十輪寺は慌てて彼女のもとに駆け寄って波紋を流す。それを見てジョセフがわずかに喜色を滲ませたが、十輪寺は首を振った。
「…財団が見た中でこの状態から回復したのは1人しかいないと聞きました。けれど」
「もういい。アヴドゥルの話と一緒だ。」
苦虫を噛み潰した表情で承太郎が低く唸った。
「やはり、DIOを倒す他ねぇ様だな…」
その言葉に十輪寺は身を固くした。
***
「父さん、どうしよう…!このままだとホリィさんが…!」
波紋がホリィの苦痛を和らげられるかもしれない。そう言って十輪寺は研究者である父に電話したいと申し出た。……十輪寺を案内した承太郎はそのまま彼女の様子を観察する。彼女は冷汗をにじませ必死の様子だ。が。
(なんだってこいつは、こんなにも都合よく現れる?)
花京院のときといい。ゾンビ、そして今回といい。悪い心を持っているようには見えない。むしろ逆だろうが。
(妙な奴だ…。自分で戦うことも視野に入れてやがるしな。)
ガチャン、と受話器が置かれた。険しい表情でこちらを見た十輪寺に無言で結果を言うよう促す。
「…今、財団の人たちに連絡を取り合うと。」
「そうか。」
言って踵を返し、承太郎は母のもとに戻るべく歩き出した。後ろから十輪寺が苦渋を隠しきれない重い表情で続く。静けさをたたえた庭に面した廊下にて、十輪寺がおもむろに承太郎に声をかける。
「…血筋、とおっしゃってましたね。」
ん、と承太郎が目だけやると、険しい表情をした十輪寺はうつむいまままだった。
「DIO、という吸血鬼については昨日伺いました。…けれど、何故それが貴方がたのスタンド発現に繋がったのかが分からない。」
承太郎はそういえば、とはたと気づく。
「…言ってなかったな。DIOという野郎の首から下は…ご先祖さん、ジョナサン・ジョースターの体だ。」
な、と目を見開く十輪寺に対し、詳しくはじじいに訊きなと背を向けた。その場に立ち尽くした十輪寺を置いて承太郎は先に進んだ。
彼がホリィのもとに戻ると、ホリィは目を覚ましていた。ジョセフが甲斐甲斐しく……いや、過保護に世話をしている。朗らかに笑っているように見えて、二、三こと話をしただけでホリィはまたふっと意識を失った。
「自分のスタンドのことを隠そうとしていた…っ」
ジョセフの声には苦渋が色濃く混ざっていた。承太郎は、ただ黙して祖父と母を見やる。
「わしらに心配かけまいとした!…娘は、そういう子だ…」
とと、と僅かな音を立てて寝室に戻ってくる足音。ややあって十輪寺がおそるおそる廊下から顔をのぞかせた。それを見たジョセフがどうだったのかと声をかけようとしたちょうどその時、今度は離れの方角からどど、とかけてくる足音が聞こえてきた。
足音の主、アヴドゥルは十輪寺をみて少し目を見開いたが、何も言わずジョセフたちに向き直る。
「ジョースターさん、見つけました…!コレです!」
さっと2人の顔色が変わるのを目の当たりにし、十輪寺はなんとも言えぬ緊張を持った。
アヴドゥルが持ってきたのは虫の図鑑。……写真に写りこんでいたハエを調べていたのだが、そのことを知る由もない十輪寺はただ、3人とは離れたところで聞き耳を立てている。
「エジプト!DIOはエジプトにいるッ!それもアスワン付近と限定されたぞ!」
(エジプト…?)
思わず十輪寺は眉をひそめた。日本とは遠く離れた、縁もゆかりもない異国の地。まさか、と、嫌な焦燥が押し寄せてくる。
(あの夢の男がDIOだとしたら…!)
その時、一番聞きたくなかった彼の声が十輪寺の耳に聞こえてきた。
「やはりエジプトか。」
その場の皆が声がした廊下の方にざっと視線を送る。
「花京院…」
承太郎が訝しげ呟く。花京院は厳しい何かを覚悟したような表情で真意を話しだした。
「私がDIOに肉の芽を植えられたのは3ヶ月前。家族でエジプト旅行に行った時だった。」
はっと全員が息をのむ。花京院は続けた。
「…いつ出発する?私も同行する。」
ああ、やはり。十輪寺は顔を歪め俯いた。
(やっぱり、こうなるのか…)
そんな十輪寺の様子には目もくれず、他の面々は各々別の反応を取る。ジョセフとアヴドゥルは目を見開き、どこか期待するような眼差しを彼に向けた。承太郎は眉をひそめ難しい顔で彼に問いかける。
「同行するだと?なぜ?お前が?」
一見すると威圧し、花京院のことを疑ってかかっているようにも見えるその様子。だが、関わりの浅い十輪寺でも、花京院でも、その真意は読み取れていた。……危険と分かりきっているのに巻き込みたくないという、根底の思い。
それを理解しているからか花京院はフッと笑い肩をすくめてみせる。
「そこんところだが…なぜ同行したくなったのか、わたしにもよくわからんのだがね。」
その言葉を聞いて承太郎は眉をひそめると、ケッと吐いて目をそらした。……何かこの応酬に覚えでもあるのだろうか。承太郎が素直に引いたことに、十輪寺は焦りを覚える。
「お前のお陰で目が覚めた。…それだけさ。」
花京院は額に巻かれた包帯をとんとんと指差し言った。
……この場にいる4人、その各々が覚悟を決めホリィに襲いかかる宿命に相対そうとしている。1人、離れたところからそれを十輪寺はただ、見ていることしかできないでいた。
(…このままでは)
十輪寺が最も恐れていたことが現実に近づきつつある。あの男がDIOであり、吸血鬼なのだとすると――あの一撃を食らった花京院の命は、まず無い。
だがその一撃がどのように彼に当たるのかが全くわからないのだ。
花京院を助ける最も簡単な方法。……それは、彼を旅立たせないこと。
(…けど、それは…)
十輪寺は再び俯いて考える。
(それは、彼の誇りに傷をつけることだ。彼が、誇りを取り戻すことを邪魔することだ…)
十輪寺には解っていた。花京院……いや、ここに居る男たち全員が、矜持の為に殉ずることができるような人々なのだと。誰かのために命を張ることも厭わない、闇夜を鮮烈に駆け抜けて行ってしまう流星のような。僅かに関わっただけだというのに、まるで知っていたかのように彼らの人となりを理解していた。
(駄目だ。止める訳にはいかない…)
十輪寺のなかで……羨望と恐怖が渦巻いていた。
「…輪寺。十輪寺!」
十輪寺がその声にハッと気がついたのは、何度か呼びかけられたあとだった。慌てて返事をし皆の方を見上げる。
真っ先に目が合ったのは心配そうな顔をしてこちらを見るアヴドゥルだった。
「…大丈夫か?顔色が悪いぞ。」
その隣には同じように心配の色が見えるジョセフ。だが、その瞳にはまるで懇願するかのような切迫性も宿っている。
十輪寺はその目線で意図を悟った。……ホリィの警護。
(…ああ。)
ゾンビが襲ってきたことを鑑み、この地を守ってほしいと頼みたいのだろう。だが十輪寺の心の中は既に別の懸念が支配していた。
(このままでは花京院さんが死んでしまう!)
咄嗟に十輪寺は答えていた。
「私も行きます。」
その言葉に一同は目をむいた。
旅への同行。敵は強大、こちらは多勢に無勢なのは昨日の戦いで明らか。少しでも戦力は欲しい。だがそれは命を賭けた死出の旅路と相違ない。赤の他人の命のためにその身を賭してくれ。そんな事、他人に……ましてや女子高生に言えるわけがない。
「駄目だ。」
承太郎は即答してぎっと十輪寺を睨みつけた。その視線を一身に受け、彼女の心の中の恐怖が再び表に浮かび上がる。……吸血鬼はゾンビよりも更に強大。その上スタンド使いが大勢いるはずなのだ。臆病な自分は、最期まで戦い抜けるのだろうか?恐怖に屈せずにいられるのであろうか?
(けれど…少しでも!)
十輪寺は考える。今まで常に、自分は怯えとともに戦ってきた。夢という恐怖を克服するために波紋を学び己のスタンドを独自に考察してきていた。それが自分の宿命でもあるから。
「嫌です。」
十輪寺はきっと承太郎に視線をぶつけ返した。
「…なんだと?」
「敵にゾンビがいるならば苦戦するでしょう。…私は戦えます。」
それに、と彼女が言葉を募ろうとした時だった。
「駄目じゃ十輪寺!!」
ジョセフが必死の形相で怒鳴ったのだ。その場に居合わせた面々は何事かとジョセフを振り返る。
「君を巻き込むわけにはいかんッ!
そう言い切ってジョセフはダン、と座卓に拳を打ち付けた。
「…話は仕舞じゃ。わしからも財団に連絡を入れる。君もお父さんとよく話し合いなさい。」
有無を言わさぬように立ち上がってジョセフは廊下へと出ていった。
***
「スピードワゴン財団の医療チームだ。24時間体制でホリィの様子を看てくれる。」
空条邸の門前がにわかに慌ただしくなる。幾つかの車両が止まり中から機材を運び出す白衣の人々がせわしなく門を出入りした。……その中に十輪寺は父親の姿を見つけてさっと駆け寄った。
「…父さん。」
青ざめた娘の顔を見て父はそっと肩に手を置く。
「よく知らせてくれた。我々にできる限りのことをしよう…手伝ってくれるな?」
父のその言葉に、十輪寺はまって、と今にも消え入りそうな声で呟いた。
「…夢を、見たの」
その言葉に父は息をのんだ。それで、と促してきたので彼女は夢の内容をぼかしながら伝える。……一行の誰かが死ぬことになると。誰なのかは明かさなかった。
「…お前はどうしたいんだ…?」
その言葉にしばしの沈黙を置いて、十輪寺は考えをまとめた。
(あの星たちを、守れるのならば。)
「…私も、同行したい。どんなに危険でも。」
その言葉に父は目を閉じて暫し、分かった、と答えた。
「ホリィ。必ず…助けてやる…」
ジョセフが病床のホリィに悲痛な面持ちで声をかける中、十輪寺親子はよろしいですか、と声をかける。
「…どうしたんだね。」
病床から離れて廊下。ジョセフは硬い表情で親子に向き合った。……これから何を言われるのか分かっているのだろう。だがしかし、十輪寺の父は退かずに静かに答えた。
「この子を同行させてあげてください。きっと助けになるでしょう。」
静かに視線がぶつかり合う。ジョセフの無言の圧力にも親子は怯まなかった。
「…ジョースター家だけで戦わないでください。これは
「ここでホリィを守ってくれるのも重要な戦いだとは思わんかね。」
「それは私の仕事。スタンドも波紋もこの子は優秀です。…どうか。」
決して折れる気はないと2人してじっとジョセフの目を見据えた。
――無言のにらみ合いの末、折れたのはジョセフの方だった。
「分かった…。ただし、危険と判断したならばすぐに前線から離脱させる。…それでよいな?」
「…はい!」
ぴっと身を正して十輪寺結は緑の瞳に火をともした。