十輪寺も旅に同行する。その意見に皆難色を示したが両親からの許可や本人の確固たる意志が折れないとなっては仕方がない。
カイロ行きのチケットの手配をしている間、十輪寺は空条邸の庭に降りて風景を見まわしていた。それを見て興味を持ったアヴドゥルは十輪寺に話しかける。
「よく決意してくれたね。ありがとう。」
十輪寺ははっと会釈を返すと苦笑いを浮かべた。
「…空条先輩は複雑そうでしたね。花京院さんがついていくことにも、どこか遠慮をしているような。」
ああ、とアヴドゥルも頷いて答える。
「あれでいて、かなり他人思いの性分なのだろうさ。決して君を拒んでいるわけではない。…私は、君の勇気ある決断に感謝する。」
穏やかに微笑むアヴドゥルに、十輪寺はチラと笑み返したあと庭に目をやった。その笑みにはどこか自嘲の色が見える。ポツリと十輪寺はこぼす。
「…勇気ではないのかもしれません。弱い自分の場合は蛮勇なのかもなって。」
その言葉にアヴドゥルはすうっと目を細める。
「君は弱くなんてないぞ?」
曖昧に笑うだけで十輪寺は答えない。アヴドゥルは十輪寺の頑なな様子に、これは、実は承太郎や花京院並みに扱いの難しい子なのかもしれないと考える。
(素直で勇敢に見えるが…実際のところは自罰的。表向き孤高で信頼を得にくくみえるJOJOや、己が認めたものとしか付き合いたがらない花京院とはまた違ったタイプか…)
占い師として今まで多くの人々を見てきたアヴドゥルは、正確にその人間の人となりを見抜くことができる。僅かな会話からでも、ある程度は予測がつくのだ。
(ジョースターさんから伺ったが彼女もDIOの因縁に関係する血筋だという…。それに小さい頃から鍛錬を積んできたというが…)
アヴドゥルは隣に立つ少女を見つめながら思案する。
(何が彼女をそのようにしているのだろうか?)
アヴドゥルは予感していた。スタンドや波紋をあれほどまでに鍛えているのは何か別の理由があるのではないか。でなければ一介の女子高生がこんなに強くあるはずがない。
(何かわからぬ上に…こちらから踏み込むことは逆に避けられそうだな。)
例えば承太郎ならばこちらが嘘偽りなく接すれば、彼も信頼で返してくれるだろう。花京院ならば、こちらが信頼に足ると証明すれば全幅の信頼を置いて応えてくれる。
だがこの十輪寺という子の信頼を得るには……その秘密を、彼女自らが安心して話せるようにならねばならない。アヴドゥルは、それは実に難しいことなのではないかと直感した。
(気長に構えていたほうがいいかもしれんな…)
アヴドゥルが黙しているのが気まずかったのか、十輪寺は迷い迷い話し出す。
「あの、アヴドゥルさんは生まれつきのスタンド使いなのでしょうか?」
「そうだよ。」
そういえば昨日、花京院からも同様の声をかけられたな、とアヴドゥルは思い返す。だが、それ以上十輪寺に探りを入れることはなんとなく憚られた。この子が話すと決めたときまで待っていたほうがいいと思ったからである。そのかわりにアヴドゥルは別の話を振ることにした。
「時に十輪寺、君はスタンドの事をどれだけ知っているんだい?」
一瞬きょとんとした十輪寺はううん、と顎に手を当て悩みだす。
「…詳しくはないです。知っていたのはダメージが使い手に戻ってくること、それぞれに特殊な力を持っていることくらいですかね…」
「成る程。ではスタンドに暗示がある場合があることも知らないのだね。」
「暗示?」
十輪寺は怪訝な表情をして首を傾げた。うむ、とアヴドゥルは頷いて懐からおもむろにカードの束を取り出した。
「例えばタロット。例えば何処かの神。例えば星座。…稀に、暗示を持って生まれるスタンド使いがいるのだよ。私達は皆、どうやらタロットの暗示を受けているらしい。」
JOJOはまだ分からないがね、とアヴドゥルは笑って言い、カードを伏せたまま片手で器用に広げる。
「ここに、22枚カードがある。…無造作に引いてご覧。」
十輪寺はカードとアヴドゥルを交互に見て、躊躇いがちに手をそろそろと伸ばした。迷いつつ1枚のカードを引き抜く。さあ、と促されて恐る恐るカードを表に返した十輪寺は「え」と目を見張った。
「…白紙?」
カードには何も描かれていない。呆然とその1枚を見る十輪寺に実はとアヴドゥルは穏やかに話しかける。
「このタロットには乱丁が1枚混じっていてね…。私は、出会ったスタンド使いにこのタロットを用いて暗示があるのかを視ているんだ。…不思議なことに、出会ったほぼすべてのスタンド使いがその1枚だけを引いた。今のところ私が占った中で乱丁を引かなかったのはジョースターさんと昨日行ってみた花京院、そして私自身だけだった。」
「…つまり、自分は暗示がない、と」
「恐らくな…。まぁ、むしろあることのほうが珍しいものなのだが。ここまで揃ってくると…敵の方も怪しいものだ…」
アヴドゥルが神妙に言うのを、十輪寺は別の方向で捉えていた。
(…やはり自分は、皆の仲間足り得ない…?この戦いにおいて…本当は、無関係の運命だったということ?)
どこか現実を突きつけられた心地になった十輪寺は、その悲しみを押し殺して笑って返す。
「不思議な宿命を負って生まれたということなのでしょう。…ですが、暗示が出なかった私が加わることで何か別の目が出るかも知れません。相手方にまだ、私とモビーは知られていないはずですから。」
「ああ、そのとおりだと思う。君の強さはスタンドだけによるものでは無い。…期待しているよ。」
アヴドゥルは穏やかに笑う。……十輪寺の咄嗟の裏を返しただけの話の奥の感情に気づいたのか気づいていないのか。十輪寺には判別できなかった。
(多分この人は無意識に人を把握できる人だ。)
十輪寺がほんの少しの警戒感を抱いていることもお見通しなのだろうか。アヴドゥルはこちらの域に踏み出してくることはない。見守るタイプなのだろうな、と十輪寺は考える。
穏やかな笑みのまま、そういえばとアヴドゥルが切り出した。
「これは私の主観なのだが…。不思議なことに、君のスタンドから白以外の別の色を連想したんだよ。」
「え?」
十輪寺はキョトンと彼のブラウンの目を見た。アヴドゥルは十輪寺の緑の目を見返して答える。
「…紺色だ。それも、真夜中の星を引き立たせるような紺色のイメージを持った。」
それをきいて十輪寺は思わず目を丸くしていた。え、と息が漏れる。思わず呆然としたかのようなその様子に、何か思い当たる節があるのだろうと判断したアヴドゥルは興味から少しだけ踏み込んでみることにした。
「どうしたんだい?」
「………いいえ。予想外の色が出てビックリしただけです。」
長い沈黙のあと、十輪寺は額に触れて目をそらしながら言った。明らかに何かを取り繕うその様子に、アヴドゥルは素直に引き下がることにする。
その時「ただ…」と十輪寺が躊躇いためらい言葉を選びながら発言しだした。アヴドゥルはじっとその様子を見守る。
「…その直感は、多分…とても正しいものなのかなと思いました。…私もモビーから感じる色は、白ではない気がしていたので。」
十輪寺がアヴドゥルを見上げた。その顔には僅かに笑みがこぼれている。
「…その」
十輪寺は言いよどむ。無言で先を促すと、十輪寺は恐る恐る声を出す。
「もし、よければ…私のモビーにも『色』の名前が欲しいな、なんて思って…」
どこかおっかなびっくりな様子を不思議に思いながらも、そこには触れずアヴドゥルは笑いかけた。
「ならば『
『色も暗示』。その言葉を聞いて十輪寺がばっと顔を上げる。……先程の様子と直結している何かがあるのだろう。アヴドゥルは続けた。
「これも感じない者からは感じぬものなのだよ。偶然か否か、私達には共通してこれを感じる。魔術師の赤、隠者の紫、法皇の緑……JOJOは恐らく白金だろうか。」
まじまじと見つめられながらも、アヴドゥルは微笑んで十輪寺に言葉を返す。
「君のモビー・ディックは間違いなく色の暗示を受けている。しっくりきたのであれば、紺を名乗るべきだ。日本では『名は体を表す』と言うんだろう?」
「…ありがとうございます。」
十輪寺は再び庭に目を移した。だが、その顔には隠しきれない喜色が見えている。
その様子で、アヴドゥルはああ、と悟った。
(彼女は…十輪寺は、我々の仲間で在りたいのか。)
ほんの少しでも心を許されている。そう直感したアヴドゥルは光明を見た気がした。
財団の医療車両や人の行き来を十輪寺含めた高校生3人は門の外で控えながら見守る。ややあってジョセフとアヴドゥルが門から出てきた。
「JOJO。」
アヴドゥルが承太郎に歩み寄り、声をかける。その手にはあのタロットカードが握られている。
「占い師のこの俺がお前の『スタンド』の名前をつけてやろう。…運命のカード、タロットだ。絵を見ずに無造作に一枚引いて決める。」
その片手に束になってカードは用意される。
「これは君の運命の暗示でもあり、スタンドの能力の暗示でもある…」
アヴドゥルの説明を聞いた承太郎は、何も躊躇うことなくカードをひと束持ち上げ、一枚、引き抜いた。パラリ、とその一枚は表に返された。
「…星のカード!名付けよう!君のスタンドは…
ここにタロットの暗示を受けた戦士がまた1人、名を冠した。
***
新東京国際空港。海外旅行の時には必ず通る空の玄関口。だが今回は勝手が違う。紛れもない、緊迫感を持ち合わせている。
(エジプトが、多分夢の地なんだ…)
鋼鉄の翼を遠巻きに見る搭乗口ロビー。完全に日の没した滑走路には、どこか心細くなる程度のライトしかともっていないように感じる。窓から視線を外し、共にエジプトに向かう人々を見た。目を閉じ椅子に足を組む承太郎。電話をしに行き姿の見えないジョセフ。歩く人並みに目をやるアヴドゥル。……そして、十輪寺と同じように硬い表情でガラスにもたれ外を望む花京院。
(…特別視するわけじゃない。けれど、死の暗示が出てる以上最優先は花京院さんだ。)
ホリィを助けたい。この皆の命も守りたい。……自分は臆病者だというのに、つくづく強欲に誰かを助けることを望んでいる。彼をじっと見ていてしまった。視線に気がついた花京院がふとこちらを見る。前髪をかきあげて、何事もなかったように十輪寺は彼から視線を外した。
空港を発って1時間。ジョースター一行の席はちょうど、機内の中央の窓側に位置していた。花京院とアヴドゥル、ジョセフと承太郎、そして十輪寺という席次だ。離陸直後から目を閉じていた十輪寺が、おもむろに目を開ける。
(…なんてこと。敵が、スタンド使いが紛れ込んでいる…っ!)
腕時計を見ると21:41。くっと、人知れず唇を噛んだ十輪寺は、つかの間の休息を取る面々を起こさないよう、こっそりと席を外しあたりを観察しながらトイレに向かうふりをする。
機内の席はまばらに空いていた。時刻も時刻なので、皆一様に眠りに落ちている。経由地のバンコクまではまだ時間がある。
その中で十輪寺はある人物たちを探していた。
(…居た。この列か!)
見つけられた安堵すらおくびにも出さず、一旦彼女は機内後方のトイレの中に消えた。
―いわば空の密室か…
悪夢だった。目が覚めたというのに立ったままだったからそうなのだろう。…機内で、何かが起ころうとしている。
―そして、やっぱり。
皆のいる方を見やる。狭い機内の廊下に立って、臨戦態勢の彼ら。空条先輩の手と口からは血が流れている。だというのに。
…私の姿はどこにも無い。
―やっぱり、私は…
考える隙などなかった。ブゥンと耳元を何かが弾丸のように通り過ぎた。
さっと見ると、それは…大きなクワガタのようなスタンドは、眠っている乗客の真後ろへ。
まさか、と誰かが口にしたその時だった。
ボッ!!!
スタンドは弾丸のように乗客の後頭部から口を抜けて、一気に4人の舌を引き千切った。
ぐん、と、後ろに引かれる。
―ちくしょう!これじゃあ…!!
無関係の人も巻き込む…っ!!
(…完全に夢の通り行くとは限らない。だけど…)
1人きりの狭い密室で彼女は必死にどう立ち回るかを考え出す。
(まず最優先は乗客の命。次はパニックを起こさせないこと!)
彼女は結わえた髪から数本、毛を無造作にピッと引き抜く。コオオ、と呼吸すると、それは針のようにビンっと硬質化した。
(一瞬でもこれが乗客に流せれば気絶させることは可能…とにかく戦闘を見られないようにしなくては!)
パニックに関してはなんとか防ぐ見通しが持てた。しかしあの弾丸のような突進攻撃を見切る術を十輪寺は持たない。
(…ならば、これしかない!)
動悸を止めるため、彼女は深呼吸する。覚悟を決めて、彼女はトイレの戸を開いた。
機内は飛行音と寝息しか聞こえて来ず静かなものである。今度は一転、前方のスチュワーデスたちがいるエリアに向かって十輪寺は歩き出した。道中、手の届く範囲にいる乗客にはわずかに触れ波紋を、届かぬ客には波紋を滞留させた髪を人知れず漂わせて届け。ジョースター一行を中心とした範囲の客はこれで眠りに落ちたはずだ。
パチっと僅かな音を立てて乗客の頭がかくんとおちるのをみて、半ば申し訳ない心地のまま十輪寺は前に進み出た。客室エリアの境目、スチュワーデスが働く僅かなスペースに十輪寺はあの、と声をかける。
「はい、どうなさいましたか?」
十輪寺の予想通りスチュワーデスが1人そこに詰めていた。
「すみません…ちょっと気分が悪くて。お水、頂けませんか?」
「大丈夫ですか?少しお待ちくださいね。」
スチュワーデスはテキパキと紙コップを準備して水を注ぐ。十輪寺のことを気にかけながらすっと水を差し出した。
「どうぞ。」
「ありがとうございます。」
コップが十輪寺の手に渡るその時、十輪寺はわざとスチュワーデスの手先に触れた。その瞬間、コップの水がパチっと光り、奇妙な波紋を描いた。
『あなたは何も見ない。何も聞かない。しばらくここで、じっとしている。』
さっとスチュワーデスから手を離して踵を返す。……スチュワーデスは、何事もなかったように、無言でコップをかたし始めた。
(波紋による操作。敵はいつ襲ってくるかはわからない。1時間は持ってくれよ…!)
十輪寺は祈るような心地で、ジョースター一行の方へと戻っていく。
(次は、位置取りだ。)
通路側に座るアヴドゥルは目覚めていたらしい。どうした、とこちらを見る彼にささやかな声で断りを入れておく。
「少し落ち着かないので後ろの方にいます。大丈夫、気が急いてしまっているだけなので…」
「そうか…無理するなよ。」
「ありがとう御座います。」
言って彼らとは離れた座席に、十輪寺は移動していった。……額の冷汗は、見られずにすんだだろうか。
最初の違和感に気がついたのはジョセフと承太郎だった。
「…見られた。」
「ああ。」
その様子を遠巻きに見て、十輪寺は始まる、と直感した。人知れず座席の影に隠れ、移動する。
ブゥーン、と僅かな虫の羽音。スタンドを介して話しながら、一行も動き出した。
『早くも新手のスタンド使いかッ!』
ブオン!と音がしていきなりそれは承太郎の横に姿を表した。
『JOJO!君の頭の横にいるぞ!』
不気味な音を立ててクワガタは口から針のような何かを繰り出してくる。
『気を付けろ…人の舌を好んで食いちぎる虫のスタンド使いがいるときいたことがある。』
ギュン、とスター・プラチナが手刀を繰り出す……が。軽々と虫はその正確無比な攻撃を難なくとかわしていた。
『スター・プラチナの動きより早いッ!』
アヴドゥルが切迫したように言うと、虫はせせら笑うかのようにヒュンと距離を取る。
『どこだ…使い手は何処に潜んでいる!?』
花京院がはっと気づいた瞬間、虫の口針がビュカッと承太郎めがけて伸びた。
『承太郎!』
後方から見る十輪寺は、思わず飛び出しそうになる自分を叱咤し押しとどめた。
ギリギリ、と歯で噛みしめる音がする。……虫の口針は、スター・プラチナの口めがけて一直線だったが、すんでのところで、彼は歯で受け止めていた。
『こいつは…やはりヤツだ!タロットでの塔のカード!破壊と災害…そして旅の中止の暗示をもつ……
アヴドゥルがぎり、と歯を鳴らす。
『タワー・オブ・グレーは事故に見せかけ大量殺戮をするスタンド!昨年のイギリスでの飛行機墜落はこいつの仕業と言われている…』
そんな、と耳をそばだてていた十輪寺は目を見開く。…スタンドの悪用が、身近にも潜んでいた事実に戦慄する。
次の一手は承太郎だった。針を咥えたまま拳打と手刀のラッシュが飛ぶ……が。
『かわされた…!両手でのスピードラッシュまでも…。何という早さ!』
一同が呆然とする中、今まで沈黙を保っていた灰の塔がくく、と嘲笑いだす。
『たとえここから1cmの距離より10丁の銃から弾丸を打ったとして…俺に触れることさえできん!』
ぎりりとジョセフは周辺乗客に目をやった。この静かな殺し合いの中、一様に眠りにつく乗客たち。
(本体さえ…そいつさえ分かれば…っ)
その時。ふっと灰の塔が一行の前から姿を消した。
来た。十輪寺の心臓がバクバクとなる。……あの速さを前にして、果たして。
博打であった。
『いたぞ!あそこだ!』
花京院の声が飛ぶ。せせら笑うタワー・オブ・グレー。ブブ、と助走をつけ、乗客に飛び込もうとしたその時。
『させるかっ!!』
弾丸の前に十輪寺が躍り出た。なに、と敵がつぶやく一瞬。自身に被るように出現させ大口を開け待ち構えたネイビー・モビー・ディックがそのままタワー・オブ・グレーを飲み込んだ。
『十輪寺?!』
一行が驚愕の声を上げる。やった、と十輪寺が安堵した刹那、喉から舌にかけて激烈な痛みが走った。
「うぐっ!」
思わず口を開けると、白鯨も呼応するよう悶え口を開く。……ブンとクワガタは飛び出した。
『小娘…貴様よくもッ!!』
その口針にはネイビー・モビー・ディックの舌と思われる肉片。十輪寺の口の中は血の味で溢れている。ゴボと崩れ落ちながらも十輪寺は波紋の呼吸を整え、舌に空いた穴を治すのに集中させた。
『ふんっまぁいい!俺の狙いは…!』
モビー・ディックーーいや、十輪寺の血をまとった肉片を持って、タワー・オブ・グレーはひゅっと壁に文字を描いていく。
『Massacre!!』
『大丈夫かっ、十輪寺!』
慌てて駆け寄るジョセフにうなずき、血反吐を垂らしながらも十輪寺は言う。
『…飛び出さずここに控えていてよかった。乗客に怪我は?』
『大丈夫じゃ!もういい、喋らんで傷を治せ!』
こくんと、頷いて十輪寺は半ば這いながら後方に引き下がる。……ここから先の、暗示はない。
(後はどうなる…?私が見たのは、乗客が死ぬところまで!皆がどうなるかはわからない…!)
承太郎、十輪寺を傷つけたどころか、無関係な乗客すら狙おうとしたタワー・オブ・グレーにアヴドゥルが吼える。
『おのれ!焼き殺してくれるッマジシャンズ…!』
炎熱とともに火の鳥が出現したところだった。
『待て、待つんだ!アヴドゥル!』
花京院の冷静な声が脳内に響いた。ハッとしたアヴドゥルは一旦、スタンドをひく。
するとその時、一行とはやや離れたところに座っていた老爺が物音に目をさました様子で起き上がった。
「…なんか騒々しいのぉ…う〜ん、トイレでも行くか…」
うっと顔をしかめて十輪寺は老爺を見る。……席が離れていたため、波紋を届けていなかったのだ。これはまずいと周囲を見回す。今のところ、彼以外は起きる様子がないのは救いか。
老爺がトイレの前……いや、タワー・オブ・グレーが悠然と飛ぶ領域に入った。そしてあろうことか血文字に触れる形で手をついた。
危ない、と思わず花京院が息をのむ。だがクワガタは老人よりもこちらに注意を向けていた。べちゃりと妙な感覚を掴んだ手を、老人はまじまじとみた。
「なんじゃこれは……血?」
思わず口をパクパクとさせながら老人は後ずさる。
「ひ…!ち…血が!ちぃぃッ」
「当て身。」
老爺が叫びださんとする一瞬、彼のうなじに花京院が一撃手刀を入れ昏倒させた。
ゆらりと倒れかかる老爺を尻目に花京院はすっと皆を見回す。
『…他の乗客が気付いてパニックを起こす前に奴を倒さねばなりません。』
落ち着き払った花京院の目に、十輪寺は不思議とどこか安心感を得た。花京院はタワー・オブ・グレーと向き合う。
『ここは私の静なるスタンド、ハイエロファント・グリーンこそヤツを始末するのにふさわしい。』
敵に対して大胆不敵にも啖呵を切り、彼は構えた。
『花京院典明か…DIO様からきいてよーく知っているよ。…やめろ。』
くくく、とおぞましい虫がせせら笑う。
『貴様のスピードでは俺を捉えることはできん!!』
『そうかな。』
花京院が動いた。構えたと同時に瞬時に法皇が現れエメラルドスプラッシュを発射する。
固唾を飲んで見守る面々の中、十輪寺も焦りとともに彼の戦い方を見ていた。
虫はいとも容易くといった様子で緑の弾丸の間を縫う。高笑いして虫はハイエロファントの眼前に迫った。
『まずい!やはりあのスピードに…!』
アヴドゥルが叫ぶと同時にクワガタは口針で法皇の口の装甲を砕いた。途端、花京院の口から血が吹き出す。一撃を受け花京院が通路に倒れ込むのを見て、灰の塔は実に愉しげに勝ち誇ったように飛び回る。
『スピードが違うんだ!…ビンゴにゃあのろすぎるぅぅ!!』
タワー・オブ・グレーは再び花京院の前に浮遊した。高笑いしながらタワー・オブ・グレーは勝利を確信する。
『俺に舌を引き千切られると狂い悶えるんだぞッ!苦しみでなァ!』
だが。
ハッと、十輪寺は息をのんだ。……戦いの潮流が、変わる。
『なに?引き千切られると狂い悶える?』
落ち着き払った顔で、花京院がゆるりと笑った。
『私のハイエロファント・グリーンは……』
タワーニードルが花京院に迫ったその時、ドン、と多方向から何かが突き破る音が響いた。
『グエッ?!』
それは、あらゆる方向から伸びた法皇の触脚。触脚は勢いそのまま、灰の塔一点に突き刺さる。
『引き千切ると、狂い悶えるのだ、喜びでな…!!』
法皇がひと捻り動いた。たったそれだけ。それだけの動きで、突き刺さったタワー・オブ・グレーは引き千切られた。
『ぎぃぃぃやァァァァ!!!!』
灰の塔が残骸となりはて消えていくと同時に、グボアと血を吐く音がした。一同がその方をさっと見ると、先程昏倒させた老爺。その、虫の入れ墨の入った舌がビリリと裂けて血を吹き出していた。
『…さっきの爺が本体か。おぞましいスタンドにはおぞましい本体がついているものよ。』
花京院は吐き捨てると口を拭った。
「…少ししびれます、申し訳ない。」
「いいや。助かります、ありがとう十輪寺さん。」
舌を治し波紋の呼吸を整えた十輪寺は、承太郎と花京院の口元に手をかざし波紋を流す。……他者の治癒は十輪寺は得意ではないのだが傷の治りを早くすることはできる。
花京院は穏やかに笑って礼を言う。だが、承太郎は目礼を返すのみで十輪寺とは目を合わせようとしなかった。
(…疑われている、のだろうな…)
これだけ都合よく十輪寺が動いたことで犠牲者がでなくなるのも妙である。それは彼女も重々承知しているが、守りたいと思った以上動かないわけには行かない。
(良いんだ。これが私の役目なのだから。)
ある程度傷を塞いだためすっと手を離しもう大丈夫、と声をかける。口元をさすりながら花京院が言う。
「不思議ですね、傷のところが少し熱くなったと思ったらこんな短時間で塞がるとは…」
「自分自身はもっと完全にできるのですが、如何せん他の人に行うのは難しくて。」
それでもすごいのに、と花京院は肩をすくめた。そしてふと、灰の塔の使い手の亡骸に目をやる。
「そういえば…奴には肉の芽が埋め込まれていないようだが…?」
肉の芽を知らない十輪寺は眉根を寄せる。だが、それに気が付かず面々は話し始めた。
「こいつはもともと旅行者を殺し金品を巻き上げている悪党。金で雇われ、欲に目が眩んでDIOに利用されたんだろうよ。」
アヴドゥルが灰の塔の人となりについて話していると、不意にぎぎぎ、とあまり耳慣れない音がした。
「とと…?」
ぼんやり立っていた十輪寺は、何故か左の方に躓きかける。カラン、とどこかの座席から紙コップが落ちてきた。コロコロと左の方に勢いをつけて転がっていく。
「…変じゃ。さっきから気のせいか機体が傾いているような……」
この時になって、ようやっとジョセフはハッと息をのんだ。
ネイビー・モビー・ディック
『紺の白鯨』
破壊力:A
スピード:D
射程距離:E
持続力:D
精密動作性:E
成長性:D
能力:『積載』
飲み込んだものを留め置き、任意に吐き出すことができる能力。
口に入るサイズならなんでも飲み込める。およそ2m四方が目安。
ビジョン:5mほどの帆船のような背びれを持った白鯨。胸びれは何対かのオール、尾は錨。背中は甲板のようになっている。
半自立型で本体との視覚共有は無し。
『アンガーテイル』
錨の尾を叩きつける。一撃は重いが隙がでかい。
錨(アンカー)⇔怒り(アンガー)の言葉遊び。