春は新しいことだらけだ。入学や入社の時期で、先生も教育係の先輩もてんてこ舞いと大忙し。新しいことだらけはそれだけやることがいっぱいにあるということだ。
私の居る職場でも新しいことだらけで大変だ。まだ来て浅い新米教師の教育やら、勝手の分からない新入生にあれこれを教えていったり。見ていて忙しいと感じてしまう。
他人事みたいに言っているけれど、なんだかんだ忙しい身分であることは変わらないわけであって、皆と同じようにてんてこ舞いだ。
二年三年のやんちゃな生徒が怪我をして助けを求めにくるから、私は自分の持てる力や技術を駆使して怪我の治療にあたっている。
さらに保健室便りなるものを発行して学園内に風邪予防を促したりもしている。
保健の先生もちゃんと仕事をしているのだ。軽んじられては困る。
保健室を任されている以上は断固として、保健室を風邪や病気でもないのに利用する悪い生徒たちには屈しない。保健室は風邪や病気、体調不良の人たちのものなんだ。
しかし、私も人間なために限界がある。頑張ったりはするけれど、屈してしまうことだってあるのだ。
生徒たちからは、さすがにあの人たちを相手にするのは無理ですよ、と慰められてしまうほどの虚悪を前にして、私はそれでもと限界チャレンジをする。結果はご覧の通りの有り様と言う他に言葉を持ち合わせてはいない。
机は整理整頓を常に心掛けているから綺麗で、上半身を難なく横たえることが出来てしまう。へたり、と机の上に身体の半分ほどを預けても、机はまるで私の癒されぬ想いを理解したかのようにしっかりと支えてくれる。考え方が末期症状な気がする。
「どうした? 風邪か、遊姫」
風邪ではないけど、風邪を導きかねない疲労を与える原因が、悪びれもなくインスタントコーヒーに口をつけている。さっきから保健室にコーヒーの香りがあちらこちらに。
「風邪ではないですけどね。風邪を引きそうな気はしてます」
「そうか。気を付けろ。季節の変わり目が一番体調を崩しやすい」
「それ、この前の保健室便りで書いたことのまんまですよ」
「いつも見ているからな」
えへん、と何故か胸を張るエミリア・カルケイド。胸を張られても困るというのに。
「そうですか。そうやって便りを真面目に見てくれるのなら、仕事も真面目にこなした方がいいですよ」
嫌味を言ってみる。どうせ効果ないけど、言わないよりはマシだと思って。
「嫌だ」
エミリアははっきりと拒否してくる。子供か。
「嫌じゃないですよ。お給料を貰っているんですからきちんと仕事しましょうよ」
「……遊姫が熱いキスをしてくれるなら考える」
「考える、だけなんですね。いいえ、やると言われてもキスはしませんけどね」
私には百合の気はない。エミリアは友達だけど、じゃあそこまで許せるかと問われれば許すことはできないので、百合云々はそこまで関係ないかもしれなかった。
溜息をつく。机の上にあるほうじ茶を口に含んで気を取り直す。温かかった茶は既にぬるくなっている。適温よりも少し低いくらいか。
「でさ、時計を見ると授業中の時間なわけだけど。もしかして受け持ちの授業をボイコットしています?」
「腹痛で授業継続は不可能と判断したまでだ」
「……教師が平気で嘘つかない」
「嘘ではない」
「じゃあ今もお腹痛いんですか?」
「いや、別に」
しれっと言うエミリアに、私は言葉を失ってしまった。駄目過ぎる。もう更生することができない。友人として不覚に思う次第だ。
力不足を嘆くしかない。ということで私は諦めて自分の仕事に精を出すことにする。ノートパソコンをカチカチしていれば時間はアッと言う間に流れていく。授業時間の終了を知らせるチャイムが鳴り段々と廊下が騒がしくなっていった。
時計を確認する。短針がてっぺんを指していた。昼時だ。廊下が騒がしくなるのも頷ける。
「遊姫。飯だ。一緒に食べるぞ」
そして、エミリアが妙に騒がしくなるのも頷けてしまう。
「はいはい。でも、残念なことに私は常在していなければならないので」
「安心しろ。飯は持ってきている」
「やっぱり最初から授業をする気ありませんでしたね」
エミリアは学園に勤務してからこのかた不真面目を突き通している逸材だ。恐れを知らないと感心するべきか、常識知らずと罵ればいいのかも分からなくなる。しかし、教師としての腕前はともかくとして、かつてはイギリスの代表候補生まで上り詰めただけあってISの腕前は目を見張るものがある。時代が時代なら戦国武将に成れたかもしれない……イギリス人だけど。
「ちなみに今日の昼はあのコンビニのサンドイッチだ」
「どのコンビニですか?」
「分からない。確認しなかったから」
周囲への興味が薄いこともエミリアの特徴かもしれない。価値観を決めるのが面倒で、だからこそ周囲からの視線にも平然としていられるのだと思う。
私は机の中に仕込んでいた弁当を取り出す。手製の弁当の中身は出来る限り栄養に気を遣った中身にはしている。
「何かくれ」
私の目の前までパイプ椅子を引き摺ってきたエミリアが、カツサンドを頬張りながら聞いてくる。どうやらカツサンドしか買ってきていないみたいだ。栄養がだいぶ偏ってる。
とりあえずほうれん草でもあげようかな。ホウレンソウを怠らないように、という願いも込めて。「ほうれん草をあげますよ」
「絶対に要らない。私はベジタリアンじゃないんだ」
顔をしかめて拒絶してくるエミリアを、私は少し残念に思った。ほうれん草、美味しいのに。
野菜を食べない人はバランスが不足するのに、エミリアは平気で身体の均衡を崩す。
保健の先生としては放って置けないことだけど、エミリアは断固として明らかに野菜の形をしたものを口にしない。肉食過ぎる。それでいて学生時代から変わらずの体型をしている。一度として太ったのを見たことがない。嫉妬したくなる奇跡だ。
黙々と弁当を箸でつついていれば、カツサンドを食べ終わったエミリアが背後に回り込んで抱きついてくる。飯時になんて迷惑な。
「私もあの衣のように、遊姫という名のカツを包みたい」
「エミリア……何を言っているんでしょうか?」
野菜不足が原因でエミリアがおかしなことを言い始めている。きっと治せない。
気にしすぎればこっちがもたない。なので無視して食事を続ける。自画自賛になってしまうけど弁当が美味しい。
「疲れるから離れてください」
ピッタリと背中にくっついているエミリアに声をかけてみるが、彼女は無言で私の背中に顔を埋めてくるだけだった。背中がぞくぞくして落ち着かない。
「……はぁ。良いんですか? 榊原先生が見たら大変ですよ」
「確かにな。あの女は何が気に入らないのかいちいちギャーギャーと騒いで」
「ええと、あー……うん。なんでもないですよ」
エミリアに恋愛感情を持っているから、と言い辛い。このいかにも興味の欠片もない態度を見せられると、榊原先生が不憫に思えて言い出せなくなってしまう。
エミリアを退かすのを諦めて、私は昼休憩を消化していくのだった。