俺に懐いた猫女が最高の狙撃手だった。   作:じぇのたみ

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KA-BOOM!(後)

「一体全体、なぁーにが気に入らなかったのであるか、シュピーゲル?」

 

 手元のCマグにちまちま、ちまちまと弾丸を込め直しつつ、俺は彼女に問うた。

 帰り道、興奮気味の俺とシノンをよそに、シュピーゲルは無言でただ一番後ろに着いてくるだけであった。

 コミュニケーションに関しては得手ではないシノンは早々に面倒事を俺に押し付け、素材を掻っ払って換金へと向かってしまった。

 分け前は後から請求すればいいとして、だ。

 この俯いてブツブツ言ってる後輩を、俺がどうにかせねばならないのである。

 相談事には慣れているし、サクッとこいつを元気にしてしまおう。

 この時俺は、こんな具合で気軽に考えていた。

 

「PvPには勝利、お宝も発見、明日にはまとめサイトに載るような新情報も手に入れた。これ以上ないくらいの──」

「僕はこれでも第一回BoBの最終予選まで残るくらいの腕前はあります」

 

 彼女はそう、吐き捨てるように、遮った。

 

「先輩の背中は遠いけど、それでも努力すればビルドの違う先輩の助けになれると思って、一人前の人間として生きていけると思って僕はこの道を選んだんです。それなのに……っ!」

 

 瓦礫を蹴る。蹴る。蹴る。STRがほぼ最低値の彼女の蹴りは岩肌を崩すどころか、それらしい破砕音を鳴らすことすらなかった。

 

「聞いてない聞いてない聞いてない聞いてない聞いてない! どうしてここ(GGO)にいるんだ! どうしてそこにいるんだ! おかしいじゃないか!」

 

 乱雑に蹴る足を止めないシュピーゲル。その襟首を、ぐいっと引っ張った。

 

「落ち着くのである、シュピーゲル。シノン殿と貴公の関係は知らんであるが、別に我輩はシノン殿とペアを組んでいる訳ではなく、深い間柄でもないのである。ただの、フレンドのうちの一人であるよ」

 

 シノンに心を惹かれつつある、という事実は敢えて隠しつつ、嘘はない程度に答える。

 それに反応して首だけをこちらに向けた彼女は、フェイスガード越しでも分かるほどに鋭く、暗い眼光をしていた。

 鬼神の如き形相が急に哄笑に変わる。

 

「ハハハハハッ! 嘘をつかないで下さいよ先輩!」

 

 ここまで荒れる彼女を見るのは初めてだった。

 

「シノンの正体は朝田詩乃に決まってるじゃないですか」

 

 そして、ここまで俺が動揺するのも、また初めてだった。

 

「な、にを」

「振る舞いはちょっと違いましたけど、素の反応は朝田さんそのものでしたし、そもそもユーザーネームが全てを物語っているじゃないですか。僕よりその辺鋭い先輩が気付いていないはずないですよねぇ?」

 

 新川は錯乱している。その主観まみれの言葉で俺の心を汚す必要はない。

 そう念じても、無駄だった。

 何故シノンが俺にだけ親しげなのか。

 何故シノンが俺とほぼ同時にログインし、ほぼ同時にログアウトするのか。

 何故BoB本戦当日、朝田が俺の行く場所を理解しているような視線を送ってきたのか。

 目を逸らしていた唯一解。

 それを受け入れれば、あらゆる疑問が氷解する。

 しかし俺は、それでも今まで俺が目を逸らし続けていた理由を口から漏らした。

 

「朝田は銃なんて握れない。見ることすら出来ないんだ。いるはずがない、こんな……こんな、血錆の浮いた金属と火薬しかないような世界に」

 

 この期に及んでは、薄氷よりも頼りない声が絞り出される。

 

「先輩、よく僕に現実逃避だけはしちゃいけないって言ってたじゃないですか。現実は眼の前から消えてはくれないから、と。その言葉、そっくりお返ししますよ」

 

「おい新川──」

 

 そう言うと彼女は、こちらに目もくれずさっさとログアウトしてしまった。

 新川恭香という少女は、初めて出会った時から思い込みが激しく、言いたいことだけ言ってその場から逃げ、人目のつかない場所でうずくまる、そういう不安定さがある。

 癇癪を起こすのも珍しくはないが、今日のそれは色んな意味で特別だった。

 頭の中で響く不愉快な油蝉の声を、ため息で無理矢理押し退ける。

 この時ばかりは、何も考えたくなかった。

 朝田が、ここに、いるはずがないんだ。

 頭の中でその言葉だけが、まるで、心という水盆に延々と波を立てるようにリフレインしていた。

 けれど、もしシノンが朝田ならば。

 シノンのあの飄々とした有り様こそが本来の姿ならば。

 やっぱり、俺の甘やかしこそが、彼女の自由を奪っているなんじゃないのか?

 事実と推測と妄想が頭の中で混ざり合って溶けていく。

 脳みそがミキサーにかけられて、どろどろの吐瀉物として口から吐き出されるような、最悪の気分だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「千晃くん、今日の献立は?」

 

 明朝。

 朝田はいつものように、我が部屋の薄い金属製の玄関扉を開け、朝飯をたかりに来た。

 普段ならば、ダイニングの席に着くよう促しながら、調理の仕上げに入っていただろう。

 足をぶらぶらさせながら待つ彼女の前に食器を並べ、共に朝食を摂ったのだろう。

 俺は今から、この日常を壊す。

 

「ない」

 

 端的に伝えると、彼女はちょっと申し訳無さそうに笑った。

 

「……そうよね、そういう日もあるわよね。じゃあ、明日、楽しみにしてるから」

 

 何かある。それを察知する能力に朝田は長けていた。その状況から逃れる術にも、同じく。

 だから俺は、踵を返して部屋から出ていこうとする朝田を、間髪入れずの言葉で止めた。

 

「明日も明後日もない。朝田、俺は、お前を甘やかすのをやめようと思う」

 

 ノブを握る朝田の手が止まった。彼女は、これが冗談ではないと分かる程度には頭が良い。

 俺の体も微動だにしていない。

 デジタル時計を使っているから、時計が時を刻む音すらもない。

 まさしく、無音だった。

 不吉な静寂を拭い去りたくて、俺はとにかく捲し立てた。

 

「前々から思ってはいたんだ。俺が朝田に構い過ぎるせいで、朝田の成長を邪魔してるんじゃないかって」

 

 脳裏にシノンの笑顔が過る。

 朝田がシノンかどうかは置いておくとして、シノンには元気だった頃の朝田の面影があるのは確かだ。

 もしも朝田が自由に羽ばたけるならば、鳥籠たる俺は用済みのはずなのだ。

 

「だから、俺のことはもういないものと思って、朝田は好きにやってくれ。きっと、それが一番いいんだ」

 

 その時朝田は、尻すぼみになる俺の声を掻き消さんばかりの勢いでこちらに突っ込んできた。

 そのままぽすんと胸元にうずまり、続いてじんわり、温かさと湿り気を感じた。

 

「あ、朝田……?」

「うそつき」

 

 しばらくそうした後に顔を上げて放たれたのは、理性的な彼女のものとは思えない、まるで幼子のような響きだった。

 

「私がもういいって言うまで一緒に居てくれるって約束したじゃない!」

「だけど」

「私はまだそんなこと言ってない! 一人になるなんて耐えられない!」

 

 普段の朝田は理知的で、発作を起こしている時は弱々しい。

 けれど、こんなに激しく感情を吐露する彼女を最後に見たのは、もう何年前だったか。

 

「私の側にはもう千晃くんしかいないのに、あなたまで私から離れていくの!? そんなのって……そんなのって、あんまりじゃない……」

 

 白く細い両の腕で、一生懸命俺をしがみつく様に抱く浅田の姿を見て、俺は彼女の中学の入学式の日のことを唐突に思い出した。

 それは、四月の頭だというのにしんしんと降る異例の雪に見舞われながらも執り行われた。

 まるで冬のように降る雪のせいで、新入生は大はしゃぎだ。自らの人生の節目を雪桜の日に迎えられたのだから、無理もない。

 とはいえ、上級生にとってはただのとびきり寒い早帰りの日だ。一秒でも早く帰らんとする生徒で下駄箱は溢れ帰っていて、とてもではないが近寄る気にはならなかった。

 仕方なく、いつも昼寝に使っている空き教室の机の上に寝っ転がり、本でも読んで過ごそうと、そう思っていたのだが。

 

「みーずーゆーきー、陸上やめるってマジ?」

 

 外気より冷たい声が邪魔をする。

 鋭い眼差しで俺を睨む少女に、俺はこう返した。

 

「耳が早いな。マジだぞ、小坂」

 

 緩くウェーブのかかった茶髪をポニーテールにまとめた、小柄な少女。

 彼女こそが、俺が一年と数ヶ月在籍していた陸上部のマネージャーである。

 

「確かに俺はあの部でひたすら走るのは嫌いじゃないし、部の奴等が特別嫌いな訳でもない」

「だったら……」

 

 だが、俺にはそんなものより優先するべき人がいるのだ。

 朝田が強盗を射殺した事件から二年近く経った。俺の手と肩の銃創は痕こそ残ったものの、後遺症が残るような重い傷ではなかった。

 報道規制のせいで、俺はあくまでも被害者として周囲から憐れみの目で見られるだけだったのだ。

 それに比べ、朝田は相当な地獄を見ていたらしい。既に小学校を卒業していた俺は、朝田に何もしてやることが出来なかった。

 俺は、朝田が生け贄になったからこそ、のうのうと学生生活を送ることが出来たのだ。

 だが今日からは違う。朝田が同じ学校に入った以上、俺が守ってやれる。

 何せ、陸上部で無心になって上を目指したのは、肉体的、政治的な地盤固めのためでもあったのだから。

 そんなことは露知らず、彼女は突然部を去ろうとする俺を引き留めに来たようだ。

 

「なんで!? あんた変人だけど、そんなでも主将でしょ! 責任感とかないわけ!? 監督だって、あいつは変わったやつだが足はインターミドルでも上位狙える、て言ってたのよ!?」

 

 キンキンとよく耳に響く声で、必死に訴える小坂。だが、俺の心は揺らがない。

 

「その監督が退部届けを受け取った。それだけの話だ」

「納得が! いかない! 監督にもした説明を私にもしなさいよ!」

「監督には、朝田詩乃の面倒を見るからって言ったら一発で通ったぞ」

 

 朝田詩乃。この小さな町で、人殺しとしての汚名をただ一人着せられた、本物の被害者。

 その名前を出した途端彼女は少したじろいだが、彼女はその程度ではへこたれない。

 

「だ、大体、朝田さんと(みずゆき)になんの関係があるの? 流にとって朝田ってどんな子なのよ」

 

 俺にとっての朝田詩乃とは何か?

 それは、不思議と目を惹かれた初対面の頃から考え続け、未だにこれと胸を張って言える答えが見つからずにいる問いだった。

 だが、左手と左肩の傷痕が疼く度に沸き上がる、不甲斐ない自分への怒りは間違いなく俺の内にある。

 守れなかった後悔の象徴が、彼女の悲痛な顔が、いつまでも脳裏に焼き付いているのだ。だから。

 

「俺にとっての朝田は、死んでも守らなきゃいけない妹分だよ」

 

 これが、今の俺に出せる精一杯の答えだった。

 

「まぁそういう訳で、残りの連中の面倒を見てやってくれ」

 

 なおも不満げなマネージャーを尻目にさっさと話を切り上げ、出入口の戸を開く。

 そこには、頭に雪を薄く積もらせた朝田がいた。

 

「朝田!? なんでここが……」

「千晃くん、いつまで経っても校舎から出てこないし、でも靴箱には外履きしか入ってなかったから、何処かの教室にいるんだろうなって」

「それで、しらみ潰しに?」

 

 こくりと、頷いた。

 風邪を引いてはいけないからと、とりあえず頭の上の雪を優しく払った。いつの間にか真っ赤になっていた耳も手で暖めてやり、こんなこともあろうかと用意していたマフラーも巻いてやった。

 

「ふふっ」

 

 すると朝田は、とても嬉しそうに目を細めた。事件以来ふわふわとした年相応の笑顔を見せることはなくなったが、かといって彼女の感情が無くなった訳ではない。

 朝田が嬉しそうだと、こっちまで笑みがこぼれてしまう。

 

「さ、帰ろうか」

「ん」

 

 ゆっくりと、朝田の歩幅で帰り道を歩き出した。

 彼女いるんなら言っとけやー!という背後からの声は無視した。朝田は彼女ではないし、大体誰に言えというのだ。

 さくさくと小気味良い音を立てながら、車一台通らない道を二人きりで歩く昼下がり。

 

「こうやって一緒に帰るのは久々だな、朝田」

「……うん」

「時間が時間だし、うち寄っておっさんの飯食ってくか?」

「……」

「おっさんの飯はな、旨いぞ。ほら、朝田の家には連絡しておくからさ」

「……あのね、千晃くん」

「ん?」

「……千晃くんは、怒ってないの?」

 

 それは、重苦しい沈黙を貫いていた朝田からの、藪から棒な質問であった。

 朝田は、震えていた。これは寒さではない。恐怖だ。

 

「わ……わ、わたしが、ちあきくんの……ぅ……」

「朝田、公園で一休みしよう。それからおっさんの飯食って、俺の部屋でゆっくり話そう。な? その方がいい」

 

 嘔吐する素振りを見せてなお話を続けようとする朝田を制止して、半ば無理矢理公園のベンチに座らせた。

 それでも、冬の冷たさは心の温度も奪っていくようで、俯き続ける朝田に渡したホットココアは、プルタブが起こされることすらなく温もりを失っていった。

 俺は隣に座って、ジャケットを脱いで朝田の頭にかけた。

 

「わっ……あったかい」

「また雪を積もらせて、傘地蔵にでもなる気か。風邪引くぞ」

「……服を脱いだ千晃くんよりはマシだわ」

「それはまぁ……そうかもな」

 

 ジャケットまで被せられてもこもこになった朝田と、薄いシャツの上に学校指定のセーターを着ているだけの俺。雪の中、どちらが先に体調を崩すかは明白だ。

 雪舞う春風が一層強く吹いて、指の感覚が薄れる。気付けば妙に朝田の顔も赤いし、ここはさっさと家に帰るべきだろう。

 どちらからともなくベンチから立ち上がり、今度こそしっかりとした足取りで、家路を急いだ。

 隣を歩く朝田の体は俺の普段着ているジャケットにすっぽりと覆われていて、改めて彼女の小ささを実感させられる。

 

「いいにおい……」

「ん? 何か言ったか、朝田」

「んっ!? い、いえ、何も言ってないわ」

 

 口元までマフラーとジャケットの両方で隠されては、流石に俺でも彼女の表情は読めなかった。

 住宅街からちょっと遠い、車通りの多い交差点に俺の家はある。

 木を基調とした、磨りガラスが嵌め込まれた窓のある扉には、『CLOSE』と書かれた札がかかっている。開けると、チリンと入店を告げる金属音が鳴った。

 

「おっさん、帰ったぞ」

「おー、おかえり……って、なんだその格好は。風邪引いても面倒見ねぇからな」

 

 心底嫌そうに睨むおっさんだったが、俺の後ろにぴったりとくっつく小さな影を見た途端に商売の時の人当たりの良さそうな笑顔になった。

 

「詩乃ちゃんも連れてきたのか! それを早く言えってんだよ千晃よぉ」

「思ったより雪が酷くてな。うちで体暖めてから帰そうと思ったんだよ」

「あ、あの、お邪魔します」

 

 俺の後ろから出てこないことを除けば、礼儀正しい挨拶だった。

 

「あの、とりあえず私、家に連絡しなきゃなんですけど……」

「じゃあ厨房は五月蝿くなるから、上の俺の部屋を使ってくれ。俺は強制的に昼飯作りに駆り出されるから」

「当然だ、自分の食うもんは自分で作れ。詩乃ちゃんの分もあるから俺が手伝ってはやるがな」

「へいへい」

 

 俺の料理はまだまだ未熟、辰尾のおっさんに追い付くためには場数を踏むしかないのだ。

 淀みない手付きで材料を取り出していく。今日作るのは、ナポリタンだ。

 それを理解したおっさんは、呆れたような顔をしていた。

 

「またナポリタンか、飽きねぇなお前も」

「当たり前だろ。この世で一番旨いのはここのナポリタンだ」

 

 この店に連れてこられた時に、初めて出された料理。それがナポリタンだった。

 給食費すら払ったことのない俺に手料理を食べた経験なんてある訳がない。それ故に、初めて食べたナポリタンの味は筆舌に尽くしがたかった。

 危なっかしさの消えた、しかしまだまだ粗だらけの手付きで自分の分を作っていく。朝田の分は、当然おっさんが作る。曲がりなりにもお客様であり、半人前の料理など出すことは出来ないのだ。

 

「なぁ、千晃」

「なんだよおっさん」

「お前、詩乃ちゃんとデキてるんだよな? 晴れて中学生になったんで、家でデートに洒落こむ算段か?」

 

 この瞬間、信じられないほど大きなため息が口から漏れた。

 

「……俺と朝田はそんなんじゃないよ。去年までランドセル背負ってた妹分にそんなこと思えるかよ」

 

 淡々と調理を進めながら、吐き捨てるように言った。

 おっさんの方を見やると、既に盛り付けまで終えているというのに、処置なしとでも言いたげな、腹の立つ表情をしていた。

 

「……なんだよ」

「……いや、こう、詩乃ちゃんも大変だなぁと」

「そりゃそうだろ、あんだけ酷い目に逢ってりゃなぁ……!」

「あー、そういう意味じゃないんだが…… ほら、残りの作業は俺が代わってやるから、詩乃ちゃんとゆっくりしてこい」

 

 おっさんの言葉の半分くらいは意味を図りかねたが、朝田の様子を見ておきたいのも確かなので、とりあえず彼の言う通りにすることにした。

 階段を上がろうとした、まさにその時。

 

「おい」

 

 いつもよりずっと硬い、辰尾の声だ。それは、飲食店としての流儀や俺の将来に関わるような、大事なことを話す時だけに聞かせる、諭すような声。

 

「詩乃ちゃんにそっぽ向かれるような男にはなるなよ」

 

 いつもなら鼻で笑って片付けるような言葉。しかし、言葉に乗せられた重みがそうはさせなかった。

 反応しかねた俺は、ただ頷き、その場から逃げるように自室への階段を登る。

 それしか、出来なかった。

 部屋に入ると、やけに布団が膨らんでいるのに気付く。

 

「朝田?」

 

 声をかけると、もぞもぞと布団が動き出し、朝田の顔だけが出てきた。そのシルエットはまるでおにぎりのようだ。

 

「寒いよな、この部屋。ヒーター付けるぞ」

「うん、寒い。だから、こっち来て」

 

 電気ストーブの電源を付けようとした俺のシャツの裾が、くいくいと引っ張られる。されるがままにしていると、布団がずり落ちる音と同時に、俺の背中に冷えきった何かが密着して。俺の腹に白磁のような手が回された。

 これは、ひょっとして、朝田に抱き付かれている──?

 つまり、これは、ええと……どうすれば……

 

「あ、あさだ」

「千晃くん」

 

 俺の上擦った情けない声が、朝田の決意の籠った声に遮られた。

 これは、さっき帰り道で朝田が吐きそうになってまで話そうとした、その続きだ。

 背中に女の子がくっついているという事実から極力目をそらしつつ、沈黙を貫く。

 朝田が恐る恐るといった様子でこぼすように言葉を紡ぎ始めたのは、数秒後のことだった。

 

「……千晃くんは、怒ってないの?」

 

 それが、二年前の銃撃事件を指していることは明白だった。

 朝田が今までずっと俺を避けていたのは、会いに行っても顔を見せてくれなかったのは、自分の手で俺に発砲した罪悪感からなのだろう。

 中学生という節目で、遂に彼女は恐怖に立ち向かうことを決心したのだ。

 なんという、心の強さ。

 

「朝田。確かに俺はずっと怒ってる」

 

 ビクン、と震えが伝わった。

 

「でもそれは、朝田に対してじゃないんだ。あの時の強盗に対してと、何も出来なかった自分に対して」

 

 そして、親なのに朝田を守らなかった彼女の母親に対してと、なんの理由もなく俺達に降りかかる苦難に対して。これは言わないが。

 

「あの強盗が全部悪くて、朝田は皆をあいつから守ったんだ。だから、朝田が苦しむ必要は何もないんだよ」

 

 抱き付いている手は既に力を失っていた。やすやすと振り向き、逆に抱き締める。

 二年間、ずっとこうしてやりたかった。

 

「で、でも私、み、みん、なの言う通り、人殺しで……」

「関係あるもんか」

 

 クズ一人死んだところで、なんだというのか。

 

「それでも苦しかったら、俺がいるから。朝田がいいって言うまで、俺は側にいるから」

 

 それが、本来あそこで手を汚すべきだった俺に出来る唯一の贖罪なのだ。

 朝田はそれきり黙って、ただ俺の腕の中で泣いていた。

 今の状況は、それとそっくりなようで、実際は真逆だった。

 俺は今彼女を、安堵ではなく、不安で泣かせている。

 思い出したように傷痕が疼き、自己嫌悪に襲われる。

 情けない。

 死んでも守るとはなんだったのか。

 地元から逃げて、仮想の鉄砲遊びにかまけているうちに、そんなことも忘れてしまったのか。

 俺はそっと、朝田を抱き締め返した。

 

「ごめんな、朝田。俺、大切なことを忘れてた」

「ばか」

 

 朝田の腕の力が更に増した。けれども俺の百八十センチを軽く越えるガタイからしたら、この程度の力なんて可愛いものだ。

 

「さ、なんか適当に食べて……今日はゆっくりするか。学校は休んじまおう」

「……わかった」

 

 その日は、布団の中で二人くっついて過ごした。

 邪な意図は何もなくて、ただ互いの温もりが欲しかったから。

 邪魔になるからと、俺は枕元に置いてあるアミュスフィアを片付けた。

 そう言えば、GGOで戦い出して以来初めてコンセントを抜いた気がする。

 戦場と断絶されたリング状のヘッドギアは不思議と重たかったが、不思議と今の俺にとっては、心の底からどうでも良かった。

 さっきまでの嘔吐感が嘘のように晴れやかな気持ちになり、まるで体がふわふわと浮いているようだった。

 

 そしてその日を境に、俺はGGOにログインしなくなった。

 だって仕方ないだろう?

 俺にとって一番大事なのは、朝田のお世話なんだから。




核爆弾
新川恭香の爆弾
朝田詩乃の爆弾
流千晃の爆弾

爆弾の四種盛り合わせ

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